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父の突然の死から事件は次々と展開していった。
3月の中ごろ、妹淳子の為に本国より取り寄せた
一際、豪華な,雛壇を飾り付けた十六畳の座敷で
父は息を引き取った。
享年42歳。龍司7歳の時である。
その年の8月に日本は無条件降伏をした。
4名居た書生の一人矢部は東の空を仰ぎ見て
我が家の庭で割腹して果てた。
彼は剣道五段錬士、俺の剣道の師匠兼
我が家の用心棒であった服部師範の
一番弟子であった。
終戦後間もなくロシア兵が進駐した来た。
彼らは赤い物を好むとの情報がもたらされ
日本人家庭では、腰巻やら毛氈など
赤い布をかき集め其々が手に持って歓迎の意を表すべく
駅のホームへ整列させられた。
晴天に機関車は黒煙を猛烈に吐きつつ現れた。
貨車が26両編成であった。
高らかに汽笛を鳴らしながら到着した。
歓声を上げながら降りてきたのは
大男たちの集団である。
ぎゅうぎゅう詰めから解放されたロシア兵達である。
地獄が始まった!
彼奴らは一斉に女性めがけて殺到したのだ。
若い娘が・主婦が・母親が
あちこちで引きずられ、モンペを剥がされる
泣き叫ぶもの・舌をかむもの・
配られて在った青酸カリを口に含む者。
龍司は母親の上に馬乗りに成っていた
ロシア兵の頭を木刀で叩き割り
父の形見のドイツ製の拳銃モーゼルの引き金を引いた。
龍司初めての殺人である。
その後北朝鮮の日本人収容所から脱走
35日かけて朝鮮半島を縦走
妹を背負い、母の手を引いて
機銃掃射を掻い潜って38度線を突破!
アメリカ軍キャンプ地へ転がり込む。
後は貨車に揺られ
釜山港より博多上陸後大阪へ
帰国後母親はカリタス修女会が運営する
母子寮で、金髪の子供を出産。
許せぬ龍司は此れを一人で
ミカン箱に詰めて都島の火葬場へ歩いて運んだ。
彼奴をを生かす事は出来ない
彼を弟とは断じて認める事は出来ない。
俺はそう決断した。
その後母は狂って、精神病院へ入院した。
龍司はサレジオ修道会に引き取られ
特別な英才教育を受けるが、間もなく
修道院を飛び出し
小学校を、6年生2学期で中退した。
12歳の時である。
単身無賃乗車で大阪駅から夜汽車に乗り上京。
上野・浅草・日比谷公園・を経て
銀座に住み着く。
数寄屋橋から有楽橋までの河側が仲間の塒であった。
苅込に逢うたびに
児童相談所。養護施設・教護施設・少年鑑別所
等々を盥回しされたが
何処へ入れられても3日以内に脱走した。
満州と北朝鮮との国境に流れる。
オウリョッコウ
から始まった果てしない旅路は終わりがなく
今も続いている。
既に母は無く
妹も死んだ。
俺は何処へ往くのだろう?
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