おおがいさんのトモダチ

森の生け花や山野の一輪差しを思う常識から常識による常識のための常識

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虞美人草に燻って焦げるお節介の不快・迷惑2/2
…おい、今から休息しちゃ大変だ、さあ早く行こう…。
 愛される心地の中ですから、佇んだ思い思う咽びが、生の初声を耳に訊かせ、アホが響く下品を口にさせないはず。相続・戸主のワンマンに吐かせる、唯一無二の肉声なら、誠実な徴集兵士は雑兵にされる死の運命を、背に科せられ、無常の中に囚われ鎖ざされざるをえません。
…「君はあの山を頑固(がんこ)だと云ったね」と聞く。
「うむ、動かばこそと云ったような按排(あんばい)じゃないか。こう云う風に」と四角な肩をいとど四角にして、空(あ)いた方の手に栄螺(さざえ)の親類をつくりながら、いささか我も動かばこその姿勢を見せる。
「動かばこそと云うのは、動けるのに動かない時の事を云うのだろう」と細長い眼の角(かど)から斜(なな)めに相手を見下(みおろ)した。
「そうさ」
「あの山は動けるかい」
「アハハハまた始まった。君は余計な事を云いに生れて来た男だ。さあ行くぜ」と太い桜の洋杖(ステッキ)を、ひゅうと鳴らさぬばかりに、肩の上まで上げるや否(いな)や、歩行(ある)き出した。瘠(や)せた男も手巾(ハンケチ)を袂(たもと)に収めて歩行き出す。
「今日は山端(やまばな)の平八茶屋(へいはちぢゃや)で一日(いちんち)遊んだ方がよかった。今から登ったって中途半端(はんぱ)になるばかりだ。元来(がんらい)頂上まで何里あるのかい」
…「頂上まで一里半だ」
「どこから」
「どこからか分るものか、たかの知れた京都の山だ」
 瘠(や)せた男は何にも云わずににやにやと笑った。四角な男は威勢よく喋舌(しゃべ)り続ける。
「君のように計画ばかりしていっこう実行しない男と旅行すると、どこもかしこも見損(みそこな)ってしまう。連(つれ)こそいい迷惑だ」
…「君のようにむちゃに飛び出されても相手は迷惑だ。第一、人を連れ出して置きながら、どこから登って、どこを見て、どこへ下りるのか見当(けんとう)がつかんじゃないか」
「なんの、これしきの事に計画も何もいったものか、たかがあの山じゃないか」
「あの山でもいいが、あの山は高さ何千尺だか知っているかい」
「知るものかね。そんな下らん事を。――君知ってるのか」
「僕も知らんがね」
「それ見るがいい」
「何もそんなに威張らなくてもいい。君だって知らんのだから。山の高さは御互に知らんとしても、山の上で何を見物して何時間かかるぐらいは多少確めて来なくっちゃ、予定通りに日程は進行するものじゃない」
…「進行しなければやり直すだけだ。君のように余計な事を考えてるうちには何遍でもやり直しが出来るよ」となおさっさと行く。瘠(や)せた男は無言のままあとに後(おく)れてしまう。
 春はものの句になりやすき京の町を、七条から一条まで横に貫(つら)ぬいて、煙(けぶ)る柳の間から、温(ぬく)き水打つ白き布(ぬの)を、高野川(たかのがわ)の磧(かわら)に数え尽くして、長々と北にうねる路(みち)を、おおかたは二里余りも来たら、山は自(おのず)から左右に逼(せま)って、脚下に奔(はし)る潺湲(せんかん)の響も、折れるほどに曲るほどに、あるは、こなた、あるは、かなたと鳴る。山に入りて春は更(ふ)けたるを、山を極(きわ)めたらば春はまだ残る雪に寒かろうと、見上げる峰の裾(すそ)を縫(ぬ)うて、暗き陰に走る一条(ひとすじ)の路に、爪上(つまあが)りなる向うから大原女(おはらめ)が来る。牛が来る。京の春は牛の尿(いばり)の尽きざるほどに、長くかつ静かである。
