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☆☆ 数学でさえ、数学の値打ちを決めるのは
数学ではなく、‘snobbist’ニンゲン、
人間が‘気分’に従って消された結果は、
岡潔さんを紹介する産経新聞から
つむじ風を狂わせた 誤動歯車の
金融大騒擾が浮かびます ☆☆
‘土足で上がった書斎’は、スノビストの華やかな荒凉が、広がります。だれでもその効用を知っているからあえて避たというわけではなく、奴隷や奴隷制度に触れる感覚錯誤が、おっくうに煽られ、遠ざけました。‘気分’の高揚につき合って、‘つむじ曲がりの おまけ’の中で、‘弾み’を思い出すと、国際ビジネスの底流を支えるスノビズムが、金融大騒擾の折りに新しい顔やヘゲモニーの姿を顕すのを、見逃さず、‘スノビストの底流’をビジネスから、土足の汚れそのままに捲し上げてみました。リバプールから誕生したビートルズの名の由来は、知るヒトのそれに譲り、そこがアイルランドから食い詰めて流れこんだナンミンの多数の小弱を虐殺して教会の礎にウズ高く埋葬、大強・中強の体力の利用に腐心したイギリス人が、スペイン人の無関心を背中で受け止め、国王が悦んで免許を与えた奴隷取引の大儲けに成功、織布の成功から産業革命のマッタだ中に繁栄を極めた、歯車列の凄い奴隷商人街、そのあれやこれやを刻んだまま教会とともに残る怒濤の歴史を意識させずには置きませんでしたから、イギリスから消えていった大英帝国の耳に残る不思議なパンチのあるエネルギーが、一転、優しい正直や、強情すら見せる素直を、ミュージックの世界に‘率直’に聴かせましたので、その聖歌隊上がりの若者の息づかいはストレートに耳に響き、ニッポン歌謡のその内から新しい渦を巻かせ、ピアノとバイオリンやバレーに嵌ったままの多勢くらしっくファンをドギマギさせました。職人を競うクラシック、即興の生音を叩くミュージック、音楽教育の外でお喋りことばの音楽が、耳の底に新しいハーモニーやリズムも‘ことば’も積みはじめ、気づくと世界がビートルズのソールに耳を傾けていました。争わないミュージックのデットヒート。黒人霊歌とはまるでチガうソールが、奴隷取引や産業革命で稼ぎまくったその無邪気なリズムとハーモニーを押しまくり、手放さずにコダワった‘ことば’は広がり、教会音楽を大進化させていったのが、いじめ抜かれたダーウィンを悼む‘敬虔’を、滲ませたDNPの大躍進となったため、世界中のクリスマスを刺戟、聞こえないクリスマスキャロルの深い哀愁はどうにもたまりません。イエスタディーでスッポリ包み、イマジンで敬虔の情を、死に湧れさせ、恋に落ちた聖者をプレスリーにしんみりと歌わせました。ホロコーストが舐めツクしたアドルフ・ヒットラーのナチ大戦に、涙を枯らせたその後でしたので、世界中の鎮魂が一頻りするころドルの大戦場を負けつづけた救世主・米コクから、平和を語る‘公益’の金融システムを媒介、MBAの欲ボケが‘保険’の共同謀議をもって金融商品の経済市場をグローバル制圧、ままならないスーパー恐怖攻撃システムに焦燥、次の‘応仁のラン’を米コク政府内の呉越同舟を利かせて拡大進行、‘政府が問題’のム徒ブッシュに至って、担保割れする住宅ローンに‘証券化商品の保険’をつけて即金・利益を銀行システム内に潤し、ド肝を抜く高額報酬を見せびらかせ、金融システムを金融商品づけで押しくらまんじゅうさせました。