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和辻哲郎が無視・黙殺され黙過されたそれは、太宰治の最后の津軽に、仄めく灯火の明るさ
∈猿を聞人捨子に秋の風いかに∋芭蕉
☆☆ 骸に納まった太宰治、透かしてみせる
まぬけの正義 造りものの火事場・騒ぎを、
戦時下にいたぶった凡人の鏡、
津軽は、魔の感情が疼く千のプラトー ☆☆
書き出しはズバリ、書く目的もマル見え、こころの風土・倫理が、淡々と気取らず、駄作・風に吹き抜かれ、文字の字面が端正になぞられ、千の風が流れます。最后の津軽を前に、騙しを仕込む観念の数々が、掃き出されて消され、天晴れな青空にクリーンを映し、友と伴の死が臭う戦下、思い思うまぬけが、縦糸や横糸にゾンブンに顔を出して津軽を埋め、尋ねたこころを撫でてほぐし、東京へ帰しました。
こどもの風土を開いたのは、まぬけの寓話や拍子抜けを飾った落語の、噺し、まぬけのスーパーは、乙女のまぬけ、売り出されて今日まで、騒がせつづけ愛されるまぬけは、レミゼラブル。怖い刑事が追いつづけパン一個の尾け回しを飽きさせ捕縛を諦めさせたスーパーまぬけは、巌窟王。騎士の忠誠心をコミックにしたまぬけは、ポルトス・アトス・ダルタニアンの三銃士。父母も子もまぬけだったまぬけの親子は、神隠しの謎に迷いこんだ、千と千尋。乙女の祈りを誘ったまぬけのスーパーは、シンデレラだったし、プライベート・ライアンやJ.D.サリンジャーら、戦勝をライ麦で捕まえてと歌うまぬけの正義は、眼に焼きつくまま年を盗らず、こころに映ります。リンカーン大統領のまぬけは、長さを遠慮し別のチャンスに。新鮮な試みも、始めたトタンに陳腐化が追いかけ始め、新鮮のおいしいところがマル暗キに襲われ、元の木阿弥になると、ドラッガーが云うのに、いつも新鮮を保つ世界の狭間なら、拍子抜けが囲んで守るまぬけの正義があるという、陳腐化しないまぬけの取って置きは、カチカチ山の狸や、月の兎を思い思う待ち惚けの唄、沙羅双樹の花を列島に咲かせます。
……生れてはじめて本州北端、津軽半島を凡そ三週間ほどかかつて一周したのであるが、それは、私の三十幾年の生涯に於いて、かなり重要な事件の一つであつた……。
津軽を仰ぐまま、悪や善が、新鮮にこころの字面に滲み渡り、未と既が字面のこころを縞のように揺らせ、鼻を木で括る孤独の戦慄が、しらばっくれを素通り、剣山で刺すように東京の生活を戦下に怖がらせ、失われた農村の匂いが無音をこころに、響かせるまま、縦糸も横糸も伸び縮みします。
反省を縦糸に張り、追慕を横糸に展べ、潔い倫理が凶作の風土に爪弾かれ、寺々に漂うカニバリズムもなんのその、自虐を煽る自己・譴責の、醒めない冷酷に打ちのめされ、喘ぐ自己・嫌悪に笹くれだった太宰治は、自虐の責めの中で、こころを強かに意地を張りウソを塗さず、まぬけのまぬけを灯火の正義に、瞬かせました。
瀕する貧から目指すリッチの陶酔へ、ジャンプして逃げこんだ和辻哲郎、こころを陶酔の陶然に置き去り、反省の色影も追慕の謝意も消して亡くし、空想・一遍の風土を、慰める観光のように書き、ひとの上を確信するその上意・下方を、カン陀多の蜘蛛の糸に倣い、従うものの忠誠を水墨画のように書き、下達を裁く冴えで、まぬけの温もりを伐り殺し、万機公論の不安を忍ばせない封建・権力の絶対・一義に、一意の意も他意の異も一列にならべるそのツゴーの転回に拘り、終戦を認めて敗戦の降伏を拒む人間・失格、二重の人格を出し入れする梅津美治郎らを、大本営に出現させました。
大本営なんて、タダの漢文・漢字の、その寄せ木細工。観念は字面に悪を塗し、善を裏返させ、先ずはソンの神を越え去らせ、万を期す次はトクの神を迎えさせ、上がりはツゴーの神に手造りの要領を献げさせ、一身上のツゴーを手形に、権力を縦横に横行、責任のない世を渡り、終わり善ければすべて善し、責任を背に隠し、腹に無責任のへこ帯を括り、峰の境から転落しないように慎重に歩かせます。
