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花朝月夕’08 <デジタル1眼レフに旅と生活!>
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書庫歴史の回廊

世界史、日本史、の人物像などを紹介、模索していきます。
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名古屋市内へ向かう途中のR1(国1)沿いに、日本史上としても名高い古戦場があります。 

「 桶狭間古戦場跡 」です。 

イメージ 1

                  殺風景な古戦場跡地。 今はただの公園?


インターネットで 「 桶狭間の合戦 」若しくは、「 桶狭間の戦い 」

と検索をするとWikipediaを筆頭に様々な情報が出て参りますが、

今回は、それに劣ることなく(笑)私が訪れた際の感想を述べてみたいと思います。



調べてみますと、私が訪れたこの公園は、R1沿いの合戦跡地なのですが、

諸説があり、史実も定かではなく、同じ地域に合戦跡地が2箇所あるようです。 



この公園の近隣には由緒(関係)ある寺社や多くの中世の山城があります。

イメージ 2


日本史上、普く(あまねく)有名なこの桶狭間古戦場に足を運び

散策をしてみるとがっかりしますが(笑)、このR1沿いの公園以外にもしっかり

史跡があり、何人もの日本史研究家たちや歴史好きの方々が

頻回に、史実を基に訪れていることでしょう。


イメージ 3織田信長が、天下をねらう足がかりとして、領地や家を守るために戦ったと言われるこの桶狭間。

NHKの歴史番組でもよく放送されています。(笑)、ナレーションは松平○○!?(笑)

この戦、雨の中(後?)の戦いであり織田軍が奇襲攻撃を行ったと

信長公記(しんちょうこうき、又はのぶながこうき)には記されてるようですが、

さて、実際はどうだったのでしょう?

今川義元が討ち死にしたことは、もちろん事実ですが、創作(作り事)であったり、

雨が降っていた事(降った後)に関してはどうだったのでしょう?

最近の歴史学者の分析によると、後に創られた逸話だったりするようです。

古くは、日本書紀や平家物語などの古代の書物においても同様なのですが、

現在、その歴史があってこそ近代があるのですから大雨の中(後?)、信長公の策謀により

あの「 今川義元公 」の首を部下達が討ち取ったということにしておきましょう。(笑)

イメージ 4歴史物では、今川義元は、言い方は悪いのですが、
イソップ童話の「 うさぎと亀 」のうさぎのようなイメージがあります。                         しかし、それほど、間の抜けた武将だったでしょうか?
                                  何万もの軍勢を率い上洛を試みた。                                              その家臣団の中には極めて優れた者も多かったことでしょう。                                                                もしかしたら、本当に御公家大名だったのかもしれませんね。 (笑)


討ち取られた方の戦国大名今川氏ですが、、この1560年の桶狭間の戦いを

最後に滅亡に向かい、嫡子の氏真公も手腕を振れませんでしたが、幕府高家として

幕末まで生き抜いていったようです。

その後、言うまでもありませんが人質であった「 徳川家康公 」が、

織田氏に仕え、後に江戸幕府を開く分けであります。

そして、こちらも同様の、この記事の主役でもあります「 織田家(氏) 」ですが、
現代も立派に生き延びているいますよね〜!

あの若いフィギアスケートの選手って違いましたっけ!?


☆情報の引用、どうぞご容赦くださいませ。 




イメージ 5

★某フィギアスケート選手の血統書については本人か幕府に問い合わせてみてください。 

あ!   すいません。  『 幕府 』ではなく、

「 政府 」の間違えでした〜♪   (笑)







☆この桶狭間の合戦に関しては、諸説があると共にその時分

行われた場所が特定できていないようです。(名古屋市緑区と豊明市) 

また、今川義元公が実際に上洛を試みていたかどうかも定かでないようです。

どうぞご了承ください。
年始から、更新をほとんどしておりません。

我が職場において、事故(災害)が起こり、その埋め合わせで、

残業と、勤務変更の毎日を送っております。 

今日は、半日ほど時間ができましたので、お知らせという形も含めて

更新しております。 

この、不況の時期において、残業というものがあるのは、

幸せのような感じがしますが、会社にとっては、

何の生産性もなく、大きな損失であると考えます。 


さて、周知の通りですが、今日は、「 オバマ大統領 」の就任日です。

世界経済において、中東の戦争(紛争)や、各企業の減産や倒産の相次ぐ中、

この、出来事だけが、私にとって救いの気がします。 

これを機に、世界経済の上昇機運が高まってほしいということは、

誰もが思うところでしょう。

私は、近代の「 死の天使 」注1)ブッシュが、

苦笑いする姿が、世界の小さな転機に見えることがありました。


年末に、名古屋方面や、鎌倉方面(湘南方面)に出かけましたが、

名古屋の手前で、とある史跡を訪ねることができましたので、

次回はその記事をUPしたいと思います。 

更新できなかったまでも、写真や、ねたはあったんです ・ ・ ・ (笑)