世界中のコームいんや金融ジョブがその一手に握る電子制御の歯車列を狂わせ、三層分化された絶対多数の小弱から、利払いつき電子マネーの使用を停止、モーゲージローンの居住権を空白化、金利払いを失わせた共同謀議の金融のグローバリゼーションはたちどころに資本欠損に陥り、浮かれた金融ジョブの功罪を露呈、‘政府が問題’をクローズアップしながらグローバリゼーションの隅から隅までスタンピード、金利負担を絶対多数の小弱に押しつけたスノビスト金融ジョブの栄華は、狙った通りに小弱を襲った金融大騒擾を招き、‘公益責務の違反’が大罪を確定しました。財務長官ガイトナーさんが、グリーンスパン前FBR議長を手始めに、サマーズさんの焦げ跡を共同謀議の高額報酬で裏付け、ウチノメされた世界の銀行システムのなかで、読み切っていたゴールドマン・サックスがヒトリ勝ちのように迫り立たせた黒字宣言をもって、いたたまれない金融大騒擾の主犯格を、自ら炙り出させ、謀反の知の才覚しゃルービンの焦げ跡を、炙り出すところまで‘責任のカタチ’が表出化、金融犯罪の歯車列を回した人為犯罪がその核とともに全貌を世界の眼に映し始めました。G20の冠を戴くオバマ大統領、MBAのスノビスト金融ジョブに口輪を填め、手綱をつけ、鞍をつけ、暴走犯罪抑止の調教をどうマニュアル化するか、「人民の人民による人民のためのグローバル政治」を、書き上げなければなりません。軍事ボケがム能のム徒をさらして躓き、金融ボケが金融大騒擾の大罪を負わされて躓き、世界システムは人材不足の‘死を循環するドッペルゲンガー’に、不法占拠されます。
暗転を臆さずに折から、情緒をすすめたのは、産経新聞2009.4.19【日本人とこころ】岡潔と情緒。岡潔さんを偲ぶ味わい深い感性のことば、数学者の怜悧な理性でさえ、理知より情緒を問う、と新聞が紹介します。その紹介の最期は、子供を襲い持ち物の一切を奪い取った岡潔さんを紹介。新聞のつたない思いや情緒が、隠されるやら際立てられるやら、情緒は‘癇癪もちの裏返し’を明かすように働き、思い重りが垂れこめる憲法改正の向こう脛を表出、しかし意図は不明。折からの新聞のありがたさは、幾ようにも、しみ込みます。
……奈良県のPTA研究会に招かれた岡潔さんは、前日に起こった左翼学生による新宿騒乱事件をめぐって「責任の一片は、人格と人格が触れ合う教育を怠った日教組にある。とくに小学校教育では、学問より人間教育が大切だ。この点、組合の指令通りに動くような教師よりは、父兄の中から教師になったほうがいい」と言い放った(昭和43年10月)……、
……よくない種子をまいたのは進駐軍だが、しかしそれをはぐくみ育てたのは日本人である。それでも原則から悪くしたのに害がこの程度ですんでいるのは、日本人が情操中心でこれまでやって来た民族だからで、欧米のように意志中心の国なら、すみずみまで原則に支配されるからもっとひどいことになっていたに違いない……、
……若い留学を終え翌昭和11年3月に親友を失った岡潔さん、その3カ月後に新聞沙汰となる事件を起こす。高瀬正仁さんが書いた『岡潔 数学の詩人』によると、昭和11年6月23日夜、帰宅途中の修道中学の夜学生を襲い、帽子や書籍、靴、自転車を没収して逃走し、山のササ原に寝そべって一夜を明かしたという……。
岡潔さんのいう「情緒」とは何か、岡自身の言葉で確認したい、そう切り出したこの産経新聞、スノビストの随筆集『風蘭』(昭和39年)に次のように記していると、紹介。 ≪たとえば、すみれの花を見るとき、あれはすみれの花だと見るのは理性的、知的な見方です。むらさき色だと見るのは、理性の世界での感覚的な見方です。そして、それはじっさいにあると見るのは実在感として見る見方です。これらに対して、すみれの花はいいなあと見るのが情緒です。これが情緒と見る見方です。情緒と見たばあいすみれの花はいいなあと思います。芭蕉もほめています。漱石もほめています≫
