文豪たちの東京めぐり

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2011年のお散歩のテーマは 東京メトロの企画

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東京メトロ発行のリーフレットに添ってスタンプラリーしようと思いますが、できれば リーフレットに載っていない場所にも足を延ばしてみようと思っています^^
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夏目漱石編 その5

 
引き続き 夏目漱石の足跡をたどる その最後は やっぱり   漱石のお墓!
 
 
池袋から 一駅 雑司ヶ谷霊園に 夏目家のお墓があります。
 
実は こちらも ワタクシ 2度ほど前に来たことがありまして・・・
 
だからと言って 目をつぶっても歩けるかと言えば それはなく。
 
有楽町線 東池袋の駅から 細い路地を抜けると 広大な霊園です 
(もちろん写真は撮ってません!)
 
路地には やっぱり、 猫〜〜〜
 
 
イメージ 1
 
カメラを向けたら “ぷいっ” と後ろを向き 顔を向けたと思ったら
『うるさいにゃ〜〜〜』 と言わんばかりに 目を ギューーー・・・
 
 
イメージ 2
 
前を行く ネコちゃんに着いていくと もうそこは お墓。
あなたは垣根の間から入れるけど 私は 門を探して歩きます・・・
 
 
昼下がりのお墓・・・ 私は 墓参らー(ハカマイラー) ではありませんので
気持ちのいいものではありませんでしたが・・・
 
こちらには 漱石さんのほかにも 竹久夢二や 永井荷風など そうそうたる著名人のお墓が。
 
探そうと思っても なかなか 探せないものですが 今回は 見つけました・・・
 
 
振り向けば 小泉八雲  おぉぉぉぉぉ〜〜
 
自由学園を創設された 羽仁もと子さんのお墓も 通りすがりに拝見いたしました。
 
 
それで たしかこの辺り・・・ と ぐるぐる廻り 
やはり迷って (これまでも必ず見つけられずに迷いました) お墓の前に。
 
奥様・鏡子さんと一緒に 入られています。
墓石に彫られた 戒名 『文献院古道漱石居士』  
本の世界に生きた漱石さんらしいお名前です。
 
 
 
この雑司ヶ谷霊園は 『こころ』 という作品に出てきます。
 
『こころ』、 高校の教科書に取り上げられていますので
全体が気になって 読まれた人もいるのではないでしょうか??
わたしも そんな一人です。
 
 
物語は はじめ “私”という学生が 謎めいた“先生” に出会うところから始まります。
この霊園は 毎月“先生”が ある人の墓参りのために訪れる場所。
 
その人とどんな関係だったのか なかなか明かさない“先生”。
 
そして 帰省した“私” のもとに “先生”が過去をつづった手紙が届きます。
 
 
 
何かで読んだのですが・・・
『あんなに長い手紙(本の約半分が手紙) ポストに入るのか!』 
というご指摘もあったそうで(笑)
 
 
読んでいると それが手紙だということも忘れてしまうんですけどね
 
 
さて こんなふうにスタンプが押せました。
 
イメージ 3
上 左から  駅名は 最寄りの地下鉄駅
生誕と終焉の地 ①喜久井町 ②漱石公園 (早稲田駅)・・・生誕記念碑のかたち
 
③錦華小学校(お茶の水) (神保町駅) ・・・お茶の水小学校の記念碑のかたち
 
④旧居跡 (東大前駅) ・・・ 旧居跡碑のそばにあった 猫像
 
中段 左から
⑤善國寺(毘沙門天) (神楽坂駅) ・・・ 毘沙門の “昆”
 
⑥相馬屋さん (神楽坂駅) ・・・漱石 御用達の原稿用紙
 
⑦羽二重団子 (西日暮里駅) ・・・団子マーク
 
下段 左から
⑧藍染川 (千駄木駅)・・・ へび道(くにゃくにゃ曲がった川の跡だと言われる道)
 
⑨松栄亭 (淡路町駅) ※今回行けませんでしたが 
漱石の先生 ケーベル先生考案の “洋風カキアゲ”を提供する洋食屋さん。
 
⑩雑司ヶ谷霊園 (雑司ヶ谷駅) ・・・ ほおづえをついた 漱石先生おなじみのポーズ。
 
 
 
お付き合いいただきありがとうございました (^^)
 
 
 

夏目漱石編 その4

 
東京メトロのスタンプラリー 夏目漱石の足跡をたどるお散歩。
 
2月最後の日曜 ギリギリに 残りのスタンプを押しに行きました!
 
