おおがいさんのトモダチ

森の生け花や山野の一輪差しを思う常識から常識による常識のための常識

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☆☆ 月の兎 ☆☆

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 ☆☆ 月の兎 ☆☆
石(いそ)の上(かみ)ふりにし御世に ありといふ
猿(まし)と兎(をさぎ)と 狐(きつに)とが 友を結びて
朝には 野山(ぬやま)に遊び
タベには 林に帰り
かくしつつ 年の経(へ)ぬれば
ひさかたの 天(あめ)の帝(みかど)の 聴きまして
それが実(まこと)を知らむとて
翁(おきな)となりて そがもとに
よろぼひ行きて 申すらく

汝等(なむだち)たぐひを 異(こと)にして
同じ心に 遊ぶてふ
まことに聞きしが 如(ごと)あらば
翁(おきな)が飢(うゑ)を 救へとて
杖を投げて 息(いこ)ひしに
安きこととて ややありて
猿は後(うしろ)の 林より
菓(このみ)を拾ひ 来(きた)リたリ
狐は前の 河原(かはら)よリ
魚(うを)をくはへて 与えたり
兎(をさぎ)は辺(あた)りに 跳び跳べど
何を物せで ありければ
兎は心 異なりと
罵りければ はかなしや

兎 計(はか)リて 申すらく
猿は真柴(ましば)を 刈リて来よ
狐はこれを 焼きて給(た)べ
言ふが如くに 為(な)しければ
烟(ほのほ)の中に 身を投げて
知らぬ翁(おきな)に 与へけリ

翁はこれを 見るよりも 心もしぬに
ひさかたの 天(そら)を仰ぎて うち泣きて
地(つち)に僵(たふ)れて ややありて
胸打ち叩(たた)き 申すらく
汝等(なむだち)三人(みたり)の 友だちは
いづれ劣ると なけれども
兎は殊(こと)に やさしとて
骸(から)を抱へて
ひさかたの 月の宮にぞ 葬(はふ)リける
今の世までも 語り継ぎ
月の兎と 言ふことは
これが由(よし)にて ありけると 聞く吾(われ)さへも
墨染の 衣(ころも)の袖は とほりて濡れぬ

同訳  ――ずっと昔のこと、猿とうさぎと狐が共に暮らそうと約束し、朝には一緒に野山をかけ回り、夕方には林に帰り仲よく暮らしてた。こうして年月が過ぎ、天帝がそのことを聞き、それが事実かどうか知りたいと、老人に姿を変えて現れ、よろめき倒れながら「お前たちは異類なのに仲よく過ごしているというが、それが本当ならば、私の空腹をどうか救ってくれ」と杖を投げ出し座りこんだ。
 ――猿は「それは、たやすいことです」と林の中から木の実を拾い帰ってくる。狐は川原から魚をくわえて老人に与える。うさぎは飛び回ってはみたものの、何も手に入れることができず帰ってきた。
 ――老人が「お前は気持ちが他の者と違って思いやりがない」とうさぎを叱ったので、かわいそうに、うさぎは心の中で考えた末「猿さんは柴を刈って来てください。狐さんはそれを燃やしてくださいな」と云う。
 ――二匹が言われた通りにしたところ、うさぎは炎の中に飛びこんで焼け焦げ、親しくもない老人に自分の肉を与えた。老人はその姿を見て心もしおれるばかりに天を仰いで涙を流し、地面に倒れ伏したと。
  ――しばらくして、胸をたたきながら.お前たち三匹の友だちは、誰が劣るというのではないが、うさぎは特に心がやさしい」と言った。天帝はうさぎのなきがらを抱き、月の世界の宮殿に葬ってやった。今現在も語りつがれ「月のうさぎ」と呼ぶことは、こんないわれであったのだと。聞いた私までも、感動のため墨染めの衣(ころも)のそでが涙でしみ通ってぬれてしまった。

