おおがいさんのトモダチ

森の生け花や山野の一輪差しを思う常識から常識による常識のための常識

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 ☆☆むらさきの ジヤンパー緑のゲートル 乞食姿の旅人はオズカス☆☆
 阿修羅のこと伝、福島第一原発は、渡部恒三の所有地、毎年莫大な土地代を手にしている… fm99.8(476)。漂流する筏の政官財・トライアングル、貪欲・カニバリズムの怒濤は、国連から睨まれ詰められ、カラダを強ばらせ、大勢の目に構わず、共食いが炙り出されます。
…空蝉の知ら路漂う蝉しぐれ、木の子の雲に カゲるオズカス…
 ☆☆義経伝説の三厩、蝦夷蜂起の地、砂鉄の産地で、木材を輸出、
       蟹田川の東海岸は、カゲらない蟹田浜。
    波打際の心細い路を北へ歩き、路が尽きる竜飛の部落、
         ぎりぎりの本州の北端である。
  東京の兄が二十七で死んだ時、勤めを休んでいろいろしてくれた
       クラスメートのN君。愛情と真理の使徒、私は
    もてなしの中にうなだれ、足もとばかり見た現実は、
           私の眼中に無かつた。
      オズカスと、いやしめて言われる時の三男坊や四男坊。
     むらさきのジヤンパーを着て、緑色のゲートルをつけ
    乞食姿の貧しい旅人は自分の耳に、ひそひそと宿命とでも
     いふべきものを、囁かれる事が、実にしばしばあつた。
       「信じるところに現実はあるのであつて、
       現実は決して人を信じさせる事が出来ない。」☆☆
  ……愛情と真理の使徒。
 「なんにも、おかまひ下さるな。あなたは、知らん振りをしてゐて下さい。お出迎へなどは、決して、しないで下さい。でも、リンゴ酒と、それから蟹だけは。」といふやうな事を書いた。
 蟹を小山のやうに積み上げて、私を待ち受けてゐた。
 飲食に於いては何の関心も無かつた筈、話ここに到つて、はしなくも生来の貪婪性の一端を暴露しちやつた。
 「リンゴ酒でなくちやいけないかね。日本酒も、ビールも駄目かね。」と、言ひにくさうにして言ふ。
 「それあ、どちらでも。」私は複雑な微笑をもらした。
 「いや、それを聞いて安心した。僕は、どうも、リンゴ酒は好きぢやないんだ。」
 「女房の奴が、君の手紙を見て、これは太宰が東京で日本酒やビールを飲みあきて、故郷の匂ひのするリンゴ酒を一つ飲んでみたくて、かう手紙にも書いてゐるのに相違ないから、リンゴ酒を出しませうと言ふのだが、僕はそんな筈は無い、あいつがビールや日本酒をきらひになつた筈は無い、あいつは、がらにも無く遠慮をしてゐるのに違ひないと言つたんだ。」
 「でも、奥さんの言も当つてゐない事はないんだ。」
 「何を言つてる。もう、よせ。日本酒をさきにしますか? ビール?」
 「ビールは、あとのはうがいい。」私も少し図々しくなつて来た。
 「僕もそのはうがいい。おうい、お酒だ。お燗がぬるくてもかまはないから、すぐ持つて来てくれ。」
     何れの処か酒を忘れ難き。天涯旧情を話す(白居易)
 義経の伝説で名高い三厩(みまや)に到着する。
 竜飛(たつぴ)の部落は、文字どほり、路が尽きる。津軽半島の東海岸、波打際の心細い路を歩き、三厩から三時間ほど北上する。
 ぎりぎりの本州の北端である。この辺は最近、国防上なかなか大事。
 砂鉄の産地であつた蟹田の浜は、「青森県通史」に著され、いまは全く産しないが、弘前城築城の際には、この浜の砂鉄を精錬して用ゐたさうである。新築したばかりらしい蟹田警察署は、外ヶ浜全線を通じていちばん堂々とする。
 蝦夷蜂起の寛文九年、鎮圧のための大船五艘を新造した蟹田浜、また、津軽九浦の一つに指定せられ、ここに町奉行を置き、主として木材輸出の事を管せしめた。私の中学時代の唯一の友人のN君がゐる、といふ事だけしか知らなかつた……。
(修正変更した抜粋の引用)
    ☆☆ 何せ鷹揚な性質なので、私と同様のN君 ☆☆
        いつも人にだまされてばかりゐた、
     人にだまされる度毎に、私は少しづつ暗い卑屈な
         男になつて行つた。N君は反対に、
       いくらだまされても、いよいよのんきに
          明るい性格の男になつて行く。
       鷹揚に抜けたやうなところのある子だった、
      N君は不思議な男だ、ひがまないその素直さに
      一様に敬服してゐた、人気はなかなかのものらしく、
      やはり彼は一座の花形。好みて酒を飲むべからず、
       俳諧の外、雑話すべからず、行脚掟の芭蕉翁、
       旅の句会をひらき、蕉風地方支部をこしらへる。
           私は、論語の酒無量不及乱、
        太宰風の地方支部を、こしらへる旅に非ず ☆☆
 …… どういふわけか、同じクラスのN君のところへは、実にしばしば遊びに行つた。 私たちは毎朝、誘ひ合つて一緒に登校した。
 裏路の帰りは、海岸伝ひにぶらぶら歩き、雨が降つても、あわてて走つたりなどはせず、全身濡れ鼠になつても平気で、ゆつくり歩いた。
 頗る鷹揚に、抜けたやうなところのある子であつた。いま思へば、そこが二人の友情の鍵かも知れなかつた。
 私の下宿は高田馬場であつたが、池袋がN君の当時の下宿、私たちはほとんど毎日のやうに逢つて遊んだ。N君は雑誌社をよして、保険会社に勤めた。
 何せ鷹揚な性質なので、私と同様、いつも人にだまされてばかりゐたやうである。
 人にだまされる度毎に、私は少しづつ暗い卑屈な男になつて行つたが、N君はそれと反対に、いくらだまされても、いよいよのんきに、明るい性格の男になつて行くのである。
 不思議な男だ、ひがまないのが感心。口の悪い遊び仲間も、N君のその素直さには一様に敬服してゐた。東京に来てからも、兄の家へ、ちよいちよい遊びに来て、さうして、兄が二十七で死んだ時には、勤めを休んでいろいろの用事をしてくれて、私の肉親たち皆に感謝された。精米業を継ぐため帰郷。
 不思議な人徳は、家業を継いで蟹田の町会議員に選ばれ、今では蟹田の町になくてならぬ男の一人になつてゐる。
 芭蕉翁の行脚掟として、一、好みて酒を飲むべからず、饗応により固辞しがたくとも微醺にして止むべし、乱に及ばずの禁あり。論語の酒無量不及乱といふ言葉は、酒はいくら飲んでもいいが失礼な振舞ひをするな、私は、敢へて翁の教へに従はうともしない。
 一座の花形はやはりN君、人気はなかなかのものらしく、若い顔役がその夜もあそびに来ていた。泥酔などして礼を失しない程度ならば、いいのである。私はアルコールには強く、芭蕉翁の数倍強いのではあるまいかと思はれる。
