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字幕映画のススメ

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なぜ1960年代末に邦画に特撮映画が増加したのか?

シン・ゴジラ』が大ヒットを記録している。
今月14日の時点で33億円を突破し、2014年夏に公開されたハリウッド版
GODZILLA ゴジラ』の最終興収32億円を上回ったことが明らかになった。

邦画五社が存在していた昭和30年代当時、それまで田中友幸プロデューサーの
元に特撮映画を多く生み出していた東宝を除いて、数えるほどだが
『宇宙人東京にあらわる』などを製作していた大映や『宇宙快速艇』などの
東映を別とすれば、松竹、日活などは全く蚊帳の外だった。

確かに昭和40年に円谷プロとTBS(東京放送)が組んだ本格的な特撮ドラマ
『ウルトラQ』それに続く昭和41年の『ウルトラマン』の放映で巷では
『怪獣ブーム』が巻き起こったが、それに刺激されて松竹は
大船撮影所で『大怪獣ギララ』(1967)
日活は最初で最後の怪獣映画である『大巨獣ガッパ』(1967)を製作したのか?
最終的な答えは違ったようだ。

東宝は1954年に製作され大ヒットした『ゴジラ』をアメリカに輸出した。
1956年に『Godzilla, King of the Monsters!』としてレイモンド・バーを
主演に再編集されてシネマスコープにトリミングされ米国では50万ドルを
超える大ヒット作品となる。
その後は東宝は特撮映画は海外セールスに向いていると判断、
1964年の『三大怪獣・地球最大の決戦』まで
海外へセールスして劇場公開させている。
(海外ではテレビ放送された『宇宙大怪獣ドゴラ』は別として)
そして1965年の『怪獣大戦争』からは
アメリカのヴェネディクト・ピクチャーズとの
共同製作が始まる。北米のマーケットを拡大するために
先方が製作費の半分を出す交換条件として
脚本をコンサルして白人のアメリカ俳優を出演させて日本版は日本語で喋らせ、
海外版は逆に日本人俳優の台詞を英語に吹替えさせて製作するという
オーダーに対して東宝は話に乗る。
そしてニック・アダムズが来日して東宝撮影所で『怪獣大戦争』と
同じくニック・アダムスが出た『フランケンシュタイン対地底怪獣』(1965)
ラス・タンブリンが参加した
フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ』(1966)が制作された。
製作会社を変えても『キングコングの逆襲』(1967・ランキン/バスピクチャーズ)
ジョセフ・コットンやシーザー・ロメロが出た『緯度0大作戦
(1969・ナショナル・ジェネラルほか)もこの方式で製作され海外市場でも
安定した収益を上げる事が出来た。

話を元に戻して昭和41年に通産省の管轄で社団法人
日本映画輸出振興協会」(輸振協)が設立された。
これは不況にあえぐ邦画各社に輸出を前提に製作する映画に
融資させるという措置だったが、
もちろん出資源は政府の国家予算、国民の税金から賄っていたのである。
1966年から3年間で出資予定は総額60億円、最終的には2年延長され
90億円の融資が予定されたが、
この制度を利用して「輸出適格映画」を製作したのは五社のうち
大映、日活、松竹の三社にとどまった。
日活が成人映画製作に転向、大映が倒産した翌年の1972年3月まで制度は続いた。
世間では映画は斜陽産業で潰れかかった映画会社を存命させるために税金を投入するということで批判の対象になっていた。

ただ、すべての作品に融資されるものではなく、
海外で配給されある程度収益があがる見込みでないと融資は
されない。そのために審査(かなりユルい)があり、
コンテンツは特撮・怪獣やスパイアクションなどジャンル、
海外俳優の起用、海外ロケーションなどの要素がないと融資されなかった。
その融資されて製作された第一号は大映のソ連でロケーションを行った
小さい逃亡者』(1966)大映は製作中の『大魔神逆襲』と
大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス』も輸振協へ追加申請する。
海外のマーケティングを調査中だった松竹も
「怪獣映画」が妥当と判断して輸振協へ申請して
1967年春休み公開予定で『宇宙大怪獣ギララ』を
二本松嘉瑞監督で製作に踏み切った。
ほとんど特撮映画の実績がなかった日活も輸振協へ申請して
大巨獣ガッパ』を製作、ただ1967年の春休みは大映の『ガメラ対ギャオス』、
松竹の『宇宙大怪獣ギララ』がぶつかることから、
封切日をずらして1967年のGWに公開した。
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大巨獣ガッパ』は野口康晴監督、下敷きは英映画の『怪獣ゴルゴ』
をヒントに作られた。
特撮は渡辺明(日本特撮プロダクション)が担当した。
主題歌は美樹克彦が歌い、日活初の特撮映画にしては出来が良かった。
野口康晴監督と仕事が多い山崎巌が脚本を書いたが、山崎は後年にこう述べている。

