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☆☆ 日中・日米のプロローグ、優しい‘月の兎’から、プラトンの三魂・理知な魂・気概な魂・欲望な魂を、乗り越え、哀しみの果てる先は ☆☆
☆☆ ブーツ・オン・軟弱ドル国債、シャブ・ジャブを呑むのはどこのクニから、日中・日米のプロローグ、優しい‘月の兎’、プラトンの三魂・理知な魂・気概な魂・欲望な魂を、乗り越え、哀しみが果てる先は ノーベル賞のチェンジを隠す、浅い影の先 ☆☆
サブカルチャーが逸らせる、メタに乗り、直感の形而を迫り立たせ、長歌‘月の兎’を、易経の形而で再生、‘行き詰まり’に喘ぐ、西洋の論理尽くめのその対岸に立ち、形而・表現を棚引かせ、…無の空の空の鋼…の知の高さを、誇って、安心と自尊の心得を、再確認します。
内めん面も外めん面も、迷いを打ち消し、同時にトレースしてみせる意識の強かさ。強い意識が、こころを圧し、こころをどちらへ誘うか、意志を揺さぶります。
内めん面の内面か、それとも内めんか。二重の内面と、内めんの、その二重の条件反射は、自我の意志を無視、対抗心をそそり立たせ、厚顔無恥を自由自在に。最後に漂わすのは、叙情に代えた自慰への悼みばかり。触れれば胸くそを悪くさせ、ヒトに触れさせない自慰の、‘独り’天下。
外めん面の外面か、それとも外めんか、恥ずかしがらせる外面を、不貞不貞しく厚かましく、欲を誇示させる外めんが、本来の外面を隠蔽。ジャジャ馬の外面を、外めんが自前のようにケタタマしく迫り立てます。シービスケットになればマダしも、世界恐慌のアメリカを救って現れて以来、充満するウヌ惚れが、シービスケットを再走させる気配を、消して掛かります。制裁・凄惨金利のじゃぶじゃぶドルの、シャブシャブどる米国債。グローバリゼーションのレースに、ウヌ惚れを嫌うシービスケットの、その出番はありません。
☆☆ 広がって囚われた囮のカード・奴隷 器用仕事の
向かう先、屈強・軍部の相手は、白い兎 ☆☆
広がったカード奴隷の器用仕事を励まし、米実体経済からの稼ぎと、金融経済からの稼ぎが、ジャブジャブを強かに買い直して固め、シャブシャブを買い漁って健全へ向かわせ、平和の火で償却・処分するのは、屈強・軍部に屈し右傾化の舵を切らされた、オバマ大統領のその後の気配に預けられます。
煽られた日米同盟、平和のさ中に飛ぶ理由もなく、飛びつづけてと米軍機に願を掛ける、臆病一徹のニッポン自衛隊や、豪華一点張り・破竹の無駄使いを誇示、ウソ好きの竹馬が野次って集う、偽もの非核三原則の外務ショー。グッと突き出て来た中国の鼻先は、日本リョードのオキナワでなければ、再編米軍が尻尾を巻いたように見られるのはご免と、断じ、受け容れず、マチガった作戦・判断に蹲ります。
尻尾を巻いたかどうかは、嫌われたアメリカに袖を振られ、いつもの成り行きにマカせる、道理なき条理。ガス田の列のその先まで自衛隊と外務ショーが漂い、中国に近づいたら引き戻せないと、グァム舞台を裏に置き、表舞台はあくまでもオキナワ米領。屈強の米・軍部、親台・反アジアをもって、漂うニッポンの中国接岸から、引き戻させる策があるでしょうか。それとも友好アジアを無視、米中の狭間を埋める、親台行きのワンウェーを、押しに掛け、‘戦略’的相互関係の綱引きが軋むかどうか。不思議な二重映しの光景、アジアの宙高く、反アジアと友好アジアを側立て、引き際をオキナワとタイワンに混在させ、舞いが舞うでしょうか。
何がどう引かれ、どう反発するか、友好アジアと反アジアの、正面切って気取る、ウソ尽くめの綱引き合戦。見当なき予断のヤジ馬・騒動。
親台の無効が、いつ取り沙汰されるか、不思議な光景の、その異化効果を添え、異彩が友好アジアに放たれます。