 此時一盞無くんば、何を以てか平生を叙せん。私は大いに飲んだ。なほまた翁の、あの行脚掟の中には、一、俳諧の外、雑話すべからず、雑話出づれば居眠りして労を養ふべし、もあつたやうであるが、私はこの掟にも従はなかつた。芭蕉翁の行脚は、ほとんど蕉風宣伝のための地方御出張ではあるまいかと疑ひたくなるほど、旅の行く先々に於いて句会をひらき蕉風地方支部をこしらへて歩いてゐる。俳諸の他の雑話を避けて、雑話が出たら狸寝入りをしようが何をしようが勝手であらうが、私の旅は、何も太宰風の地方支部をこしらへるための旅ではない。
 私が開き直つて、文学精神の在りどころを説き来り説き去り、しかうして、雑談いづれば床柱を背にして狸寝入りをするといふのは、あまりおだやかな仕草ではないやうに思はれる。
 オズカスとして人に対した。いやしめて言われる時の三男坊や四男坊。東京の言葉さへ使はなかつた。純粋の津軽弁で話をした。もういちど、津島のオズカスに還元させようといふ企画も、私に無いわけではなかつた。
 都会人としての私に不安を感じて、津軽人としての私を、つかまうとする念願である。津軽人とは、どんなものであつたか、それを見極めたくて旅に出たのだ。
 乞食姿の貧しい旅人は、私の生きかたの手本とすべき純粋の津軽人を、捜し当てたくて来た。
 個人々々の言動、私に対するもてなしの中に、私はたいてい、うなだれて、自分の足もとばかり、見て歩いてゐた。
 現実は、私の眼中に無かつた。
 自分の耳にひそひそと、宿命とでもいふべきものを、囁かれる事が、実にしばしばあつたのである。私はそれを信じた。私の発見といふのは、そのやうに、理由も形も何も無い、ひどく主観的なものなのである。
 誰がどうしたとか、どなたが何とおつしやつたとか、私はそれには、ほとんど何もこだはるところが無かつたのである。それは当然の事で、私などには、それにこだはる資格も何も無いのであるが、とにかく、「信じるところに現実はあるのであつて、現実は決して人を信じさせる事が出来ない。」といふ妙な言葉を、私は旅の手帖に、二度も繰り返して書いてゐた。……
(修正変更した抜粋の引用)
 ∋ デリダのアーカイヴ 病の偉人と非人を 小分けするかも ∈
                   (二蟹田2に)つづく
           つつしんで……丈司ユマ
著作権

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東京電力、汝を愛し、汝を憎む、くやしくてたまらない、この、もどかしさ、生誕100年太宰治 本編 一巡礼。
 ☆☆私の青春も川から海へ流れ込む直前であつたのであらう、
木川田一隆が赤い糸にについて話合つた弟・平岩外四や荒木浩ら
 それからまもなく、原発データ改ざんや発電所データ改ざん
  欲情の赤字を加え死に向かった。自己を棄て、反省の縦糸と
   追慕の横糸を張る、太宰の自責・意志は正直と素直、
   弟は大きくなるにつれて無口で内気になつてゐた、
      みんな気の弱々した意志だった、
   原子力安全基盤機構
2010年10月のまとめを眼にし、
     なぐさめでもするとかへつて不気嫌になつた☆☆

  ☆「ね、なぜ旅に出るの?」
   「苦しいからさ」
   「あなたの(苦しい)は、おきまりで、ちつとも信用できません」
   「正岡子規三十六、尾崎紅葉三十七、斎藤緑雨三十八、
    国木田独歩三十八、長塚節三十七、芥川龍之介三十六、
    嘉村礒多三十七」
   「それ、何の事なの?」
   「あいつらの死んだとしさ。ばたばた死んでゐる。おれも
    そろそろ、そのとしだ。作家にとつて、これくらゐの年齢の
    時が、一ばん大事で、」
   「さうして、苦しい時なの?」☆
  ……何を言つてやがる。ふざけちやいけない。言ふと、気障(きざ)になる。おい、おれは旅に出るよ。
 たいていありふれた文学的な虚飾なのだが、自分の気持の説明など、いい加減にとしをとつたせゐか、気障な事のやうに思はれて、何も言ひたくない。
 生きてゐるうちに、自分の生れた地方の隅々まで、見て置きたくて、乞食のやうな姿で、五月中旬の春、東京を出発した。
 仕立屋に特別に注文して作らせたものではなかつた、勤労奉仕の作業服、有り合せの木綿の布切を、家の者が紺色に染めて、ジヤンパーみたいなものと、ズボンみたいなものにでつち上げた、何だか合点のゆかない見馴れぬ型である。一、二度着て外へ出たら、たちまち変色して、むらさきみたいな妙な色になつた。むらさきの洋装は、女でも、よほどの美人でなければ似合はない。
 そのむらさきの作業服に、緑色のスフのゲートルをつけて、ゴム底の白いズツクの靴をはいた。帽子は、スフのテニス帽。
 いつ、どんな事があるかもわからない。
 母の形見を縫ひ直して仕立てた、縫紋の一重羽織と大島の袷、それから仙台平の袴を、背中のリユツクサツクに忍ばせてゐた。あの洒落者が、こんな姿で旅に出るのは、生れてはじめての事であつた。
 東北の寒さを失念してゐた。寒さは意外であつた。
 心頭滅却の修行はここだ。手足を出来るだけ小さくちぢめて、それこそ全く亀縮の形で、自分に言ひ聞かせてみたけれども、暁に及んでいよいよ寒く、心頭滅却の修行もいまはあきらめて、ああ早く青森に着いて、大あぐらをかき、熱燗のお酒を飲みたい、と頗る現実的な事を一心に念じ、下品になつた。青森には、朝の八時に着いた……。
(修正変更した抜粋の引用)
    ☆☆昭和の津軽風土記、負けても負けても
   強者にお辞儀をする事を知らず、自矜の孤高を固守して、
         世のもの笑ひになる傾向がある、
        何が何やらわからぬ稜々たる反骨、
       列島に贈る言葉は、汝を愛し、汝を憎む、
       最悪のシナリオも、京大・小出裕章助教授
       くやしくてたまらない、この、もどかしさ☆☆
 ……「和服でおいでになると思つてゐました。」
 「そんな時代ぢやありません。」私は努めて冗談めかしてさう言つた。T君は、女のお子さんを連れて来てゐた。ああ、このお子さんにお土産を持つて来ればよかつたと、その時すぐに思つた。
 「ありがたう。」
 「存じて居ります。Nさんも、お待ちになつてゐるやうです。」
 炉辺に大あぐらをかき熱燗のお酒を、といふ私のけしからぬ俗な念願は、奇蹟的に実現せられた。T君の家では囲炉裏にかんかん炭火がおこつて、さうして鉄瓶には一本お銚子がいれられてゐた。
 T君は昔、私の家にゐた事がある。おもに鶏舎の世話をしてゐた。私と同じとしだつたので、仲良く遊んだ。
