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2008年の年末,宮崎県と大分県の県境にある大崩山火山深成複合岩体の調査に行きました. 大崩山火山深成複合岩体は,地球システム科学科の高橋正樹教授らによって詳細な調査が行われており,今から約1400万年前に活動した火山の地下構造が地上に顔を出しているものだということがわかっています. 今回は,大崩山火山深成複合岩体の一部の環状岩脈の調査をしてきました.環状岩脈とは,その名の通り,輪のような形をしたマグマの通り道(の跡)の事を指します.ここでみられる環状岩脈は,下の一枚目の写真の矢筈岳(やはずだけ)の様に花崗斑岩からなる岩肌が露出した荒々しい表情をみせる急峻な山を作っており,そこに生える松の景色など,まるで中国の山水画の世界に入ってしまったような気にさせます. 2枚目の写真の行縢山(むかばきさん)の名前は,その昔,狩りなどの際に足に着用した革や布でできたすね当てのようなもの(行縢:むかばき)に形が似ていることに由来するそうです. 明治初期に起こった西郷隆盛らによる西南戦争末期の戦場となった可愛岳(えのたけ)もこの環状岩脈の一部です.可愛岳に限らず,今回の調査地域は祝子川(ほうりがわ)や鹿川(ししがわ),三田井(みたい)といった,この歴史絵巻の舞台であり,岩石の調査をしながら西郷さんの足跡をたどることになります. さらに,この環状岩脈の分布域の最西部は,高千穂にまで至っており,少し足を伸ばせば,天照大神(あまてらすおおみかみ)が隠れてしまったとされる,かの有名な天の岩戸に行くこともできます.この地域には,高千穂夜神楽と呼ばれる神楽が伝わっています.本物の神楽の奉納は,決められた日程で保存会により行われていますが,私が泊まった宿の近くの高千穂神社では,毎晩,観光神楽と称して,この神楽の代表的な4つの舞が披露されています.野外調査の際には,その日の夜のうちにその日とれたデータを整理する必要があり,非常に忙しいのですが,せっかくですので私もこれを鑑賞してきました.冬の何でもない平日の夜,この辺境にある神社の神楽殿に30名ほどのお客さんが入り賑わっていました.演じている保存会の方々は,昼は農家をされている方がほとんどで,ご高齢の方が多いという事です.持ち回りで毎日公演するには大変ご苦労があるでしょうが,この民間芸能を後世に伝えるためにもがんばっていただきたいものです. 今回は,古い火山の調査をし,日本の夜明けを感じて来ました.調査の様子はまた次回. 金丸龍夫 |
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2009年03月27日
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