イメージ 1


これは、「 桶狭間古戦場跡」です。

皆様が、良くご存知である、「 秀吉、信長、家康 」と3人の時代を揺るがす

武将が東海地域から出現していますが、

その、織田信長が、戦国大名(前守護大名)であった、

今川義元を破った時の古戦場跡です。 

それでは、次回に詳しくUPします ・ ・ ・

注1)「死の天使」 : ユダヤの伝承では死の天使は冷酷で魂を奪い取る存在とされ、地上の何者も彼から逃げられないように体中が目で覆われているという。しかし、時に逆に人間にだまされたり、哀れみからまたの機会に改めようとすることもあるという。
キリスト教では、ミカエル(Michael)が死の天使として知られている。
(引用INE情報)

上杉鷹山公   #3

さて、こちらの「 上杉鷹山公 」の記事でありますが、

今回で三つ目になります。

今回は、鷹山公の「 名前 」「 高鍋藩 」についてお話いたします。 

その、鷹山公でありますが、「 1751〜1822 」のおおよそ、72年の生涯を

送ったわけであります。 当時では、長命であったと考えられます。 

生まれは、日向(現在の宮崎県の一地域)の高鍋藩の、江戸藩邸。

ですから、実際に生まれたのは、高鍋町ではなく、江戸(東京)であったわけです。

高鍋藩(現在の宮崎県)というと、秋月氏という大名の所領(統治している領地)でありました。

その、秋月氏でありますが、関が原の合戦においては、西軍(豊臣方)に付きましたが、

西軍が敗れるや否や、東軍(徳川方)に寝返り、その功績により、

家康公から、所領(高鍋藩3万石程度)を安堵され明治維新まで、存続するという

藩でありました。 すなわち、外様大名であります。 

外様であることは、幕府から警戒されながらも、参勤交代の義務は、例年

果たしていたものと考えられます。 



「 高鍋町 」 ・ ・ ・人口およそ22,000人。
イメージ 1

あの米沢市とは、

1981年に姉妹都市提携を結んでいます。

日向灘に面しており、農業も盛んだそうです。 

かつての、秋月家ゆかりの藩校があり

武芸事も盛ん。



  

 


 そして、呼称でありますが、「 鷹山 」というのは、隠居後(藩主引退後)

の呼び名でありまして、正式に元服前は、「 上杉治憲公 」といいました。

その「 治憲(はるのり) 」という名でありますが、1766年、数え年16歳になった

鷹山は、将軍「 徳川家冶公 」の前で元服し、将軍の一字をもらって

治憲(はるのり)と改名したそうです。

歴代徳川将軍

初代 徳川家康(1542〜1616) (在位1603〜1605)
・2代  徳川秀忠(1579〜1632) (在位1605〜1623)
・3代  徳川家光(1604〜1651) (在位1623〜1651)
・4代  徳川家綱(1641〜1680) (在位1651〜1680)
・5代  徳川綱吉(1646〜1709) (在位1680〜1709)
・6代  徳川家宣(1662〜1712) (在位1709〜1712)
・7代  徳川家継(1709〜1716) (在位1713〜1716)
・8代  徳川吉宗(1684〜1751) (在位1716〜1745)
・9代  徳川家重(1711〜1761) (在位1745〜1760)
10代 徳川家治(1737〜1786) (在位1760〜1786)
・11代  徳川家斉(1773〜1841) (在位1787〜1837)
・12代  徳川家慶(1793〜1853) (在位1837〜1853)
・13代  徳川家定(1824〜1858) (在位1853〜1858)
・14代  徳川家茂(1846〜1866) (在位1858〜1866)
・15代  徳川慶喜(1837〜1913) (在位1866〜1867

皆様は、お受験など、また、一般常識の中で徳川歴代将軍を、

覚えた方も多いと思いますが、空で、全部いえますでしょうか?  (笑)

ちなみに私は、順序など正確に言えません。 (笑)

この、鷹山公にゆかりのある、家冶公でありますが、

<キーワード>は、将棋好き、田沼意次(1719〜1788)、

祖父は、あの吉宗公です。 (笑)


「 政治家や、各界の経営者や指導者などに人気の上杉鷹山公。」

次回は、米沢藩から見た、鷹山公、

そして、具体的に、どのような藩政を行ったか? 

逸話としても語られながら、模範的な人物像を醸し出す鷹山。

人気の秘密を少しずつ、紐解いていきましょう!