 「女中たちを呶鳴り散らすところが、あれの悪いやうな善いやうなところだ。」とその頃、祖母がT君を批評して言つたのを私は聞いて覚えてゐる。
 先年出征して、南方の孤島で戦ひ、病気になつて昨年帰還し、病気をなほしてまた以前の病院につとめてゐる。
 「戦地で一ばん、うれしかつた事は何かね。」 T君は言下に答へた。
 「戦地で配給のビールを、コツプに一ぱい飲んだ時です。大事に大事に少しづつ吸ひ込んで、途中でコツプを唇から離して、一息つかうと思つたのですが、どうしてもコツプが唇から離れないのですね。どうしても離れないのです。」
 「どうだね、からだのはうは。」T君はずつと以前に一度、肋膜を病んだ事があつて、それが戦地で再発したのである。おくめんも無く医者に医学を説きはじめた。
 「精神の病気なんだ。忘れちまへば、なほるもんだ。たまには大いに酒でも飲むさ。」
 「こんどは銃後の奉公です。病院で病人の世話をするには、自分でも病気でいちど苦しんでみなければ、わからないところがあります。こんどは、いい体験を得ました。」
 「さすがに人間ができて来たやうだね。」
 「ええ、まあ、ほどよくやつてゐます。」と言つて、笑つた。「何か召上りませんか。青森にも、このごろは、おいしいおさかなが少くなつて。」
 「おいしさうなものばかりぢやないか。手数をかけるね。でも、僕は、そんなにたべたくないんだ。」 私は傍のお膳をぼんやり眺めた。
 心にきめた事が一つあつた。それは、食ひ物に淡泊なれ、といふ事であつた。東京の人は、どうも食ひ物をほしがりすぎる。私は自身古くさい人間のせゐか、武士は食はねど高楊枝などといふ、ちよつとやけくそにも似たあの馬鹿々々しい痩せ我慢の姿を、滑稽に思ひながらも愛してゐるのである。何もことさらに楊枝まで使つてみせなくてもよささうに思はれるのだが、そこが男の意地である……。
(修正変更した抜粋の引用)
   ☆☆償却が進んだ古い原発は利益を生む、
      会社への貢献が厚遇されない
   貪欲の恨みを喰んだ原子力部門、同じ会社の他部門を離れ、
   他社の原発部門と密に組んで流した筏、安全の海を漂流、
   業界を横断する原子力村だから、他部門に口出しさせない、
   原発専門・集団の自負心、貪欲に陰る自己・溺愛の非と否、
          飢えて渇く、漂流・筏のカニバリズム、
         東電ストップ高、外資が筆頭株主になる日も
            責任の飢餓がそんなに怖いのか☆☆
 …… 男の意地といふものは、とかく滑稽な形であらはれがちのものである。東京の人の中には、意地も張りも無く、地方へ行つて、自分たちはいまほとんど餓死せんばかりの状態なのです、とひどく大袈裟に窮状を訴へ、さうして田舎の人の差し出す白米のごはんなどを拝んで食べて、お追従たらたら、何かもつと食べるものはありませんか、おいもですか、そいつは有難い、幾月ぶりでこんなおいしいおいもを食べる事でせう、ついでに少し家へ持つて帰りたいのですけれども、わけていただけませんでせうかしら、などと満面に卑屈の笑ひを浮べて歎願する人がたまにあるとかいふ噂を聞いた。東京の人みなが、確実に同量の食料の配給を受けてゐる筈である。その人ひとりが、特別に餓死せんばかりの状態なのは奇怪である。
 食べ物などの事にはあまり敏感でない、おつとりした人たちとばかり逢つたのである。
 「東京は、おいしいものが何でもあるところだから、お前に、何かおいしいものを食べさせようと思つても困つてしまふな。瓜の粕漬でも食べさせたいが、どうしたわけだか、このごろ酒粕もとんと無いてば。」と面目なささうに言ふので、私は実に幸福な気がした。 いつの世だつて、人間としての誇りは持ち堪へてゐたいものだ。
 「僕は、しかし君を、親友だと思つてゐるんだぜ。」
 実に乱暴な、失敬な、いやみつたらしく気障(きざ)つたらしい芝居気たつぷりの、思ひ上つた言葉である。私は言つてしまつて身悶えした。他に言ひかたが無いものか。
 「それは、かへつて愉快ぢやないんです。」T君も敏感に察したやうである。
 「私は金木のあなたの家に仕へた者です。さうして、あなたは御主人です。さう思つていただかないと、私は、うれしくないんです。へんなものですね。あれから二十年も経つてゐますけれども、いまでもしよつちゆう金木のあなたの家の夢を見るんです。戦地でも見ました。鶏に餌をやる事を忘れた、しまつた! と思つて、はつと夢から醒める事があります。」
 帰京してみると、私の家には、それぞれの旅先の優しい人たちからの小包が、私よりもさきに一ぱいとどいてゐたので呆然とした。
 合浦公園の桜は、いま、満開だといふ話であつた。青森市の街路は白つぽく乾いて、いま造船で懸命なのだ。
 「私は、あした蟹田へ行きます。あしたの朝、一番のバスで行きます。」
 「病院のはうは?」
 「あしたは日曜です。」
 「なあんだ、さうか。早く言へばいいのに。」
 私たちには、まだ、たわいない少年の部分も残つてゐた……。
(修正変更した抜粋の引用)
  ◆◇東電ストップ高、外資が筆頭株主になる日も? 最終更新:2011年04月09日 14時30分  東京株式市場の東京電力株は、先週末8日の終値はストップ高の420円となった。こんな時にいったい誰が買っているのか?←反省を拒むかすみ我せきの封建・カニバリズム、原爆所有の貪欲が制御・不能と見た外国勢、東京電力のカニバリズムを中国大陸の資本が制御、日本狭小列島がカニバリズムの妬み、嫉み、蔑み、荒みを狂わせる前に、未然の封じ込め。
  ◇◆最悪のシナリオも〜京大・小出裕章助教授指摘2011/04/10(日)京都大学原子炉実験所の小出助教授は、放射濃度の急上昇に加え、原子炉の温度や圧力の急上昇していること、更に塩素が中性子に反応して生まれるクロル38という塩素が原子炉内で発見されたことなどから、炉内で再臨界が起きている可能性が高いと指摘する。中性子は核分裂が起きたときに発生する。臨界とは放射性ウラン燃料などが核分裂連鎖反応を起こす状態のことを言う。「再臨界」は、臨界状態にあった原子炉が一旦停止して核分裂が止まった後、燃料棒の露出などでウラン燃料が溶け出して、圧力容器の下部に蓄積するなどして、制御されない状態で核分裂連鎖反応が起きる状態を指す。←京都大学原子炉実験所の小出助教授も蚊帳の外、人間の盾に想定されたのだろうか。
  ◆◇原子力安全基盤機構2010年10月のまとめ……地震で電源喪失した場合、3時間40分後には圧力容器内の圧力が上がって容器が破損し、炉心の核燃料棒も損傷。格納容器も高圧に耐えきれず、6時間50分後に破損して、燃料棒から溶け出した放射性物質が外部へ漏れる……。←コームいんの世界は、次官独りを残すカニバリズムの世界、骨肉・血気が目的や責任をソッチ退けに鍔迫り合い、予算を共食、結果も目的も亡骸を晒す。 
