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太宰治さんを論じるそれが、正義と微笑を初めにする、その動機を言葉で表現する段になると、思い思う動機は多岐をカバー、思いのほか複雑、こころを素直に現すには、封印を解く準備不足のその深刻さに直面、逡巡が正直を刺戟、囁く動機の見えないその中を、さ迷いました。まもなく、カンケツに束ねるポイントをおぼろ気に、再び自覚、多岐に広がるそれぞれに、デジネットの宙から舞い降り、捨てた書籍の未練を拭い、思い思うポイントの、その焦点を合わせて整理しました。
ポイントは、たわごとの自由と、げんろんの自由。気に掛けながら放心し放念した、生涯のポイントでした。こだわりを超え、すり抜ける知の痴は、ワンペア…正直と素直…をいったん凡解、もういちど組ませます。
正義が言葉に窮するように、…存在と時間…もまた言葉を失念させ、‘間髪を入れない’時のその狭間が、平凡なこころに割って食い込み、凡庸なこころを揺さぶります。
流れる時に曝され、プライドが窮するに至る時、現れて開く、その狭間は陶酔の先や美学の尖で、濁ってその不明を告げます。日本書紀(弟狡・兄猾)の初めに現れ、弟猾(おとうかし)兄猾(えうかし)が闘う狡・猾は、間髪を入れずに現れる、怖い魂の戦慄。ロシア大陸のユーロジヴィ。
…山県有朋1899年のコームいん集団…、たわごとのその140余年・もののふの系譜は、マニフェストに現れればマニフェストを裏切る、かすみ我せきゾー税・親衛隊。
現実を抜いて欠く、カラ缶やカラ壜そしてカラ函に変わったジャリ砂利は、カン・カラを叩く、潰し合い、たわごとの自由が襲って果てない島のデフレ20年、デフレ・沈降は止まらずつづき、口先の狡猾がアッケラカンに、トップダウンする暗黒を漂わせます。世界史の云い分のある面つきや引きカエる、それだって、デフレに堕ちたクニやコームいんや集団は、ホカになかった!!??
☆☆ いい訳の自己嫌悪?
それとも こだわりの善意! ☆☆
…いい訳の自己嫌悪か、いい訳を否定する善意か…、日本人のこころが突きつけられるその現実は、…たわごとの自由・奔放…から、潔く脱するか、自己嫌悪に退き隠りつづけるか。敗戦後65年、太宰治生誕100年、140余年の回顧を…いい訳で貫くか、反省の善意を現すか…、狭間のキワドさがグッと表に迫る米中・対立のその時、見えぬは見ざるなり、見えない狭間が、際疾さに慄えます。
絶対反対が渦巻く占領・オキナワから、さらに尖閣諸島を含めるまで、再編・米海軍の通行・演習海域をめぐって、暗闇で握手する米中のその戦略的互恵関係は、軋み、放ったらかされません。強烈なリアリズムがグァムの再編を突き上げます。尖閣諸島に躓き、クリントン長官に甘えたツケは、ASEN出発の前、イラン石油の利権・放棄を求め、イラン同調を先手で禁じ、米大陸の辛辣を見せる、白紙小切手とその領収書でした。
☆☆ 坂口安吾さんのクロス 太宰の自殺で陥った
鬱病・精神状態 ☆☆
敗戦後の深い虚脱感に、悲鳴をあげた無頼派の人気者坂口安吾さん(1906−1955年)、堕落論でデカダンス・ブームを巻き起こし、虚脱・嫌悪にヒシメく300万人・受難死の、その生き残りを激励、特攻の勇士はいま闇屋、トップダウン・聖婦の呪縛が消えた未亡人は2夫を求めアプレゲールの恋愛を復活、列島の…たわごとの自由・奔放…は、大活躍しました。
サンスクリット語、パーリ語、チベット語、そしてラテン語、フランス語に精魂を傾け、13人兄弟の12番目は、1m57cmを跳びハイジャンプに優勝したスポーツ万能・少年、保守・衆議院ギ員の父・坂口仁一郎に反旗をみせず天皇論を散見させた血筋のよさは、日本映画社の嘱託になって徴兵を逃れた1944年、絶たずにつづけた狭間のそのアドルム・ヒロポン・ゼドリンの服用は、神経衰弱を招き、気さくで、屈託のない、トク・トク作品の一本槍、薬に塗みれ書いて沸かせたデカダンス・ブーム、その火つけ役は生涯のジ我ジ賛、太宰の自殺した1948年6月頃から鬱病・精神状態に陥り、幻聴、幻視をともなった狂乱状態へ、睡眠薬中毒と神経衰弱を抱えて東大病院に入院1949年、税金不払い闘争1951年、先祖・保守を弔う140余年のその墓は、安吾の名や戒名を印さなかったと伝えます。デカダンスがデカダンスでなかったのは、小林秀雄さんの‘ものの哀れ’でしょうか。
デカダンスの渾身も、破滅的狭間を倣う薬物・人生のその裏側、ウソ八百のダイナミズムが表を裏返す…たわごとの自由・奔放…、因果のその狭間を埋めるなら、シンドくても言論の自由に、カカンに挑戦しないことには、キリシタン4人組、新渡戸稲造さんや内村鑑三さん、南原繁さんそして矢内原忠雄さんのその二枚め、そう5枚めの轍を踏まされ、滑り落ちたインフレ自爆デフレ20年余の、その幻の世界2位を放念、米中の狭間が、知の痴のそのユーロジヴィを、狡猾でケンカさせ競わせ、耐えられなければ、デカダンスを燻らせるかも知れません。
賛美歌や聖書で鉄仮面・シャドーをそのツド定義、それでも、太宰治さんがヒト言も触れなかった、トップダウンする暗闇やキリシタン・問題、その狭間はまことの暗闇。青春にピッタリ貼りついた、侵略戦争に向かった傲慢・慢心の影なら、論じるまでもなく明かですから、残るのはシャドーに隠された、キリシタンを思い思うその暗がりの影。
