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ブログ☆☆ ながい告別式 ☆☆ |
自由な広場
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<font color=navy size=3><b>☆☆ ながい告別式 ☆☆ ☆☆ 生涯伴侶の父親91才の長ーい告別式 ☆☆ ☆思いは徒然に スピードが、小林秀雄さんに負けていなかったから、驚いた。2年半、2万枚も突貫修練に道草していたのは、それが見えないながらにあったというありがたさとともに、若いころの無我夢中が、自意識とは別にこれほどまで記憶に結実し、こころを鍛えていたかと思うと、一度きりの人生を振り返りしな、ぞっとさせる。告別の骸を前にして、鍛えられたそのこころは、どんなものだったのだろうかと、徴集従軍を挟んで迎えた戦後のドルの大戦場へ、思いをめぐらせる。しかし孤島ニッポンは、不忠の‘シャッキン’千兆円で埋まっている。掘り起こすにも、誇りが正直で素直でない。開けない棺桶に徴集従軍を閉まい、徴集された従軍やA級戦犯の指揮権を反省しなかったお陰で、恥じらいの国から生まれた厚顔無恥が、厚い氷と化して、不忠の‘シャッキン’千兆円を覆っている。ドルのグローバリゼーションの孤島となって、中国大陸のムカシの蓬莱の島より、いっそう遠くへ漂流するアジアの笹舟は、厚顔無恥へ変貌した一寸法師の手で、どこへ流されて行くのだろうか……。 …遺された名著小林秀雄さんの著作を、遺品から見つけ、生還の3年目を前にした告別式は、僕の告別式のような気にもさせた。何かが、狂っている……。告別式の日に語られる‘模倣’は、模して倣うだけの能力とセンスが、模倣のレベルを凌駕する‘創作’のレベルに到達するけれども、もの真似では‘模倣’を模倣するにもあたわないと、諭している。 …徴集従軍の悔やみを残しながら、こころを鍛えたリーダーが、奈良の大仏さまを鋳造していらいつづく、…公正で自由な公平や平等…だったので、“公正”を倣い、“自由”を模し、“公平”を誓い、“平等”を受け入れ、敗残焦土の焼け跡に、“自由”貿易の奇跡を遂げ、あげた凱歌が世界に民主化の嵐を吹かせ、核の東西冷戦すら民主の太陽の温もりで溶解させ、意固地を克服しなかった共産ソ連邦を“国家”破綻させてしまった。孤島の…公正で自由な公平や平等…は、無きリーダーに取って代わり、‘シャッキン’を枕にせず、‘シャッキン’を“焼け太り天下り天国”へ転用させず、世界のトップに価する立派なリーダーを務めた。復讐の原爆二発を浴びた汚名にたじろがず、“公正”を先頭に立て、“公平”を武器に、“平等”の原理を追求し、対等な“自由”を相手に選び、連戦連勝を成し遂げたから、ニッポンのアジア侵略やアメリカ海軍を襲ったテロ攻撃が、嘘になってしまったから、それを模倣する手立てがなかったから、赤貧が磨き上げた孤島ニッポンの…公正で自由な公平や平等…は、アメリカのそれに劣らなかったばかりか、優れていたという結果を出したから、モーツァルトが教訓として授けた“模倣”の勤勉と才能は、アメリカを産業国家から熱い汗をかかずに、冷や汗ばかりをかく金融グローバリズムへ、転進させたのだから、世界史が腰を抜かしたことだろう。 …徴集従軍する責任とその範囲は、守って守らされて、問題がなかったにもかかわらず、指揮する責任と範囲は、野放図に明け暮れたタアゲクにその咎に従わないという、珍事を恣にした。上が疎いのに、下が篤いというコクミンの誠実に間近に触れ、ニッポン‘館’の‘逆立ち’構造を見て取った連合国は、早々に、空母エンタプライズ、ホーネット、それに珊瑚礁海戦の大破から3日の修理で出港したヨークタウンの二隻半で、小島を浮かべるニッポン海軍を大惨敗させたミッドウェー海戦のあと、無条件降伏に応じる代わりに、玉砕と特攻を展開し、軍略を消耗短期化したデタラメを知った真相をに度肝を抜かれ、上の狂気に、身震してしまう。 …孤島ニッポンはコクミンの誠実が支える、と知った連合軍は、農地解放と、天皇の人間宣言、財閥の解体をみて幕を降ろし、平和憲法の隆盛を信じ、引き下がった。ドルの大戦場がなしくずしに、日本コクミンの誠実に押しまくられ、円高ドル安の拍車が止まらなかったから、慌てたのは連合国家となり、ベトナム戦争をトリガーしてドルの高揚を謀ったから、後始末がいっそう半端になってしまう。戦後の不幸は、コクミンの誠実を半端に読んで始まったといえる。