                      〈二蟹田〉につづく
         つつしんで……丈司ユマ著作権

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津軽 汝を愛し、汝を憎む、くやしくてたまらない、この、もどかしさ、生誕100年太宰治 
  ☆☆私の青春も川から海へ流れ込む直前であつたのであらう、
         赤い糸にについて話合つた弟は、
     それから二、三年後に死んだ、自己を棄て、反省の縦糸と
       追慕の横糸を張る、自責の意志は正直と素直、
      弟は大きくなるにつれて無口で内気になつてゐた、
           みんな気の弱々した文章だった、
       なぐさめでもするとかへつて不気嫌になつた、
   三度目の臨界・爆発の前で涌く、火事場・騒ぎは世界を逆鱗、
         責任の鎖がそんなに怖いのか☆☆
1・2・3・4の2

 …………(中略)   衆にすぐれてゐなければいけないのだ、といふ脅迫めいた考へがあつた。じじつ私は勉強してゐた。三年生になつてからは、いつもクラスの首席であつた。てんとりむしと言はれずに首席となることは困難であつたが、私はそのやうな嘲りを受けなかつた許りか、級友を手ならす術まで心得てゐた。
 蛸といふあだなの柔道の主将さへ私には従順であつた。教室の隅に紙屑入の大きな壺があつて、私はときたまそれを指さして、蛸、つぼへはひらないかと言へば、蛸はその壺へ頭をいれて笑ふのだ。
 笑ひ声が壺に響いて異様な音をたてた。クラスの美少年たちも、たいてい私になついてゐた。私が顔の吹出物へ、三角形や六角形や花の形に切つた絆創膏をてんてんと貼り散らしても、誰も可笑しがらなかつた。
 吹出物には心をなやまされた。いろいろな薬を買つてつけたが、ききめがない。薬屋へ買ひに行くときに、紙きれへその薬の名を書いて、こんな薬がありますかつて、と他人から頼まれたふうにして、言はなければいけなかつた。
 吹出物を欲情の象徴と考へて眼の先が暗くなるほど、恥しかつた。いつそ死んでやつたらと思ふことさへあつた。治のところへは嫁に来るひとがあるまい、顔の不評判がうちの人たちの絶頂に達し、他家へとついでゐた私のいちばん上の姉はそう言つてゐたさうである。私はせつせと薬をつけた。
 みんな押し隠して了ふか、みんなさらけ出して了ふか、どちらかで人と対したから、額の生えぎはが富士のかたちになつて女みたいなのをいまいましがり、額がせまいから頭がこんなに悪いのだと固く信じてゐたりしたが、いろいろな薬を買つて来た弟にだけは、私はなにもかも許した。
 仲がわるく、弟が中学へ受験する折に、私は彼の失敗を願つたほどだったし、ふたりで故郷から離れて見ると、私にも弟のよい気質がだんだん判つて来た。
 弟は大きくなるにつれて無口で内気になつてゐた。私たちの同人雑誌にもときどき小品文を出してゐたが、みんな気の弱々した文章であつた。
 私にくらべて学校の成績がよくないのを絶えず苦にしてゐて、私がなぐさめでもするとかへつて不気嫌になつた。
 お前のワイフは今ごろどうしてるべなあ、と弟に聞いたら、庭あるいてる、ときまり悪げに言つた。国語の教師が語つた赤い糸にについて話合つた、興奮し、波の音や、かもめの声に耳傾けつつ、弟に物語つたのは、右足の小指に眼に見えぬ赤い糸がむすばれてゐて、それがするすると長く伸びて一方の端がきつと或る女の子のおなじ足指にむすびつけられてゐる、ふたりがどんなに離れてゐてもその糸は切れない、どんなに近づいても、たとひ往来で逢つても、その糸はこんぐらかることがない、さうして私たちはその女の子を嫁にもらふことにきまつてゐるのである。大きい庭下駄をはいて、団扇をもつて、月見草を眺めてゐる少女は、いかにも弟と似つかはしく思はれた。私のを語る番になって、赤い帯しめての、とだけ言つて、真暗い海に眼をやつたまま、口を噤んだ。
 海峡を渡つて来る連絡船が、大きい宿屋みたいにたくさんの部屋部屋へ黄色いあかりをともして、ゆらゆらと水平線から浮んで出た。弟は、それから二、三年後に死んだ。
 私の青春も川から海へ流れ込む直前であつたのであらう。青森に於ける四年間は、その故に、私にとつて忘れがたい期間であつたとも言へるであらう。
 中学四年から高等学校へ、はひつて見せなければならなかつた。学校ぎらひはその頃になつて、いつそうひどかつたが、何かに追はれてゐる私は、それでも一途に勉強してゐた。私はそこから汽車で学校へかよつた。日曜毎に友人たちが遊びに来る。
 私は友人たちと必ずピクニックにでかけた。海岸のひらたい岩の上で、肉鍋をこさへ、葡萄酒をのんだ。弟は声もよくて多くのあたらしい歌を知つてゐたから、私たちはそれらを弟に教へてもらつて、声をそろへて歌つた。遊びつかれてその岩の上で眠つて、眼がさめると潮が満ちて陸つづきだつた筈のその岩が、いつか離れ島になつてゐるので、私たちはまだ夢から醒めないでゐるやうな気がするのである…………。
(修正変更した抜粋の引用)
      ☆☆ 義太夫の朝顔日記を唸る、昭和の津軽風土記
         負けても負けても強者にお辞儀をする事を知らず、
         自矜の孤高を固守して、世のもの笑ひになる傾向がある
         何が何やらわからぬ稜々たる反骨、「故郷に贈る言葉」を
              求められたその返答、
              汝を愛し、汝を憎む、
           くやしくてたまらない、この、もどかしさ☆☆
  …………いよいよ青春が海に注ぎ込んだね、と冗談を言つてやりたいところ、秀才といふぬきさしならぬ名誉が私にかかる。ずつとそこへ寝泊りして、受験勉強をつづけた。
 井の中の蛙が大海を知らないみたいな小さい妙な高慢を、浅虫の海と旅館に感じて閉口。田舎のくせに、どこか、すれてゐるやうな、妙な不安が感ぜられてならない。
 茅屋にゐて浅墓の幻影に酔はせた事があるのではあるまいか、といふ疑惑がちらと脳裡をかすめて、旅のひねくれた貧乏文士は、汽車で通過しながら、敢へて下車しなかつた。
 津軽藩の歴史のにほひが幽かに残つてゐた。大鰐温泉はスキイ場のため浅虫についで日本中に知れ渡つてゐる。思ひ出のことごとくが必ずしも愉快とは言へない浅虫に較べて、大鰐の思ひ出は霞んではゐても懐しいが、今は都会の残杯冷炙に宿酔してあれてゐる感じがする。
