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父は山口県萩で代々続いてきた士族の三男である。
幼名を「一丸」と言い元服して「寿男」を名乗った。
地元明倫館の初等科を主席で卒業後
和歌山の海草中学で学んだと聞いた。
学問は優秀であったが、武道の実績は貧弱であった。
剣道は初段止まり
弓道はかろうじて3段であった。
常に病気がちであり
一族の中では、軟弱の誹りを受けていたようである。
祖父は終生髷を切らなかった。
祖母は鉄漿であった。
家督を長兄に委ねた父は、家を出て朝鮮に渡った。
朝鮮総督府の監督官への道を選んだのだ。
ダム発電所の開発・大製鉄工場の建設
朝鮮鉄道の拡張・各種道路整備
各種鉱山の発掘・港湾の整備
飛行場の拡充・塩田の開拓
煙草・綿花の栽培
等々の指導監督が主たる業務であった。
父は髪を七三に分け、口髭を蓄えていた。
金縁の眼鏡をかけて、
金の懐中時計を内ポケットに忍ばせていた。
山高帽にフロックコートの出で立ちでステッキを持ち
日々官庁への送り迎えは
黒塗りの高級車パッカードである。
運転手は、住み込みの書生、戸田が務めた。
私用での都度のお出かけには
何時もお抱えの人力車を使っていた。
そんな父が美少女に一目ぼれした。
当時、軍や総督府への慰問団が編成され
内地から大勢派遣されてきた。
役者・歌手・各種芸人等に交じって
大阪の北の新地から、曽根崎芸者を中心に
舞子・半玉の面々も参加していた。
父はこの中の一人
19歳の芸者「龍子」に惚れ込み身請けしたのだ。
周囲の反対を頑として押し切り正妻として家に入れた。
「龍子」は、当時、京・大阪の花柳界で
黒髪と、うりざね顔の絶世の美人だと持て囃され
引く手あまたの売れっ子であったらしい。
龍子は大阪築港(天保山)の米屋の娘である。
11人兄弟の末っ子であった。
両親は「たつこ」と呼んでいたらしい。
やがて「龍子」は、この世に
龍司を産み落とす事に成る。
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2)父・母
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