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今宵は隅田川の夜景で一杯やりませんか?
此の夜景には、ジャズが似合います。
下段に用意しました。存分にお楽しみ下さい。
オンザロックとレーズンバターは合いますよ。
マイルス・デイビスの演奏を聴きながら
休日の夜をゆっくり寛ぎましょう。
乾杯!
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酒・美味い物。
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詳細
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江戸時代中期から、灘の酒の評判は爆発した。
最初は伊丹地区・灘地区で創られた酒を
菱垣廻船で木綿・醤油等と一緒に送られていた酒を
樽廻船で酒だけを運ぶようになり
酒は総て樽の儘運ばれるようになった。
此れを江戸では下り酒と言った。
大坂から江戸品川沖まで
幕末ごろには10日前後で着いたが
それ以前は
早くて10日。遅いときは2ヶ月も掛かったが。
是が旨さの秘訣であった
海上輸送である
この間酒樽は、大波小波に揺られ揺られて
樽の香りと相まって
味は円やか成り
芳醇な得も言われぬ香りを
含むようになったのである。
江戸の人達は
酒は灘に限ると言うように成ったそうだ。
現在のように工場でビン詰めされたお酒は
九州で飲もうが
東京で飲もうが
味はおなじである。
この話も
今は亡き北大路のご亭主から聞かされたものである
それにしても
グット冷え込んで
酒の美味い季節に成りましたね〜
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阿佐ヶ谷駅北口には様々の思い出がある。
花籠部屋の龍虎関と
足しげく通った焼肉屋
北口商店街に在った
熊谷真美ちゃんのお母さんがやっていた毛糸屋
その向かい側に在ったのが
酒房・北大路である。
20歳に成った私にお酒の指南をして呉れたのは
義兄・佐藤淳である。
当時の兄は
銀座に在った太平洋テレビの清水社長に元で
演出部長をしていた。
当時の洋画には付き物であった
字幕を無くす仕事で評判を取っていた。
此処で我国では、初めて声優を造りだした。
外人の口から日本語が出てくる。
カートライト兄弟
ボナンザ
等々
テレビでも字幕がなくなった。
その兄が初めて連れて行ってくれたのが
北大路である。
元農林省の
利き酒担当官を定年まで勤め上げた
ご主人が経営する酒処である。
ご主人は一滴も酒は飲み干さない。
飲み込むとみんな美味く成って判断を狂わすからだそうだ。
少量を口に含み、ころがし、味と風味を確認すると
総てを吐き出し、水で口を漱ぐらしい。
一級酒・二級酒・特級酒を決めるお仕事一筋。
店の突き当りの真ん中に囲炉裏が切って在り
自在鍵に南部鉄瓶をぶら下げてあった。
囲炉裏の前に在る小座敷に
何時もご主人は正座してお客と対応していた。
御亭主を囲むように長机がコの字に置かれ
客は学校の生徒のようにおとなしく座って
御亭主の話を聞きながら酒を愉しむ。
客筋は
作家・画家・音楽家・大学教授・等々
店内での死後は禁止であった。
初めての私は錚々たる顔ぶれと
雰囲気に恐れをなし、かなり狼狽えた。
椅子に座ると
御亭主は20個ほどの酒杯を乗せた盆を差し出す。
「今日のご気分で、選んでください」
九谷焼・益子焼・備前焼き・萩焼き・等々等々・・・
色も形も大きさも色々
次にお酒の銘柄を選ぶ番だ。
御亭主の後ろには全国から選りすぐった
銘酒の一升瓶が100本ずらりと並んでいる。
・・・・・・
この店で教わったお話を一つ
ご主人曰く
お酒とは
灘の酒・剣菱の事である。
是より辛い酒は辛口と言う
是より甘い酒を甘口と言う
因みにあの堀部安兵衛が高田の馬場へ駆けつける前
有名な羽織の別れ
この時安兵衛のわきに転がってあったのは正しく
剣菱の大徳利であった。
赤穂浪士の一群が
討ち入り前に集合場所の蕎麦屋で
大石内蔵助が
「剣菱を持て」と、言い
此れを出陣の祝い酒とした。
なんて話を聞きながら
私も
いっぱしの
酒のみに成りました。
お付き合い
有難う御座いました。
酒の話彼是は
この後も
つづきます。
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