「おおい」と後れた男は立ち留(どま)りながら、先(さ)きなる友を呼んだ。おおいと云う声が白く光る路を、春風に送られながら、のそり閑(かん)と行き尽して、萱(かや)ばかりなる突き当りの山にぶつかった時、一丁先きに動いていた四角な影ははたと留った…。
 思い思う生は、生殺しの生に貼り合わせれば、チガいの酷さが懐を抉ります。
 お節介に背を向け、お節介の外にスラッと出て麗しく美しい、藤尾の跡をなんにん仕留めるか、反応を見た漱石は、お節介の禍中に死を貼られ、死に向かう藤尾の独つに、咽ぶ一意の意の異を奉じ、生を絶つお節介の悲劇に荷担すれば、広がる悲劇のお披露目のお節介を断念、生殺しの延長から訣別しました。銀河鉄道の生は一本限り、大塩平八郎の乱は、鴎外の生で打ち切り。莫大な儲けの秘訣を父に尋ねなかった太宰治は、HUMAN LOST・1936年のメモランダムで6男・オズカスの正直や素直を堅め、未練の生を束ね5回目の心中で、思い思う屍の生を封じ、生殺しの悲惨な悲劇を賛美歌の中で絶ちました。
 お節介に燻る僻み(ひがみ)妬み(ねたみ)嫉む(そねむ)やっかみが、お節介を発揚、欲を自由のシンボルに篝る自由・知ら図の愚が山岳・列島を、漢字・観念の瓶詰めや缶詰にしました。欺し騙し瞞すウソ八百が、保守・傭兵ジ民トーの空に、入れ替て入れたのは、なち親衛隊・ミン主トーの虚空。
 燻る空・権力。マニフェストの中身はカン空・奸、4年をデフレ30年に収めたカン空奸の報酬・セッ取はカンワの逆手・増税が見返り。カラ壜・カラ缶や、カラ樽・カラ荷を詰めて集めた、カラ函・コッカはウソの効用を世界に知らせます。ヤキモチにスタンスを張る島田雅彦さんや斉藤環さん、お節介の猛毒を無心に呑み過ごして、驚かせました。
 ウソ書き歴史に身を潜めるカスミ我セキ・独裁、山県有朋・由来のエイエンを目指すから、驚く。エジソン・フォード・ライトやヘレンケラーの20世紀・文明市場は、荷を失った機関・車をスローダウン、ギガ・ネット社会が継ぐ自由市場は、欲を制し、携帯電話の荷を募らせます。世界遺産が大穴を埋めると思うなら、泥沼の泥舟や泥縄ばかり、権力・ジゴロの背後からホロコーストが迫ります。
…百折(ももお)れ千折(ちお)れ、五間とは直(すぐ)に続かぬ坂道を、呑気(のんき)な顔の女が、ごめんやすと下りて来る。身の丈(たけ)に余る粗朶(そだ)の大束を、緑(みど)り洩(も)る濃き髪の上に圧(おさ)え付けて、手も懸(か)けずに戴(いただ)きながら、宗近君の横を擦(す)り抜ける。生(お)い茂(しげ)る立ち枯れの萱(かや)をごそつかせた後(うし)ろ姿の眼(め)につくは、目暗縞(めくらじま)の黒きが中を斜(はす)に抜けた赤襷(あかだすき)である。一里を隔(へだ)てても、そこと指(さ)す指(ゆび)の先に、引っ着いて見えるほどの藁葺(わらぶき)は、この女の家でもあろう。天武天皇の落ちたまえる昔のままに、棚引(たなび)く霞(かすみ)は長(とこ)しえに八瀬(やせ)の山里を封じて長閑(のどか)である。
「この辺の女はみんな奇麗(きれい)だな。感心だ。何だか画(え)のようだ」と宗近君が云う。
「あれが大原女(おはらめ)なんだろう」
「なに八瀬女(やせめ)だ」
「八瀬女と云うのは聞いた事がないぜ」
「なくっても八瀬の女に違ない。嘘だと思うなら今度逢(あ)ったら聞いてみよう」…
 お節介が、たわいもないお節介を、詰み上げねます。
