エネルギーを考える

エネルギーと食料は最大の戦略物資

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この遺跡の発見は崖崩れがきっかけだったそうです。
背後(東斜面)に山肌が見えるのが、その跡でしょうか。 
 
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はじめの館内に戻ると、“複製”された鉄製品が少しガラスケースに展示されています。
小さなものですが、これが矢の先端に取り付けられたとき、日本に新たな時代が始まったのでしょう。
 
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ちなみに、“五斗長”とは5斗(1斗=1升×10;18.039 ℓ) の米が収穫できれば長(おさ)になれたくらい貧しい村だったことからきている、そうです。
 
ほんとうかな・・・。
貧しかったというのは淡路島全体の状況だっただろうし、「かいと」だって変わった読み方だし。
「ごっさかいと」には別の言語で別の意味があったのではないかとひそかに疑っています。


2009年1月、発掘直後の様子を詳しく紹介くださっている考古マニア、Mutsu Nakanishi さんのレポートがあります。
すでに工房跡などは埋め戻されているようですから、貴重な写真集がたっぷり。
弥生時代後半国内最大級の鍛冶の村 「垣内遺跡 (鍛冶工房跡)」 発掘現場 walk
 
その記事で紹介されている、鍛冶炉について 「古代国家成立過程と鉄器生産」 (村上恭通・著/青木書店・刊) という本のことが気になりました。
弥生時代の鍛冶炉は4つに大別でき、それぞれ出現する時期・場所に特徴があるというのです。

Ⅰ類
掘り方を大きくとり、その内壁・床面をよく焼き固め、その中に木炭や土を交互に重ねた防湿目的の地下構造のあるタイプ 
〇Ⅰa: 中期末葉〜後期初頭 福岡県仁王手遺跡 広島県高平遺跡 徳島市谷之遺跡
     後期後葉まで、東瀬戸内地域、徳島県域 で集中的に展開される
〇Ⅰb: 中期末葉〜後期初頭 福岡県安武深田遺跡 徳島市名東遺跡
     後期後葉〜末葉 阿蘇市狩尾遺跡・湯の口遺跡 大分県高松遺跡 高知県西分増井遺跡ほか
Ⅰ類の炉は九州北部に出現するが、後期以降九州北部にはみられず、周辺部に点在

Ⅱ類
掘り方のみで、内壁がわずかに焼けているタイプ
〇 中期末葉〜後期初頭 春日井市赤手遺跡 その後 九州で一般的な炉となる。
〇 後期以降 九州以外にも広く伝播 Ⅲ類 Ⅳ類と並存する場合がある。日本海沿岸で顕著である:島根上野Ⅱ遺跡 安来市柳遺跡 七尾市奥原峠遺跡 松山市束本遺跡・北井門遺跡 善通寺市次見遺跡 徳島県芝遺跡 高知県西分増井遺跡 大阪府星ケ丘遺跡

Ⅲ類
ほとんど掘り方を持たず。床面をそのまま炉として使用するか、若干の粘土を敷いて操業するタイプ
〇 最古例は 中期末〜後期初 京丹後市奈具岡遺跡
〇 後期以降 香川県下川津遺跡 豊田市南山畑遺跡

Ⅳ類
掘り方を持たず。床面をそのまま炉として使用するタイプ
〇 最古例は 中期末葉 庄原市和田原D 地点遺跡
〇 後期以降 山陰から北陸にかけての日本海沿岸地域で 多数例発見
〇 ひとつの工房内に複数基並存する例が知られている。
〇 岡山市津寺一軒屋遺跡で焼土面だけが検出されており、Ⅳ類の可能性

詳しくは分かりませんが、地下構造のある本格的な炉は九州北部〜瀬戸内〜阿波にありながら、ここ五斗長垣内遺跡では見つかっていないといいます。

簡略な構造から複雑な完成形に向かったのか、逆に簡略化されていったのか。
 
丘陵斜面に工房跡が見つかっているのは中国山地から日本海沿岸部に共通、とすると、ここから本州に上陸、日本海側へと広がったのかもしれません。
吉野ヶ里遺跡の数倍の規模という鳥取・麦木晩田 (むきばんだ)遺蹟 青谷上寺地 (あおやかみじち)遺蹟 などから大量の鉄が見つかっていて、青谷上寺地遺蹟からは殺傷された人骨も多く見つかっています。

