おおがいさんのトモダチ

森の生け花や山野の一輪差しを思う常識から常識による常識のための常識

隣とおなじ

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   倦むことで、平凡すら、獄門に架かります。サボタージュは、コッカの中枢や、大学の中枢を冒す、感染症です。ムカシ伝染病といいました。迫害されても投げ出さなかったパスツールさんのお陰で、ビールスによる感染症は、ヒトを生意気にするサボタージュ症のナカマを脱し、コワモテの‘医学’から不届きな多勢の医師たちをソックリ、浮かび上がらせました。お医者さんの平凡は、ヒトを恐怖に陥れます。
   殺してナンボなら、牧畜業者だ、といってのけたのは、昨日となった医師の武見太郎さんですし、また明日を知る武見太郎さんでもあったのに、煙たがって医療から抹殺したのは、過去・現在・未来もなく病人狩りのラクチンに集まった、お医者さまたちの群衆でした。お医者さんたちの永久ライセンスなど、外国ではとっくのムカシに召し上げられ、2〜3年ごとの更新審査を受けなければなりません。カンジャさんからのクレームは、審査時に、整理されます。サボタージュ症やなまいき症は、‘知’に責任を負わされるヒトビトに、蔓延するのが世の不思議です。
   ‘分析データの数字だけで、診断できると思う医学なら、オレなんかナンかい死んだっておかしくない’と、過去である太郎さんが、また明日を知った太郎さんが肥満体をおして、喋って残した死の書があったのに、日本医師会は坪井栄孝さんまでも翻弄したアゲクに、タミフルとか糖尿病センターとか、コッカ予算の拡大に乗じようと、大騒ぎで明け暮れます。タミフルは、百数十名の薬殺死を出した一方、乱用されて早くも耐薬性が表面化し、新薬の地位から転落する始末ですから、命令“責任”がモヌケの空になるニッポンのメチャクチャは、相変わらずです。
   画像は、こころしてイッカイ一回、グサっのシャッターを押しただけに、ブログの大海原でそんな平凡を見直すと、走馬燈となって走ったこころのスミズミが、刺戟され、甦ります。こころの痛みは、6000ねん前の昨日すら、今日になるので、奇妙です。平凡は、6000ねんをヒトつに結ぶ、エネルギーの塊のようです。
   ピラミッドからの死の書は今も生きつづけます……、昨日である私が、また明日を知る私。ヒトのこころは不思議なるかな
……著作・丈司ユマ

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疲れたなら、こころの張りを、森々の緑や、深々の水に托し、疲れた心地を、枕に、自然のハンモックに吊されます……。

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☆☆  棟梁の名は伏せられ、工芸師の名は伝わらず、それでも小刀や彫刻刀を手にとり、見よう見まねで篤く手を震わせ、ヒトつのヒト彫りや、尖らせた神経に、英知を誘い、明日の夢を運ばせ、ヒト線、影セン、ヒト眉毛や瞳ヒトつに、みじかい‘ことば’を添えて産まれたのは、押井守さんの‘都市計画’と‘ヒトごころ’。思えば正直と素直を描きあげ、“インフレ自爆デフレ”の怪を解き、金獅子賞をえたのに、それゆえに授賞式を遠慮したのは、宮崎駿さんでした。たたら鉄や、たまはがね、地団駄を、紅の豚や天空の城ラピュタとともに、こどものムカシを甦らせたもののけ姫は、とても懐かしい想いに囚わせたのに、おおがいさんが安寿と厨子王に迫っても、とうとう山椒大夫さんには手が出せなかったシャドーな二人三脚は、語りも謎の答えも、62ねんすら同じようです。それにつけても、アニメを見るのは、睡魔と戦わせる拷問のようです。  ☆☆……丈司ユマ
おしむらくは、手の仕事や汗より、数字相手のマネー・ゲームをと、コンピュータの“格差”を利かせてム理ナン題に、身を躍らせようと、狂った知のマネーは、お構いなしに弁慶の泣きどころを衝き、“格差”のサブプライムを揺すらせば、逃げ場を捨てたドルのグローバリゼーションが、津波を、不忠のアカジ円に襲い掛からせ、ドル安が、否応なしにエン高を嵩上げし、傭兵内閣や傭兵ケイダン連を笑い、円安なのにエン高へ吊り上げるので、円の力をつけたければ、ニッポン消費を増へ向かわすエン高輸入に拍車を駆けなさいと囁きかけます。‘シャッキン’にシャッキンを継いで誘導した職ム違反の62ねん、孤島ニッポンを、中国の隣の世界の孤児へ追い込むでしょう。

