おおがいさんのトモダチ

森の生け花や山野の一輪差しを思う常識から常識による常識のための常識

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☆☆まづしいものの、まづしい命だけ
  破格の着想 風流の概念の破壊
  にやけたマンネリズムを見事に蹴飛ばし
  あけすけでいや味
  私たちは学校で、どんな説明を
  与へられてゐたか。
  耳触りのいい言葉を捨てて離れ、
  退屈や自惚れから、心を澄ませ心を冴えさせる
  芭蕉・風に脱帽、津軽平野の2 ☆☆
……名物にうまいものなし、と断じてゐたが、それは私の受けた教育が悪かつたせゐであつた。あの古池の句に就いて、私たちは学校で、どんな説明を与へられてゐたか。森閑たる昼なほ暗きところに蒼然たる古池があつて、そこに、どぶうんと(大川へ身投げぢやあるまいし)蛙が飛び込み、ああ、余韻嫋々、一鳥蹄きて山さらに静かなりとはこの事だ、と教へられてゐたのである。なんといふ、思はせぶりたつぷりの、月並(つきなみ)な駄句であらう。いやみつたらしくて、ぞくぞくするわい。鼻持ちならん、と永い間、私はこの句を敬遠してゐたのだが、いま、いや、さうぢやないと思ひ直した。どぶうん、なんて説明をするから、わからなくなつてしまふのだ。余韻も何も無い。ただの、チヤボリだ。謂はば世の中のほんの片隅の、実にまづしい音なのだ。貧弱な音なのだ。芭蕉はそれを聞き、わが身につまされるものがあつたのだ。古池や蛙飛び込む水の音。さう思つてこの句を見直すと、わるくない。いい句だ。当時の檀林派のにやけたマンネリズムを見事に蹴飛ばしてゐる。謂はば破格の着想である。月も雪も花も無い。風流もない。ただ、まづしいものの、まづしい命だけだ。当時の風流宗匠たちが、この句に愕然としたわけも、それでよくわかる。在来の風流の概念の破壊である。革新である。いい芸術家は、かう来なくつちや嘘だ、とひとりで興奮して、その夜、旅の手帖にかう書いた。
「山吹や蛙飛び込む水の音。其角、ものかは。なんにも知らない。われと来て遊べや親の無い雀。すこし近い。でも、あけすけでいや味(み)。古池や、無類なり。」……
……「いつ、東京を?」と嫂は聞いた。
「一週間ほど前です。東海岸で、手間どつてしまひました。蟹田のN君には、ずいぶんお世話になりました。」N君の事は、嫂も知つてゐる筈だつた。
「さう。こちらではまた、お葉書が来ても、なかなかご本人がお見えにならないので、どうしたのかと心配してゐました。陽子や光(みつ)ちやんなどは、とても待つて、毎日交代に停車場へ出張してゐたのですよ。おしまひには、怒つて、もう来たつて知らない、と言つてゐた人もありました。」
 その二人の姪が、からみ合ひながら、えへへ、なんておどけた笑ひ方をして出て来て、酒飲みのだらしない叔父さんに挨拶した。陽子は女学生みたいで、まだ少しも奥さんらしくない。
「をかしい恰好。」と私の服装をすぐに笑つた。
「ばか。これが、東京のはやりさ。」
 嫂に手をひかれて、祖母も出て来た。八十八歳である。
「よく来た。ああ、よく来た。」と大声で言ふ。元気な人だつたが、でも、さすがに少し弱つて来てゐるやうにも見えた。
「どうしますか。」と嫂は私に向つて、「ごはんは、ここで食べますか。二階に、みんなゐるんですけど。」
 陽子のお婿さんを中心に、長兄や次兄が二階で飲みはじめてゐる様子である。
 兄弟の間では、どの程度に礼儀を保ち、またどれくらゐ打ち解けて無遠慮にしたらいいものか、私にはまだよくわかつてゐない。
「お差支へなかつたら、二階へ行きませうか。」ここでひとりで、ビールなど飲んでゐるのも、いぢけてゐるみたいで、いやらしい事だと思つた。