 義太夫に凝つて、弘前の城下、弘前高等学校の文科に三年ゐた。義太夫の女師匠の家へ立寄つて、さいしよは朝顔日記、何が何やら、いまはことごとく忘れてしまつたけれども、野崎村、壺坂、それから紙治など一とほり、当時は覚え込んでゐた。義太夫が、不思議にさかんなまちなのである。
 真面目に義太夫を唸つてゐる。少しも気障(きざ)なところが無く、頗る良心的な語り方で、大真面目に唸つてゐる。
 粋人振りを政策やら商策やらの武器として、用ゐてゐる抜け目のない人さへあるらしく、つまらない芸事に何といふ事もなく、馬鹿な大汗をかいて勉強致してゐる、この様な可憐な旦那は、青森市より弘前市の方に多く見かけられるやうに思はれる。
 随ふ事を知らず、ほんものの馬鹿者が残つてゐるらしい。古書・永慶軍記にも、「奥羽両州の人の心、愚にして、威強き者にも随ふ事を知らず、彼は先祖の敵なるぞ、是は賤しきものなるぞ、ただ時の武運つよくして、威勢にほこる事にこそあれ、とて、随はず」。
 ほんものの馬鹿意地がある。浪曼性を発揮するおどけた虚構には違ひないが、少年のお洒落の本能はまたもむつくり頭をもたげ、『め組の喧嘩』の鳶の者の服装して、割烹店の奥庭に面したお座敷で大あぐらかき、おう、ねえさん、けふはめつぽふ、きれえぢやねえか、などと言つてみたく、ワクワクしなが.ら、その服装の準備にとりかかりました。馬鹿の本場に於いても、これくらゐの馬鹿は少かつたかも知れない。津軽出身の小説の名手、葛西善蔵氏は、郷土の後輩にかう言つて教へてゐる。
 「自惚れちやいけないぜ。岩木山が素晴らしく見えるのは、岩木山の周囲に高い山が無いからだ。他の国に行つてみろ。あれくらゐの山は、ざらにあら。周囲に高い山がないから、あんなに有難く見えるんだ。自惚れちやいけないぜ。」
 どこにいつたい誇るべき伝統があるのだ。依怙地にその封建性を自慢みたいにしてゐる。明治御維新の時だつて、この藩からどのやうな勤皇家が出たか。藩の態度はどうであつたか。露骨に言へば、ただ、他藩の驥尾に附して進退しただけの事ではなかつたか。弘前市の岩木山は、青森市の八甲田山よりも秀麗である。
 何が何やらわからぬ稜々たる反骨があるやうだ。陸軍大将一戸兵衛閣下は、帰郷の時には必ず、和服にセルの袴であつたといふ。将星の軍装で帰郷するならば、郷里の者たちはすくさま目をむき肘を張り、彼なにほどの者ならん、ただ時の運つよくして、などと言ふのがわかつてゐたから、賢明に、帰郷の時は和服にセルの袴ときめて居られたと聞いた。
 そんな仕末のわるい骨が私にも一本あつて、おかげで未だにその日暮しの長屋住居から浮かび上る事が出来ずにゐる。雑誌社から、すくさま目をむき肘を張り、何が何やらわからぬ稜々たる反骨「故郷に贈る言葉」を求められ、その返答に曰く、汝を愛し、汝を憎む。
 作者自身の反省である。だいぶ弘前の悪口を言つたが、これは弘前に対する憎悪ではなく、実は、津軽の人にたいする私の反省である。私の先祖は代々、津軽藩の百姓であつた。純血種の津軽人である。だから少しも遠慮無く、このやうに津軽の悪口を言ふのである。他国の人が、私のこのやうな悪口を聞いて、安易に津軽を見くびつたら、私はやつぱり不愉快に思ふだらう。なんと言つても、私は津軽を愛してゐる。
 私はこの旧津軽藩の城下まちに、こだはりすぎてゐるのだ。津軽人の窮極の魂の拠りどころでなければならぬ筈なのに、弘前人は頑固に何やら肩をそびやかしてゐる。さうして、どんなに勢強きものに対しても、かれは賤しきものなるぞ、ただ時の運つよくして威勢にほこる事にこそあれ、とて、随はぬのである。
 地方出身の全部が事実で無いとしても、このやうな伝説が起るのも無理がないと思はれるほど、考へて、考へつめて行くと、それもただ、作者の美文調のだらしない感傷にすぎないやうな気がして来て、何もかも、たよりにならず、心細くなるばかりである。
 だらしないのだ、県庁を他の新興のまちに奪はれてゐる。
 弘前市の負けてゐながら、のほほん顔でゐるのが歯がゆいのである。負けてゐるものに、加勢したいのは自然の人情である。下手な文章ながら、あれこれと工夫して努めて書いたのであるが、弘前市の決定的な美点、弘前城の独得の強さを、描写する事はつひに出来なかつた。
 負けても負けても強者にお辞儀をする事を知らない。自矜の孤高を固守して、世のもの笑ひになる。何が何やらわからぬ稜々たる反骨「故郷に贈る言葉」を求められ、その返答は、汝を愛し、汝を憎む。それが何であるか、形にあらはして、はつきりこれと読者に誇示できないのが、くやしくてたまらない、この、もどかしさ。
 津軽の現在生きてゐる姿を、そのまま読者に伝へる事が出来たならば、昭和の津軽風土記として、まづまあ、及第ではなからうかと私は思つてゐるのだが、ああ、それが、うまくゆくといいけれど。
…………
〈修正変更した抜粋の引用1・2・3・4の2〉
          つぎは〈本編  一 巡礼〉につづく
            つつしんで……丈司ユマ
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◆◇津軽ばかりでなく列島を襲う、モンスーンのほぼ5年ごとの冷害・凶作、時には干魃・飢饉、深い根っ子は身の毛も与奪つ仄かなカニバリズム、太宰治が無視・黙殺し黙過した和辻哲郎の鼻先
◇◆

 数千や数万におよぶ骸の時々のそれに、想像の眼を注ぎ、噂の眼に想像を浮かべれば、水のある冷害・饑饉の干涸らびない、その骸は、肉に立てる歯を軋ませ、水が切れた干魃・飢餓の骸は、立たない歯が空虚のガリ・ガリを響かせ、血飛沫を上げなかったとしても、漂う噂は大勢の魂を揺すって慄わせ、大江健三郎をスッポリ包んだ故郷・四国のカニバリズムがその現実を尖らせ、眼に浮かぶ骨肉の血気は血潮を臭わせ、個々の生存を掛けたらしい、生命を棄てて掛かる凄惨な闘い、DNAを刺戟し、文明の底を突き上げる、窮極のカニバリズムの出現を、悟らせたようでしたから、明晰な頭脳は、書かない罪深さに戦き、熟読したドストエフスキー文学の門に入った門の卒業を懸け、万延元年のフットボールを反安保に荒れる東京に書き、日本のけたたましい自由貿易が煽り、保護に傾く世界へ向かって、日本のカニバリズムを公表、偉大な渾身のその貢献を悼んだ、ノーベル文学賞。
 干魃・飢餓に追い立てられ、九州から移ったのに捨てるモンスーンの天命は、都・平城京の遷都、干魃に襲われ、雨乞いを神社に拝む、飛鳥の哀しみに、漂うカニバリズムや噂を、記録にも和歌にも、書いたひとがいなかったけれども、八百万の神が捩る一神の神社・信仰を、無常が見限り、都から全コクの津々浦々に数を増し、広がった仏陀の寺々が仰ぎ見たのは、東大寺の巨大な金箔・大仏。