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■07 8/9「ヒユの好きな優しい‘ぷらとん’爺さん」
☆☆ヒユの好きな優しい‘ぷらとん’爺さん☆☆

「建前と本音」の建前は、正気を狂わせるキョーキの使用を、オオピラにする一方、正気でいたいショーキの使用を放棄しない、常識や良識をオオピラにする本音とともに、ヒトのこころをヒト括りします。ですから‘こうむいん’が、分裂しがちな‘建前と本音’の誘惑に駆られ、誘惑の“囚りこの囮”をつづけるため、分裂ジン格ショー候グンの‘け’を宿すのに反し、リスク責任を自負する民主のヒトビトは、建前だろうと本音だろうと本気の中を正気で生き抜き、崩れない人間社会のベースを築きながら継続します。‘コクミン’がその称号を代表するのに反し、“損得ツゴー”が集大成する「天下り焼け太り天国」に帰属する、‘こうむいん’は、‘コクミン’に向かって一線を画します。
  …ジン格ブン裂症は、発症するもしないも、‘全滅はない自然の摂理’のお陰で、良識をこころのベースにし、そのベースに、従います。同じリスク責任を、自負する民主のヒトビトと“対等”なベースを担ってこそ、‘反省’も自在なら、‘反省’に浴し、臆病の風すら治し、厚顔無恥から脱します。

→→→自由の境界線をもって、西暦ごの自由を競った西洋人に対し、クニの外へ拡大を図らず、安心の境界線をもって自タの差別を競った東洋人は、“対等”を舞台にする西洋の‘公正で自由な公平や平等’の前で、「建前と本音」の二重構造に、足を取られました。
泣け無しの‘公正で自由な公平や平等’をもっていたにもかかわらず、自由が飛び交わせる西洋の‘公正で自由な公平や平等’に翻弄され、東洋人は内気を曝し、気後れに駆られました。もちろん孤島ニッポンでは、代々の貧しさのお陰で建前の害に悩まされることもなく、責任が問題になるたびに、「建前と本音」が正面に現れ、正直か不正直かの踏み絵が、衆目の下で、繰り返されました。