…「誰も嘘だと云やしない。しかしあんな女を総称して大原女と云うんだろうじゃないか」
「きっとそうか、受合うか」
「そうする方が詩的でいい。何となく雅(が)でいい」
「じゃ当分雅号として用いてやるかな」
「雅号は好いよ。世の中にはいろいろな雅号があるからな。立憲政体だの、万有神教だの、忠、信、孝、悌(てい)、だのってさまざまな奴があるから」
「なるほど、蕎麦屋(そばや)に藪(やぶ)がたくさん出来て、牛肉屋がみんないろはになるのもその格だね」
「そうさ、御互に学士を名乗ってるのも同じ事だ」
「つまらない。そんな事に帰着するなら雅号は廃(よ)せばよかった」
「これから君は外交官の雅号を取るんだろう」
「ハハハハあの雅号はなかなか取れない。試験官に雅味のある奴がいないせいだな」
「もう何遍落第したかね。三遍か」
「馬鹿を申せ」
「じゃ二遍か」
「なんだ、ちゃんと知ってる癖に。はばかりながら落第はこれでたった一遍だ」
「一度受けて一遍なんだから、これからさき……」
「何遍やるか分らないとなると、おれも少々心細い。ハハハハ。時に僕の雅号はそれでいいが、君は全体何をするんだい」
「僕か。僕は叡山へ登るのさ。――おい君、そう後足(あとあし)で石を転(ころ)がしてはいかん。後(あと)から尾(つ)いて行くものが剣呑(けんのん)だ。――ああ随分くたびれた。僕はここで休むよ」と甲野さんは、がさりと音を立てて枯薄(かれすすき)の中へ仰向(あおむ)けに倒れた。
「おやもう落第か。口でこそいろいろな雅号を唱(とな)えるが、山登りはから駄目だね」と宗近君は例の桜の杖(つえ)で、甲野さんの寝(ね)ている頭の先をこつこつ敲(たた)く。敲くたびに杖の先が薄を薙(な)ぎ倒してがさがさ音を立てる。
「さあ起きた。もう少しで頂上だ。どうせ休むなら及第してから、ゆっくり休もう。さあ起きろ」…。
  悦から離れ、侘び寂びにこころを広げた西行の名を控え、個の拗る私の悦を成敗の先に尊び、観念の先き迸りを妨げ、代わりに大原女の健気な清冽を眼前に拝み、お節介の出鼻を挫き、異変の侘びを信に諭す寂びこころ、調変の寂びを懐かしむ隣の侘びこころ、暗示の文法・律は、お節介の頭々を、寡黙の中に押しこめ、沈めました。嫌う対照を、文の嫌う限りにいたぶればいい(甚振る)、そんな考えを理解に持たない漱石ですから、お節介のドロップ・アウトは、読みながらお節介を認識するのも芳しくないレベルに低迷し、お節介に触れる鬱陶しさに迫られる思い思う徒労は、上手の手から零れて逃れ、軽い読みを貫く精一杯がその終わりを全うします。お節介が渦まく無人の駅舎に迎えられれば、万事休すです。
…「誠に済みません。――親不孝な学問か、ハハハハハ」…、
序でに燻すお節介の半畳は、
…「君白い帆が見える。そら、あの島の青い山を背(うしろ)にして――まるで動かんぜ。いつまで見ていても動かんぜ」…(停止する引用1/3の永遠回帰)
つつしんで
丈司ユマ
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 お節介を集める虞美人草は、プライドの秀麗を、死の誘いに与らせ、人を死に行かせ、果てしない悩の中に沈み思い思う漱石は、お節介を止めさせようと、周りに迸る欲を猫の自由に代え、5・7・5の俳句を燻す子規の自由・意志を敬い、観念の煩わしさを掃き払って消し、イロハ会話の日本語を即天去私の境に蹲らせました。観念よさらば。
