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☆☆ 権威を人工の鉄骨コンクリート・ジャングルに
変えるのは、手帖から、
絶対のスケジュールと監視リストが、
天然の資本主義も、天然の自由主義も、
人工の無常や無情へ駆り立たせ、
踏み絵の‘筋書き’が、
残虐な拷問や自白の強要へ、走らせます ☆☆
極楽トンボの通俗・礼賛。‘下敷き’を使い初めて憶え、代わりに生来の動機を埋め殺し、生殺にした生・死の骸は正直と素直、ベルトルト・ブレヒトFriedrich Brecht1898−1956年の異化効果を弾ませる‘下敷き’効果の、不如意の桃源郷。
国家予算はスケジュールその中にあって、最高の細密・完壁を誇ります。それを、超越性と錯覚し、無謬性のウソを囃して宣伝したのが、…山県有朋1899年のコームいん集団…です。
軍服コームいんが2.26クーデターを横取り、平服の政治カやギ会を遠ざけ、握り締めたのが…コッカ予算の支出スケジュール…です。
コッカの小切手やコッカの保証を画くだけでけで、欲しいモノが、何でも手にはいるのですから、そんな錯覚が‘見栄’や‘気取る脅し’を仕事・道具にする外務コームいんタチにインフレを流行らせました。‘恫喝’を愛用、モッタイをつける先は、国境線のいじくり回し、事務ショリ絶対スケジュールを懐に偲ばせた、外務コームいんの転落・枠です。
‘閣下’と呼ばせ、閣下に対する侮辱は宣戦布告と言い放ち、言葉を軽率にマカせ箝口・無頼で隠し、服従を‘恫喝’、‘怒れる男’も‘むかつく男’もカオナシやオクサレにされます。
脅しの‘筋書き正義’が噴出、天然に人工が代わり、生命や血が、事務ショリの裂け目に無常に無情さえ重ねて投入されます。軍服ナチに弁解無用なほど打ちのめされ、ズタズタにされたスケジュールの修復に‘絶望’を縫いこまされたフランスが、‘むかつく’躁鬱に襲われた敗戦後は、イギリスのコッカ予算スケジュールもまた、米コクから戦中にツケで買った壮絶な武器や飛行機や船舶などの支払に‘真っ赤かな朱数字’をこの1・2年前まで書かされつづけ、大英帝国をヨーロッパ大陸の‘ニッポン狭小列島’のように衰退、太陽が消えない無限大のスケジュールを、西日に曝され寒さに襲われ、濃い霧の中を毎日回る、そんなスケジュールと返済リストにガチガチに固められ、落日の口惜しさは、フランスの‘むかつき’に劣らなかったことはいうまでもありません。スエズ運河を奪われ、アラブ・イスラエルの石油を根こそぎに‘奪取’状況で失いました。戦勝イギリス島が、敗残・日本狭小列島より、苛酷な運命をニナう結果となり、やがてコメットを失い、イギリスの名車を失います。信頼の深奥をガッチり支えるのがコッカ予算の完壁スケジュールと支出リスト項目、クニの大学連山はスケジュールに逆かわらず従順のい1・2を競い完璧なニナい手を‘採用試験’でアピール、大卒時の優の数と採用試験の順位で生涯のスケジュールを供与され、継なぐ天下りスケジュールの優先権を担保に納め、ギ会やギ員を‘完壁スケジュール’を国際認知させる‘傭兵と傭兵砦’に、ニハン談合体制が利用しました。コッカ・スケジュールが、ギム教育スケジュールとともに、貧に瀕するヒトビトに、徴兵の職を与えて雇用・給与を支出、貧を選ぶか、命令を選ぶか、命令を選ばないヒトたちを‘殴る・蹴るなど’の暴行を加えて服従させました。社会コッカのコクみんをヒト壁前線に貼りつけ、中国大陸や朝鮮半島を脅しました。
☆☆ 無限・恒久こそ絶対スケジュールと監視リストから、
歴史の繰り返しは、図書館……昨日である私が、