☆☆てつがくの弱点☆☆
哲学者の弱点はナニか、指摘するのは、ごくカンタンです。ヒユを創作する機会を与え、ヒユが届けられるのを待ちます。ただそれだけです。ヒユを書くテツガク者は、現れないでしょう。ゼロ解答をみて、孤島ニッポンの苦衷の奥底に、気づきます。
  …しかしニッポンジンを哲学に夢中にさせたのは、プラトンですし、そのプラトンはというと、ヒユを盛りだくさん集めて、‘捨てないで思考’や‘ボクもこそ思考’に、夢中になりました。優しい爺さんです。そのヒユの束は、“国家”の囲の中に納められ、囲につけられた名が「国家」だったので、“国家”が、とうとう陽の眼をみます。白昼の決闘で鳴らしたランチャーのOK牧場と同じです。‘コッカ’は、牛囲であり、郷土であり、国家であり、愛着をもって止まない‘捨てないで思考’や‘ボクもこそ思考’の共同体です。
  つまり…、‘国家’の棺の初めが、ギリシャ国家でした。ギリシャ人は、ギリシャ国家なんて、理解しません。ヒユの山がプラトンに集められた結果、“国家”がまことしやかに語‘られ’、認識‘され’ました。だからヒユを書けないヒトは、どうアガこうと、哲学者になりません。‘国家’の存在を、‘無常や無情’や‘非情’に告げるのは、骸を納めて帰る‘棺’のパレードです。戦争の禍中に帰ってきた‘棺’の列をみて、頭を垂れないヒトは、同じ共同体にはいないでしょう。‘戦争’が‘コッカ’を意識させ、戦争国家にまで発展し、そして反省しないまま歴史から消滅します。地球は、ローマの道とシルクロードそして新大陸のミっつに、石油のイスラムを加えたヨっつを、21世紀に迎えました。
  …少々リクツっぽく、アゲアシをつけ足します。そのままでは、ヒユが難解にすぎ、意味が収まらず、ナントカしようと考え、語数を少々にした‘観念’が、編集されます。
  …利口な‘観念’が、ジョー長でナン解なヒユのオリジナルに、とって代わります。
  …これから先、観念をマル暗キしたヒトが、マル暗キを渋るヒトを‘先行’し、哲学の大航海ジダイを、はじめます。孤島ニッポンでは、純粋理性批判が天野貞祐さんから飛び出したため、哲学が空中分解して定着せず、ニッポン哲学を‘無常や無情’や‘非情’のシンボルにする、という恥ずかしさに包まれます。‘シャッキン’にシャッキンを継いだ二ハンの頂上談合体制は、戦争国家を、中国や朝鮮半島に向かって、宣言しました。アジアはヒトツなりと‘豪語’し、‘観念’哲学のことですから、いいたい放題、ぶじょく放題、国土を寄こせ、とまで‘恐喝’したと、横浜で英字新聞を発行するヘンリー・ダイアーさんやアジア滞在の欧米哲学者が、コラムや本を書いて残しました。