北沢さんてどこから出てどこへ行く、死票の遊びニンでしょうか、正体不明。音痴は消えて雑音が絶たれ、鳩山由紀夫さんの囀りを、世界に聴こえさせれば、ただで献上されたオキナワから、不用な普天間の騒音や事故死や婦女子の大難が解放され、沖縄の返還が少しずつロシアに、中国に、訊かれずに伝わります。翌檜(中国名龍井)&白樺(中国名春暁)のガス田が、自衛隊と外務ショーに、差し出された踏み絵。
横田・アメリカの不動の制空権、羽田や成田の飛ぶ自由を63年どうように拘束、公開・仕分けで凍結される日米同盟の冷たい占いの盛衰、ハブ化をめぐるジャジャ馬の成田・闘争。右傾化を顕したオバマ大統領のその側近たち、あれやこれや、何やら何もかも食い違う、ジャジャ馬苛めの、ヤジ馬・合戦。鳩山由紀夫さんが生一本を見せるのに、どういうこと。
残るのは、38度線の千のプラトー、もとソ連に押された北朝鮮の、中国嫌いと日本嫌い。休戦中の米に向かって、北朝鮮から放たれた矢は、生存保障の‘二コク会談’。動揺する韓国をなだめながら、タイワン・オキナワを巡る、ロシアを尻目の、領土誇示と領土縮退の平和合戦。友好アジアやーい。凄惨金利のじゃぶじゃぶドルを、中国に守ってもらったのに、G2を取り逃がしたオバマ大統領の、チェンジのドル小切手は、不渡り寸前。
‘応仁のラン’は自粛してこそ、コッカなり、
∈ 日の本や 天長地久 虎が雨 ∋一茶。
∈腹切りを怖がるや 武士の春∋一茶、となったら、600人が詣でた中国から笑われます。米からノー・リアクション、狭間のあわいは、自由・無限、一茶流の、天長地久。
意志が、自意識を裏切り、あらぬ方向に指向させ、固有の個の問題はヒトに語ろうにも語りようがなく、その方向を啓示する本を探せば探すほど疲労と空しさが加重。
燃え上がる火に向かって、投身することになろうとは思わなかっただろうに、月の兎の、迷うことをも拒む意志の、勝手な強かさ。
誠実と衷心を同じ轍にした、その余りの苦しさ、成果だけでゴー・ストップでは、誠実や衷心にまで踏みこませた、その健気に背き、固有の個を無視する、償えぬ裏切り。
太宰治さんは、その可愛さゆえに幼少から女性の好奇心を集めて愛され、衷心の性本能が無制御化、誠実は絶えず冒され、誠実になろうとするほど衷心が無頼に堕ち、切れ切れに動機のタイトロープを引く、評価を求めて空を斬った外めん面の、その凄惨な手詰まりに墜ちた、内めん面。
☆☆ 青少年に贈られた 走れメロス、
シラーの詩を温めた児童文学 ☆☆
太宰治さんの絵心と書心は、多の作家が到達した、焦点の重さや集中力を、凌駕。それは一線を画す、固有の個を毅然と現し、その特質、素直と正直を、太く彫り上げた輪郭で、浮びあがらせます。視角が収める意志の器用仕事は、視角を覆う感情のそれが及ばない強烈な感情まで、意志の中に集約させました。それゆえ、初めを知った、太宰治さんの、その終わりは、鮮明です。文学賞に拒まれた彼の本が、買われるのは、眼を和ませます。文字の限界は作家の意志しだい、ですけれども絵の視界は、その限界を文字に映させず無骨のまま、常に見えない素直と正直は、故郷がするように、こころが運命の限界を洗い、支配します。PTSDは、視角で対抗しようとすれば、感情が、感情の囚りこにさせられる、その繰り返し。
囚りこの感情がこころの囮になって、視角に宿す運命の、その御しがたくなった感情が、その知の終わりを、絵に画かせ、こころを鎮めさせても、襲う多衝動が画を乱します。励む絵が、絵の終わりを極めたタッチで、描き切ったことを告げた時、将来にこころを預けた運命が、終の棲の、終わりを悟らせ、迎えさせたようです。素直と正直が湧れる優しい気持に、兎の和の知、輪の話の和の‘月の兎’が、描かれなかったなんて、信じるにも余りあります。
