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またまた、カンボジアについてです。 この写真を見て、感じられることはありますでしょうか?? そう、同じ学校です。上は、2004年11月。下は、2005年5月の写真です。 東南アジアでは、モンスーン(季節風)によって雨季と乾季が明瞭に分かれています。 カンボジア・トンレサップ湖の水位は、雨季と乾季の水位差がおよそ3階分あります。 写真は、水位が高い時期(水深約10m)と低い時期(水深約1m)に撮影されております。 子供達の通学方法は、船だったり、歩きだったりと時期によって変わります。 ちなみに私は、通勤は、自転車だったり電車だったり車だったりと天気と都合によって変えます・・・。 この学校は、固定されていますが、他にも水に浮く水上学校もあります。 そこでは、体育館らしき物もあり、ボールを使った競技などもおこなっていそうでした。 (いずれご紹介できればと思います。) 水の上でたくましく生活している人を見ると元気をもらうような感じになります。 自分の知っている社会を一歩出ると、はまだまだ驚くことばかりです。 大八木 英夫 |
地球の見所(海外編)
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パサデナ・デ・サルバドールの食堂で、裕福そうな黒人の一家をみかけた。尋ねてみると、カリブ海のスペイン語圏の小国からの観光客で、チリー南部にスキーに出かけるという。黒人というと,「貧困」や「熱帯」というステレオタイプの印象があり,その偏見に無意識のうちにとらわれているためか,裕福な黒人家族がスキーをするということ自体に何か違和感を感じてしまった. 人間は無意識のうちに多くの偏見にとらわれている.17世紀のイギリスの哲学者であるフランシス・ベーコンは,人間はすべてイドラ(偏見)にとらわれており,それから自由ではないと考えた.彼はイドラを克服する方法として,帰納法を提唱したのだ. チリーを含む南米では、いわゆるモンゴロイド様の扁平な顔をしたアジア人のことを「チーノ」とよぶ。これは一種の蔑称であって、ジャップというのと同じようにあまりよい表現ではないらしい。かつて南米一帯に中国からの出稼ぎ単純労働者が大挙して押し寄せたことがある。彼らは劣悪な条件下で安価な労働力として使用された。「チーノ」(すなわちチャイニーズ)はそうした過程で生まれた蔑称である。チリーの隣国のペルーで日系のフジモリ大統領が誕生したとき彼もチーノとよばれたというが、この場合は蔑称というよりは愛称であったらしいので、最近におけるチーノという言葉の持つ意味合いは、少し変わっているのかもしれない。 ラテンアメリカは,白人とインディオの混血であるメスティーソが主体を占める.混血であることが当たり前なのだ.ブラジルなどは文字通り人種のるつぼであるといわれている. アルティプラノでの調査中にウーゴ氏が私に「お前のおじいさんはどこから日本にきたのだ」と尋ねたことがある.突然のことで面食らったが,私の顔がやや立体的であることや色が白いこと,180センチメートルとやや身長が高いこと,などが理由であったらしい.4分の1くらい白人が混ざっているのでは思ったようだ.というのも,混血であることは彼らにとってはごく普通のことだからだ.ちなみにチリー人はみな身長が低い. 混血の地ラテンアメリカですら,人種偏見は皆無ではない.地球上から,人種や民族に対するイドラ(偏見)がなくなるのはいつのことなのだろうか. パサデナ・デ・サルバドールの黒人一家は,今朝も底抜けに明るくにぎやかに食堂で語り合っている. つづく(高橋正樹) |
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地形図のことである.サンチャゴの町で,火山の地形図を入手するために,中心街にある軍の管轄する地図局に出かけた.残念ながらというか予想通りというか,やはり大縮尺の地形図は売ってもらえなかった. 中国やメキシコでもそうであったが,これらの国々では大縮尺の地形図は軍事上の理由で販売されていない(現在もそうであるかどうかは不明である.これはあくまで1980年代の話である).現在の日本では大縮尺の2万5千分の1の地形図が誰でも(外国人であっても)自由に手に入るわけで,このような国はあまり例がないのかもしれない.ちなみに,戦前の日本でも,地形図は帝国陸軍陸地測量部が作成していた. 私たちが戻ろうとすると,窓口の女性販売員が声を掛けてくれた.大縮尺の航空写真だったら入手可能だというのだ.私たちは耳を疑った.地形図よりも航空写真の方が地理情報に富んでいる.軍事上の理由だったら,航空写真を売るなどとんでもない話である.やはり,ここはケセラセラのラテンアメリカなのだと変に感心した. しかし,この話にはさらにおちがある.購入した航空写真を立体視しようとするとうまくいかないのである.どうしてなのだろうとよく調べてみると,微妙に撮影高度が違っているのだ.わざとそうしてあるのだとすると,それは相当な深謀遠慮ということになる.そうではなく,それは単にケセラセラなのかもしれない.いずれにしても,日本では到底考えられないことだ.それとも,何事にも正確を期する日本の方が異常なのだろうか. つづく(高橋正樹)
