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現在は富士市になってしまったが、富士川町に遊びに行って来た。帰り、旧国道1号の富士川橋を渡った。富士川橋の東の水神さんに、久しぶりに車を止めた。 ここは、富士登山道の1合目(何口かは知らない)であり、富士山からの溶岩流が到達している。また、江戸時代は 富士川の渡船場でもあった。 弥次さん喜多さんは、三島宿でゴマノハイにあって有り金を掏られてしまったので、富士川は徒渡りをしたそうだ。しかし、この水では、徒渡りは無理だろう。 富士川橋から下流を見たところ。
江戸時代の初期、代官 古郡孫太夫が、雁堤を築き 溶岩を開削して、富士川の流れを、現在のように変えたと聞いているが、この写真の溶岩流は、ちょっと細すぎるのではないか と ぼくは思っている。 (1〜1.4万年前のことだが、岩渕段丘の直下を流れていた富士川の流れを、水神さんより東に変えてしまうには、もっと がっちりした溶岩の流れが必要だったのではないか と考えている) |
岳南
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岳南の測水は、医王寺の前で4ヶ所、玉泉寺の前で2ヶ所、途中で1ヶ所、水温(℃)と電気伝導度 EC(μS/cm、18℃換算)を測定した。とりあえず、測水地点の位置。どちらが見やすいか! 測点1は、丸池。根方街道に近い。水温:15.1、EC:175.2。 測点2〜4。湧出口に一番近いと思われた所。洗い場になっていて、右手:お寺の方から水が来る。3ヶ所測定し、水温:14.3、EC: 152。お寺の中に入るのは次回。 測点7(写真なし)。玉泉寺門前の西側の滲出水は、水温:13.8、EC:103.7。 地質:地域の主部(標高5〜10m以上の地域)には、「曾比奈溶岩流1(SSW4)」が分布する。この溶岩流は、津屋弘逵(1968,1988)によれば、富士火山の本体を作るものである。ただし、今回露頭は確認していない。
玉泉寺などは、幅50mほどになった溶岩の流れの末端に位置している。医王寺などは、側面に位置している。流れたのは、1.4〜1万年前で、現在は、冷たく固結している。 |
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11月4日は、岳南地域(富士市比奈)の湧水を見に行ってきた。 この子供たちは、寄り道しているのである。写真を撮ったぼくの位置は、通学路だが、ちょっと外れている。写真を撮ってとせがまれたが、フィルムが残り1枚だったので、次回ということにした。 観察結果、測定結果は 次のブログ!
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