 
駐車場のすぐ前のお宅は石垣の上に建っています。
徳島県人には見慣れた感じ。
結晶片岩ではありませんが、整形されたのか、薄い石が上のほうに使われています。
 
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そう、ここも“高地集落”なんです。
麦木晩田遺跡も高地集落・・・。
阿波勢力との関係は、今後の研究を待たなくてはいけないでしょう。
 
途中にいくつものため池があります。
そのうちのひとつでは蓮の花が満開でした。

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五斗長のある黒谷地区と隣りの生田地区は、棚田が美しいです。 
 
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もちろん、阿波の高地集落の石積みは別格、です・・・。
 
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ちなみにこの“修復技術”の体験会は地元の石積みマスターが指導くださるとか。
徳島大学・大学院の先生が企画されています。
詳しくは 「美郷ほたる館」さんで教えていただけると思います。
 
 
多くの本には卑弥呼が登場する前、倭国大乱で防衛上の必要から高地集落が増えたと書いてあります。
高地に砦を築くのはまだしも、それなりの集落で定住するというのは当時の治水・土木技術では相当むずかしいことだったはず。
高い位置からはよく見えるものの、下からもまる見え。それほど有利だとは限らないと思うのです。
 
別の見方をすると、その時期に (阿波説で邪馬壹国とされる神山〜木屋平〜祖谷〜山城一帯の) 高地文明が広まっていったのではないでしょうか。

***
 
以下、遺跡を離れた話題。
案内所の男性からいただいたお名刺には (株)五斗長営農 という農業法人の名前。
この遺跡は五斗長の人たちが所有、維持しておられて、法人として農産物の直売やこの案内書での喫茶店営業などを計画されているとか。
遺蹟の調査が終わったら埋め戻してまた農地に戻す選択もあったところを、歴史公園として開放することを選択されたのだそうです。
ありがたいご判断に、感謝です。

そのグループで経営されているというのが、お蕎麦屋さん。
途中、「そばカフェ生田村」 という小さな看板が気にかかっていました。
もちろんお昼は、手打ちそば!

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地元産のそば粉だけで打ったというそば。
生田そば、600円。
大盛りにしてもらいました(+200円、だったかな)。 
 
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そば専門店で時々出会う “どうだ、まいったか” という大仰な雰囲気のない、すごくやさしい味わい。
たっぷりのそば湯も嬉しい。
地元産の卵の 「たまごかけご飯」 もご自慢メニューのようです。

御昼どき、20席ほどの店内はほぼ満席でした。
営業時間は:
土日祝日 11:00〜15:00
5名様より平日のご予約により営業 なんだそうです。
遺跡見学とドライブを兼ねて、ぜひご利用ください。

表の壁に大きな航空写真。
 
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上の海岸部は室津(むろつ)地区。
静かな漁港・・・と思いきや、「室津八幡神社」 の秋祭りではこんな御神輿(だんじり)が・・・

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ふとんだんじりと呼ばれ、淡路島全島で200基ほどもあるそうです (Wikipedia:「ふとん太鼓」)。
この様式は大阪南部の堺や東大阪に多く、ほかには兵庫県に広がっているようです。
 
室津は “神武東征” で中継港として登場する名前。
通説では たつの市御津町 の室津 といわれています。
まあ、これ以上は言いません (^'^)


そばカフェで勧められて、同じく地元の皆さんで経営されているという 「ほたるカフェ」へ。
残念ながら、閉店中でした。
でもまた来よう、と思わせるお店。
敷地内に実際に使われているような水車も。

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水車の動力で粉を搗く…。
まだ真新しい感じです。
 
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初夏にはこのあたり一帯、蛍が飛び交うのだそうです。

ほんとうにいつも素通りしていた淡路島。
どんどん好きになってきました。

そういえば、そばカフェ店内にきれいな写真がたくさん展示されていました。
こんなコンテストをされていたようです。

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→「そばカフェ生田村〜スタッフブログ」 より

長澤地区は、生田の上流。
さらに山に入ったところに、地図上に 「金山比古神社」「伊勢ノ森神社」などなど、気になる名前の神社がいくつも並んでいます。
行ってみなくては。
 
「そばカフェ生田村」さんのブログから、お写真を一枚、紹介させてください。
田植え直後ですね。
ほんとうに、美しい “原風景” です。

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転載元転載元: [どなり古事記研究会]


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