また明日を知る私。人の心は不思議なるかな
〈死の書〉……、6000年の間にプラトンを迎え、
ヘーゲルを迎え、モンテスキューやカミュ、
フロイトやレインを迎えても、
颯爽と聳え立たせる 5・7・5の短句 ☆☆
スケジュールは‘際限’なく細分スケジュールをネットに広げ、日常に降りて‘非日常’をスケジュールに絡め取り、コッカ予算の自律も従順も服従は、∋下々も下々、下々の下の涼しさよ∈を、誘惑、自主も自動も、公平も公正も、平等も不平等も、弁解・注釈の‘知恵’が、コッカ予算が繰り出す‘トコロ天’にタカらせたので、ニッポン狭小列島のその内は、スケジュールの記憶術を手品の種に使い、知識ジンや学識ジンを‘スケジュール内’に広げ、スケジュール化のそれを‘近代化’と言わせたので、理想や理念を飾るイデオロギーが、コトゴトク天然から人工へ変容、日常に非日常の微細スケジュールを割りこみ、スケジュールの合理にものを言わせ、取って置きのスケジュールを盾に、無常から非情まで、‘こうむいん’の都合シダイがその鉾を奮わせました。
軍服ナチを血染めの棺に放りこんだところで、敗残を襲いつづけコビリつく、晴れないフランスの恐怖心、コビリつく‘戦勝’記念を迎えるたびに‘むかつく男’のカミュを、‘怒れる男’へ慄え立たせ、「美は痙攣的なものであるにちがいなく、さもなくば存在さえしない」ナジャのシュルレアリスム、‘戦勝記念の祝砲’の轟きとイッショに、宙へ飛ばされ、乖離・効果を探したところで、‘むかつく’頭とカラダは、慟哭する肌から分離せずマトワリつく軍服ナチに抗し、‘怒れる魂’を沸かせ、あらかた耐え難い苦衷を、消したつもりの‘下敷き’からは、‘はぐらかしの唯々諾々’がノボせ立ち、‘怒れる気分’が心象風景を覆います。事実や真実から離れ、心象の解釈を立て実像風景を心象風景の中で消去、‘戦く’仏文化の‘むかつき’を断頭台にノセて悼み、引き裂いたカラダのムカツキを、「美は痙攣的なものであるにちがいなく、さもなくば存在さえしない」ナジャのシュルレアリスムで悼み、心地よい官能の心象で‘むかつき’を氷解、忘られないそれを忘れさせた、それはどうみても一時の慰め、‘怒る’ことすらままならず、口惜しさを逆立てる‘むかつき’をもって‘怒り’を棚上げします。…何にむかついているのか自分でもよくわからない…コビリつく疑問符に、焦がされて拗れ、カミュ以外はというと、自我の内すら外にコボしようがない、その単純な‘むかつく’気分に納め、‘放念して放心’、時とともに数を増す軽いカルーい咄に押されても、カミュの頭とカラダは、‘むかつく’男へ変えさせず、怒れる男の情動を烈しく、揺らします。要領の悪い奴だ、怒っていようとムカついていようと、同じだというのに、怒ったその‘目障り’で、ナカマを苛立たせ、軍服ナチの恐怖へ曳き込もうとする、うさん臭さが堪忍袋をキらせる……。
‘会話不能なことばの山や心象風景’がヒトつとして無いのに、カミユを見るその眼は、精神障害に罹ったようにウツロに曇り、会話しようとしない卑劣に落ち、‘非’を利口へスイッチ・オン、‘理’をスイッチ・オフ、ナチの軍服に拷問・虐殺されたフランス人、利益を供じたアルジェリア人に向かってフランスの軍服が、アルジェリア人を拷問・虐殺、仏の知識人はカミユを蔑み序でにカミユの実存を‘むかつく’条件反射で抹殺、アジアのディエンビエンフーで大敗、アルジェの独立戦争で自滅に直面、ドゴール大統領の‘むかつく英断’で拷問・虐殺を収束させるという、怒れず、むかつけず、要領の心象風景に浸ってテイタラクを枕にしました。