「どちらだつて、かまひませんよ。」嫂は笑ひながら、「それぢや、二階へお膳を。」と光ちやんたちに言ひつけた。……

  ☆☆ 謙虚さは謙虚さ。しかしへりくだって黙過すれば、
     重々しい矛盾を、兄に伝えずに終わり、
     オズカスが臆病に患います。二の舞は最后の津軽平野でも
     リピート、正面切って伝えなければ、矛盾の圧迫は
     エンエンと続きます。とうとう退屈も苦痛を覚え。
     津軽平野の永遠の誇りが、飛び出します。☆☆
……私はジヤンパー姿のままで二階に上つて行つた。金襖の一ばんいい日本間(にほんま)で、兄たちは、ひつそりお酒を飲んでゐた。私はどたばたとはひり、
「修治です。はじめて。」と言つて、まづお婿さんに挨拶して、それから長兄と次兄に、ごぶさたのお詫びをした。長兄も次兄も、あ、と言つて、ちよつと首肯いたきりだつた。わが家の流儀である。いや、津軽の流儀と言つていいかも知れない。私は慣れてゐるので平気でお膳について、光ちやんと嫂のお酌で、黙つてお酒を飲んでゐた。お婿さんは、床柱をうしろにして坐つて、もうだいぶお顔が赤くなつてゐる。兄たちも、昔はお酒に強かつたやうだが、このごろは、めつきり弱くなつたやうで、さ、どうぞ、もうひとつ、いいえ、いけません、そちらさんこそ、どうぞ、などと上品にお互ひゆづり合つてゐる。
……外ヶ浜で荒つぽく飲んで来た私には、まるで竜宮か何か別天地のやうで、兄たちと私の生活の雰囲気の差異に今更のごとく愕然とし、緊張した。……

  ☆☆ 津軽平野の永遠の誇り、
     敬って謙虚の中に退屈を静めても
     恭しい観念は慟哭せず、惨めさを募らせ、
     へんに嬉しくて仕方が無い気分を涌かせ、
     退屈を炙り出す兄の孤独を見た ☆☆
……秩父の宮様が弘前の八師団に御勤務あそばされていらつしやつた折に、かしこくも、この農場にひとかたならず御助勢下されたとか、講堂もその御蔭で、地方稀に見る荘厳の建物になつて、その他、作業場あり、家畜小屋あり、肥料蓄積所、寄宿舎、私は、ただ、眼を丸くして驚くばかりであつた。……
……修錬農場は、その路から半丁ほど右にはひつた小高い丘の上にあつた。農村中堅人物の養成と拓士訓練の為に設立せられたもののやうであるが、この本州の北端の原野に、もつたいないくらゐの堂々たる設備である。
……農場の入口に、大きい石碑が立つてゐて、それには、昭和十年八月、朝香宮様の御成、同年九月、高松宮様の御成、同年十月、秩父宮様ならびに同妃宮様の御成、昭和十三年八月に秩父宮様ふたたび御成、といふ幾重もの光栄を謹んで記してゐるのである。金木町の人たちは、この農場を、もつともつと誇つてよい。金木だけではない、これは、津軽平野の永遠の誇りであらう。実習地とでもいふのか、津軽の各部落から選ばれた模範農村青年たちの作つた畑や果樹園、水田などが、それらの建築物の背後に、実に美しく展開してゐた。お婿さんはあちこち歩いて耕地をつくづく眺め、
「たいしたものだなあ。」と溜息をついて言つた。お婿さんは地主だから、私などより、ずいぶんいろいろ、わかるところがあるのであらう。
「や! 富士。いいなあ。」と私は叫んだ。富士ではなかつた。津軽富士と呼ばれてゐる一千六百二十五メートルの岩木山が、満目の水田の尽きるところに、ふはりと浮んでゐる。……
「へえ? ちつとも、知らなかつた。金木には過ぎたるものぢやないですか。」さう言ひながら、私は、へんに嬉しくて仕方が無かつた。やつぱり自分の生れた土地には、ひそかに、力こぶをいれてゐるものらしい。……
……「まるで、もう、高山帰りの姿です。」嫂は、私のさつきの高山へ遠足してみじめな姿で帰つた話をふと思ひ出したらしく、笑ひながらさう言つて、陽子もお婿さんも、どつと笑つたら、兄は振りかへつて、