→→→‘反省’を知ることとなって、到々大変な言葉と、正面衝突します。‘反省’という名の、‘無常や無情’や‘非情’です。秀雄さんも‘反省’へ思いめぐらせる敗戦の‘立場’に立たされたのに、‘腑’に落ちず、キビスを返し、‘反省’から遠退きました。ヒユの山が積もり積もって‘国家’を生みだしましたのに、ヒユを解せずヒユを斬り捨てた軍ジンが、棺の中で大増強し、その影で‘観念’を操る‘こうむいん’が大増殖し、認識さればかりのホヤホヤの‘国家’を、多勢の‘こうむいん’で囲いこみ、占拠して‘国家’主権を、主張しはじめます。民兵や‘コクミン’や良識の貴族が、大後退します。‘棺’vs‘ヒト’の中世が、‘こうむいん’の手で舞い戻ります。ムカシはキリシタンと十字軍いまは‘こうむいん’とその‘軍隊’。反省しなかった貴族が‘権力’を抜きとられ、多勢‘こうむいん’のロジックに平伏させられました。ナポレオンさんも自らが育てた知的集団‘こうむいん’に寝首をかかれ、とうとう‘こうむいん’談合が、アドルフ・ヒットラーさんの現れるまで、‘国家’を占拠しました。
  …こんな内側までスラロームする‘猪突猛進’には、度胸が固まらず、臆病風に駆られたとしても、おおがいさんも同じでした。ニッポンの三重苦‘無常や無情’や‘非情’が、裏を飾って一枚のコインへ‘国家’誕生させましたから、それを見届けた後、‘反省’の入口に歩を、戻します。
  …いずれ秀雄さんにも、遠退く‘意識’が鮮明にされ、ヒトり居残るることになる‘反省’は、‘言うは易く行い難し’の筆頭です。太古のままです。率直さを表に出し、表を率直や正直や素直で飾るnaomoe3さんなら、受け止める‘反省’を、それぞれのケースで‘探’し、心強い思いにも出会えば、落胆にも出会い、絶望の淵となる辛い‘認識’を片眼に睨み、そんな哀しさの果てない旅が、はじまります。  …自ブンの体験を、‘観念’で満足せず、あったことや感じたことを‘認識’や‘事実’のまま喋りだし、ヒユをヒトつ双つと無限大に向かって、語り継ぎはじめます。ヒトそれぞれの‘太平記’です。望んで、望み通りに、思いを遂げた、というわけにゆきません。武蔵さんも、吉川英治さんに映った眼を借りるまで、想いを遂げられず、思い望んだように、大刀や小刀をイッショに棄てた、というわけではありません。松陰さんだって、諌言の責任をまっとうするために、密航未遂を、刑場へ名乗りでた、というはわけでありません。ナニが事実や真実か、その‘認識’は、雲を掴むような咄しです。なんのことはない、本人がなにも書き残さなかったからです。こんな風にも、思いは、また欲望ともチガいます。おなじ自ブンのこととはいえ、思いと欲望は、着いたり離れたり、近づいたり遠ざかったり、自ブンが腹を決めないことには、最小にして最短、最速にして最長とは、いきません。他ニンでもまったく同じパターンにチガいない、と認識するのが、ヒユの山に包まれた哲学です。
  …探す‘国家’は、その語りの中で、燦然と凛と、聳え立ちます。国家が現存しないことは、カフカの‘城’から、小説のカタチをとって証明‘され’ましたが、二重構造の‘コッカ’に従って怯え‘させ’られたフランツ・カフカさん自シンは、その発表を、拒んだのに、そのとなりの隣にいたヒトの手で、禁が破‘られ’、公表されました。さしづめ思いと欲望の‘時間差’が取りなし、あたかも……最長にして最短、最遠にして最速……だったようです。
つまり…、学シャさんや文士さんの‘論’は、ページを何枚めくろうと、マルごとの‘国家’は著されておらず、探せず、マルごとの‘国家’なんかム為の言葉を先行させた、“損得ツゴー”づくめの、バラック風でしかありません。理想の郷を、ヒユに高めて口ずさみ、語り継ぐカタチがないまま、しった顔で言葉を先に使ってみても、それは‘国家’ではありません。
