|
敗戦を前に自己問責の旅、字面の観念を消しカラ函・コッカを無視・黙殺した津軽、中国大陸を前に生誕100年の太宰治は忙しい
12月8日の正義と微笑で立ち上がった太宰治さん、敗戦を前に、自己問責を旅し、津軽で字面の倫理や風土やキリシタン4人組を、無視・黙殺。
内気の正義と微笑、父に疎、母に遠、使用人になつく空ッポのその大豪邸、世話するたけに親しむ躁、鬱が炙る正義と微笑は、津軽で自己とそのフロンティアを悟りました。
☆☆ 字面の現実、虚けの洞察 ☆☆
字面の現実を書き、書いた字面の中に埋没し、自己をその中に閉じ籠め、外界の律動を感じながらしようとすることと云えば、字面のその観念に拘り、意の異の字面を表に並べること。
自・他の意志を意思・意識の中に紛らわせ、裏を構え、オール・オア・ナッシングに慄える本心は、その裏に退き隠らせ、気取る表を虚勢で飾り、一意の意すら現実から滑り落とし、字面にバラした意思・不明を、意の異を異の意のように混ぜ合わせ、正統と異端の弁を表に涌かせ、上意の想いをその下達の恭順によって天下にアピール。
言葉のその挙げ足取りを、囚りこの囮にさせまいと踏ん張って誠実も強情を張り、談合・密会の内は現実・感より、字面の事務・現実が狡猾・支配、書き表されるソントクツゴーのその順番・表が、上意下達の上意を固めるという、超然の無謬・現実を字面で迫り立たせ、脇道に逸れた二ハン頂上談合体制の、その多勢に無勢の少数・志向は、関心を持たれず、情報のない孤立を唯々諾々させました。
☆☆ 対等の平等 ☆☆
対等の平等は、寄って集った談合・密会の中で凸凹に歪められ、中抜きされて空ッポ、早い者勝ちを唸らせるそのソントクツゴーから外に押し流され、狡猾の中で消滅、瀕する貧に揉まれるヒトビトの中で、対等の平等が閉じこめられ引き継がれました。急進する中国大陸と競るには、字面の優越・観念に頼るより、対等の平等の中で思いの丈を募らせ、誠実を連ら抜く強情を前面に出す方が確実にトク。
☆☆ 多様性が促す個人の影は、高く長く ☆☆
個人の影を高く長く伸ばし、コッカ権力がリアリティを字面に埋めカラ函・コッカのその無を露呈させても怯まず、競争リスクの最前線に立つコクみんのエネルギーは本物のダイナミズム、創意・創作を産んで励むそのの狭間、器用仕事の領域こそ、個人あってコッカの中実が詰められる現実・フロンティアです。
富めるニッポン人の動機は、ソントクツゴーの一色に染まって変質、それを裏に退き隠らせる狡猾が縦長の上意下達に沿わせ、知の秩序の外観を痴で飾ります。
表書きのその字面の中に呑み砕き、隠然を極めてもそれは米大陸を見るように、衰退の兆し。サンデルさんが焦って焦れても、失われた狭間の復活は、ありません。上意を上意と黙する小さな談合・集団が、近代化に背を向けさせ、…山県有朋1899年のコームいん集団…が、中抜き、カラ函・コッカを寡占しました。
☆☆ 早死にし若死にする 対等の平等 ☆☆
文明開化の三志士松陰・龍馬・晋作が早死にし若死にしたあと、対等の平等は文明開化から蒸発して消え、337藩と二ハンの手がコッカ社会コクみんのコクみんを、瀕する貧に閉じこめ、粥を啜る裸足や草履足を痛めさせます。富国強兵のカラ函・コッカは軍拡のシャッキンを詰め、対等の平等を追い出した中抜きのカラ壜やカラ缶、囮の囚りこにした富豪はカラ樽やカラ荷を集めたところで、軍国主義のミクロ全体主義が独占した、カラ函・コッカは知の痴を募らせ、尻に火が点いたその苦し紛れを、港の機能をイギリスに占拠され鈍重をのたうつ清朝の中国大陸へ向けました。
とうとう対等の平等は、日本狭小列島の現実の中で踊ることが、叶われませんでした。挙国一致のチッさな全体主義は無勢、多勢のコッカ基盤はその対等の平等をカラカラに干されて消され、ソントクツゴーの色香に掠め取られたカラ函・コッカは、マチガいだらけの痴を走らせ、日本辺境を深く掘り下げました。旧来の格差・意識を鼓舞する、チッさな全体主義へ、理念を捨てて坂の下へ転がり落ちました。
貧と富が裁いた真剣勝負と手柄勝負、その結果は、勝ちの名を与えた日露戦争がコッカの疲弊を促し虚けを隠させ、カラ函・コッカを卑劣の痴の果てに引きこめさせれば、敗けの帝国ロシアが共産革命に揺さぶられ崩壊。