精神障害を自覚、強制入院の時に浮かんだ、構想LOSTHUMANは、14年後に人間失格を画いて書かせ、はみ出さない視角の決断を前に、固有の個の終焉を結ばせた、そのように受け止めます。正直や素直は、視角を伴ってホンモノ、詭弁や言い回しで妥協したり、要領で確保しようとしても、‘視角’がそれ受け容れず消去させます。文字が、文字化できず、素直と正直をコンクリートやコンクリート・ジャングルにする、愚かさを超えられず、直感を丸裸のまま感情の囚りこの囮にした結果、感性は視角的直感の視野をホールド、詭弁を疎遠に斥け、ズバリの表現を表に、現させました。感情移入を許したいにしえの和歌が、武や恋の女々しさの、独壇場にさせた愚かしさ。自ら義にストップを掛けさせたのを反省、感情を削ぎ落とした5・7・5の俳句が、結実しました。
始まらせた魔が、終わらせるように終わらせない、感情を抜き取る叡知に気づかせ、文字をホンモノに近づけました。万葉の感情は、戦いで死を迎える死を克服できず、こころの最期の雫を、和歌に托す空しさに迫られ、感情を抜き取って、意志をスッキリさせる5・7・5の俳句が、最期の雫にされました。自律と独立の、厳しさです。
大勢に向かう仏もまた、誠実や真心を解ききれず、説けず、高僧の生き仏が世を怖れさせる現実を放置、30年その古い咄を温め、和が和である和を解いて説く、極めた和の頂点は、ぷらとん爺さんの一と多のパルメニデスを越え、ドクサ・イデア・プシュケーの三魂、理知な魂・気概な魂・欲望な魂を越えようという、理解の粋を成就するものでした。
日本の国文は歯が立たず、良寛さんをこどもの遊び相手に格下げ、艶に染まった町人風情の枠で囲い、格差の下に封じたため、国文学がギリシャ時代を越える、機会を失わせました。そんな権威の見栄など気に止めない粋人が、河原乞食から話と和の輪を歌舞伎にセット、井原西鶴が国文学しゃの無能と不粋を、笑いのその種に仕込みました。
どこまでいっても男と女なのに、男女の情とクニを思う情や、クニを思うこどもの情まで、大刀で斬り分け、義人・封じに流した嘘隠しの嘘が、コッカの背骨を痛め、嘘で始め嘘で幕引きする詐術を、学歴・支配のジャジャ馬に広めさせ、経済も金融も農工業からお寺まで、武の秩序からスタンスを取らせた、ム責任の唯々諾々。知が地を離れ、都合しだいのデタラめが、為政の要となった田舎・館でしたので、踏み出した近代への道から、日本コッカを転落させました。…山県有朋が責任を負わせず求めさせない、コームいん集団の無謬と超越を確立…、それは1899年のことです。
☆☆ 月の兎に、向けさせなかった大刀、武士道に目覚めさせなかった、自我も無我も無私も、下々の我 ☆☆
経済を盛り立てて回す民が賢者、税を無駄に消費する武士や僧が愚者、となると愚かなクニ、田舎・館でないコクみんの国になるには、身分を棄てさせる‘平等’が鍵、そう諌言に書き世に問うた‘平等’への思い、たったその一念で近代国家へ歩を進めるという‘平等’が、三志士松陰・龍馬・晋作の若死とともに、それを不都合と目くじらを立てて嫌う、愚かな弟子、伊藤博文や山県有朋や木戸孝允など、二ハンの弱勢を駆って、権力を私物化、権力を維持するためにシャッキンにシャッキンを継ぐ、嘘こそ本気という狂ったニハン談合体制が、コクみん社会コッカを田舎・館のまま、支配させました。
よい面がある一方で、狡智の狡賢さが幅を利かせ、公論を無謬や超越で消滅、明日を塞ぐ酷税が、全土焦土や被爆へ走らせました。どこまでも、公論に背を向ける、裏切りの明治維新でした。
∈ ざぶりざぶりざぶり雨ふる枯野かな ∋
∈ 花の月とちんぷんかん浮世かな ∋
∈ 下々も下々下々の下国の涼しさよ ∋ 一茶
源氏物語の後宮の兎は……、兎だったアンパンマンは……。
つづく
つつしんで……丈司ユマ著作権
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