視野の広さに移れば、もっと加速的なスピードが必要になるから、2万枚の中にそれがあるのを知っている余裕で、生命のタイトロープを手綱するホメオスタシスに感謝せずにはいられない。三途の川があれば、ルビコンもある、という具合に。
丈司ユマ</b></font>広大な宇宙のような視野のスパンに割って入るには、捨てていかなければならないものが多く、その捨て方が半端になると、スピードの加速がいまイチになり、捨て足りずに重くなったからというより、捨てる‘潔’よい勢いが不足し、難攻不落なスピードに到達せず、飛び切る予感なしには、スピードの性質自体が難攻不落のレベルを抜け出せす、観音さまの手の平に拘束されてしまうからである。知の世界の気むずかしさが、足を浚う。耳元で囁く般若心経が、恨めしい。 しかし、赤貧の闇の中では思いつきもしなかっただろうけれど、金満の闇にいる、と知ったことに眼をつけ、ゴミ投げ合戦をムカシ覚えた雪合戦に従い、狙って当てず、狙わずに当てる、そんな現実を、想い浮かばせる。そんなゴミ捨て合戦に託してこそ、捨てるのを惜しげもなく捨てて走らせ、きわどいながらに、最期の難攻不落なスピードを、手に入れてしまうだろうと、考える‘現実’は頼もしい。なんということもない、八百長の花盛りを誇るニッポン・マスコミが、コメントと称し、解説と称し、稼ぎにまかせて差別や格差を、陰陽に利用し、日本の美徳を片端からゴミに変え、ゴミ投げ合戦に興じているのが、みえて来る。奈良の大仏さまを鋳造したときいらい、世話になってきた“公正で自由な公平や平等”が、チッさく千切られ、口先からポンポン飛ばされてくる。その勢いのよさを見逃す手はない。案の定、広いスパンを渡るのに欠かせない瞬間スピードが、この手を使えば飛躍して伸びる。 “最短にして最速、最小にして最長”が制御自在になる。捨てるものこそ多くなると、惜しげもなく捨てる勢いが、“知”の世界をアチラこちらへ自在に飛ばさせるから、この方法のスピードは、段違いになる。八百長あつかいで片づければ、眼を見張るほど、スピードが最速になる。多用される八百長ほど、パチンコのように原理化されているから、八百長の原理をつかんでしまえば、いながらに、“最短にして最速、最小にして最長”が手にはいる。多用される隅々まで、一足飛びで間に合わせるとなると、それはモー光速より早くなる。八百長からの揺り戻しが起こるから、どこからどこまで八百長とするか、こんな光速を手に入れるからには、おさおさ準備に神経を使う。 ブログが、すさまじいゴミ投げ合戦に、興じている。コイズミ平蔵さんより短足な、ワンフレーズが、はえが飛び、はちが唸り、ありが大行列をつくるように、数千や数万が行き交う。ワンフレーズは身内を特定するから、眉をひそめるのがバレルと、“とうりゃんせ”が厚顔無恥に、現れる。民主党のジャリジャリは、知ったかぶりで厚顔無恥なワンフレーズのジャリジャリから来ていると分かるのが、せめてもの慰めになる。寄り道するまでもなく、民主党は政権党になれない。ジャリジャリでは、滑った拍子にどこへ滑っていくやら、わけが分からない。ジ民トーと似たようなメニューを、懐に持ったからといって、挫けたジ民トーの後釜に座る、というわけにいかないのである……つづく |
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★★★ あのねのね!? 科学と思情 ☆☆☆ |
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☆☆☆ ゆめのシュプレヒコール ☆☆☆ |
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☆☆☆ 奥の細道(2) ☆☆☆ |



