☆☆☆ 麗しい苦しさ ☆☆☆
☆☆☆ マル暗キ頭の麗しさや、マルごと生き頭の苦しさ 一 ☆☆☆
☆じりき本願やたりき本願
マル暗キ頭の麗しさと、マルごと生き頭の苦しさと、
どこが、どうチガうか、となると、
ムズかしいというより、ソレが判別できなければ、
‘人間失格’となりかねません。
しかしこの領域を、引き込んで語るブンガクが
ニッポンにはないといえるアリサマですから、
立派な大江健三郎さんも、プルーデンシャルを見逃すなど、
このリョーイキは、とても重要な、モンダイです。
つまり…、自力ほんがんと他力ほんがんの、虹のブリッジです。
☆なつかしい長編しょうせつ
…この領域は、長編のロシア文学がその橋渡しをし、
もう少し深い理知へ、橋渡しするのを望めば、
フランス文学やイギリス文学がずらりと本を並べます。
欲張って、ドイツの観念哲学や新しいアメリカ文学をそれに加えると、
その領域が、マルごと生き頭を迎え入れ、
ジブンの頭を、他ニンの中へ誘導するようになります。
悲劇は、マル暗キ頭が、他ニンの中に入れば、
ピンポン球にされ、おハジキや、お手玉にされることです。
よくてダミー、わるくて無用にされ、
そんな領域へ、うかうかと近づくことも、できなくなります。
☆他力をうけいれる柔軟さ
…なにが変わるか、これに達するとその重大性がハッキリし、
身震いさせます。マル暗キ頭とマルごと生き頭とのチガイは、
ショセンは、他ニンの関心ヂです。
ジブンがかかわるようなモンダイではありません。
ですからその判別を、心得るのと得ないとの差は、
仕事の質や、職務の性格を決定し、
‘意欲’や人生に、運命的な制限が訪れます。
☆無器用はほんもの
…ニッポン文学は、その領域の一歩手前で、
立ち往生しました。足踏みがつづきます。マル暗キ頭は、
意地を張って、同じことをリピートします。
マルごと生き頭のヒトの意見に、オブジェクションをつづけ、
話しも議論も、進行させません。
人間失格や斜陽をミスミス失い、太宰治さんを失ったのは、
その領域がまるで見えなかったからです。
早くもリョーイキを超え、
PTSDの世界にまで踏み込んだ太宰さんの日本文学は、
実存主義のその後を引き継ぎ、
こころの近代化に向かって、ダイジな橋渡しをしました。
そンな風に、赤貧の闇が塞ざされ、金満の闇の中へ、
イキナり放り込まれた孤島ニッポンは、
荒れて戸惑うこころを持て余し、愛国心や武装憲法へ、
そのハケ口を求めます。
失われた斜陽や人間失格が、無器用をなじり、
その足を引っ張り、口汚くするそんな姿を、タシナメているのを、
それに気づいたヒトの眼に、映すでしょう。
☆悲劇はみえません
…理知が不足したばっかりに、
ドルの大戦場に、現れたトロイの木馬をそれと
‘認識’せず、油断し、
ム防備、ム警戒でそれを招き入れ、
“インフレ自爆デフレ”が、孤島ニッポンで爆発しました。
復讐に浴びた二発の原爆より烈しく手厳しい‘批判’が、
ニッポン‘館’や‘国営’ニッポン大法人を、襲います。
円安キガンが靖国サンパイと二重写しになり、
6カ国協議リンクから案の定、蚊帳の外に出され、
コクミンの繁栄に背を向け、
円安‘ニッポンマネー’の貪欲が、
その厚顔無恥をもって世界をオノノかせ、
地球の背筋を凍らせます。
☆ニッポン斜陽
…ときは待ちませんでした。
自衛権を放棄した疑惑モンダイの掘りマチガいがバレ、
ヒンシュクを浴びたれいの田中均さんが、
閑職を隠せず、
‘ニッポン斜陽’を朝日新聞にのせました。
傷心を抱える身となれば、
無視してかかった‘斜陽’はおろか
‘人間失格’も、自家薬籠中の麻薬のようになります。
こうぶん書が苦手とするこころのリョーイキを、
預かってこその文学は、過去や現在、そして未来を、
近隣のクニグニを交え、橋渡しします。なのに、
ニッポン文学は、ヒトリ立ちしません。
こころに籠もって、三途の川を超えず、
“ルビコン”を渡らず、
そのリョーイキまで、こころを広げませんでした。
☆たりき本願の般若さん
…文学のサボタージュは、
孤島ニッポンを、絶海の孤島にしかねません。
他ニンの話しをタライ回し、
何ごとも他人ごとで語るニッポンのジダイは、
疾うにすぎ、
私ごとを私ごとの悦に浸って語るジダイも、
疾うに過ぎ去ったのに、
さっさと世界に羽ばたいたマンガを追えず、
塞ざすこころの内で、悶々と唯々諾々をリピートします。
二の舞をえんずるのはよそうと、
‘斜陽’や‘人間失格’を避けて敬遠する限り、
泣け無しの純粋さも誠実さも、
おののく臆病に塗みれ、
マル暗キ頭に妨げられ、
セッカク研ぎあげたこころも、寸手のところで、
‘わたし’から‘あなた’へ、渡りません。
丈司ユマ
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