なんのことはない、火事場・騒ぎが人生の宴。飛ぶ鳥を落とす極意は、慧眼らんらん、敵失をあさる漁夫の利。理想に苦しみ理念の自己・譴責におよばざるウソを、愛でること。
和歌は裏返しのウソが涌れ心情が渇いて涸れ、帯刀に対等を貫き抜く、江戸城下100万人に張り詰める信用・経済の淡白に、気づき、怠けこころを慄わせ、感情を割りこませず、裏返しの遊びを思い止める5・7・5の俳句に木偶の小股をすくい、原初の現場…農村の匂ひは無く、都会特有の、あの孤独の戦慄…に、造り物の初めを、太宰は確認しました。
……都会ふうにちよつと気取つた町である。善く言へば、水のやうに淡泊であり、悪く言へば、底の浅い見栄坊の町。善く言へば、活気のある町であり、悪く言へば、さわがしい町。
農村の匂ひは無く、都会特有の、あの孤独の戦慄が、これくらゐの小さい町にも、既に幽かに忍びいつてゐる。かなしいお道化の虚構に満ちてはゐるが、けれども、感じは、だいたいあんなものだつた。
少年は悲しく緊張し、風俗がそつくり貴公子のやうだらうと、久留米絣に、白つぽい縞の、短い袴をはき、長い靴下、編上のピカピカ光る黒い靴をはき、それからマント。 父はすでに歿し、母は病身ゆゑ、少年の身のまはり一切は、やさしい嫂の心づくしでした。少年の美学が、誰にも解せられぬことを、涙が出るほど口惜しく思っても、『瀟洒、典雅。』少年の美学一切は、それに尽きてゐました。いやいや、生きることのすべて、人生の目的全部が、それに尽きてゐました。
マントは、わざとボタンを掛けず、小さい肩から今にも滑り落ちるやうに、あやふく羽織つて、さうしてそれを小粋な業(わざ)だと信じてゐました。どこから、そんなことを覚えたのでせう。おしやれの本能といふものは、手本がなくても、おのづから発明するものかも知れません。ほとんど生れてはじめて、都会らしい都会に足を踏みこむのでしたから、少年にとつては一世一代の凝つた身なりであつたわけです。
本州北端の一小都会に着いたとたんに、興奮のあまり、少年の言葉つきまで一変しました。少年雑誌で習ひ覚えてあつた、東京弁を使ひました。けれども宿に落ちつき、その宿の女中たちの言葉を聞くと、ここもやつぱり少年の生れ故郷と、全く同じ、津軽弁でしたので、少年はすこし拍子抜けがしました。生れ故郷と、その小都会とは、十里も離れてゐないのす……(修正変更した抜粋の引用)
嫌廉味のない清々しさを読ませる、津軽のその風土は、観念に野心を仕掛け、涌きあがる功名を仕立てた、和辻哲郎の不純を無視・黙殺、凛々しくもあり、自虐の自己嫌悪など、暗さをみじんも感じさせません。
和辻を育てた環境は、清々しさを尊ばず、嫌廉味のない潔癖を憧れさせず、少年の美学を刺戟せずに潰し、思い思う影に陰って、野心をその賢さに募らせ、古事記が戒めた狡猾を、心情に奥まらせたのでしょう。
…拍子抜け…は、多義を育んで個々の人格を駆り立たせ、二重人格に陰る罠を回避、風土が直下立たせるその不可欠を、思い思わせるだいじな心中の一誠、その備わりを4文字で明かす、思いがけない太宰の慨嘆です。
今風の21世紀なら、ポストモダンを飾った…非中心…を、弥次郎兵衛のテコで揺らし、部分/全体の二元論的発想に思う思いを放り入れ、主体の脱中心化に思いの際を募らせ、禁欲的な四角い箱に、チッさな憧れの生け花を挿し、…多様性・装飾性・折衷性・過剰性…に、改めて泥縄を仕掛け、観念を抜け去るその先に、陳腐化が拍子抜けする、遅後性の先進性を幽ませ、まぬけのヘッドもテイルも、奥の細道の山刀伐峠へ向けて、事後確率が意欲を高じます。
…拍子抜け…は素直なこころの狭間に現れ、まぬけの正直を導くその奥の細道。拍子抜けを体験しないでは、山刀伐峠を見ることもパスも叶わず、風土に迫られず倫理に襟を正さず、責任を背にする火事場・騒ぎに呑まれます。江戸の華とは云いえて妙、近づけぬ華を華と騒がず、華を傍観、ヒッソりと佇んで華を前に、自我の自己を諦めで律する、なまぬけの事初め。人生の宴が、火事場・騒ぎだったらどうしましょう。
頭を真っ白に、一生に一度の頼み、とアピールしたその痛恨に通じる、一生の不覚が切羽詰まらせるのは、拍子抜けが掘り起こした驚きの空白。