「え? 何?」と聞いた。みんな笑ふのをやめた。兄がへんな顔をしてゐるので、説明してあげようかな、とも思つたが、あまり馬鹿々々しい話なので、あらたまつて「高山帰り」の由来を説き起す勇気は私にも無かつた。兄は黙つて歩き出した。兄は、いつでも孤独である。……  四 津軽平野・終わり
      ∈目には青葉 山ほととぎす 初がつを∋山口素堂
      ∈骨を見て坐に泪ぐみうちかへり∋芭蕉 つづく
               つつしんで  丈司ユマ
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  ☆☆ オズカスの卑を霧散させ、
     津軽の顔を造ろうとした太宰、
     人情の壁は厚く、卑しさに隠る
     強情な退屈の意固地に屈し、
     故郷を思い思う心情は
     卑屈の中で乱れました、 
   待ち構えるのはHUMAN LOST・1936年 ☆☆

 神妙になる図を読まされるに及んで、思うようには一人前に自律しないオズカスの奴隷並みの身を腐し、思い思う矛盾が詰まされるその苛烈さを偲ばせ、シノニム・アントニムを斬り分けて聖書を読み、俳句や和歌にあわせ賛美歌を愛し、引用までする太宰が、時代の顔となりつつあるキリシタン4人組・新渡戸稲造・内村鑑三・矢内原忠雄・南原繁のクラークを拝む大志のまるごとを、無視・黙殺・黙過して堪える…矛盾の退屈…が逼迫、あらためてHUMAN LOST・1936年のメモランダムに、正気のその沙汰を思い知らされ、骸になる意識の想定が音を立てて歯車列を回し軋ませ、敗け戦の厭戦に打ち拉がれる心情を伐り立てます。
 受賞の競いを有利にしない卑屈の退屈が書かれて読まされれば、巨きなサロンを開いて小説の神様を自負する志賀直哉の毒牙に掛かり、練りが足りないと蔑まされ除け者にされるのは当然の成り行きになります。尊ぶ観念を根刮ぎに消す太宰の詰めは、世の受賞・意識に油を注ぎ燃え上がらせるもの。
 おクニの大事を練りあげる志賀のその観念が火炙りにされるのですから、志賀を批判する一文を太宰の作品から読んだ直哉が、舞い上がって怒り、文壇から追い出しを謀るのは、サロンの主には当然というわけです。
     ☆☆ 敬う観念の否定は主の否定 ☆☆
 敬う観念の否定は主の否定、列島は言葉の不当を罵倒して急せ、観念を絶対と仰がせ、上意・下達の下責め・意識が、列島を観念で狂わせました。誤解を上積んで手抜かりしたとは、直哉をへつらい諂う取り巻きが付け足す、架空の言いぐさ、陶酔する観念が緩み、陶酔が純粋を譲り、退屈を純化する陶酔の裏腹は不能・不可の一徹、強情な退屈が融けて消えようとは微塵も考えません。退屈に砕かれ心が荒廃に襲われると、優しさの名残る思い出が涌いて浮かび、閃輝暗点、ヒステリーの激情が迸り、退屈する心を重々しく締めあげます。自責の念が粉々に飛び散り、自己・嫌悪が退屈をいっそう意固地にさせます。
 退屈から脱しようと、誘って向かわせる先はネオンの明かりと酒の臭いや色の香、赤提灯が不思議な光でいじましさを集め、悍ましさを執・拗させます。ゲーム感覚なら川端康成を友連れに、不滅の精霊が集う雪国の、執拗なる鎧亜の牢獄。退屈の怖さに気づいたら、若冲のミリ画・絵画を飽きて渇くまで眺めつづけ、見飽きない痺れに縛られる秘の秘を会得したら、万事上々、しかし太宰治は江戸時代の若冲を知らず、地元の絵師に執拗に拘りました。
 観念は退屈を呼んで退屈を硬め、不慟の観念が退屈を意固地にさせ、行動の停止する退屈が行動を止めた人の後ろ髪を曳き、自発・意志の不動へ人々を鎮め、怖いものを疎んじ怖いものから遠ざかり、知らぬが仏を極めるが、心の中に入った退屈が人間に何をさせるか、 