 たび重なる遷都の大出費、飢餓に漂って流れる、凍る恐怖の戦慄、凶作や干魃を知る人々に、カニバリズムの辛酸を、逆撫でしたにチガいなくても、書くに耐えられず歴史に書かなかったのは、知恵か、しらばっくれか、諦めか、神仏融合の号令も空しく、列島は人命救助を冷たく嫌って逃げる、無謬・絶対の封建・権力、少数を利かせ、10世紀余のム責任をエンドレスに支配、貪欲を少数の手の内に、独り占めする恫喝・権力は、上・下の格差を聳えたたせ、格差の上を少数が少数を利かせて手篤く、リッチに保護、カニバリズムの噂を現実に克服・撲滅するのは、いつの日ですか、しらばっくれが、そう嘆き囁き返します。
 M9に煽られ、生存・リッチが、これから押し寄せる需要減と、損害賠償を先攻、生き残りの独占を叫び、東電内を吹き荒れ、上げた計画・停電の狼煙を眺めさせ、トップから末端まで、2次3次下請けを無視・黙殺、正社員の身内のリッチを、ドン欲に誇示、炎上する東電・ブログ。
 被害の少ない事務・正義のリッチを誇示、外の被害・騒擾を、ひたすらガマンせよと罵倒、CNNの取材を手荒くあしらい、秘かに眠るカニバリズムを外に向かって慄わせ、貪欲の正統を猛々しく、封建・権力の中に隠って武布、世界にその未曾有の危機を訴え、東電の発電・電力を欲しがるものたちを世界から、集めに掛かります。
 彼らの云いなりになれば、列島の東電・カニバリズムがナチのように眼醒め、ホロコーストを逆鱗、列島の人道・危機を、世界に舞いあがらせかねません。それはならじと、世界にバラ撒かれた東電株や社債を、手に握り締め、株主代表訴訟の反撃・反攻が、米コクで燻ります。なんじ、株式を、ニッポンの封建・権力に、引き捕らせるべし、耳を貸さないとは、狡猾も不届き千万。
 5度の心中に煽られ騒がれた、自虐が、信じられないような素直な文を、最后の津軽に綴ります。自虐でも凹まなかった正直が、戦下に、元気な声を挙げたのは、最后と知った清々しさに、背を押されたからでしょうか。
 ニッポン文壇は、ひとり占めを狙うカニバリズムのようなジ我ジ賛に、痛く擦られ、排斥するシ極・キョー悦を欲しいままにに、その深い貪欲が、太宰治に裏返され、それに触れる比喩すら憎悪、敵対の愛憎を剥き出し、列島の批評レベルは、ランク外の谷を転がって消え、黙過するその陰りは、真実の灯火を明かるく灯させます。深く根を張って退き隠る文壇のカニバリズムは、依怙地で陰惨、ム責任を崇め、意志を心理にヨーカい、目的も動機も、カタチあって中抜きの造りもの、和辻哲郎が編みだしたウソ書き・調子書きの、その2次3次下請け。中国大陸の風は、塞翁が馬を飛ばし、目的と責任に眼醒めさせ、文壇に退き隠るドン欲・カニバリズムの牙を、引っこ抜きに掛かるでしょう。太宰治の生誕100年。
 列島のモンスーンから、冷害・饑饉や、干魃・飢餓の無常を、そっくり抜き取って消し、日本のモンスーンを擽って誇ったのが、和辻哲郎の風土記。その意図が陰らせても、見るひとの眼を鎖せず、なにやら八百長を嗜む、八百万の神が、ひた隠しに隠されヒトつに捩られた神道の一神を崇拝。ブッダの教えが独裁の世界に広がり、饑饉の飢餓からひとびとを救おうとしたのに、無常に非情を重ね、ブッダを殺した神仏分離・廃仏毀釈、西洋うや中国の強大・大国に向かって号令、一人占めを狙う少数の凄惨な貪欲・カニバリズムを復活、世界の文明や民族に広く存在したカニバリズムに、観念のネットを被せ、救出が、面倒と莫大なマネーの支出を惜しみ、外来・観念を異端の和訳で活用、字面の上から、カニバリズムを無視・黙殺し黙過、不ツゴーを隠す封建・権力をツゴーの虚言で包み、カニバリズムの比喩すら拒んだのは、その煽りを受けて貼りついていたからと、思わざるをえません。被災コクみんの救護に、とっくに集まった義援金1000億円を、机中に寝かせ、平気の平さを極め込んだ、もとコームいんの片山善博、それなりにあった人気を裏切り、日赤を不忠ものの扱い、日赤の名に集まった義援金の配布を止めるのは、カラ奸カラに唸る、復興資金マネーの、その分捕り合戦に加わる思いが、絶てないのでしょうか。
 小泉八雲がそこに棲みつき、耳なし芳一など、日本怪談が書かれました。迷惑を掛けるのが、カニバリズムをDNAに仕込んだ、そのようなチジやギ会ギ員やコームいんたち、カラ壜・カラ缶やカラ樽・カラ荷の狡猾ざんまい。なんとか施設となんとか研究・ショク、位階の順に一列に並ぼうという行政法人????研究所や????機構は、早くも2・30個所以上の斑目・模様。コームいん改革なんて信じるのがバカ、議論に敵わないコームいんの、その脚を切り、報酬の荷物を軽減するなんて、思う方が阿保。
 なにするひとぞ、隣のひとは、安全の責任を、働きもせず、目的を裏返し、隠れ棲むとひとがいう。30余万人レベルの避難・被災者、 3万人レベルの死者と行方不明者、放ったらかされ、疲労が深く、寒い床敷きから寒風の雪を見上げるひとびとは、集めて止められた義援金からも見放され、子ども手当に固執しても、投票に絡まない、被災への支給はゼロ、仮設住宅36戸に1600の応募??というカニバリズムの半端はピンピンしながらマル出し、救護を嫉る不働仕事の、その深い根は、どこのどこから、
        ∈ 秋深き隣は何をする人ぞ ∋芭蕉
  ☆☆ 追慕の素直、反省の正直、字面に組んだ骸の太宰治、
      野心に飢え焦がれた野心をウソ造りの骨組みに、
      観念を仕込んだウソ書きの和辻哲郎 ☆☆
  ☆☆ 廃藩置県で藩籍を奉還、迫害する教師たちの職員室を、
        をかしく思つた、寂しさにわくわくし、
          自分の来しかた行末を考へた、
        おしまひに溜息ついてかう考へた、
        えらくなれるかしら、だらしないのだ、
      くやしくてたまらない、この、もどかしさ☆☆
(1・2・3・4の1)
 ……明治四年の廃藩置県に依つて版籍奉還、青森市になったこの海岸の小都会は、近江、越前、越後、加賀、能登、若狭などと船で交通をはじめ、殷賑の要港となり、青森県の誕生と共に本州の北門の守りとなった。
 けれども、旅人にとつては、あまり感じのいい町では無いやうである。たびたびの大火のために家屋が貧弱になつてしまつたし、市の中心部はどこか、さつぱり見当がつかず、奇妙にすすけた無表情の家々が立ち並び、何事も旅人に、呼びかけようとはしない。
 旅人は、落ちつかぬ気持で、そそくさとこの町を通り抜ける。けれども私は、この青森市に四年ゐた。いい成績ではなかつたがその春、中学校に合格。遠い親戚の呉服店に旅装を解いた。ちぎれた古いのれんが、入口に下がる家に、ずつと世話になる。
 有頂天になり易い性質は、銭湯へ行くにも学校の制帽を被り、袴をつけた。往来の窓硝子に姿が映ると、私は笑ひながらそれへ軽く会釈をした。