期待が煽られ煽った戦争賠償は、日清戦争のその泥鰌2匹とは行かず、瀕する疲弊の中に、自重と酷税の懲役刑が科せられます。封じられた…げんろんの自由…に代わって、カラ函・コッカに付和雷同したマスコミが、…たわごとの自由…を囃し、日本辺境に隠る怠惰な大学連山の知を絞らせず、正統と異端の反動を画策、‘アジアはヒトつなり’を失敗したその強情は、対米戦争に傾斜、米大陸を視界から消し、ハワイまでに限定したあまりに酷い痴は、ことなかれ事務・正義の八百長を破綻させます。愚々愚の…山県有朋1899年のコームいん集団…、権力を奮うなかれ、傭兵の貧相を知って、シャッキンを詰み上げるなかれ。失敗の置き土産は、急進・中国大陸に呑まれる、その手土産の朝貢・策。被占領策の手土産で成功した、米大陸とオナじかチガうか。
☆☆ 朝貢のテスト かすみ我せきのシャッキン・釈明 ☆☆
朝貢はかすみ我せきの服従だから、傭兵を継いだ親衛隊・ミン主トーが、裏切って背を向けた…コームいん改革…の完成を、廃の派遣再雇用で実現させるかも。
☆☆ 太宰治さんの正直と素直 ☆☆
なるに任せる列島・日本人のダイナミズム、神仏融合に徹した後、廃仏毀釈で脇に追いやる仏も神も頼むその限り縁、奇蹟を想い浮かべ篤いその信仰心から死の復活を人生に悼む永久の信仰に刻む深い陶酔、正統と異端を口外に沸きたたせ、多勢の無勢を惹き立たせ、ヒトリになることを拒むその誠実はことなかれ事務・正義に献げ、責任を逃れた無責任を謳歌、日本・ダイナミズムは、瀕する辛苦を手懐け誠実を連ら抜く強情がその正体。
津軽を書いたのは、無謀・開戦の直中、1944年・昭和19年36歳の時でした。
太宰治さんは津軽の前に立ち、蝦夷を字面に配し、ヒトの代とヒトの格差・差別に想いを馳せる、風土・地政学のこころえは、気づけば、蝦夷を字面に滑らせ和辻哲郎の暈かしを埋めた唯一の本格物でした。日本狭小列島のフロンティアは、カラ函・コッカが背を向けた日本の現実、心理の綾では太刀打ちできない現実、臆病を裏づける表の裏は、……そのペエジには次のやうな、津軽凶作の年表とでもいふべき不吉な一覧表(58件)が載つてゐた。
元和一年 大凶 元和二年 大凶 寛永十七年 大凶
寛永十八年 大凶 寛永十九年 凶 明暦二年 凶
(跳んで飛んで)
天保十年 凶 慶応二年 凶 明治二年 凶
明治六年 凶 明治二十二年 凶 明治二十四年 凶
明治三十年 凶 明治三十五年大凶 明治三十八年 大凶
大正二年 凶 昭和六年 凶 昭和九年 凶
昭和十年 凶 昭和十五年 半凶
津軽の人でなくても、この年表に接しては溜息をつかざるを得ないだらう。大阪夏の陣、豊臣氏滅亡の元和元年より現在まで約三百三十年の間に、約六十回の凶作があつたのである。まづ五年に一度づつ凶作に見舞はれてゐるといふ勘定になるのである。さらにまた、N君はべつな本をひらいて私に見せたが、それには、「翌天保四年に到りては、立春吉祥の其日より東風頻に吹荒み、三月上巳の節句に到れども積雪消えず農家にて雪舟用ゐたり。五月に到り苗の生長僅かに一束なれども時節の階級避くべからざるが故に竟に其儘植附けに着手したり。然れども連日の東風弥々吹き募り、六月土用に入りても密雲冪々として天候朦々晴天白日を見る事殆ど稀なり(中略)毎日朝夕の冷気強く六月土用中に綿入を着用せり、夜は殊に冷にして」……。
とうとう蝦夷に遡った津軽を前にしても、ゴスペルは黙視されて聴かせず、バイブルは黙殺されて開かず、チャペルも教会も牧師すら現れず、早りの無教会の影すら引かず、字面の津軽は、こころを固めた造り物のそれらは出所・不明に掻き消され、滅ぼされた蝦夷と養子入りのゼロから金貸商に転じ有数の田畠を金木の天空高く叩き詰み、西洋レンガ壁で囲んだ豪邸が、やがて迎えるその斜陽を仰ぎながら佇み、こころを囲むフロンティアの荘厳な険しさに伏しました。刻々と迫るのは、メモランダムに事前承諾した、HUMAN LOST・1936年のその人生・末、たけにも会って心残りを一括・消去、閑かに向かって人生・末に臨みました。
あまりにも正直なこころの内を、書き連ねた字面の清々しさ、しかし気取る威の外にジ我ジ尊を飾り立てた文人の虚けは、代々の月日に追われムカシに消えたソントクツゴーの時の時めき、素直なこころの外に瀕するそのウソ八百を励まし、磨き鍛えられたダイナミズム、いよいよ、急進する中国大陸に向かって、よよと崩れ、変転自在の誠実を連ら抜く強情で、個の闘いに巻きこまれます。もちろん敗けなどないのが、コームいんの威勢を眼に入れず、個の時空に器用手先を活用、個は個をもって多様性に挑み他の個に親しんで我境の境を打ち立て、日本狭小列島をそのまま狭間に持ちこみ、里山の公正で自由な公平や平等を涌き清水のように濡らし、殺しのソンに瀕させ、共存のトクに瀕させ、カラ函・コッカへ向ける憧れとは別に、個の固有の自・他の個をジ我ジ尊の渦に巻かせます。つづく
つつしんで……丈司ユマ著作権
|