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金丸さんがこのテーマで一文を書いていましたね.金丸さんが国立I大学理学部の学生だった頃,その指導教官だったのが,かくいう私です.彼がさんざんな思いで険しい丹沢の山から帰ってくると,「次はこの沢だね.ここまで詰めて露頭を確かめサンプリングしてこないとだめだぞ.もう一回行ってこい.」などといって尻を叩いて「鬼教官」をやっていました.当時の私は「地質学は格闘技だ.闘志なきものは去れ」などと叫んでいたかもしれません. 金丸さんは文句もいわず(実は蔭でいっていたかもしれませんが),丹沢の険しい沢をひたすら詰め,滝を登り,滝つぼに首まで浸かりながら,帰りには20キロを優に越えるサンプルを担いで野外調査を続けました.その甲斐もあってか,彼はこの丹沢トーナル岩体の研究で,日本地質学会研究奨励賞を受賞することになるのです. 私は卒論(および大学院)で中新世の火山岩と花崗岩(大崩山火山深成複合岩体)の研究をテーマにしたのですが,フィールドは険しい山岳地帯を選びました.理由はいろいろありますが,垂直方向を含めた3次元的構造をみるためには,高度差と山の険しさの両方が必要だったからです.私のフィールドである祖母・傾・大崩山塊は,宮崎県と大分県の県境に位置する山岳地帯で,調査範囲は5万分の1地形図で6枚にも及びます.当時,林道以外にはあまりまっとうな道はなく,50ccのスーパーカブにまたがって林道を行けるところまで行き,後は徒歩という調査を続けました. もちろん,日中山の中で人に出会うことはほとんどなく,鹿やカモシカ,時によって猿がお友達という毎日でした.露頭はきわめて良好でしたが,険しくて高度差が大きく,山道や沢に沿って毎日1000メートルの高度差を登り降りするというのが普通でした.もちろん帰りは20キロあまりの岩石サンプルを背負って降りてきます. 大学院時代は1年に少なくとも3ヶ月はこの九州の山奥に山篭りをしていました.フィールドワークの費用は,自宅通学だったので,奨学金とアルバイト代のすべてを貯めてそれをつぎ込んでいました.学生時代,遊びに金を使ったという覚えはほとんどありません. というわけで,私がI大学理学部に就職して卒論の指導をするようになっても,「花崗岩を研究する場合には高度差1000メートル以下の岩体はやらせない」と学生にいっていました. 私の最初の学生は,現在大手Mコンサルタントで地質技術者をしているSさんです.彼は東山梨火山深成複合岩体の研究を行い,1000メートル余りの高度差のフィールドを毎日20キロの岩石サンプルを背負って,ひたすら歩いていました.彼に会うと,今ではとてもよい思い出であるといってくれています. 奥秩父の金峰山花崗岩体も高度差1000メートル以上の花崗岩体です.この岩体を卒論でやったNさんは,大学院で丹沢トーナル岩体の調査も行っていますが,その後国家公務員I種試験に合格して,現在は農水省のお役人をやっています. 金丸さんは,このNさんを凌ぐガッツで野外調査をやってくれました.金丸さんが滝つぼに浸かっている写真の背景には,こんなこともあるのです. 高橋正樹 |
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