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観念を砕くデジカメ・カラーのダイナミック・スナップ〈木村伊兵衛の風〉
☆☆謙遜を捨てて掛かる謙虚。
観念を意志から追放、謙虚さは謙虚さ。
しかしへりくだって黙過すれば、
重々しい矛盾を、兄に伝えずに終わり、
オズカスが臆病に患います。
ポピュリズムは知に病んで行き詰まった
権力・オフィサーたちから、ウソのバレバレ、
…私にウソをいいなさいライ・トゥ・ミー…☆☆
知に働けば、闇の陰りに包まれ、情に差す棹は、一蓮托生の不遇。足掻いて抜けるその先は、枠に嵌める状況確認のその囲み。事件の観念を消しひとの死の前でグズんで蹲る、事務・正義の究極。原因の観念を不明の字面に隠す権力・オフィサーたち、隠す字面はポピュリズムを流行らせます。
コクみんに向けて放つその権謀・術策は、刷りこんで習う倣いのポピュリズムの囃し。雲の上に沸き、ぽっかり浮くポピュリズム。ひとを誘って状況確認へ奔らせ、コッカ・権力の唯一無二に蹲る、安楽・浄土を悟らせ、恭順に服す安心の極み。
ウソの構えに誘う、状況確認の権力・技。ひとの死の自殺は事故か心中。原因・究明に権力・外の口出しを拒み、他殺を自殺に結んで疼く犯人捜査・不要の安楽は、状況確認の一徹から。事故死が倣る信の構えは、ウソの構えへスンなりと回転。
権力・オフィサーたちに沸く権謀・術策のポピュリズム、世界の資本・財産が財務・破綻に瀕します。
状況確認では隠すウソを騙し欺すにも、間に合わない権力・オフィサーたちの足りないKY・放埒、大陸のコッカ・観念が消され霧散、権力の詰みあげた二枚舌は未結を露し、唯一無二のコッカ・権力は、霧散・ボラタイルされ、焼滅した金閣寺のように高貴はウソの塊を晒し、赤字の炎で高貴に咽んだ権力のカタチを焼滅させます。
高貴なんて古事記に消され源氏物語に消され、万葉集に散って磨かれ、残った知の極意は祇園精舎の鐘の声、無の空の空の鋼。
権力・オフィサーたちが崩壊させるコッカ・秩序だから、なにごともタダ故のタダのマル暗きは、騙して欺す唯一無二の観念を執拗に疼かせ、字面を組んだ闇の奥に臆病を赫かせます。結束しない未結の現実を虚けるポピュリズムのこと、観念の思い込みを刷りこむ頭脳の中にクユらせて発現します。引き金は、なにごともタダ故のタダのマル暗キ。
太宰治さんが竦んで蹲ったコッカ・権力、観念・失格を現実に露わしながら、重なって隠れるウソの構えを、信の構えから炙り出しました。謙遜の自己・研削から退き、謙虚の自己欺瞞に蹲った、オズカスの壁は、油断するままバカの壁を働き、抜け出せない情動・不定の優しさに囚われるまま、津軽や親友N君に最后の別れを告げ、HUMAN LOST・1936年のメモランダムへ向かいました。観念との闘い。ダリにそれをみて、ピカソにそれを感じ、コッカ・観念やコッカ・権力に絡まれず、
状況確認に訪れた最后の津軽は、深いオズカスの壁の中。観念の扉を開け、観念を崩さないことには、予期する故郷も棺桶のまま、オズカスの壁は棺桶となって不甲斐ない自己を閉じこめ、自己を超えさせず、寂しさのはてなむ国を、今日もひとり旅させます。若山牧水さんは酒の中の玉の歯に陶酔、太宰治さんはオズカズの中の忠孝・敬愛に陶酔、世界に誇るワンペア正直や素直が、ポピュリズムの権力・オフィサーたちを相手に、ひとのこころの中をいまも旅します。ポピュリズムに惹かれ、ポピュリストの末人になることなかれ。…わたしにウソを吐きなさい…ライトーミーlie to me、ウソってバレバレ、1000万人・かすみ我関は赤字・焼滅するバカの摩天楼。ウソに捲かれずウソに乗らなかった財務・権力のオフィサーたち、糞を転がす生命の命をウソの構えの中に明かすでしょう。少数の角に追い遣られても多数に咽ぶポピュリズムに嵌らず、観念に屈しなかったオフィサーは、何%の現実を露すでしょうか。権力・オフィサーたちは、若年定年制に服し蹲り、権力から退いた後、ポピュリズムを吐き出すべし。ジャン・アンリ・ ファーブルのフンコロガシ・スカラベスカラベは、コームいんの鏡。
☆☆憑かたれ三島由紀夫から大江健三郎に
眼醒めたジョン・サンクス、
列島・山岳の闇を見つめ、悟った観念に蹲るクニは