見過ごす…十里も離れてゐない…世界が隠したような、あるらしい尤度 (likelihood)に煽られ、事後確率が推す、意表を突くまぬけの狭間のことですから、生涯に何度…拍子抜け…に捕まったか、追憶するその回数を追慕すれば、…拍子抜けのまぬけ面…は、正直がテストされ、素直の真打ちが試され、貴重この上ない人生に宿る瞬間だった、そう理解させ、ライ麦畑で捕まえてと俯き、風土記が倫理へ津波を打ちます。蛍の光では駄目、まぬけの真実は、拍子抜けに、護られます。
杖にもならい服従の恭順を、陶然の一徹に忍ばせた、和辻がトクイとする字面・観念は、野心を隠す覆面・仮面、太刀打ちするにおよばずと五輪の書が語り、明日の杖が太宰の上に燦然と輝きます。
三志士が消えて消され、カラ函・コッカの封建・観念を埋めた、和辻の字面・風土記は、サリンジャーに云わせれば、世を不幸に堕とす許しがたい木偶のお節介、夕空晴れて、秋風吹く、和の詩は、ライ麦畑で捕まえてに、遠く及ばないとはいえ、音に響く声は同じ、祇園精舍の鐘の声、たけき者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ、ウソ訳を愛したけれども、野心に渇き飢えた野心を、喉にとおした和辻のそれよりはまし、日本人のこころは、こどもたちの悪戯・遊びに焦眉し、…夕空晴れて、秋風吹く…を好み…蛍の光…を唄に継がせ、頻繁に襲う凶作のCannibalismを幽ませ漂わせた慟哭が、欠如態の涌く三権・独占のムカシは大本営今は、シャッキン千兆円を反省しないかすみ我せきに、人差し指を向させ、拍子抜けに襲わせ、火事場・騒ぎを卒業しなさいと諭し、まぬけの正義を微笑ませます。
反省の縦糸に、追慕の横糸を張った太宰の津軽・風土、普通の会話ことばで、鋭く尖らせる倫理でもあったため、たとえ和辻のそれを重ねても、縦糸も横糸も無く陶然に酔う和辻の風土・倫理が、透けて抜け落ち、泡と消えるから、字数をそれに配らず、無視・黙殺の黙過で素通り、気づいて気を停める人も気を留めない人も、お好きなままにしました。
∈しにもせぬ旅寝の果よ秋の暮∋
∈猿を聞人捨子に秋の風いかに∋芭蕉 つづく
つつしんで……丈司ユマ著作権
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連鎖・中性子を求めて巨費を掛け、ウランやプルトニュウムを高濃縮、飛散すれば半減期は2万年、2500度cで何もかも融かし大地・空気に移転、メルトダウンの二次臨界もまた大災害。
火元から観念を使って脱走、看脚下、火事場・騒ぎは列島の習性・伝統。
三志士が消えて消され、カラ函・コッカの封建・観念を埋めた、和辻の字面・風土記は、サリンジャーに云わせれば、世を不幸に堕とす許しがたい木偶のお節介、夕空晴れて、秋風吹く、和の詩は、ライ麦畑で捕まえてに、遠く及ばないとはいえ、音に響く声は同じ、祇園精舍の鐘の声、たけき者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ、ウソ訳を愛したけれども、野心に渇き飢えた野心を、喉にとおした和辻のそれよりはまし、日本人のこころは、→
2011/4/2(土) 午前 2:08 [ georgeyuma ]
→こどもたちの悪戯・遊びに焦眉し、…夕空晴れて、秋風吹く…を好み、…蛍の光…を唄に継がせ、頻繁に襲う凶作のCannibalismを幽ませ漂わせた慟哭が、欠如態の涌く三権・独占のムカシは大本営今は、シャッキン千兆円を反省しないかすみ我せきに、人差し指を向けさせ、拍子抜けに襲わせ、火事場・騒ぎを卒業しなさいと諭し、まぬけの正義を微笑ませます。お寄りの折りは、お気に召すまま、コメントは、まったく自由です……丈司ユマ
2011/4/2(土) 午前 2:09 [ georgeyuma ]
鮮やかな夕日。圧倒されます。白に染まった犬もいいショット。
メルトダウン。チェルノブイリの再現か、はたまたチャイナシンドロームか! 恐ろしい!