美学の美意識なんて、日々・時々の口げんかを誘うだけで、褌が赤かろうが白かろうが、汚れていようがフルチンだろうが、日常の列島にはなんのトクもソンもなく、ツゴーも傷つきません。薔薇好みで、終戦や敗戦が嫌忌される図は、大人になり損ねたマル暗キ・正義のなれの果て、マル暗キの言葉が何に反応して飛び出したか、それを考えるなら、観念の陶酔を甘味と崇めず、甘味のそれを裂いて割り、観念の悪用や乱用を戒め、外国に向かって手抜かる無警戒・無防備の観念を、国際・情報の中で、綿密に分析・構成しなければ、真実や真理を失します。真実や真理は、観念の中から産まれる訳がありません。伯仲戦なら敗けないというのは観念で、勝ちや敗けの真実や真理は、観念通りにいきません。想定の観念なんて、反対意見を締め出して半数未満に抑えれば、何でも観念になります。この愚を案じ、俳人は想定の忌まわしさを指摘、
     ∈下々も下々下々の下国の涼しさよ∋一茶。
 列島を覆う巨大な退屈を書いて示す、その作品が泡沫のような津軽から出現した事態は、蝦夷やアイヌを片づけたように、受賞対象にしない封印を志賀の天下に示させました。読み手を陶酔させる観念こそ、おクニを大事にさせる作家の義務であって、義務を果たさなければ、正統に与されないばかりか、異端の枠に封じられるという、卑屈・排斥の文学・権力です。惨敗しム知のム恥を上塗りし、敗ける敗けのその重大・結果には、志賀は責任を感じて示さず、ハワイの米海軍を布告のどさくさに紛らわせる、テロ攻撃、敗ける侵略に米の返り討ちをセットしたム理ム徒の敗北は、初めのその時から終いを見ずに分かり切っていたのですから、文壇がコクみんのおクニを意識したなら、列島の大都市が次々と大火災に包まれつづける頃、降参しかない降参をおクニの大事に選ばず、最悪の観念へ無理解のまま奔走、20万人を死なせた沖縄決戦は、時間稼ぎの大儀を3月ほどで分解し何の役にも立たず、大空襲が始まった列島は騙しが事実となった本土決戦を布告、被爆の歴史を墨書させました。志賀の手には、降伏を拒む日本人200万人の喪失と原爆二発が残されましたが、怒りを舞い上がらせた気配はありません。文字には怒り、事実には沈黙、練りを誇る志賀の思い思うおクニ大事は無想・分解、原発の放射能・被爆が空前の三発目になります。
     ☆☆ またまた…反省…がない ☆☆
 またまた…反省…がないのは、太宰がエグって示した卑屈の退屈を思い起こせば、ごく当たり前な成り行きになります。‘は’より‘が’がいい‘が’より‘は’がいいと会議・決裁して散会した原子力安全委員会の斑目春樹が‘云った’‘云わない’の喧嘩は何だったのかと大向こうの罵倒を追加、志賀直哉・流の言葉・権力が国際の中で、よちよち一人歩きするのを、殺される退屈を拒みぼんやりしながら、骸の太宰のように眺めさせられます。観念に、真実も真理もなく、正しいもマチガいもなく、観念はソントクツゴーの神々を取っ替え引っ替え盥回しする、その限りのもの。
 最后に訪ねた津軽で、卑屈が刺戟され、思い思う意も異も故郷に黙過され、いじましい…退屈…のドン底から悍ましい現実を、直面させられる彼の眼には、津軽に来た一週間遅れの実家・訪問に、青空が仰げず、兄も娘婿も、オズカスを相手におお者の場を踏んで見せるばかりでした。成りすら酷いオズカスを易々と見下げ、カタチばかりの相好を訪問のそれに崩し、太宰を腐らせ、豪壮・屋敷を囲んで羨望する辺りの人目を充たせば、オズカスは退屈のそれまでの、それっ切りにされます。