、信念が燻むアンバウンドやボラタイル、
未結・霧消する刷りこんで習い倣う
コッカ・観念とコッカ・権力☆☆
リッチの機会均等にただ乗り、営利や幸福を求めるなか、不ツゴーはウソを云わせ、失敗や不得意のソンはウソを云わせ、トクをしたトクは知らせずに隠すウソを捻らせ、自慢を気取るそのトクには正直を働かせ、話す咄しから隠す秘めごとを欠かせ、素直が裏返しされ、教えないキョの虚を選択、ウソが散り填められるから、ひとの動機に割りこんだソントク・ツゴーが追求するトク・意識を時と場に合わせ刷り換える妙が先に疾り、ホントーを求めるほどにウソが色濃くなり複雑になり、ひとの信頼・意識を人質に囚えるにすら至るので、否応なしに多重化するウソが、単純化した分析心理の結果をあっさり捨て、ウソの構えをイッソー堅固にさせ、人生の幸福・意識はホドきようがないウソの塊を造り、水面に映る月に魅せられるように、夢の中に浮かぶ幸せを信じて放さないひとに換わります。
面はゆくとも、秘かに思い思う密の意識は、知らぬ間に他に知らせる、仄かな癖を悟ったように、小林秀雄に縁るその自意識を、知らず識らずに尖らせ、溜息に怜悧を絡ませ、吐く時のそれは、…サすわ、サされるわ、そらエエわ…。裏返して捨てた過去のそれらは、周りの孤影を心に映し、薄情に慄える自我のこころに、記憶を固執、強迫を薄情に添え、自我ゆえのその自我を存在に揺らせ、幽まずキラっと光る自意識、手触る乳の芳香に咽ぶ卵のまろみ、ほころぶ夢幻に浸るひと時、こころならずもその時の永遠回帰、光芒に匂い立つ白鼻祖の陰は、見えない意識に仄めき、底はかない未映子の灯火をくゆらします。
どれがunboundになりなにがvolatileするか。日本語が固めた観念が刷り換えを求めるから、なにごともタダ故のタダの刷り込みに、インプットされれば詰んだ苦心も元の木阿弥。それを避ければ、えもしれず、三島由紀夫の字面・組に誘われて迷い込んだ理解不能を、大江健三郎の作品に出会って覚遂、豊饒の海は和魂を、そして荒魂、加えて奇魂、ようようにして迎える幸魂に至る三島の観念は、悟りに乗ってさ迷い、観念に燻る、曖昧模糊。国姓爺合戦に劣る、無の空の鋼はunbound&volatileに乗って散り、末人の永遠回帰は生を捨て死に急ぐ無人の駅舎。
唯一無二の観念をホドけば、観念に隠った三島由紀夫の失敗が水面に映って、…サすわ、サされるわ、そらエエわ…。……意識とは、観念と行為との算術的差であって、差がゼロになった時に本能的行為が現れ、差が極大になった時に、人は、可能的行為が林となって道を失う。安全な社会生活の保証人は、習慣的行為というものであり、言い代えれば、不徹底な自意識というものである自意識を豊富にしたければ、何もしなければよい〈小林秀雄さんの‘罪と罰’についてから〉
…サすわ、サされるわ、そらエエわ…川上未映子
∈なまけるなイロハニホヘト散桜(一茶)∋ つづく
つつしんで 丈司ユマ著作権
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お〜、強烈な写真。感服!
ある進化心理学者が言うには、人間が愚かなままなのは、その愚かさを自覚し、謙虚になって協力し合う行動につながるからであるとのこと。それが生存の可能性を高めた。仮説でしかないが…
2012/3/30(金) 午後 7:09 [ alb**t1107*3 ]
心理の真理をありがとう。事実にも、事実の真理があります。
それほどに嘘が愚に包まれる怖さが現実の真理になって突出すれば、やはり共同幻想した愚で押すのでしょう。
槍ヶ岳の写真を昨夜拝見しました。見事な写真です。写真にも美以外に人目を惹く好感美があり、さらにダイナミック・スナップもあります。平凡に落ちそうな日常も、ダイナミック・スナップに触れて、平凡を打破する心理の真理を楽しみます。リアリティは外にあって内にないもの、陶酔スポットに焦がれる心理・進化は異なもの。
嘘が暴かれる瞬間、それは隠した意志が、裏から表に、表返される時。言語はこの方向を指向し進化するように思えます。お寄りの折りはメッセージをどうぞ、丈司ユマ
2012/3/30(金) 午後 10:05[ georgeyuma ]
2012/3/30(金) 午後 10:14 [ georgeyuma ]