風土記も私には手に負えなかったなぁ。それとも興味のありかの違いか?
日本をもっと知りたいと思うようになったら、いつか津軽を訪れたく存じます。
2011/4/2(土) 午後 7:15 [ alb**t1107*3 ]
興味のありかの違い……、天然の宝石箱。多くなっても、苦になりません。
お訪ねをありがとう。
2011/4/2(土) 午後 7:28 [ georgeyuma ]
M9の大災害を、太宰治の投稿記事と、ニュアンス合わせするのが大変。津軽のCannibalismに触れていますが、微笑むまぬけの正義とおなじように、カニバリズムも霞んでいます。
そこで次稿の前触れを書きました。強烈ですが、深刻な思いを、お酌み取りください。
……しらばっくれが、火事場・騒ぎを賑わすころ、大江健三郎のカニバリズム・万延元年のフットボールが、囁きを高めます。チョッピリ長文ですが、できたばかりのフレッシュに免じられ、国連に向ける、災厄に踏み止まる思いを、書きました。
◆■太宰治が、骸を準備した自己・譴責の呻吟は、凶作の津軽に流れる、カニバリズムのその予感に慄えて竦んだからかも知れません。大地主の絶頂に陰り、田畠を売って凶作の生命を凌いだ人々が、人なつっこい太宰を気忙しく苛立て、直に聴かなかったカニバリズムをフィクションに書こうにも、ありあまる生の凶劇が、夾撃し締めさせ、5度の心中で骸に没した後、日本文化の底辺に、故郷のカニバリズムのそれを見抜いた大江健三郎が、ドストエフスキーの文学に煽られ励まされ、降伏を拒んで敗ける勝ちなしの侵略戦争に、二発の原爆を浴び、→
2011/4/3(日) 午後 1:12 [ georgeyuma ]
→300万人をム意ム徒に殺し、敗けの敗けすら反省しないコッカの狡猾・矛盾を怒って悲しみ、万延元年のフットボールを書き、日本のカニバリズムを世界に公表、ノーベル賞を受賞。しかしM9の災厄の中で東電のトップから底辺まで、二次三次下請けの頭越しに浮き上がって、彼らが見せたのは、東電に吹き荒れるカニバリズム。
気づくものは、言葉を失って黙過に沈みます。東電のサークルに飛び交うブログは、CNNの取材を罵倒するオマケをつけ、焦眉のカニバリズムそのもの。
看脚下、カニバリズムを戦下に率先、米兵の肉を食ってお代わりお代わりと宴におよんだ、大本営の陸・海将軍らは、極東裁判で処刑されました。ネット検索で調べられます。
世界を破綻させかねない原発を、日本のカニバリズムに持たせてはならない、東電の包囲網が、株主代表訴訟を燻らせ、方便で侮辱したアメリカから切って落とされそうです。米仏独の出方によって、国連が列島の危機を地球の危機に転回、身の毛も与奪つ禍中に、列島を立たせかねません■◆……。
お寄りの折りは、お気に召すまま、コメントは、まったく自由です……丈司ユマ
2011/4/3(日) 午後 1:12 [ georgeyuma ]
すごいですね。博士のようで凡人にはちょっと…。頑張って下さいね…。
ポチットね。
2011/4/3(日) 午後 2:00 [ reotoreo ]
一分間に40トンもの水を入れて、
それが一日4時間ぐらい入れたのでしょう…。
何トンになるか…。
それが何日入れたか…。
それでも満杯にならないことは大量に漏れていたことを証明されていますよね…。
ネットが流す話しが、エジプトのマチガイを、直させました。リビアの人達を救えと、ネットが支援します。アフリカの北では、独裁が倒れます。
カニバリズムは、この語を、ネット検索、そうすると、いろいろな話しが、読めます。
おとなしい日本人にも、怖いことが、起こっています。
ノーベル文学賞を受けた、大江健三郎さんは、隠さず、世界に知らせた、立派な人です。
2011/4/3(日) 午後 6:39 [ georgeyuma ]