 巨きな財をなし、束ねた多くの田畑を故郷に誇示する家主も養父も、嫡男の家族も、おクニ大事の観念のその筆頭なら、敬わされ、待ち構えたように絶対の服従を、オズカスに名残らせ、挨拶遅れの訪問はまさに退屈のその骨頂に吊され、なんのために故郷に戻ったのか。多くの人が思い思う故郷は、戸主・嫡男の掟の下では上・下が尖って刺さって痛く、故郷は遠くにありて思うもの……らしい。山岳の山河・森林が7割、がら空き海岸線・四周のその内・3割は、観念より地理と計画の理念がおクニの大事だと云うのに、凶作・干魃や風水震災害を相手に陶酔する、観念の飾り選びや観念の練りに思う思いを掛ける必要はないのに、内紛が列島の伝統です。
     ☆☆ 五百旗頭真が嘆く応仁のランは、
        治の情動・不安とそっくり、どちらにも
        足軽将軍・骨皮道賢が奔るようです ☆☆
 信頼されず盛り上がらず焦る復興構想会議の五百旗頭真議長、2011.5.13の記者会見で云うことは、応仁の乱(1467年)や戦国時代を振り返り、「国中が、血で血を洗う争乱で乱れに乱れた。今の首相がバカかどうかという問題のレベルではなかった」と絶叫。カンブが絡め取られたギ員ギ会とかすみ我せきの権力・争いが、責任を実感する人の前で、卑屈の退屈を底深く、縦覧させます。
 足軽大将・骨川道賢が、観念の一騎打ちに名乗りをあげ、うろうろする武士や武家の劣情が列島内に広められました、足軽大将が必要らしいと。責任を掛けて責任を果たす、逃れて条理に背を向ける卑屈の退屈は、列島の伝統となってリレーされつづけます。大本営が臆病の巣だだったなんて想像させないのが、観念がおクニに果たす観念の役割ですから、内政を越え侵略・植民を煽った和辻哲郎もキリシタン4人組・新渡戸稲造・内村鑑三・矢内原忠雄・南原繁も、足軽大将・骨川道賢の跡を追うのでしょう。大本営全権梅津美治郎参謀総長は…終戦は認めるが敗戦は認めない…とごね、責任・観念は薔薇の愛好家どまりでした。
    ☆☆ 津軽といふのは、日本全国から見て
        まことに渺たる存在 ☆☆
……芭蕉の「奥の細道」には、その出発に当り、「前途三千里のおもひ胸にふさがりて」と書いてあるが、それだつて北は平泉、いまの岩手県の南端に過ぎない。青森県に到達するには、その二倍歩かなければならぬ。さうして、その青森県の日本海寄りの半島たつた一つが津軽なのである。……
……金木の生家に着いて、まづ仏間へ行き、嫂がついて来て仏間の扉を一ぱいに開いてくれて、私は仏壇の中の父母の写真をしばらく眺め、ていねいにお辞儀をした。それから、常居(じよゐ)といふ家族の居間にさがつて、改めて嫂に挨拶した。……
……金木の生家では、気疲れがする。また、私は後で、かうして書くからいけないのだ。肉親を書いて、さうしてその原稿を売らなければ生きて行けないといふ悪い宿業を背負つてゐる男は、神様から、そのふるさとを取りあげられる。所詮、私は、東京のあばらやで仮寝して、生家のなつかしい夢を見て慕ひ、あちこちうろつき、さうして死ぬのかも知れない。……
……ひるすぎ、私は傘さして、雨の庭をひとりで眺めて歩いた。一木一草も変つてゐない感じであつた。かうして、古い家をそのまま保持してゐる兄の努力も並たいていではなからうと察した。池のほとりに立つてゐたら、チヤボリと小さい音がした。見ると、蛙が飛び込んだのである。つまらない、あさはかな音である。とたんに私は、あの、芭蕉翁の古池の句を理解できた。私には、あの句がわからなかつた。どこがいいのか、さつぱり見当もつかなかつた。……
      ∈花の月とちんぷんかん浮世かな∋一茶    つづく
              つつしんで  丈司ユマ
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