たぶんアルベール・カミュは、まもなく訪れる知の欺瞞を疑わず、仏の憂・鬱、突発性・仏文学者症候群の、烏合の衆を嘆いたレヴィナスが、問い掛けました……中にいる人間がどれほど不道徳であっても、道徳的に機能するシステムを人間は作り出すことができるのであろうか……。イェスといえずノーといいたくても言えず、答えに詰まるい仏の憂・鬱、ナン解なそれを‘下敷き’にすれば、怒れる精神を‘むかつく’心象に代用させるのは、ヒョっとことオカメの対話を書くように楽チン、面白く爽やかな‘色’をつけれ、ば色即是空・是空即色の日本伝統、辺境に極楽トンボを飛ばしても、気が咎めません。
☆☆ ポップスが一転させた、
ムカツキの半端ごころ ☆☆
‘実存・風景と心象・風景’は‘怒りとむかつき’ホドにチガいます。
四重の絶対スケジュールと監視リストの間が、日本の伝統‘わいろ’、窮する貧に譲られた‘親切’、相見タガわず助け合う‘用立てる今日と明日のセット’、松の廊下に白刃を舞わせた‘極楽トンボの寄進・常識’。ポップスが、実存・風景をスタンダードやクラシックに残しながら、ミリオンセラーの威を、その狭間の心象・風景に押し広げるので、ポップスの‘問答無用’が数の心象・風景を揺すってシャッフル、高じた陶酔の気分が自分の‘むかつき’を出し抜き、手に届いたようで届かなかった‘自由’をこころに結ばせました。いちご白書が解放した性の自由、ポップスが解放した心象風景の自由、そうなると自由化されず、ムカツくままに残った、窮屈な思考や、それに畳まれ屈折した志向が、自由へ押し出されます。大学連山が、心象・風景の自由に、揺さぶられシャッフルされます。
‘むかつき’の中を藻掻き、‘ムカツくこころ’に貼りつき、多くを揃えながら数の多さを展べる世界・敗戦後の心象・風景は、ゴッホやルノアールの不自由だった自由をバックパックに容れ、ムカツかない心象・風景をマンガの数に合わせて量産、その数にものを言わせ、ガッシり根を張った‘実存・風景’が、表を見せ、裏を見せ、実存・風景を散らしながら、公的資金の注入に合わせ、新しい心象風景を大学連山に沸れさせました。棄てなければ捨てさせもしない‘捨てないで思考が、大流行、実存・風景を薙ぎ倒し、こころよい心象・風景へ、ポストモダンを一変させました。天然が、人工の心象・風景に取って代わられ、精神障害を心理障害へ軽減、‘キモチの持ちよう処方’を開発、精神薬の増える数を追って、薬漬けの世界をミリオンセラーでカバーしました。
☆☆ 思いにマカせ、怒りもムカツきも
実存・風景も心象・風景
同じ道だからといって、踏むところもチガえば、
見る風景もチガう、ただそれだけでいいではないか、
それだけだから行けないのか〈押井守〉☆☆
思いに任せて‘分離’、‘ことば’の不能・解釈を、その確執から心象・解析にユダねて解放、‘むかつく男’の晴れないムカツキを晴らす‘心象ことば’を開発。分離しなかったカミュの頭と身体を心象・分離、‘むかつく’言葉のクローンがナンなく心象のアタマと心象のカラダに分離、カラダの‘むかつき’をアタマの‘怒り’から外した心象化の超・シュルレアリスム、晴れ晴れしい気分の宙を飛び回る極楽を尊んで悼み、‘下敷き’効果を、平易の手品で高らめます。‘ひょっとことおかめ’のダイアログ。
∈ こんなよい月を 一人で見て寝る なんにもない
机の引き出しを あけてみる∋尾崎放哉
∈ 骨を見て 坐に泪ぐみ うちかへり ∋芭蕉
∈ ぬす人の 記念の松の 吹おれて ∋芭蕉
つづく
つつしんで……丈司ユマ著作権
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