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過酷だったアルティプラノの調査旅行を終えた私たちは、イキーケから空路サンチアゴに戻った。宿は再びパサデナ・サルバドールである。 宿の近くには「サンクリストバルの丘」とよばれる小山がある。丘といってもそれほど高度が低いわけではなく、それなりの高さがあってケーブルカーで山頂まで登れる。山頂にはこぎれいなレストランがあり、夜ともなればレストランからはサンチャゴの街の夜景がとても見事である。このレストランには、サンチャゴ在住の日本人N氏に連れられて行った。 N氏はチリー国立大学に勤める中年の地質学研究者である。といっても、留学などの一時滞在ではなく、サンチャゴに根を生やして生きている。N氏は北海道大学の出身で、若い頃から南米中を渡り歩き、最後はチリーに落ち着いたという猛者である。彼は尺八の名手であるが、南米を尺八一本かついで転々と渡り歩いたという。N氏は政治家と強いコネクションを持っているらしい。いいこともあるが、親しい政治家が失脚したりすると、とたんに冷や飯を食わされるという。なにしろここは、ラテンアメリカである。サンチャゴの夜景を眺めながら、N氏はこのようなことを私たちに語ってくれた。 サンクリストバルの丘の南東山麓に、大統領府であるモネダ宮がある。アジェンデ大統領がここに籠り、軍事クーデターを起こしたピノチェト将軍の反乱軍と,サブマシンガンを手に孤立無援の戦闘を行ったことはすでに述べた。この時も、機関銃の弾丸の後が、モネダ宮の壁に無数に残っていた。 アジェンデ大統領は選挙で選ばれた左翼政権の指導者である。アジェンデ大統領は社会主義的な政策を推し進め、アメリカ大資本の会社の国有化を行ったりした。チリーの貧しい民衆からは絶大な支持を受けたが、アメリカからはきわめて評判がよくなかった。ピノチェト将軍は、この政権を軍事クーデターにより強引に転覆させた。多数の人々が殺され、獄に繋がれた。陰惨な拷問やリンチも行われたらしい。未だに行方不明となった人たちが大勢いるという。 モネダ宮から南下すると、オイギンス公園がある。チリー国立大学はオイギンス公園の近くにある。オイギンスとは、革命によりスペイン軍を追い払った建国の英雄である。このオイギンス公園の競技場にピノチェト将軍のクーデターに反対する人々が大勢集められ、そして虐殺されたという。血塗られた公園である。しかし、今は穏やかな冬の陽光の中、木々の彼方には美しい雪に覆われた白いアンデスの峰々が見晴らせる。当時のことを思わせるものはなにもない。 私たちがサンチャゴを訪れたときは、ピノチェト政権がわが世の春を謳歌していた。しかし、その後権力を失ったピノチェト将軍は告訴され、拘束されて裁判に掛けられた。「おごれるものは久しからず、ただ春の世の夢のごとし。猛きものもついには滅びぬ。ひとえに風の前の塵におなじ」。現代政治世界の無常さも、平家物語の世界のようである。 (高橋正樹)つづく |
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2008年05月11日
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