 それなのに、ちつとも面白くなかつたのが学校。しろいペンキで塗られた校舎は、まちの端れにあり、すぐ裏は海峡に面したひらたい公園、浪の音や松のざわめきを授業中に聞き、廊下も広く教室の天井も高く、すべてにいい感じを私は受けた。
 教師たちは、私をひどく迫害した。
 生意気だと、体操の教師にぶたれたのは、入学式の日から。
お父さんがなくなつて、よく勉強もできなかつたらう、と私に情ふかい言葉をかけて呉れ、私もうなだれて見せた、その人が、入学試験の口答試問をした教師だつたから、私のこころは、いつそう傷つけられた。色んな教師にそののちぶたれた。
 職員室を、をかしく思つた。にやにやしてゐるとか、あくびをしたとか、さまざまな理由から罰せられ、授業中の私のあくびは、大きいので職員室で評判であるとも言はれ、そんな莫迦げたことを、職員室で話し合つてゐる。
 君の態度はじつさい生意気さうに見える、落第するにちがひない、あんなに殴られてばかりゐる、同じ町から来てゐる一人の生徒が、私を校庭の砂山の陰に呼び、忠告して呉れた。
 私は愕然とした。鼠色のびつくりするほど大きい帆が、すぐ眼の前をよろよろととほつて行つた、海岸づたひにひとり、家路を急いだ。靴底を浪になめられつつ溜息ついて歩いた。洋服の袖で額の汗を拭いた。
 旅装を解いた屈指の老舗は親戚の呉服店、お父さんには実の子以上に大事にされたが、お父さんは先年なくなられた。青森市へ行つた二、三度、このお父さんのお墓へおまゐりして、宿泊させてもらふ、ならはしである。
 冬の吹雪の時以外、合浦(がつぽ)公園を裏庭にする、中学校の行き帰り、公園を通り抜け、海岸づたひに歩いた。裏路である。あまり生徒が歩かないこの裏路が、すがすがしく、初夏の朝は、殊によかつた。
 ぼんやりしたのは、三年生になつた春のあるあさ、朱で染めた橋のまるい欄干へもたれかかつていた時。全くぼんやりしてゐる経験など、それまでなかつた。うしろで誰か見てゐるやうな気がして、私はいつでも何かの態度をつくつてゐた。
 いちいちのこまかい仕草にも、私は、傍から傍から説明句をつけていた。
 彼は当惑して掌を眺めた、彼は耳の裏を掻きながら呟いた、などと説明句をつけてゐたから、ふと、とか、われしらず、とかいふ動作は、私にはあり得なかつた。
 橋の下には隅田川に似た広い堤川がゆるゆると流れ、橋の上の放心から覚めたのち、橋をかたかた渡りながら、いろんな事を思ひ出し、また夢想した。
 寂しさにわくわくした。自分の来しかた行末を考へた。そして、おしまひに溜息ついてかう考へた。
 えらくなれるかしら。 (中略)……。
(修正変更した抜粋の引用)
            1・2・3・4の2につづく
     つつしんで……丈司ユマ著作権

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和辻哲郎が無視・黙殺され黙過されたそれは、太宰治の最后の津軽に、仄めく灯火の明るさ     
     ∈猿を聞人捨子に秋の風いかに∋芭蕉
   ☆☆ 骸に納まった太宰治、透かしてみせる 
      まぬけの正義 造りものの火事場・騒ぎを、
         戦時下にいたぶった凡人の鏡、
       津軽は、魔の感情が疼く千のプラトー ☆☆
 書き出しはズバリ、書く目的もマル見え、こころの風土・倫理が、淡々と気取らず、駄作・風に吹き抜かれ、文字の字面が端正になぞられ、千の風が流れます。最后の津軽を前に、騙しを仕込む観念の数々が、掃き出されて消され、天晴れな青空にクリーンを映し、友と伴の死が臭う戦下、思い思うまぬけが、縦糸や横糸にゾンブンに顔を出して津軽を埋め、尋ねたこころを撫でてほぐし、東京へ帰しました。
 こどもの風土を開いたのは、まぬけの寓話や拍子抜けを飾った落語の、噺し、まぬけのスーパーは、乙女のまぬけ、売り出されて今日まで、騒がせつづけ愛されるまぬけは、レミゼラブル。怖い刑事が追いつづけパン一個の尾け回しを飽きさせ捕縛を諦めさせたスーパーまぬけは、巌窟王。騎士の忠誠心をコミックにしたまぬけは、ポルトス・アトス・ダルタニアンの三銃士。父母も子もまぬけだったまぬけの親子は、神隠しの謎に迷いこんだ、千と千尋。乙女の祈りを誘ったまぬけのスーパーは、シンデレラだったし、プライベート・ライアンやJ.D.サリンジャーら、戦勝をライ麦で捕まえてと歌うまぬけの正義は、眼に焼きつくまま年を盗らず、こころに映ります。リンカーン大統領のまぬけは、長さを遠慮し別のチャンスに。新鮮な試みも、始めたトタンに陳腐化が追いかけ始め、新鮮のおいしいところがマル暗キに襲われ、元の木阿弥になると、ドラッガーが云うのに、いつも新鮮を保つ世界の狭間なら、拍子抜けが囲んで守るまぬけの正義があるという、陳腐化しないまぬけの取って置きは、カチカチ山の狸や、月の兎を思い思う待ち惚けの唄、沙羅双樹の花を列島に咲かせます。
   ……生れてはじめて本州北端、津軽半島を凡そ三週間ほどかかつて一周したのであるが、それは、私の三十幾年の生涯に於いて、かなり重要な事件の一つであつた……。
  津軽を仰ぐまま、悪や善が、新鮮にこころの字面に滲み渡り、未と既が字面のこころを縞のように揺らせ、鼻を木で括る孤独の戦慄が、しらばっくれを素通り、剣山で刺すように東京の生活を戦下に怖がらせ、失われた農村の匂いが無音をこころに、響かせるまま、縦糸も横糸も伸び縮みします。
 反省を縦糸に張り、追慕を横糸に展べ、潔い倫理が凶作の風土に爪弾かれ、寺々に漂うカニバリズムもなんのその、自虐を煽る自己・譴責の、醒めない冷酷に打ちのめされ、喘ぐ自己・嫌悪に笹くれだった太宰治は、自虐の責めの中で、こころを強かに意地を張りウソを塗さず、まぬけのまぬけを灯火の正義に、瞬かせました。
 瀕する貧から目指すリッチの陶酔へ、ジャンプして逃げこんだ和辻哲郎、こころを陶酔の陶然に置き去り、反省の色影も追慕の謝意も消して亡くし、空想・一遍の風土を、慰める観光のように書き、ひとの上を確信するその上意・下方を、カン陀多の蜘蛛の糸に倣い、従うものの忠誠を水墨画のように書き、下達を裁く冴えで、まぬけの温もりを伐り殺し、万機公論の不安を忍ばせない封建・権力の絶対・一義に、一意の意も他意の異も一列にならべるそのツゴーの転回に拘り、終戦を認めて敗戦の降伏を拒む人間・失格、二重の人格を出し入れする梅津美治郎らを、大本営に出現させました。
 大本営なんて、タダの漢文・漢字の、その寄せ木細工。観念は字面に悪を塗し、善を裏返させ、先ずはソンの神を越え去らせ、万を期す次はトクの神を迎えさせ、上がりはツゴーの神に手造りの要領を献げさせ、一身上のツゴーを手形に、権力を縦横に横行、責任のない世を渡り、終わり善ければすべて善し、責任を背に隠し、腹に無責任のへこ帯を括り、峰の境から転落しないように慎重に歩かせます。