 これが良寛1758〜1831年が書いた、‘月の兎’です。長歌‘月の兎’は他に二編が知られ、長歌‘月の兎’は生涯を通し思いの丈を募らせたと伝えられます。圧倒的に優位だった米軍が引きつづく僧侶の焼身自殺に当惑しながら劣勢に陥りベトナム戦争を敗退する、その何故が反省を仕切らないまま、ハーバート大卒の企画者が知るヒトは知るの謎入りし、解けない人知を残すアメリカ大学連山が、世界中から留学生を集め、人知の混迷をその奥に隠しました。仏を目指した良寛さんが、仏に仕えるこころの純真無垢を焼身や生き仏の死で実践される超現実に直面し当惑の底に沈んだことは、想像にカタくありません。道元が正法眼蔵の中でそれを著す一方、インドの『ジャータカ』を原点にする『大唐西域記』や『今昔物語集』にこころを奪われた良寛さんが、書に依らず、句作と、触れ合う対話に、こころを砕きました。今昔物語巻五に「三獣、菩(ぼ)薩(さつ)の道(だう)を行(ぎゃう)じ、兎身を焼く話」 が書されます。
 長歌には三つの反歌が添えて残されます。
  あたら身を 翁(おきな)が贄(にへ)と なしけりな
    いまの現(うつつ)に 聞くがともしさ
  秋の夜の 月の光を 見るごとに
    心もしぬに いにしへ思ほゆ
  ます鏡(かがみ) 磨(と)ぎし心は 語りつぎ
    言ひつぎしのべ 万(よろづ)世(よ)までに

 文政4年4月、良寛は64歳の時この長歌「月の兎」を書いたと、小島正芳さんが『良寛』誌に書きます。道元の『正法眼蔵』から「行侍の巻」を良寛は、13年に及んで修行する岡山県玉島の円通寺で、『正法眼蔵』60巻とともに読んだといわれます。出家した22才、はるばる円通寺に来て国仙和尚に師事した、十三年間の修業でした。こころに秘めた64才まで、容易く書かず、書く意欲をじっと制し、こころを鎮めつづけたのでしょう、良寛さんの‘三つの嫌い’は、‘詩人の詩’に始まり‘書家の書’に至り‘料理人の料理’まで、ウヌ惚れの衝動をあれやこれや可能の限りを理解に与し、その優しさに強い信念を貫かせました。良寛さんの極意は、平等、にあったと確信します。 
 良寛さんの…三つの嫌い…、‘詩人の詩’に始まり
 ‘書家の書’に至り‘料理人の料理’まで 
  つまり‘月の兎’の水増しや…ウヌ惚れ…の意地悪。
                つづく
      つつしんで……丈司ユマ
著作権

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月の兎、私も涙しました。

「天上大風」の帯、これを締めているときは、こころのどこかに
これをおいておきましょう。

2009/10/31(土) 午後 2:38 [ tutikon ]

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良寛には、篤いファンになるヒトがいる反面、関心を払わないヒトや、軽蔑気味になるヒトまで、明暗が強く顕れるので、驚かされます。
太宰治の友人やナカマがもった、印象や咎めや、理解や反目は、ネットのお陰で取材できます。評論はどれも似たり寄ったりなので、太宰治への関心には、そんな雑談が参考になります。軍人が得意の曲解をもって、戦死に赴くヒトたちに贈った句∈散る桜 残る桜も 散る桜∋が、不人気にさせるのでしょうが、…真似難き言葉と真似易き文章…のように、良寛の句は奥行きや広がりが優れ、今にも通じる思考を湛え、ぷらとん爺さんの対話に劣らないと考えさせます。
一茶の句 ∈善をつくし美をつくしてもけしの花∋を口にした噺があっても、教室や教本で見聞したにしたはずの良寛は、意識の中に残らなかったようです。
思い詰めたように放心し、放念し、‘月の兎’を長歌に認めたのは、64才と聞かされ、13年の修行後、僧侶を諦め、30年温めつづけた、釈迦以来の険しいその説法は、ぷらとん爺さんがソクラテスを刑死で失った険しさの、それに通じるように感じます。→

2009/11/7(土) 午前 7:22 [ georgeyuma ]

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→良寛の豊かな情緒は過多に迷わず、里山の‘公正で自由な公平や平等’を句に凛々しく収めました。書のひらがなに、魅入るヒトも多数。
チャランポランなポストモダンがバカバカしくなれば、良寛の思考を身につけ、八百長の世界を飛んで、嘘ダラケの歴史観を再考させる、そんな気にさせます。土魂とは、畏れいります。
このように解釈や解説に陥らないのが、ブログの信条です。お寄りの折りは、お気に召すまま、コメントは、まったく自由です……丈司ユマ

2009/11/7(土) 午前 7:22 [ georgeyuma ]


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