|
お節介を集める虞美人草は、プライドの秀麗を、死の誘いに与らせ、人を死に行かせ、果てしない悩の中に沈み思い思う漱石は、お節介を止めさせようと、周りに迸る欲を猫の自由に代え、5・7・5の俳句を燻す子規の自由・意志を敬い、観念の煩わしさを掃き払って消し、イロハ会話の日本語を即天去私の境に蹲らせました。観念よさらば。
叡山が聳え、大原女が瑞々しい清冽を運び、お節介の集まる虞美人草が秀麗を死の餌に追い遣り、悩む漱石は、鴎外のシャドーな二人三脚を浮かばせ、小林秀雄の一角ツノを咎めに蹲かせ、富裕の馴れ初めを尋ねられず、HUMAN LOST・1936年のメモランダムに向かって骸を結んだ太宰治を。納得の世界に並べます、世はインフレ自爆デフレの30年。
デフレ30年は働かない知の瘡蓋、漢字・観念を唯一無二のガリガリ・ガチガチに固め、解釈や講釈のお節介を欺し騙し瞞す構えの囮に際立て、臆するひとが楽な安全・安心を信じる終の幻想。
…見上げる頭の上には、微茫(かすか)なる春の空の、底までも藍(あい)を漂わして、吹けば揺(うご)くかと怪しまるるほど柔らかき中に屹然(きつぜん)として、どうする気かと云(い)わぬばかりに叡山(えいざん)が聳(そび)えている…、 侘び寂びの現実を真実の理に捉える叡山を心に描き、元来(がんらい)どこから登るのだ、そんな声を聞かせ、元来の云い詰めを空しい無の中にホドき、
…見えてるから、好いじゃないか。余計な事を云わずに歩行(ある)いていれば自然と山の上へ出るさ…〈引用〉、
漱石はお節介の尻にケリを入れ、炙り出すお節介を、虚空・菩薩の中に納めさせました。虞美人草は思い思う生殺しの生ですから、お節介の根に張りつくなんて、滅相もない責めの締めを返上、吐血に苦しみ神経衰弱と闘う漱石は、お節介のお節介・回しを嫌い、こころに、硝子戸の中に、悪たれの折り紙を結びました。
瀕する品乏の向こうに徳の侘び寂びを認識した、西行の名を控え表に使わなければ、すかさずお節介が割りこんで飛び入りする、ドコもカシコもドン・キホーテ。
…どこから登ったって、同じ事だ。山はあすこに見えているんだから…と諌め、…随分遠いね。元来(がんらい)どこから登るのだ…、消沈させる会話は、神経質になれば尖って刺し返す、お節介の悍ましいコト初め。…どこから登ったって、同じ事だ。山はあすこに見えているんだから…、切り返してもお節介は黙らず、…「恐ろしい頑固(がんこ)な山だなあ」と四角な胸を突き出して、ちょっと桜の杖(つえ)に身を倚(も)たせていたが…、
飽くなきお節介のお手盛りは、虚を重ね詰め、加害の蔦は伐られません。
…あんなに見えるんだから、訳(わけ)はないと今度は叡山(えいざん)を軽蔑(けいべつ)したような事を云う…。
謙虚・忌憚のそこそこ、お節介の意固地は謙遜を踏みつけ、云い忘れず、イロハ会話の日本語に執着のキワみを尖らせ、お節介の矢が無遠慮に飛ぶ、日本語の歪みを律の漱石は忘れられず、コーム・シューダンから脱し、意の一意の異の意を忘れまいと、虞美人草の麗しい花を咲かせました。
お節介の尻取りは、軽蔑するコトごとを賤しんで云わせ、情報をコトゴトく小言の中にカエし、権力の空っぽを脅すお節介の汀は、小言の上の空に満開するニッポン大学の辺境・魂。理解・不能な山岳・列島の観念を追ったラフカディオ・ハーン小泉八雲(1850〜ニッポン・1890〜1904年)、ギリシアのレフカス島に生まれダブリンへ移り、仏英米の流転を40才まで点々、山岳・列島に深く根づく源平・合戦の凄惨に、心を奪われ、ニッポン人の優しい大人しさに魂を出し抜かれたハーン、文法も要らない名詞句の漢字交じりを体得して受け継いだニッポンの悟り観念、仏英米のどの言葉にも実らない心のその不満は、耳成芳一の英訳・怪談に終の果てを体得したようです。
