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翌日,地下鉄に乗り,オイギンス公園の近くにあるチリー国立大学の研究室へ出かけた.チリー国立大学の建物は古びてはいるが,石造りのがっしりとしたもので,歴史を感じさせるものだった.建物へ入ると,2階に上り,Alfred Lahsen教授の研究室をめざした. Lahsen教授は窓を背にして机の前に座っていた.背後の窓からは,雪をいただいたアンデスの白い峰々が,青い空に映えて輝いていた.そこへ,調査に同行するHugo Moreno Loa氏が入ってきた.ラーセン教授は鉤鼻のゆったりとした風貌で,後から伺ったところによると,もともとはパレスチナ人で,しかもキリスト教徒であるとのことだった.チリー在住のパレスチナ人のキリスト教徒というだけで,その波乱に満ちた人生が想像できた.ウーゴ氏は小柄だががっちりとした体格で,いつもにこやかしている明るい風貌のいかにもラテンといった風の若い人だった.わたしたちはひとしきり打ち合わせをして,その場を離れた.明日は中部アンデスへ出発である. 翌朝,飛行機でサンチャゴからペルー国境の町アリーカへ飛んだ.飛行機からは,アンデスの白い山並みがよくみえた.アリーカから南方のアントファガスタにかけての海岸地域は乾燥地帯で,アタカマ砂漠とよばれている.このあたりはもともとはボリビア領であった.チリーとボリビアの戦争の結果,チリーが勝利を収め,チリー領となったのである.その結果,ボリビアは内陸国となってしまった. ここで,中型の四輪トラック2台をチャーターし,荷台いっぱいにテントや水食料を積み込んで高地アルティプラノへ登るのだ. わたしは昨日からひどい下痢をしていたが,この日には熱も出てきた.どうも,メキシコの生野菜にあたったようだ.しかし,一人でここに残るわけにはいかない.明日は一緒に4000mの高地に登らねばならないのだ.どうなるかはわからない.しかし,覚悟を決めるほかはなかった. つづく(高橋正樹)
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