 叡山が聳え、大原女が瑞々しい清冽を運び、お節介の集まる虞美人草が秀麗を死の餌に追い遣り、悩む漱石は、鴎外のシャドーな二人三脚を浮かばせ、小林秀雄の一角ツノを咎めに蹲かせ、富裕の馴れ初めを尋ねられず、HUMAN LOST・1936年のメモランダムに向かって骸を結んだ太宰治を。納得の世界に並べます、世はインフレ自爆デフレの30年。
 デフレ30年は働かない知の瘡蓋、漢字・観念を唯一無二のガリガリ・ガチガチに固め、解釈や講釈のお節介を欺し騙し瞞す構えの囮に際立て、臆するひとが楽な安全・安心を信じる終の幻想。
…見上げる頭の上には、微茫(かすか)なる春の空の、底までも藍(あい)を漂わして、吹けば揺(うご)くかと怪しまるるほど柔らかき中に屹然(きつぜん)として、どうする気かと云(い)わぬばかりに叡山(えいざん)が聳(そび)えている…、 侘び寂びの現実を真実の理に捉える叡山を心に描き、元来(がんらい)どこから登るのだ、そんな声を聞かせ、元来の云い詰めを空しい無の中にホドき、
…見えてるから、好いじゃないか。余計な事を云わずに歩行(ある)いていれば自然と山の上へ出るさ…〈引用〉、
 漱石はお節介の尻にケリを入れ、炙り出すお節介を、虚空・菩薩の中に納めさせました。虞美人草は思い思う生殺しの生ですから、お節介の根に張りつくなんて、滅相もない責めの締めを返上、吐血に苦しみ神経衰弱と闘う漱石は、お節介のお節介・回しを嫌い、こころに、硝子戸の中に、悪たれの折り紙を結びました。
 瀕する品乏の向こうに徳の侘び寂びを認識した、西行の名を控え表に使わなければ、すかさずお節介が割りこんで飛び入りする、ドコもカシコもドン・キホーテ。
…どこから登ったって、同じ事だ。山はあすこに見えているんだから…と諌め、…随分遠いね。元来(がんらい)どこから登るのだ…、消沈させる会話は、神経質になれば尖って刺し返す、お節介の悍ましいコト初め。…どこから登ったって、同じ事だ。山はあすこに見えているんだから…、切り返してもお節介は黙らず、…「恐ろしい頑固(がんこ)な山だなあ」と四角な胸を突き出して、ちょっと桜の杖(つえ)に身を倚(も)たせていたが…、
 飽くなきお節介のお手盛りは、虚を重ね詰め、加害の蔦は伐られません。
…あんなに見えるんだから、訳(わけ)はないと今度は叡山(えいざん)を軽蔑(けいべつ)したような事を云う…。
 謙虚・忌憚のそこそこ、お節介の意固地は謙遜を踏みつけ、云い忘れず、イロハ会話の日本語に執着のキワみを尖らせ、お節介の矢が無遠慮に飛ぶ、日本語の歪みを律の漱石は忘れられず、コーム・シューダンから脱し、意の一意の異の意を忘れまいと、虞美人草の麗しい花を咲かせました。
お節介の尻取りは、軽蔑するコトごとを賤しんで云わせ、情報をコトゴトく小言の中にカエし、権力の空っぽを脅すお節介の汀は、小言の上の空に満開するニッポン大学の辺境・魂。理解・不能な山岳・列島の観念を追ったラフカディオ・ハーン小泉八雲(1850〜ニッポン・1890〜1904年)、ギリシアのレフカス島に生まれダブリンへ移り、仏英米の流転を40才まで点々、山岳・列島に深く根づく源平・合戦の凄惨に、心を奪われ、ニッポン人の優しい大人しさに魂を出し抜かれたハーン、文法も要らない名詞句の漢字交じりを体得して受け継いだニッポンの悟り観念、仏英米のどの言葉にも実らない心のその不満は、耳成芳一の英訳・怪談に終の果てを体得したようです。
しかし漱石は、沙翁(シェークスピア)の凄まじい葛藤ドラマに巻きこまれました。観念を棄てなければ、舞台のセリフが憶えられない。奇蹟を愛でるオトコ・オンナの淫を清冽へ指南した、源氏物語より遅く、15世紀に書かれた平易な舞台・言葉なのに、多民族に揉まれ骨の髄まで聞かせて利く英語の底深さ、沙翁(シェークスピア)に名残る観念は、優しく哀しい上に耳に響き、意味・無しの擦過・破裂音はタダ故のタダの狡猾・渦。