  …ちょうど天守閣がなにも見せなかったのと同じで、むしろ見る欲望とは逆さまに、井の中の蛙を思い知らせたのと、言葉も意味も同じです。見つからない、見たいのに見えない、そう想う思いに気づくには、読むべき大量のホンが‘ギャップ’を待ち受け、思索する大量な時間と‘時間差’が跳び越える‘ギャップ’を、待ちうけ‘させ’ます。
  …‘反省’は、天と地をひっくり返す‘大技’です。……最長にして最短、最遠にして最速……の大上段を真似ても、……最小にして最短、最速にして最長……の‘意味’には到達しません。そんな大技の存在や、それに必要な勇気や叡智さえ、気づくのにもムヅかしいので、‘反省’は見掛け倒しで闇に流され、その機会に‘反省’を吹き飛ばす‘反動’が、カフカの城のように耳目やこころに覆い被さり、‘反省’はウタカタのように消えます。それが歴史です。
  …“対等”をベースにする“独立”国家が、‘言葉’に乗って現れ、過去の歴史は幕を閉じ、つぎの歴史の幕が揚がり、歩みをはじめるなんて、正気の中でみる夢のようには、ゆかないようです。初めに言葉がなくても、‘意’の世界が好きなように現れれば、言葉は寄り添って来る、そんなことであるなら、‘意’さえ汲んで、言葉を真似て誤魔化せばいいとし、カンタン至極そのものだと思いこみ、‘反省’を忘れて死命が征‘され’ます。‘ことば’はタガエれば、一巻の終わりで、‘国家’も消えます。
  …大戦2の勝利で、アメリカ合衆国は、敗戦国や負けつづけた連合国に‘反省’を求めたそのスキが、図らずも衝かれます。さいごの頼みの綱となったアメリカも、いつしか‘反省’しないクニとなって、歴史の正義から遠退きました。点々と、キューバ、ベトナム、南米から後退し、‘反省’しないまま手早い‘反動’に駆られます。イスラエルをテコに、イラン、イラク、クエート、イラクそしてまたイランと、ム反省の‘反動’ブーメランは、タテツヅケです。
  …このように‘反省’の‘ことば’は、重すぎます。ボクは‘反省’に代わって、ジジツ上‘反省’に匹敵する‘緊張’を探し求めました。
   …過去・現在・未来にわってピントやピンボケを連ねる‘緊張’は、‘反省’あってのモノダネです。‘緊張’を書いて、‘反省’を語りかけます。反省の文字を、‘だそうです’なんて、考えません。ただカンダタの蜘蛛の糸を垂らすだけでは、語りが、狭く浅くなります。ならば‘反省’に代わって‘緊張’ではどうかと開き直り、ヒトへ誠実であるし、自ブンへ忠誠を尽くす、そんな欲望と思いを双つ、表裏にならべ、一枚のコインを‘緊張’とともに温めます。
  丈司ユマ
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ブログ続■07 7/7 ◆◇隣のとなり。思いのおもしろさ◇◆
■07 7/7 georgeyuma  2007/7/3(火) 午前 11:08
――つまり、ピントは、信仰も陶酔も、‘やお長’に巻きこまれたり、‘やお長’に巻きこんだりしないことです。曽野綾子さんが、沖縄戦の住人集団自決に口を挟んで、驚かせました。隊長はそんな命令を口にしなかったと、‘ことば’の形式を重んじ、隊長に責任はなかったと口添えします。ボヤボヤな大江健三郎さんの尻を叩いたつもりのようでも、同じジケンに巻きこまれた桜井洋子さんが、訴をおこした弁護士を詰り、弁護士には法廷の弁論がお茶漬けを食べるのと変わらないでしょうけれど、コクミンにはコロされる思いに駆られるほど迷惑で苦痛ですと、判ヂさんに向かってアピールしました。貞女の曽野さんでも、上手の手から漏れたユダのように、ユダとなってヒトビトを唆すというありさまです。‘ことば’の形式を漁って、‘ことば’のカタチを空抜きすれば、要領が、住人の集団自決からム責任にも‘させ’るというのですから、ユダが曽野綾子さんの頭の中に、ピンピンと甦りました。それこそ、とって置きのダビンチ・コードです。ですから、信仰が話題になると、ユダのコードを、間に挟みます。キリストに代わって‘無常や無情’のユダが、キリスト教を聳え立たせます――丈司ユマ