……解きほぐすなら、「情緒」こそが人間の土台であり、古来日本人は「情緒」によって理解しあい、平和で高度な文化を形成してきたというのだ。岡潔さんに即していえば、美と調和をめざす数学の研究で何よりも大切なのは「すみれの花はいいなあ」と感じる「情緒」だった……(産経新聞)、
暗転は知ってこそ分かる、ニッポン固有の矛盾。病院をたらい回し患者の死など、どうということもない深淵な‘情緒’を見せるトップ自治は、岡潔さんを敬愛し、教育も行政も、警察や病院すら、コームいんのゴタゴタを誇る古都奈良ケン。記紀万葉歌碑62基が路傍の草むらや林の中にさりげなく置かれた昭和47年、岡の揮毫した碑は、
《足引きの 山かも高き 巻向の
岸の小松に み雪降りけり》
であったけれども、岡潔さんがなぜ柿本人麿のこの歌を選んだのか? 長女の鯨岡すがねさん(76)に尋ねても「分からない」(同)……。
数学の理性が隠し持つ‘情緒の刃’は、理性の制御を失う狂気と正気の二刀流でした。素性の分からない宮本武蔵が吉川英治さんの手で敬愛にまで高められ、武士道の鏡にされたのは当然としても、残されるのは大罪の源となるニッポン固有の矛盾でした。‘山路(やまじ)来て何やらゆかし菫草(すみれぐさ)’の情緒より、武士道が深く敬愛されたのは、狂気を嫌い、正気や誠実のヒトスジを願ったからの、ものだねでした。すべては情緒も法律もコームいんの退廃も未解決、ニッポンの矛盾が為政の無惨を、明か明かと灯します。
∈ 納戸の隅に 折からの 一挺の大鎌あり、汝が意志を まぐるな というが如くに ∋(牧水)折からこそ、ぷらとん爺さんが説いた知を磨き、‘現実的’と‘理性的’の矛盾に直面する、いざこの時の絶好機。つづる矛盾が、正気と狂気にパックリ割れては、いくらヒトを憎まずといっても、数学がその正邪を映します。最新に現れた金融大騒擾の‘応仁のラン’は、情緒の微分数学の、ヒステリック・パニックから。‘死を循環するドッペルゲンガー’が情緒につけいって、微分数学の世界を蹂躙しました。巨悪の塔、幾重にも重なった金融の玉葱、真っ黒な芯まで、G20の胸襟を開いた玉葱の皮むきは、ひとまず順調。文明開化のサ中、∈ 幾山河 越え去り行ば
哀しさの果てなん国ぞ 今日も旅ゆく ∋(牧水)、うっかり忘れました、コジェーヴが‘割腹’の形式化から引き出した日本スノビズム、そのひらがな文字に働く究極の‘形式’には気づかずハンパに終わらせたコジェーヴ理論、西洋より優れた形而上学の‘形式’には思いも至らず、拘ったアゲクに‘山を台’に換える、等値交換のエクイティーは、ダイジなつむじ曲がりの才覚でした。‘形式’はバカに非ず、数理感覚の等値を心底に映す極めつきの‘形式’感。豊饒な日本精神は、肝心カナめでは、西洋の形而上学に、ひけを取りません。だめなのは、責任から遁走する臆病の固執。