 
まずは この前行った 千駄木に近い 日暮里の 羽二重団子 さん。
 
イメージ 1
 
 
実は ワタクシ この界隈は 初めてではなく 東京に住む前に2度ほど歩いたことがあります。
 
このお団子屋さんは 正岡子規の家 (現在は 子規庵 という記念館になっています)にほど近く
子規が病床で書いた 『仰臥漫録』 にもこの “芋坂”の団子を食べた ということが書いてあります。
 
たしか 妹さんの律さんに団子を買いに行かせたのに 言いつけどおりに買ってこなかったとかで
喧嘩をしたとかなんとか・・・(ちょっとうろ覚えです)
 
 
あん団子と 焼き団子 が1本ずつと 緑茶がセットになったものをいただきました。
(写真は 羽二重団子さんの HPでご覧になっていただければ^^;)
 
お団子もつきたてなんでしょうね〜 とても柔らかくて おいしかったです。
 
また こちらのお団子屋さんは 一面がまるまるガラス張りで 和風のお庭に面していて
天気のいい日など ほんとうに気持ちのいい景色を眺めながら お団子をいただけます。
 
お願いすると 古い地図のコピーもいただけたりしますよ
 
 
 
 
東京メトロの 西日暮里駅から10分ほど歩くと JRと京成の日暮里駅、
(成田スカイライナーが開通したせいでしょうか、
とても駅前がきれいになっていて 一瞬 道がわからなくなりました)
 
羽二重団子さんは そこから さらに3分ほど歩いたところにあります。
 
 
余談ですが・・・
以前 来た時に 韓国食品のお店が途中にあって 
当時 韓国ドラマが好きになりたてだった私は
とても寄りたかったのですが なんとなく知らない土地では気が引けて・・・
 
今回は 懐かしさもあって立ち寄り、 
(日暮里まで来て) サムゲタンのレトルトと トッポッキスナックをお土産にしました(笑)
新大久保のお散歩とあまり変わりないですね
 
 
ここから少し行くと 子規庵 です。
 
何度も行った場所ですので 今回はパスです。
 
 
小さい間口のお家に 子規が存命中の室内の様子が再現されています。
 
病床から動けない子規が 庭の季節の移り変わりを楽しめるように
障子ではなく ガラス戸にした その部屋も・・・
 
夏の終わりに尋ねると 子規が最後に目にしたであろう 
若いへちまの実が みずみずしく成っているのを見ることができます。
 
明治35年の9月、子規は そのへちま(糸瓜)を 季語に 辞世の句を 3首 作りました。
そのうちの一首
 
『糸瓜咲きて 痰のつまりし ほとけかな』
 
 
漱石は 留学先のロンドンで子規の訃報を聞きます。
 
前年、子規からの “ボクハ モーダメニナッテシマッタ” から始まる漱石宛の手紙は有名ですが
珍しく弱音を吐く子規に 漱石は 最近ロンドンで目にした珍しい風物や
クリスマスの様子などを書き送りました。
 
 
漱石は 子規の病から来る頑固さ・融通のきかなさに 少し距離を置きながらも
青春時代を一緒に過ごした 友人の死に 少なからぬショックを受け、
句をしたためます。 そのうちの一つ
 
『筒袖や 秋の柩(ひつぎ)にしたがわず』
 
漱石が 子規の死を知ったのは 亡くなって2カ月のちの11月のこと、
 
国際電話もない時代に 海を越えて手紙をやりとりした二人の友情を想います。
 
 
 
もうちょっと つづきます 
 
 
 
 

夏目漱石編 その3

東京メトロのスタンプラリー 夏目漱石の足跡をたどるお散歩です。
 
その3 バレンタインデーの日曜 に 千駄木 へ向かいました^^
 
 
 夏目漱石とのかかわりは?
 
