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随分と間が開いてしまいました。 少し 硬い お話の写真をご紹介します。 此処では 戦争と言う悲惨な出来事に関してよりも、 その技術的な分野の焦点を当てて話を進めたいと思います。 技術の結晶である戦艦大和 ・・・ 竣工当初の昭和167年には、船側の機銃は無く、 3回に渡り、改造されました。 この写真は ・・・ つまり 昭和20年4月7日沈没前の姿です。 現存する大和の設計図面は、平成11年呉市にて、新造時初期のものが、原図36枚を含み 47枚発見されました。艦橋(司令塔部分)部分の図面が多くて、とても貴重なものだそうです。 最初に掲載しました 人間特攻魚雷 「回天」です。 出口の無い海の映画 ですね。 回天は、黒木海軍少佐・仁科中尉らにより構想されました。 昭和20年3月にも出撃命令が出ています。 回天の潜望鏡です。 実戦投入は420機、戦没者は100名以上、そのうちの多くが20歳位の学生達 若者でした。 零式艦上戦闘機六二型 です。 昭和15年に海軍に正式採用となりました。 ゼロ戦は、その機動性・装備・航続距離において 当時はNo.1でありました。 が・・・、つぎつぎと新しい機種の開発登場により、開発の資材の不足、 戦局の悪化などにより、技術の溝は 大きく 離れてしまいました。 このゼロ戦は、吾妻常雄海軍中尉が操縦中にエンジントラブルで 琵琶湖に不時着したものを、昭和53年に引き上げて修復したものです。 修復には、ご本人の協力を得て実施したとの事でした。 (参考資料 呉市海事歴史科学館 大和ミュージアムより) ちょっと 息苦しかったね 。。。 次回の最後は 原爆記念公園の夜を ・・・。
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