刷りこみ習い倣う山岳・列島の漢字・観念ですから、石ころのように手から掌に転々と転がるその狭い心の厳さ、あって無いに等しい英文法の凛々しい日常・律の会話・一存が、一意の意を異の意に広げる人間らしさを、漱石の心に投じ、すべての含に出会い睦むそれを、見逃した八雲。山岳・列島のショアクは、漢字・観念の根源にあると、咽び偲んで帰コクした漱石。
 心を支配する東洋の漢字・観念、信を支配する西洋の会話・論理、沙翁(シェークスピア)に無かったニッポン会話は、誤魔化しの痛し痒しに埋まり、お節介の中に遊ぶ隙間だらけ、欺し騙し瞞すウソの終いが観念の中で、眠りに着きます。沙翁(シェークスピア)がヒトを殺さなかったヒトの死を要にしたのに、殺しを藤尾に兆す虞美人草は、底流に長けて渦巻くお節介の裏切り・本心を認識・証明。
耳成芳一の隙に割り込み、人魂のようにお節介が募らせる騒ぎは、小言のお節介からマル出しする観念の疼き。観念が、お節介の終着駅を無人の駅舎に煙を立たせて迎え、お節介の黙過を通過させます。揚げ足捕りに煙を揚げさせるお節介の汀、情報なんて揚げ足の一点攻めで無に詰められ、情報は意気揚々と零を重ねます。正統を世襲に帰順する唯一無二の観念ですから、世襲する有職故事のホカは、すべて異端の聞かず跳ばず、外交・電報も異端の端呉だから、リョー袖の観念が、正統に非ずと紙縒に巻いて頭の中に届かせません。観念の中に観念したモロモロいがい情報の正統を損じ、外交はコーム・シューダンの言葉・遊び、情報なんて空っポの紙・風船。ハワイで限られない太平洋戦争、重油をガブ呑みして聯合艦隊が届かず屈する米大陸に向かって、飛ばした僅かな正気が風船・爆弾だったという、欺し騙し瞞すウソの中に燦然と閃く侵略の手勢・実存。こんな手勢・締めは戦艦大和から一発も撃たせず屑鉄に崩落させた46センチ虚砲の仏ごころ。ムダ死の死に追いやられた3000余兵士の100余命を、生還させた大本営の意中の意は、愚々愚の愚・策の臆病・焦がし。
 一瞬にお節介の結びが会話から消えると、止められた簡単なことが、カンタンに進み始め、
…あんなに見えるって、見えるのは今朝(けさ)宿を立つ時から見えている。京都へ来て叡山が見えなくなっちゃ大変だ…だから見えてるから、好いじゃないか。余計な事を云わずに歩行(ある)いていれば自然と山の上へ出るさ…。
お節介がストップを成就した意の無のその遅延、神経衰弱に捕まり、食の楽しさを苦に変える吐血/気分に構えられれば、不可解なお節介は、生殺しの生を相手にするようで、気色の悪い煙りだけが立ち登ります。自由・意志に絡むお節介/観念の邪魔/法師。お節介の壁は信にバカの壁、恭順に抱える唯一無二の観念が辺り構わず露出、優秀な頭からお節介の疼きが消えないとなると、欺し騙し瞞すウソ咄しが近代化の精神を囓って腐らすのを止められません。権力・ジゴロに献げる、恭順/要領を編み出した志賀直哉の狡猾は、恭順に楯突きバカの壁を聳えさせる愚鈍の愚を戒め、もうけを懐に入れたいなら、素直に恭順を現し、権力・ジゴロを安心させ、ポピュリズム/権力に我が意の意を高じさせればそれで澄むこと。しかし生殺しの生に襲われるとは考えもしないのが恭順の平伏・宣誓。
つつしんで
丈司ユマ
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