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私が大学院生の時,1999年に韓国で行われた巡検に参加したとき訪れた露頭です. 三千浦(サムチョンポ)というところに露出している白亜紀後期の堆積岩に残された恐竜の足跡です. 何という恐竜の化石かはわかりませんが,私の足の大きさと比べて見る限り, 体長2〜3メートルあたりでしょうか. 小さい恐竜なのか,子供なのか?, 足跡化石が残るって事は足跡を残した後この周辺はいち早く土砂等で埋められてしまったのでしょうか? 洪水ですかねぇ? 私は特に古生物が好きとかそういうことはないのですが, やっぱり恐竜とか化石とかいう響きには思わず興奮してしまいますね. 一緒に行った友人は思わず3枚目の写真のように恐竜になりきってしまいました. ちなみに,このときは韓国の大学院生たちと共に,韓国国内を北から南まで縦断する巡検でした. 今でも同じだと思いますが,韓国の学生は20歳くらいから2〜3年程兵役を経験しているので, 大学院の学年は同じでも我々より少し年上でした. 彼らと数日間生活を共にし,彼らの向上心の強さやたくましさ,また人間らしさに非常に感銘を受けました. 当時,韓国の物価は日本の10分の1程度でしたが,数年後再び韓国を訪れた時には5分の1程度. 韓国経済の急成長は皆さんご存知の通りでしょうが, その成長を支えているのは,彼ら一人一人の“強さ”にあるのであろうかと思います. さあ,私も頑張らないといけませんね. 数年後,学会でこのとき案内をしてくれた学生の一人(Parkさん)と偶然再会しました. 彼はその後,日本に3年間留学していたそうです. 3年間で彼の日本語はほとんどネイティブスピーカーのようになっていました. 恐るべしParkさん. そういえば, 大学入試のために一年間毎日睡眠2時間くらいで頑張ったって言ってましたわ・・・w(@_@)w. もう一つこの巡検の時に印象に残った事は, ある岸壁に沢山の割った瓶が埋められていた事です. 某国からのスパイが夜中に上陸したときに怪我をするようにだそうです・・・. 実はこのときとある事件が起こっていたのですが, 詳細については私を捕まえて直接聞いてください. 金丸龍夫 |
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ドイツについて1回目は火山の話をしましたが(http://blogs.yahoo.co.jp/geogeosys/3173970.html), 今回,2回目は,かつてドイツ北部を覆った氷河の話です.昨年8月にドイツに行った時は北ドイツのシュレスビッヒ・ホルスタイン州のプルーン市という人口1万人ほどの町にしばらく滞在しました.名前からわかる通り,この州は乳牛のホルスタイン種の故郷で,酪農の盛んな地域です.なお,この町の名はドイツ語でそのまま読むとプレーンになりますが,地元の人はプルーンと呼んでいました.大プルーン(プレーン)湖をはじめとする多数の湖の間に位置する,教会とお城を中心としたとても美しい町です(上の写真). 町の中を歩くと足元には色とりどりの敷石がいたるところにあります(中の写真).一部は四角く加工されたものもありますが,大半はやや丸い石です.これらの石の中には片麻岩(へんまがん)という縞模様の目立つ石があります.この付近では現在,ドイツより北のスウェーデンなどスカンジナビア半島で見ることができ,中には地球が誕生して間もないころにできた大変古いものもあります.ではどうしてこのような石があるのでしょう? 今から2万年あまり前,地球は最終氷期と呼ばれる寒い氷河時代で,この地域を含むヨーロッパ北部は厚い氷河に覆われていました.大プルーン湖の湖岸の看板にはこの時の氷河の分布と厚さが書いてありました(下の写真).それによるとプルーン市付近の氷河の厚さは現在の教会塔の高さ(下の写真の下の図に描かれた赤色の小さな建物)の約5倍の約300mと推定されています.この時代,氷河は北方のスカンジナビア半島から地面を削りながらプルーン市の方にゆっくりと移動してきました.この時に氷河は削った岩石を多量の石のかけらとしてこの地方にもたらし,氷河の周囲に厚く堆積させました.このような石はモレーンと呼ばれています.その後,地球が暖かくなると氷河は消えモレーンだけが残ります.そしてモレーンがあまり溜まらなかった場所には大プルーン湖のような湖ができたのです.次回はこの湖の話をしたいと思います. 宮地直道 |