資料がないなら、論理の筋書きや筋立てを活用、冤罪もなんのそのジ我ジ賛する検察の、その裏切り・追従は、痴を捕らえて軽く否定、自我の我を諌めず、言論の自由に挑戦、微笑を忘れずに本意をダイタンに奮い、キリシタン4人組、新渡戸稲造さんや内村鑑三さん、南原繁さんや矢内原忠雄さんの、その火照りをピクアップ、太宰治さんの骸に、翳ることなき冷酷な影を、そうっと投じます。
無謀・開戦がトップダウンで日本人のこころを割った暗黒の時を迎える、その16才の狭間、ヒトつは最后の太閤を書き、栄華のむかつきを、ありふれた太閤の骸で悟った太宰治さんの16才、双つめは、中学の放校と転校、破天荒な性格を剥き出した坂口安吾さんの16才。
太宰治さんは3才下の弟分、兄貴分の3才上が坂口安吾さん。…たわごとの自由・奔放…と、…言論の自由…とは、言葉の質やレベルがマルでチガい、坂口安吾さんが思い思うそれは、正直にデカダンスに駆られ、しかし喋った素直は、傲慢・慢心する敗戦の悲惨・現状を逃避、自慰の思いが湧れるだけ。ワンペアも狭間を覗けば、ナン関の汀です。
堕落論でデカダンス・ブーム、人気者のそのありがたさ。
プライドの見えないその狭間には、自己嫌悪の自己否定を情動する、社会的逸脱者の性格異常が、ゲキロンの中で判定され、その表面に現れ、殺人ジケンの故殺罪から救われ、無罪になるという、凄まじい知と痴の狭間は、現実が論というトップの論を残らず集める暗闇ですから、言論の自由は強烈で猛烈な疾風。たわごとの自由は、げんろんの自由と太刀打ちならず、空を斬るばかり、それが痴を排除する知の、強靭・至極の世界です。
プライドに潜むマサカの狭間、それは小気味よくても、反吐を吐かせ、クッタクのないデカダンスを、囃すには至りません。
…違法行為への関与…、…守秘義務の絶対…、…禁止規定の絶対・無制限… 一連の論理感覚が、ユーロジヴィの極みを止揚、時には宣誓供述をも、履行不能に隔絶させ、時には不正行為を批判させず純粋・論法を成就させ、狭間のそれ次第で確立するム責任は、達成感を漲らせました。はたして、そうだろうか。
☆☆ 正義と微笑 4日めと5日め ☆☆ 変更・引用
四月十九日 月曜日 蹴球部を脱退しようと思った。スポーツがいやになった。きゃつらが、いい加減なのだ、きょう、キャプテンの梶を、一発なぐってやった。梶は卑猥だ。チイムワアクがとれていない。キャプテンがいけないんだ。梶には、キャプテンの資格が無いんだ。脱衣場で、梶が突然、卑猥な事を言った。どうしても書きたくない言葉だ。僕は、まっぱだかのままで、梶の前に立った。「君は、スポーツマンか?」と僕が言った。誰かが、よせよせと言った。梶は脱ぎかけたシャツをまた着直して、「やる気か、おい。」と顎をしゃっくて、白い歯を出して笑った。その顔を、ぴしゃんと殴ってやった。「スポーツマンだったら、恥ずかしく思え!」 梶は、どんと床板を蹴って、「チキショッ!」と言って泣き出した。
実に案外であった。意気地の無い奴なんだ。まっぱだかで喧嘩をするなんて、あまりほめた事ではない。もうスポーツが、いやになった。健全な肉体に健全な精神が宿るという諺があるけれど、あれには、ギリシャ原文では、健全な肉体に健全な精神が宿ったならば! という願望と歎息の意味が含まれているのだそうだ。あの健全な体格に、明朗な精神が宿ったならば! だ。
夜、ヘレン・ケラー女史のラジオ放送を聞いた。梶に聞かせてやりたかった。めくら、おし、そんな絶望的な不健全の肉体を持っていながら、努力に依って、口もきけるようになったし、秘書の言う事を聞きとれるようにもなったし、著述も出来るようになって、ついには博士号を獲得したのだ。僕たちは、この婦人に無限の尊敬をはらう。
ラジオの放送を聞いていたら、時折、聴衆の怒濤の如き拍手が聞えて来て、その聴衆の感激が、じかに僕の胸を打ち、僕は涙ぐんでしまった。ケラー女史の作品も、少し読んでみた。宗教的な詩が多かった。信仰が、女史を更生させたのかも知れない。信仰の力の強さを、つくづく感じた。宗教とは奇蹟(きせき)を信じる力だ。合理主義者には、宗教がわからない。宗教とは不合理を信ずる力である。不合理なるが故(ゆえ)に、「信仰」の特殊的な力、――ああ、いけねえ、わからなくなって来た。もう一辺、兄さんに聞いてみよう。
四月二十日。火曜日。 晴れ、といっても、日本晴れではない。だいたい晴れ、というようなところだ。きょうは、さっそく梶と和解した。いつまでも不安な気持でいるのは、いやだから、梶の教室へ行って、あっさりあやまった。梶は、うれしそうにしていた。
わが友の、
笑って隠す淋しさに、
われも笑って返す淋しさ。
けれども、以前と同じように梶を軽蔑している。、どうにも仕様がない。あいつのニイチェも、あてにならなくなって来た。チュウインガム・ニイチェというところかも知れない。 つづく
つつしんで……丈司ユマ著作権
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