『三四郎』 で 三四郎と美禰子が 団子坂を下り、藍染川沿いを歩く場面があるそうですが
この 千駄木の 商店街が川のあと だそうです。
 
千駄木 といえば  やねせん = 谷中・根津・千駄木 と 称される
東京屈指の 昔懐かしい商店街。
 
 
千代田線 千駄木駅からスタートしたお散歩、まずは 有名な
団子坂下の 『菊見せんべい』さんへ。
 
(今回は カメラを忘れたこともあり 商店街の写真はありません^^;)
 
道路に面した店先には ガラスつぼに入ったおせんべい。 下町の雰囲気です。
わたしは4種類入った 詰め合わせをいただきました。
 
いまも少しずついただいていますが、しっかりした歯ごたえ、あまり辛すぎない
やさしい お醤油の味が 香ばしいです。
 
砂糖のかかったおせんべいも 抹茶がかかったおせんべいも
甘すぎず 辛すぎず お米の味をしっかり感じられるおせんべいです。
 
 
 
そこから先は 谷中 よみせ通りと “夕やけだんだん”のある 谷中銀座 へ。
 
まるで うちの実家の周辺の30年前のにぎわいを見るようで 懐かしくなりました♪
 
小学校の頃は 社会の教科書に 『やおやさん』『ぶんぼうぐやさん』『ようひんてん』『りようしつ』
なんて 書いてあって それで 社会の仕組みを学び始めたものですが
まさに その “商店街の絵” のとおり!
 
 
大行列のお肉屋さん (みなさんおお目当ては メンチカツ)、
にぎわっているお惣菜屋さん も気になりましたが
 
私が気になったのは こちら ⇒  しっぽ屋 さん
 
 
 
谷根千 といえば 猫の町。 ふと気付くと 軒下に猫が ごろんと横になって
人が近づいても あまり気にせず のんびりしているのですが
 
この しっぽ屋さんでは ねこのしっぽ をイメージした ドーナツを売っています。
 
また その名前がユニーク!
 
ココア生地にホワイトチョコチップ の “とら” 
プレーン記事にチョコチップの “ぶち”
コーヒー味の “ココ”
 と シナモン味の 名前??なんだっけ??   を 連れて帰りましたが
 
脂っこくなく しっかりした記事のドーナツ。 食べごたえもじゅうぶん♪
写真なくて ごめんなさーい
 
 
それから 本屋さんの店先で 造形作家さんが こんなハガキを 紹介されていました
 
イメージ 1
 
 
 
これはシンプルな 料亭の入口ですが ほかにも
駅や 床屋さん、 荒物屋さんなど 下町風情を細かく書き込んだ
クラフトアートですね
 
 
日曜ということで 狭い路地に すれ違うたくさんの人が お散歩とお買い物を
楽しんでいらっしゃいました。
 
 
 
私も 次に来る時は “三四郎” と一緒にメンチカツでもほおばりながら・・・(笑)
 
 
 
 
無事 東大を卒業した漱石、卒業後は もちろん仕事を見つけなければ。
 
 
職探しに奔走する漱石青年を思い出させるのが 『彼岸過迄』という作品の登場人物・敬太郎。
 
彼は 友人・須永の叔父に仕事を斡旋してもらうために 彼の奇妙な依頼を引き受けます。
それは
「小川町の駅で降りる 眉間にほくろのある男の行動を報告しろ」
というもの。

当時 小川町には二つの駅があり どちらの駅でその男が降りるのか
迷いに迷う様子が描かれています。
 
イメージ 1
 
 
たぶんここがその交差点。
 
場所は神田小川町・神田淡路町のあたり。ニコライ堂から南へ坂を下りたところです。
現在も 地下鉄の駅二つ 小川町・淡路町があります。
 
なんてことのない 交差点なのですが (^ ^;
 

 
そして 漱石は熊本松山へ高校の教師として赴任します。
その時の経験がモチーフになっているのが 有名な『坊っちゃん』ですね。

『坊っちゃん』は 松山で赤シャツを懲らしめた後 東京へ戻り、電車の技手になります。

“親譲りの無鉄砲で子供のころから損ばかりしてきた” 坊っちゃんを
小さいころから見守ってくれたばあやの 清(きよ)。
 
坊ちゃんは 清を引き取って一緒に暮らし始めます。

 
 
坊っちゃんの最後はこう締めくくられています。
 
・・・清は玄関付きの家でなくっても至極満足の様子であったが気の毒なことに今年の二月肺炎に罹って死んでしまった。死ぬ前日俺を呼んで坊っちゃん後生だから清が死んだら、坊っちゃんのお寺に埋めてください。お墓の中で坊っちゃんの来るのを楽しみに待って居りますと云った。
だから清の墓は小日向の養源寺にある。

