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富士山の山開きは7月1日ですが,今年は残雪が多く12年ぶりに登山道の開通が山開きに間に合わなかったそうですね. 写真は,都内(台東区下谷,小野照崎神社境内)にあるミニチュア富士山である富士塚です.ごつごつしていますが,富士山の溶岩を積み重ねて江戸時代に作られたそうです. ↑説明看板 江戸時代,霊峰富士山にお参りする信仰が盛んになりましたが,庶民は本物の富士山に行くことは難しく,写真のようなミニチュア富士山を作ってお参りしたそうです. 富士山は火山学の対象としてだけでなく,日本の文化や精神などにも大きな影響を与えていて大変興味深いです. 都心にいると,あまり火山を身近に感じることはないですが,ミニチュア富士山で火山を感じてみるのはいかがでしょう? 村瀬雅之 |
地球の見所(国内編)
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(写真:2009年5月の中軽井沢から撮った浅間山) 5月末に浅間山に行って,水準測量調査を行ってきました(名古屋大・気象庁・日大共同観測). 浅間山では今年2月に噴火が発生しています.噴火時の2月は雪のため観測が行えず初夏を待ちました.それでも,山頂の西側の車坂峠には一部雪が残っており,気温5度の小雨の中,一日中調査した日もありました. 過酷な観測ですが,苦労してとったデータだからこそ,価値があるのです. 詳しくは浅間山2009年2月噴火に関連する山体膨張(速報)にまとめましたので,ご覧ください.(観測の時に撮った写真つきです) 村瀬雅之 |
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1991年6月3日,長崎県の雲仙普賢岳では成長中の溶岩ドームの一部が崩れ落ち火砕流が発生し,この火砕流に巻き込まれて 43人が犠牲になりました.噴火から18年目の今年の6月4日も昨年と同様,普賢岳の麓の島原市では慰霊の行事が多数行われるとともに,小学校では当時の被災者が体験談を話したりビデオで当時の様子を放映したりしたそうです. 災害のことはすぐ忘れてしまいます.しかし,新たな災害を少しでも減らすためには過去の災害の様子を受け継ぐことはとても大切です.以前ご報告したように島原市ではこの時の災害の様子を留めるために様々な形で災害の跡を野外博物館として保存しています 関連記事1. 私も一昨年,ここを訪れた時に語り部の方々から身に迫る思いで災害の様子をお伺いしました(写真).この噴火を卒論のテーマにした当学科の卒業生である大野さんも,今年から啓蒙活動を行う火山学の専門家として島原市で活躍しています 関連記事2. 災害は忘れた頃にやってきます.災害を受けた人も知らない人もお互いにいつまでも災害の記憶を風化させない努力を続けたいものです. 宮地直道 |
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2008年の年末,宮崎県と大分県の県境にある大崩山火山深成複合岩体の調査に行きました. 大崩山火山深成複合岩体は,地球システム科学科の高橋正樹教授らによって詳細な調査が行われており,今から約1400万年前に活動した火山の地下構造が地上に顔を出しているものだということがわかっています. 今回は,大崩山火山深成複合岩体の一部の環状岩脈の調査をしてきました.環状岩脈とは,その名の通り,輪のような形をしたマグマの通り道(の跡)の事を指します.ここでみられる環状岩脈は,下の一枚目の写真の矢筈岳(やはずだけ)の様に花崗斑岩からなる岩肌が露出した荒々しい表情をみせる急峻な山を作っており,そこに生える松の景色など,まるで中国の山水画の世界に入ってしまったような気にさせます. 2枚目の写真の行縢山(むかばきさん)の名前は,その昔,狩りなどの際に足に着用した革や布でできたすね当てのようなもの(行縢:むかばき)に形が似ていることに由来するそうです. 明治初期に起こった西郷隆盛らによる西南戦争末期の戦場となった可愛岳(えのたけ)もこの環状岩脈の一部です.可愛岳に限らず,今回の調査地域は祝子川(ほうりがわ)や鹿川(ししがわ),三田井(みたい)といった,この歴史絵巻の舞台であり,岩石の調査をしながら西郷さんの足跡をたどることになります. さらに,この環状岩脈の分布域の最西部は,高千穂にまで至っており,少し足を伸ばせば,天照大神(あまてらすおおみかみ)が隠れてしまったとされる,かの有名な天の岩戸に行くこともできます.この地域には,高千穂夜神楽と呼ばれる神楽が伝わっています.本物の神楽の奉納は,決められた日程で保存会により行われていますが,私が泊まった宿の近くの高千穂神社では,毎晩,観光神楽と称して,この神楽の代表的な4つの舞が披露されています.野外調査の際には,その日の夜のうちにその日とれたデータを整理する必要があり,非常に忙しいのですが,せっかくですので私もこれを鑑賞してきました.冬の何でもない平日の夜,この辺境にある神社の神楽殿に30名ほどのお客さんが入り賑わっていました.演じている保存会の方々は,昼は農家をされている方がほとんどで,ご高齢の方が多いという事です.持ち回りで毎日公演するには大変ご苦労があるでしょうが,この民間芸能を後世に伝えるためにもがんばっていただきたいものです. 今回は,古い火山の調査をし,日本の夜明けを感じて来ました.調査の様子はまた次回. 金丸龍夫 |
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長年観測を行っていると珍しい現象に出会うことがある。写真に示したのは「太陽柱(サン・ピラー)」である。光の柱が山の上に伸びている(注:以前,村瀬さんのブログに現象の紹介があったので,詳しい説明は省く「太陽柱」)。場所は北海道の網走湖,季節は極寒の2月(確か流氷祭りのさ中)である。 まだ大学院生だったころ,講座の助手が網走湖で観測を行うとのことで,手伝いに出かけたときのことである。湖の水温の鉛直分布を計るのが目的だった。この季節,湖は流出部のごく近傍を除いて全面的に結氷していた。30〜40cmくらいの厚さの氷の上に10〜20cmの雪が積もった状態で,その上を湖岸から機材を乗せたそりを引いて湖上を歩き回り,指示された位置で氷に穴を掘り,センサーを入れて湖底まで水温を測定した。 測定が終了に近づいた時,湖の中心付近で日没になった。昔,ある場所で夕日が瞬く間に沈んで行く様子を見て驚いたことを思い出し,感動よ,もう一度と思っていたところ,夕日が山の端にかかった時,光の柱が立った(写真)。その時はこのような「太陽柱」という現象があるのを知らなかった(知ったのはかなり後のこと)ので,呆然と見つめたのを記憶している。 まさに神秘的な現象に触れて皆でその余韻にひたって・・・いる間はなかった。すぐにまっ暗闇になったのである。立っていた位置からは,湖岸の出発点は見えず,方向を失った感がある(今のようにGPSなどない!)。 小さな懐中電灯に頼って,自分が来たそりのあとを照らし,そこから推定して方角を定めて歩き出した。昼間にやや氷の薄いところがあった記憶が,前進に対する恐怖を呼び起こし,足元を確認しながら何度か方向を転換した。かなりの寒さに震えて,やっと岸に着いた時はまさに安堵のため息をついたものである。ほんとに湖に落ちないで良かったと。 後日談であるが,それから15年ほどたった同じ2月に,何の因果か別の観測で同じ網走湖を訪れた。その時,別の方角から湖の上を見て驚いた。自動車用のサーキットコースさながらの光景がそこにあった。何でも,氷に対するタイヤスリップのテストコースだとのことである。つまり,氷はそれだけ厚く,車が乗っても割れないほど丈夫だったということ・・・。用心にこしたことはなかったが。 加藤央之 |