筆者(私)から見た思いを、知識を整理しながら、

アップしたいと思います。  (笑)



御通読ありがとうございました。  

こういう、記事に、全部目を通すのは、疲れるでしょう!   ((笑))




☆一部情報等、INEからの引用あります。 ご了承くださいませ。

上杉鷹山公   #2

上杉氏と申しますと、まず、思いつくのが、

川中島の合戦で有名な、上杉謙信でしょうか?

川中島の合戦と申しますと、信玄公と謙信公の戦いですね。

上杉氏自体、戦国時代前、代々、関東管領職でありましたが、

長尾氏が上杉氏を引き継ぐこととなり、戦国乱世を生き抜いていくわけであります。


さて、肝心の鷹山公でありますが、「 鷹山公 」と呼ばれ、

現代でも親しまれているわけでありますが、

「 上杉 治憲(はるのり)公 」 として、現役時代は、呼ばれていました。

1751年〜1822年の、おおよそ70年の生涯を生き抜いたわけであります。 

丁度その頃、度重なる、飢饉に見舞われていました。

鷹山公の時代も、歴史の教科書などにも載っている、「 天命の大飢饉 」

が起こっています。 気象の急変により、当時、

数回の大飢饉が起こっていますが、それらの飢饉に対して、

各藩の対策も大変なものでありました。 

鷹山公の米沢藩においても、質素・倹約や、自ら、農地に赴くなどして、

藩の財政を建て直し、事業を遂行していったものと考えられています。


こちら、 ↑ 「 代表的日本人 」内村鑑三著

なぜ? 諸外国の著名人が、「 鷹山 」などという、一聞、マイナーな名前を

挙げるのか? 

ジョン・F・ケネディやクリントンなどの政治家や、富裕層が、英訳された

それを読み、影響されたものとして考えられる。 

外国の賢人達が、鷹山公の名前を挙げれば、必然的に、

日本の一般大衆も影響を受けるわけです。  (笑)




「 関東管領 」 ・ ・ ・黒字の頃に室町幕府が設置した役職である。

当時、関東十数カ国の将軍の代理として、

鎌倉を中心に設置したものである。

(関東管領 ・・・ 下部の方に、秘かに、リンクを貼ってあります。 笑)
 


イメージ 1こちらは、謙信公が戦において、

掲げたといわれる、

ご存知!

毘(毘沙門天)の旗。

要約すると、仏教において、

四天王の一人に当たるそうです。

謙信公が崇拝していた通り、

戦いの神様といわれていますよね。

対する、信玄公は、有名な、「 風林火山 」ですね。 

旧石器時代
縄文時代
弥生時代
古墳時代
飛鳥時代        みなさんは、日本の歴史において、どの時代が、
奈良時代        
平安時代       お好きでしょうか?   (笑)          
鎌倉時代
(建武の新政)      昭和までは、コンピューターや携帯電話も薄型TVも  
室町時代
南北朝時代      ありませんんでしたが ・ ・ ・ (笑)  
戦国時代
安土桃山時代      私は、温故知新を必要と常々感じていますが
江戸時代
明治時代        これからの科学工業が発達していくと考えられる、    
大正時代
昭和時代        未来の時代が好きです。   (笑)  
平成
              





毘沙門天

関東管領 ←  ☆*★*☆*〜彡





では! 今日は、ここまで〜☆





☆なんか、シビアであり、一般的な知識の情報ブログ記事のように

なってしまいましたが、ご覧のみなさん、私自身の知識の整理でもあります。

これだけではなく、他の話題も携載していきますので、

引き続き、お立ち寄り、コメント等お願い致します。 (笑)

上杉鷹山公   #1

以前、UPしたかった、「 上杉鷹山公 」シリーズを

書いてみたいと思います。 

こちらのブログにおいて、仮題名ではありますが、「 歴史の散歩 」なる

書庫がございます。 シリーズとして(←大げさですが 笑)UPした際には、

そちらに置きますので、時間のある方(お暇な時間ができた方  笑)は、

いずれ開いてみてください。 

なぜ、この上杉鷹山公という人物を上げたかと申しますと、

戦国時代の人物ではありませんが、 

あの、戦国時代中期に活躍した上杉謙信の末裔であります。 

しかしながら、末裔と申しましても、血は濃くありません。 

出身は九州の高鍋藩だそうです。 


現在、その高鍋近辺といえば、あの東国原知事率いる、

日向・宮崎県であります。  (笑)

( 鷹山公にあっては、江戸の高鍋藩邸の出身だそうです。 Wikipedia参照 )



イメージ 1 
そこから、戦国時代、関が原の戦において、

西軍についた、上杉家(氏)が、

移封となった出羽米沢藩において

の江戸時代の、

鷹山公の活躍ぶりであります。 

それらを、私自身の主観で、どの様に感じているか?

また、自分自身の知識の整理として、UPしていきたいと思います。






★〜画像は、↑漫画の「 上杉謙信 」   (笑)



それでは! 今日はここまで〜☆

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