この清の墓は 坊っちゃん=漱石 、つまり夏目家の菩提寺 という説もありますが
今回は 本当に小日向にある養源寺に行ってみました。
 
写真はありませんが、住宅地の中にある 白壁の美しいお寺。
 
清に似合って ひっそりとしたお寺でした。
 
 
本駒込が最寄駅ですが、道を間違って 着いたのが 『目赤不動』。
 
東京の 五色不動 (目黒目白目青目黄)の一つです。
思わぬ収穫♪ 
 
 
松山を去り 熊本で先生をしているときに 鏡子(きょうこ)さんと結婚。   ※追記しました
 
熊本から戻った漱石は ロンドン留学を経て 東大などで教師の職に就きますが・・・
 
 
当時 漱石は千駄木に住んでいました。 その旧居跡には
『吾輩は猫である』に出てきた 猫 が今も塀の上をとっとっとっ・・・
 
イメージ 2

帰国後 いろいろなことに悩み その気晴らしで書かれたのが
『吾輩は猫である』と言われます。
 
 
ちなみにこの“猫の家”は 漱石が住み始める10年ほど前に
森鴎外も借りたという家で
現在は愛知県犬山市の明治村に移設されているそうです。
 
 
憂さを晴らしにきっと 近所を散歩したと思いますが
近くの根津神社には 鴎外や漱石が 散歩の途中で休んだ(と思われる)
文豪の石 が あります。
 
イメージ 3
 
 
すわって そばのつつじ園入口の鳥居を見上げると こんな感じです。
 
神社に参拝する人を見ながら 何を思ったことでしょう。
 
 
 
 
今回訪れた東京メトロの駅は 神保町と 東大前
ほかにも 漱石の足跡をしのんで 根津 小川町 本駒込 などの駅から
それぞれの場所へ向かいました。
 
 
 
 
 
 
ここ数日 春らしい日が続いたのですが また急に寒くなってきました・・・

「文豪たちの東京めぐり」夏目漱石編  その2 のお散歩です。

前回は生誕と終焉の地 が含まれていましたが、今度は 漱石の幼少〜青春時代を。
紹介の都合上 廻った順番ではございません。。。
 
 
まず最初に向かったのは お茶の水にある 漱石が卒業した “錦華小学校”跡。
現在は お茶の水小学校。
 
 
イメージ 1
 
小学生たち、この石碑 なんだかわかってるかなぁ。。。
 
 
多感な時期に 育ての親が実の親ではない と知った漱石です。

 
 
 
その後 現在の東大に入学した漱石。
 
初めて東大に 侵入してみました。。。
 
イメージ 6
これが有名な 赤門ですね〜〜!
もともと この一帯が 加賀の前田家のお屋敷だった名残だそうです。
 
この日は日曜でしたので学生さんもあまりいらっしゃいませんでした。
(けっこう私みたいにカメラを持ってぶらぶらしている人いましたよ^^)
 
 
工学部のほうなんて ちょっとしたプラントみたい・・・
いたるところから ガガガガガと何かモーター音がして(あれは室外機か!?)
ターミネーターでも出てきそうな感じでした。
 
 
 
イメージ 3
 
 
現役学生の方には申し訳ないですが
「ほんとにここで授業やってんの!?」と思っちゃうくらい歴史的な(ふるーい)校舎。
 
イメージ 2
 
まるでロンドンの街並みです。
 
今は枯れ枝にになってしまった 銀杏並木。
 
 
イメージ 7
 
並木の向こうが 安田講堂です。 
単体で見ると ちょっと廃墟のような感じがして コワかったですが。。。
 
ニュース映像か何かで 放水されているイメージが強くて  。。。
 
平和な日曜日でした。
 
 
 
漱石在学時のことが反映されている作品 『三四郎』の中で
主人公の三四郎は 美禰子という謎の女性に出会います。
それがこの 三四郎池。 当時は 心字(しんじ)池。
 
イメージ 4
 
姜尚中先生もよく見降ろしていたという池、よく整備され 遊歩道もあります。
(なぜか男子高校生が走り回って鬼ごっこしていましたが^^;)
 
 
水は 思ったよりきれい。
 
イメージ 5
 
 

池の向こうに 美禰子が・・・
 
 
なーんて 三四郎にでもなった気分で散策。
 
 
漱石はよく散歩をした、という話を 前回早稲田あたりを廻った時に知ったのですが
学生時代から よく歩いていたんでしょうね。。。
 
 
次に続きます  
 
 
 
 
 

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