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ハワイ時間の2月27日午前にハワイ島東部の都市ヒロの海岸部に襲来した津波についての現地レポートです. ヒロは1946年と1960年に津波で海岸部が壊滅的な被害を被ったことで有名です.2回の津波では当時の日系移民の“新町”も被害を受けました。現在では一帯はカメハメハ大王像のある公園になっています.沿岸部のホテルでは,津波の水が抜けるように一階部分が吹き抜けになっています.ハワイテレコムのイエローページには津波避難地図が島の海岸部の地区ごとに載っています.影のついた範囲は避難が必要であることが図示され,道路を閉鎖する場所が番号で明記されています.写真はクリックで拡大します. イエローページのガイドには,遠隔地からの津波の場合は避難する時間が最低3時間はあるけれど,ハワイや近くで発生した地震や海底地すべりによる津波の場合は,揺れを感じたらすぐに高台に逃げる必要があることが書かれています.
津波避難地図に示された沿岸部の地域では,27日の早朝6時から津波の予定時刻の前まで,毎時サイレンで避難が呼びかけられました.10時までには避難が完了し,11時5分に津波が来た後,13時40分に警報が解除されるまで,沿岸部の一帯は港や空港も含め閉鎖されました.日本でも報道されていたようですが,海岸に面したヒロハワイアンホテルの宿泊客は大型バスで約3.5km南方の海抜20mのショッピングセンターに避難しました.津波到来までラジオはどの局も島内の様子を刻々と伝えていました.ヒロ郊外の高台にあるイミロア天文センターでは避難してきた大勢の人が,海を見下ろしてカメラを構えていたそうです.いつもは海水浴客でごったがえすオアフ島のワイキキビーチが無人になったことも報じられていました.ハワイ島では3メートル近い津波が予想されていたのですが,実際には1メートル以下で,幸い被害は出ませんでした.夜のテレビニュースでは,Lucky Hawaiiと伝えられていました.市長は「いつもこんなに幸運ではないことを認識する必要がある」とコメントしています.Civil Defenseや消防,警察などの諸機関が徹夜で避難体制を整えたこと,などの詳細は地元紙の記事をご覧下さい.
Hawaii Tribune Heraldの28日の記事
津波の朝,私はたまたま海岸部に宿泊しており,サイレンの鳴る中,レンタカーで高台へ急いで逃げました.スーパーでは水や食料を買い込む人,家財道具をピックアップトラックに積んで来た人を見かけました.この体験を通じてヒロの海岸部のホテルに掲げられていたパネルを思い出し,現実に起こりうることを実感した日となりました.
安井真也@ハワイ島
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ちきゅう徒然
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