箱根用水
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順序が逆になりましたが、「深良用水の沿革」を紹介します。 出版は、「静岡県芦湖水利組合」。著者は、初版が喜多川龍男氏、昭和39年(1964)、再版が牧野氏、昭和54年(1979)。(※牧野氏の名前は、このブログでは、表示できません。ぼくのパソコンでは表示できるのですが、公開すると、数字になってしまいます。記録の「録」の字の、金偏を馬偏にした字です) タカクラ・テル氏や佐藤隆氏が「箱根用水」と云っている用水に対して、「深良用水」と云っている。なにか 理由がありそうだ。 |
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「深良用水の沿革」という本を読んだ。初版は喜多川龍男(昭和39年;1964)出版である。 この本の冒頭に、「深良隧道地形平面図」と「深良隧道縦断面図」が折り込まれている。これらは、箱根用水総合調査団(団長:東邦大学・志賀富士男教授)によって昭和25年(1950)、調査されたものである。発表年 ?。 縦断面図に坑道の壁のスケッチがあるので、それを解釈して平面図にプロットした。ルートの全体的な地質は山伏峠火山体を構成する火砕岩である(日本地質学会;2007)。調査団のスケッチの地質区分の基準は、明らかでないが、全体は火砕岩であり、「集塊岩」としてあるものは、火山岩塊を含む「火山角礫岩」だろうと解釈し、●をつけて示した。 芦ノ湖側は、最初は順調に行ったようだが、入り口から120〜370mになると、断層を伴う輝石安山岩(幅5m未満で、縦に入ってくるので、岩脈と思われる)が出てくる。「こりゃ大変だ!」と思って平面図を見ると、ルートは北へ緩やかに曲がって行くのである。断層と喧嘩をするのではなく、と云って逃げるのでも無く、「いなしながら」という感じである。これぞ、甲州金掘りの秘伝、「樋押しの術」と思ったが、‥‥。「樋押しの術」+α? 秘伝の術を使っても、4年かかってしまったのである。 ※全長 約1,300m。出会い地点は、芦ノ湖側から約330mの地点だそうだから、秘伝の術を使っても、これだけで4年かかってしまったことになる。 深良側も、最初の300mほどは大変なものである。断層を伴う輝石安山岩の岩脈に加えて、新しい時代の崩積土などもあったようである。左に右に曲がったり、弧を描いたりしている。しかし、それから先(掘り抜きの中央部に当たる)は、断層や岩脈はあまりなくて、順調に掘れたようである。深良側からの掘削は、約1,000mになる。 問題は、難所のあと、掘削の方向をどうやって決めたのか である。方向を適切に決めるには、始点・終点の位置と共に、切り羽の位置も把握されていなければならないだろう。地質屋の感覚で云えば、ルートマップがきれて、水準測量も出来なければ である。友野与右衛門氏は、そんな技術を持っていたんだろう! 一人では出来ないだろうから、集団的にである! 神技と云いたいが、とにかく、そういう技術を持っていたんだと思う。 2010. 2 くどう ※2010.4、図を差し替えました。 |
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佐藤隆氏の問題提起から |
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2.佐藤隆「箱根用水史」(1979)
この小説とは、タカクラ・テル「箱根用水」であるが、 タカクラ・テル氏も、あの10倍、20倍くらいの小説を書きたかったんだろう!!! 高倉氏は、1945年当時は 獄中にあり、獄中で箱根用水のことばかりを考えていたそうだが、集めた資料は、7月の空襲で焼けて、灰になってしまった※1 と書いている。
佐藤氏の著書は、B5, 310ページ+ の大著であり、学術書※2 である。 ぼくはまだ通読していない。まだ、拾い読みの段階である。しかし、「箱根用水ができるまで」(1983)という解説書があるし、じつは、佐藤氏から直接話を聞いているので、箱根用水のことは、かなり分かったつもりでいる。
※2:学術書なんだろう。しかし、どうも 文章の推敲は不足だ と ぼくは思う。(もちろん、本人には言う!)
※1:「空襲で焼けて、灰になってしまった」。この感じ 分かるだろうか! ちょっと横道だが !! |