◆◇隣のとなり。思いのおもしろさ◇◆

‘意識’は、
一人称小説の主人公となって、その形式をひとり占めし、
もっとも烈しい純粋なカタチをとったのに、
肝心な一人称の‘主人公’が、ドストエフスキーさんの計画した通り、
‘罪と罰’の暗礁に乗り上げ、
大破したのを、
小林秀雄さんにとことん見‘させ’て思い知らせ、
意を高じた秀雄さんから、そのの手を介し、
この先‘行き止まり’、
を怜悧に宣言‘させ’ました。
‘意識’は曲者としりつつ、
‘意識’は魔ものと意に叶えながら、
人格の‘主人公’となって‘存分’をふる舞う
そんな‘意識’がなぜ、
ヒトを寄せつけず、
ヒトに咎められことも、ないのでしょう。
意識革命が無惨なサイゴを遂げたのも、‘意識’がよろずの意識に襲われて意識を裏切り、意識と意識が共食いをはじめて闘ったその跡を泥沼化し、つづくヒトビトを、息たえ絶えに、窒息させたからでした。
ホンをよむと、その熱い思いと絶望の交叉が、ほとばしり出、
誠実が悶えて見せる千々な姿を、素直で正直なこころに映します。

  …ム数のホンが、図書館にあります。‘意識’の来館を、待っていました。こどもジダイを純粋なカタチで形式化させたのは、図書館でした。
ブログで眼を惹いたのは、バンユー‘図書館’です。飾り気なくかざり、その‘もて余し’気味にも思える、良書の列をnaomoe3さんが並べてみせているので、驚きの声をあげました。ホンを去った時のこどもの理由は、ハッキリしています。ホンがホンの限りにホンの知識や‘認識’を限るので、他のホンへはホンが広がらず、陶酔を満足して果てるような、そんなホンが、そんなにものほほんと‘孤独’に陥る、あまりな‘もどかしさ’をみせるので、愛想をつかしました。若々しいヒトことや多弁が、一々丹念に添えられる良書の列は、死から生還して甦ったばかりの、‘烈しい’純なこころを叩きました。秀雄さんが名答としていい残したいわく、‘あらたに自分自信を産め’と、それにピタリでしたから、スッかり仰天しました。お陰で告別式が、格別な思いで包まれました。
  …ブログの交換は、図書館の話題が、片棒を引きます。トタンに懐かしく、赤坂離宮の図書館を思い出させ、読んだ良書をつぎつぎと走馬燈に乗せます。‘あらたに自分自信を産め’とばかりに甦った命のホヤホヤは、トツジョ意識のない彼方から、おおがいさんのともだちを黙示録の騎士のように誘い、閑かに迎え入れました。死の淵って、凄い‘意識’をかき揚げるものです。‘意識’の中でム意識が、おおがいさんのシャドーな二人三脚へ、ナゼもクソもなく問答ム用とばかりに、割って割りこみます。ム意識を、‘意識’に換える手立てもなければ、“知”も持ち合わせていません。日露の脚気死が共通‘認識’となって、双ツのブログをリンクして開きました。
  …こんな‘意識’革命が、ム意識の中を進行したのですから、気づいて、仰天します。それをハッキリと‘認識’や‘事実’にしたのが、ピントの合ったコメントをつけ、推挙におよんだ、aomoe3さんの‘餓死の戦争’です。通院からの帰りチョッと緊張しながら、長ーく諦めていたのにヤッと戻ってきたホンヤさんの立ち読みが、それを見つけていましたから、阿吽のように、先行したピントに連らね、ボクのピンボケを後に連ねるのは、普通の意識です。著者の本の枠から、‘認識’や‘事実’が自由に飛び出し、他のホンばかりでなく他のヒトビトの‘常識ギャップ’へ侵入しなければ、意味が薄れます。
こころの世界は広すぎ、気を遠くさせます。その限度に縛られる一冊のホンでは、手に余るからといって、一冊のホンを軽視しては、後の祭りです。生き残るための‘平和’の武器は、ジブンを射る‘緊張’です。ジブンを射る矢は、弓を使わず、ヒトのこころを射止める、そんな禅問答がイソップの数々を追って、禅師が書にマトメました。ホンはその限って限界を、読んだヒトの手を借りて乗り越え‘させ’、他のホンやヒトのこころの中に、飛んで行かなければ変です。趣旨がチガうなどと、限った限界に固執してみせるのは、ナンセンスです。