しかし漱石は、沙翁(シェークスピア)の凄まじい葛藤ドラマに巻きこまれました。観念を棄てなければ、舞台のセリフが憶えられない。奇蹟を愛でるオトコ・オンナの淫を清冽へ指南した、源氏物語より遅く、15世紀に書かれた平易な舞台・言葉なのに、多民族に揉まれ骨の髄まで聞かせて利く英語の底深さ、沙翁(シェークスピア)に名残る観念は、優しく哀しい上に耳に響き、意味・無しの擦過・破裂音はタダ故のタダの狡猾・渦。
刷りこみ習い倣う山岳・列島の漢字・観念ですから、石ころのように手から掌に転々と転がるその狭い心の厳さ、あって無いに等しい英文法の凛々しい日常・律の会話・一存が、一意の意を異の意に広げる人間らしさを、漱石の心に投じ、すべての含に出会い睦むそれを、見逃した八雲。山岳・列島のショアクは、漢字・観念の根源にあると、咽び偲んで帰コクした漱石。
心を支配する東洋の漢字・観念、信を支配する西洋の会話・論理、沙翁(シェークスピア)に無かったニッポン会話は、誤魔化しの痛し痒しに埋まり、お節介の中に遊ぶ隙間だらけ、欺し騙し瞞すウソの終いが観念の中で、眠りに着きます。沙翁(シェークスピア)がヒトを殺さなかったヒトの死を要にしたのに、殺しを藤尾に兆す虞美人草は、底流に長けて渦巻くお節介の裏切り・本心を認識・証明。
耳成芳一の隙に割り込み、人魂のようにお節介が募らせる騒ぎは、小言のお節介からマル出しする観念の疼き。観念が、お節介の終着駅を無人の駅舎に煙を立たせて迎え、お節介の黙過を通過させます。揚げ足捕りに煙を揚げさせるお節介の汀、情報なんて揚げ足の一点攻めで無に詰められ、情報は意気揚々と零を重ねます。正統を世襲に帰順する唯一無二の観念ですから、世襲する有職故事のホカは、すべて異端の聞かず跳ばず、外交・電報も異端の端呉だから、リョー袖の観念が、正統に非ずと紙縒に巻いて頭の中に届かせません。観念の中に観念したモロモロいがい情報の正統を損じ、外交はコーム・シューダンの言葉・遊び、情報なんて空っポの紙・風船。ハワイで限られない太平洋戦争、重油をガブ呑みして聯合艦隊が届かず屈する米大陸に向かって、飛ばした僅かな正気が風船・爆弾だったという、欺し騙し瞞すウソの中に燦然と閃く侵略の手勢・実存。こんな手勢・締めは戦艦大和から一発も撃たせず屑鉄に崩落させた46センチ虚砲の仏ごころ。ムダ死の死に追いやられた3000余兵士の100余命を、生還させた大本営の意中の意は、愚々愚の愚・策の臆病・焦がし。
一瞬にお節介の結びが会話から消えると、止められた簡単なことが、カンタンに進み始め、
…あんなに見えるって、見えるのは今朝(けさ)宿を立つ時から見えている。京都へ来て叡山が見えなくなっちゃ大変だ…だから見えてるから、好いじゃないか。余計な事を云わずに歩行(ある)いていれば自然と山の上へ出るさ…。
お節介がストップを成就した意の無のその遅延、神経衰弱に捕まり、食の楽しさを苦に変える吐血/気分に構えられれば、不可解なお節介は、生殺しの生を相手にするようで、気色の悪い煙りだけが立ち登ります。自由・意志に絡むお節介/観念の邪魔/法師。お節介の壁は信にバカの壁、恭順に抱える唯一無二の観念が辺り構わず露出、優秀な頭からお節介の疼きが消えないとなると、欺し騙し瞞すウソ咄しが近代化の精神を囓って腐らすのを止められません。権力・ジゴロに献げる、恭順/要領を編み出した志賀直哉の狡猾は、恭順に楯突きバカの壁を聳えさせる愚鈍の愚を戒め、もうけを懐に入れたいなら、素直に恭順を現し、権力・ジゴロを安心させ、ポピュリズム/権力に我が意の意を高じさせればそれで澄むこと。しかし生殺しの生に襲われるとは考えもしないのが恭順の平伏・宣誓。
つつしんで
丈司ユマ著作権
|