日本狭小列島のホコリは、絶対多数の小弱の中で、奴隷が異質の姿をとって‘亡ぶ人’と‘生き抜く人’を鮮明にその意に照らし、今もって三途の川の正邪や、ベニスの商人のルビコンの正非を映す鴎外さんのその書。人生あっての生涯の教訓、‘安寿と厨子王’とその‘山椒大夫’は世界の逸品です。経済学も法学も、ヘーゲルの『精神現象学』すら、霞ませるほどの幽谷の、波瀾万丈を乗り切った人生の生涯。佐藤栄作1965−1972年の生涯を岸信介の生涯とともに見ると、その暗さに憔悴して詰まされます。二ハン頂上談合体制の堅固が赤貧の日本狭小列島を走り抜け、‘人さらい’の反対、鉄道を選んだヘマを隠し、‘血の正統’を盾に奮ったその矛の執念は、沖縄を献上しても米を囲いこむ、陶酔した私の思い、そのナニ食わぬ顔、頭脳にことかき、早々に失態で消えた岩倉具視さんの跡は埋まらず、最恵国待遇の神秘に狼狽したままの二ハン頂上談合体制は頑迷そのもの、無謬性や超然性のウソに頼り切り、空ッポの金庫を前にシャッキンに継ぐシャッキンを不二の権力にしたその赤字ケン力は、奮う先はとなりの膳、清や李の西洋知らずをいたぶり、‘アジアはヒトつなり’を合唱、コッカ予算のシャッキンを‘非常’から‘非情’へ、シフトさせました。
∈ 何が何やら みんな 咲いてゐる ∋
∈ 月の あかるい水 汲んでおく ∋
つつしんで……丈司ユマ著作権
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「記事にコメントを」 と頂いたので拝読しましたが
頭の中の整理が下手くそな私にはちんぷんかんぷん・・・
ご期待に添うことが出来ず申し訳なく思います。
ただ、これだけの文章を書きあげるのは相当な労力を要すると想像します。
敬意を表して傑作を押していきますね。
2009/5/12(火) 午前 10:25
二枚貝に仕立てた上に、擬人化した自分をヒト科に分類・登録する、今どき珍しい純真な強情を、思い知らせるような女の‘炎’。女が女を、少子化の嵐の中で意識すると、男は蓑を被って、その厳しい眼を避けなければならないように、そのようにタジタジとさせられて、タジタジに、させて頂きます。二枚貝の神秘なカタチの、頼もしさ。短いフレーズ……分別できんかったり 女子的思考 2007/11/21(水) ……、旧いままに案内されて一度、道草したばっかりに、‘相当な労力を要すると想像’されながら、楽しむ気配を感じるままに相次ぐ、道草です。
マル暗キの中には、見当たらないフレーズが多用されるので、ナン解が印象づけられても、それは錯覚です。‘気分’にヘイゲイせず、‘ちんぷんかんぷん’を楽しむのもまた、二枚貝の固執でしょう。申し訳ない思いとともに、同時に敬意が示される、それは時間を画にした時間の固執、サルバトール・ダリさんの名画を、思い出さずには置きません。→
2009/5/13(水) 午前 5:13 [ georgeyuma ]
→そこにも海岸が涌きあがり、味わったこどもの悦びへ精神異常を一跨ぎ、歪んで溶けそうな時計とともに、画にされました。龍之介風にいえば、二枚貝は蓋を開閉する、旧い懐中時計と同じです。
これだけの文章を書きあげる、と‘ただ’し書きされたそれは、但し書きのように、一瞬の閃きを書いただけのもの、年寄りを尊敬しないとソンしますよ、そういいたいだけの‘5分トーク’を書く10分ほどの労苦です。眼覚めたばかりのフレッシュな頭に‘文字のオブジェ’を書かせると、早朝の‘諧謔の声’になります。凡そ5万字を5千語に代える諧謔の声は、労苦を掛ければ、消えて終う、女ごころに負けない、デリケートな生命あっての物種です。100兆円がコームいんの思惑でシャッキンに組まれる、あまりに無防備・無警戒な唯々諾々、その尖は北朝鮮の核主権に向けられそうで、中国の差配がズシッと轟きます。多言は年寄りにまかせ、若いヒトからは二枚貝のフタを開け、センスの閃きをコメントに映してください……丈司ユマ
2009/5/13(水) 午前 5:16 [ georgeyuma ]