 なんのことはない、火事場・騒ぎが人生の宴。飛ぶ鳥を落とす極意は、慧眼らんらん、敵失をあさる漁夫の利。理想に苦しみ理念の自己・譴責におよばざるウソを、愛でること。
 和歌は裏返しのウソが涌れ心情が渇いて涸れ、帯刀に対等を貫き抜く、江戸城下100万人に張り詰める信用・経済の淡白に、気づき、怠けこころを慄わせ、感情を割りこませず、裏返しの遊びを思い止める5・7・5の俳句に木偶の小股をすくい、原初の現場…農村の匂ひは無く、都会特有の、あの孤独の戦慄…に、造り物の初めを、太宰は確認しました。

   ……都会ふうにちよつと気取つた町である。善く言へば、水のやうに淡泊であり、悪く言へば、底の浅い見栄坊の町。善く言へば、活気のある町であり、悪く言へば、さわがしい町。
 農村の匂ひは無く、都会特有の、あの孤独の戦慄が、これくらゐの小さい町にも、既に幽かに忍びいつてゐる。かなしいお道化の虚構に満ちてはゐるが、けれども、感じは、だいたいあんなものだつた。
 少年は悲しく緊張し、風俗がそつくり貴公子のやうだらうと、久留米絣に、白つぽい縞の、短い袴をはき、長い靴下、編上のピカピカ光る黒い靴をはき、それからマント。 父はすでに歿し、母は病身ゆゑ、少年の身のまはり一切は、やさしい嫂の心づくしでした。少年の美学が、誰にも解せられぬことを、涙が出るほど口惜しく思っても、『瀟洒、典雅。』少年の美学一切は、それに尽きてゐました。いやいや、生きることのすべて、人生の目的全部が、それに尽きてゐました。
 マントは、わざとボタンを掛けず、小さい肩から今にも滑り落ちるやうに、あやふく羽織つて、さうしてそれを小粋な業(わざ)だと信じてゐました。どこから、そんなことを覚えたのでせう。おしやれの本能といふものは、手本がなくても、おのづから発明するものかも知れません。ほとんど生れてはじめて、都会らしい都会に足を踏みこむのでしたから、少年にとつては一世一代の凝つた身なりであつたわけです。
 本州北端の一小都会に着いたとたんに、興奮のあまり、少年の言葉つきまで一変しました。少年雑誌で習ひ覚えてあつた、東京弁を使ひました。けれども宿に落ちつき、その宿の女中たちの言葉を聞くと、ここもやつぱり少年の生れ故郷と、全く同じ、津軽弁でしたので、少年はすこし拍子抜けがしました。生れ故郷と、その小都会とは、十里も離れてゐないのす……(修正変更した抜粋の引用)

 嫌廉味のない清々しさを読ませる、津軽のその風土は、観念に野心を仕掛け、涌きあがる功名を仕立てた、和辻哲郎の不純を無視・黙殺、凛々しくもあり、自虐の自己嫌悪など、暗さをみじんも感じさせません。
 和辻を育てた環境は、清々しさを尊ばず、嫌廉味のない潔癖を憧れさせず、少年の美学を刺戟せずに潰し、思い思う影に陰って、野心をその賢さに募らせ、古事記が戒めた狡猾を、心情に奥まらせたのでしょう。
 …拍子抜け…は、多義を育んで個々の人格を駆り立たせ、二重人格に陰る罠を回避、風土が直下立たせるその不可欠を、思い思わせるだいじな心中の一誠、その備わりを4文字で明かす、思いがけない太宰の慨嘆です。
 今風の21世紀なら、ポストモダンを飾った…非中心…を、弥次郎兵衛のテコで揺らし、部分/全体の二元論的発想に思う思いを放り入れ、主体の脱中心化に思いの際を募らせ、禁欲的な四角い箱に、チッさな憧れの生け花を挿し、…多様性・装飾性・折衷性・過剰性…に、改めて泥縄を仕掛け、観念を抜け去るその先に、陳腐化が拍子抜けする、遅後性の先進性を幽ませ、まぬけのヘッドもテイルも、奥の細道の山刀伐峠へ向けて、事後確率が意欲を高じます。
 …拍子抜け…は素直なこころの狭間に現れ、まぬけの正直を導くその奥の細道。拍子抜けを体験しないでは、山刀伐峠を見ることもパスも叶わず、風土に迫られず倫理に襟を正さず、責任を背にする火事場・騒ぎに呑まれます。江戸の華とは云いえて妙、近づけぬ華を華と騒がず、華を傍観、ヒッソりと佇んで華を前に、自我の自己を諦めで律する、なまぬけの事初め。人生の宴が、火事場・騒ぎだったらどうしましょう。
 頭を真っ白に、一生に一度の頼み、とアピールしたその痛恨に通じる、一生の不覚が切羽詰まらせるのは、拍子抜けが掘り起こした驚きの空白。
 見過ごす…十里も離れてゐない…世界が隠したような、あるらしい尤度 (likelihood)に煽られ、事後確率が推す、意表を突くまぬけの狭間のことですから、生涯に何度…拍子抜け…に捕まったか、追憶するその回数を追慕すれば、…拍子抜けのまぬけ面…は、正直がテストされ、素直の真打ちが試され、貴重この上ない人生に宿る瞬間だった、そう理解させ、ライ麦畑で捕まえてと俯き、風土記が倫理へ津波を打ちます。蛍の光では駄目、まぬけの真実は、拍子抜けに、護られます。
 杖にもならい服従の恭順を、陶然の一徹に忍ばせた、和辻がトクイとする字面・観念は、野心を隠す覆面・仮面、太刀打ちするにおよばずと五輪の書が語り、明日の杖が太宰の上に燦然と輝きます。
 三志士が消えて消され、カラ函・コッカの封建・観念を埋めた、和辻の字面・風土記は、サリンジャーに云わせれば、世を不幸に堕とす許しがたい木偶のお節介、夕空晴れて、秋風吹く、和の詩は、ライ麦畑で捕まえてに、遠く及ばないとはいえ、音に響く声は同じ、祇園精舍の鐘の声、たけき者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ、ウソ訳を愛したけれども、野心に渇き飢えた野心を、喉にとおした和辻のそれよりはまし、日本人のこころは、こどもたちの悪戯・遊びに焦眉し、…夕空晴れて、秋風吹く…を好み…蛍の光…を唄に継がせ、頻繁に襲う凶作のCannibalismを幽ませ漂わせた慟哭が、欠如態の涌く三権・独占のムカシは大本営今は、シャッキン千兆円を反省しないかすみ我せきに、人差し指を向させ、拍子抜けに襲わせ、火事場・騒ぎを卒業しなさいと諭し、まぬけの正義を微笑ませます。
 反省の縦糸に、追慕の横糸を張った太宰の津軽・風土、普通の会話ことばで、鋭く尖らせる倫理でもあったため、たとえ和辻のそれを重ねても、縦糸も横糸も無く陶然に酔う和辻の風土・倫理が、透けて抜け落ち、泡と消えるから、字数をそれに配らず、無視・黙殺の黙過で素通り、気づいて気を停める人も気を留めない人も、お好きなままにしました。
     ∈しにもせぬ旅寝の果よ秋の暮∋
     ∈猿を聞人捨子に秋の風いかに∋芭蕉 つづく
        つつしんで……丈司ユマ
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