禅問答に呑みこまれ、固執の五月蠅さで立ち消えになったそんな‘意識’革命は、フロイトさんの心理革命、ドストエフスキーさんの‘罪と罰’革命、キッシンジャーさんの‘政治・戦略’革命、古いように使い捨てられても中古にならず光って切れ味の鋭いバートランド・ラッセルさんの哲学革命、‘なま女房’で秀雄さんを破綻させた‘知の無常や無情’革命、太宰治さんが死の書をもってその後を授けた‘社会の無常・無情’革命など、地球を狭くしながら拡大し、“対等”名民主を“復活”‘させ’た一方、地下深くへ掘り下げながら‘談合’を産んで表をペレペラにした主権“国家”の革命は、民主化を進めるその影で、その凶暴性を暴走させます。ウソつき戦争を急いたジョージ・ブッシュさんやトニー・ブレアさんオマケのコイズミさんが、コッカ主権をねじ曲げ、民主を妨害し、司法の天井が破かれる始末です。ジョージ・ブッシュさんは、法廷に立たされるでしょう。‘主権’意識の‘危うさ’と‘ム責任’が沸騰するに至っては、ム関心やム分別が、ホンの世界へ逆襲をかけます。‘やお長’の嘘っぱちメ、こうして21世紀早々、初頭の悲劇は、国境線を憲法の任期最前線へ縮小させ、神聖な“任期”の真正を疑い、任期の“国境線”を、手を継なぐヒトの輪で囲ませます。
ブログやインターネットが、‘主権’を荒らしたその人格判断をはじめ、血塗られた汚名を晴らすように、名もなかったジャンヌ・ダルクさんの遂げた怒濤の貢献を思い出して、思いを連ね、無念ながらの感謝を晴天下で称えます。三志士やジャンヌ・ダルクさんにもなろうという‘選挙’を、‘やお長’の流れる広告市場の奴隷から、アカジ権力がばらまく‘シャッキン’から、救い出さなければなりません。
ばらまき‘シャッキン’がギアトレーンを動かすので、ニッポンの“カラクリ選挙ブタイ”を正常に復すには、命懸けで‘シャッキン’をストップさせる‘必要’があります。敗戦後をズラッと並べて埋め、“管理”を独占した管理‘こうむいん’から、死に際に私財を‘返却’させて相続させず、‘公正で自由な公平や平等’を回復しなければなりません。意識革命は、壮大さと命懸けの巨大な両天秤です。
  …意識といったって、こんなにも広く深く、多量な時間をもヒト呑みにする‘意識’ですから、一枚の風呂敷に‘すべて’を投げ込んでボクのヒトツの肩に担ぐには、そうしたい緊張を切らせずに湧かせる心機一転を、死からの生還や禅師を待ったように‘マチボーケ’するしかありません。まず、ボクからはじめます。
手掛かりは、ムカシもイマもいる高潔なヒトビトが提供する、昨今の事実や真実や意見です。ピントにピンボケを連ね、意識革命をスクラップあんどビルドします。過激な表現をポンポン飛ばし、頼みの緊張を絶やさずに引っ張り、五里霧中の‘意識’を衝いて飛ぶには、強烈に高速回転するジャイロが必要です。
主権“国家”が、戦争や‘シャッキン’で、迷走するのですから、‘戦争国家’に展望を預けた藤原帰一さんを見下し、‘平和’の‘ジャイロ’を目一杯に強烈に回転させ、‘平和’がブレるのを防ぎたいと思います。
孤島ニッポンは、戦争を考える前に、‘シャッキン’を退治した八岐大蛇のように‘退治しなければなりません。’‘シャッキン’に明け暮れる‘こうむいん’の世界へ、松陰さんが死を架けて諌言したように、斬り込まなければならないでしょう。
思いこそ、‘コクミン’の財産です。
‘こうむいん’の思いあがりが、悪に手を出し、悪の手を広げます。悪の成果は、いわずと知れた「天下り焼け太り天国」。すべて‘こうむいん’犯罪が、手に入れた犯罪の成果です。
米軍が音頭をとって、八岐大蛇の退治に討って出ました。基地をあいてに‘談合’を謀った‘国営’大法人を、世に公表します。制裁を本気にする米軍の課徴金は、‘談合’を攻めきらない公取より、重い鉄槌です。三菱がわれ先とばかりに、談合の‘密告’に走りました。課徴金から逃れようと、必死ですから、ニッポン検ヂさんや判ヂさんのサボタージュ犯罪には、最早、同調なんてしていられません。日米同盟前の、ニッポン‘館や一蓮托生の‘国営’大法人を‘浄’めなければ、スパイ戦線をコントロールできないと、米軍が本腰を上げました。
談合腐敗の悪臭を放って、コクミンの平和な世界に押し入り、迷惑を広げるのですから、こころの思いを飛ばす平和の‘ジャイロ’こそ、常識ギャップを見つけては乗り越え、‘ぎいん’など‘こうむいん’のすべからくを、司法の天井の下に寄せ集め、弛まぬタイケツをこころに期す‘コクミン広場のボランティア’へ勇躍させます。
丈司ユマ


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