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沼津市街地は「愛鷹・新期泥流」の高まりに上に載っている。その泥流は門池の西の方から押し出した と推定した。 そこで 門池に行って、写真を写して来た。 三明寺の前から、池越しに「愛鷹・新期泥流」を望む。地名は「岡一色」なので、「岡一色土石流」が妥当かもしれない。
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沼 津
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沼津市街地に関して、御殿場泥流とより新しい「愛鷹・新期泥流」が分布することを述べた。 「沼津 むかしむかし」( http://blogs.yahoo.co.jp/geologokudo/37927494.html) 次の段階として、これらの泥流と遺跡との関係を検討するために、範囲を広げて、遺跡(文化財)の分布図を作成した。 資料:「静岡県文化財1 地名表および地図(静岡県:1988)」。 資料は、長泉町 H 氏に ご教示いただいた。 現時点での評価(素人目には というところ)(分布図の範囲内で)両泥流(御殿場泥流と愛鷹・新期泥流)の分布域では、遺跡の数は少ない。御殿場泥流と愛鷹・新期泥流とを比較すると、愛鷹・新期泥流分布域の方が少ない。(浮き島原の、標高5m以下の地域は、さらに少ない。遺跡は無いに等しい) 両泥流の末端?(標高10m以下 ) 及び狩野川沿いには弥生時代の遺跡が分布する。したがって、両泥流の流下時期は、弥生時代以前である。このうち、御殿場泥流については、2,900年前 という年代が報告されている。愛鷹・新期泥流については、御殿場泥流のあと、弥生時代以前ということで、2,000 (2,400~2,000) 年前 と考える。 長泉町と清水町の黄瀬川沿いは、古墳時代の遺跡が豊富である。古墳の位置は、三島溶岩の溶岩塚群(下土狩溶岩塚群)関連が1ヶ所、あとは、段丘崖に関連したものである。
※「愛鷹・新期泥流」:愛鷹火山は、すでに活動を終えているので、この泥流は、火山活動というより、山体崩壊→土石流と考えるべきだろう。 押し出し口としては、「沼津市岡一色」辺りで、門池の前身は、この押し出しと御殿場泥流分布域との間に形成された湿地帯と推定する。改称するとすれば「岡一色土石流」くらいになる。 堆積物の層相:土石流としても、山体にローム層が分布するので、堆積物には火山灰質の細粒分も含まれていたと想像する。 |
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近くなのにあまり行かない所が、沼津の市街地である。が 眼鏡を直しに行ったので、街を見て来た。 緩やかな下り道を、標高4mくらいまで下がった所で、東海道は西に曲がる。 ※ ?譖:この字は読めなかった。音では「チョウ」、訓では「くまたか」。 道を東にとると仲町(なかちょう)、魚町(うおちょう)、狩野川の水運の名残のような古い家が残っていた。戦災で焼けたと思われるが、この石蔵は、江戸時代のものか?
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