日活は大手映画会社の一つだったけれど、怪獣映画を作ったことはなかった。
『ゴジラ』シリーズが大成功していたので日活でも興味を持ったわけだ。
もし映画が海外のマーケットでにおいて成功すれば多額の収益が期待できる。
日活は映画産業の保護政策の一環として日本政府からの資金調達に成功した。
この映画の製作資金はそうやって得る事が出来たんだ。
国の予算を得る為に大規模予算の怪獣映画を書いてくれって
頼まれたわけだがおかしな話さ。
予算は五億円で、日活の通常予算の10倍の規模だった。
それが日本政府が全部払ってくれたんだよ!
もちろんそのお金は返さなければならないけど、
日活はホテルやゴルフ場や沢山の不動産を
持っていたからね。日活はその頃赤字だったから、
経営陣はその金を映画製作に使う代わりに
借金返済に使ってしまったんだよ。
突如として我々はずっと少ない予算で映画を作らなければ
ならなくなって、本当に腹が立ったよ。



5億円はオーバーかも知れないが融資額の半分はヤミ融資に
使われたかもしれない。
日活の『大巨獣ガッパ』は「借金返済」のために
製作されたと言われても過言じゃなさそうだ。

東宝と同じく輸振協の融資を受けていない東映はラム・フィルム/MGMと合作で
ガンマー第3号 宇宙大作戦』(1968)をオール海外俳優でスタッフは日本人
(監督は深作欣二)で東映東京撮影所で製作している。
ラム・フィルム側からは日本人俳優は出さないでくれと打診されたらしい。

松竹は現在ではカルト化されてファンが多い
吸血鬼ゴケミドロ』(佐藤肇嘉瑞監督)を製作したが、
これは輸振協に申請をしたものの、審査で却下されてしまっている。(理由は不明)
続く終末SF映画『昆虫大戦争』(二本松嘉瑞監督)は輸振協に
申請、融資を受けている。
松竹はこのジャンルではこの2本にとどめて、
『男はつらいよ』『影の車』などに変更して
昭和45年の『風の慕情』(中村登監督)を最後に輸振協に申請を行っていない。
松竹にとっても日活、大映ほどではないが、やはり映画製作は金がかかり
一時は映画製作中止も噂されていたぐらいだった。

特に経営が悪化していた風前の灯の大映、
日活はダイニチ映配による共同配給体制になってからは
自転車操業」が続いて大映最後のガメラ映画
ガメラ対深海怪獣ジグラ』(1971)まで
融資が行われたが、大映は借り入れを返すことなく
昭和46年11月に映画製作を中止、倒産した。
輸振協は管財人に対して返済残額1億八千万円を債権申し立てを行った。

『小さな逃亡者』から始まって最後の融資が許可された作品
『ガメラ対深海怪獣ジグラ』まで
61作品が融資が行われたが、五社協定で揉めて最終的には日活が配給した
石原プローモション/三船プロダクションの
黒部の太陽』(1968・熊井啓監督)は
融資申請を却下されている。理由は協会加入申請を却下されたという理由だが、
ここでも日活からの嫌がらせが働いていたと推測される。
後年に石原プロモーション製作の『甦る大地』(1971・中村登監督)は輸振協に
申請を行って許可されて融資を受けている。

現在は文化庁が行っている日本映画振興は映画製作の支援、海外映画祭への出品等
文化庁映画賞、文化庁映画週間、短編映画作品製作による若手映画作家の育成
映画団体等への人材育成事業の支援など
明確になっており、輸振協が行っていた「どんぶり勘定」による融資とは
骨子が違ったものになっいる。

衆議院会議録情報 第063回国会 商工委員会 第19号(1970・4.10)
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/063/0260/06304100260019c.html

参考文献
「戦後映画の産業空間」谷川建司・著(森話社)



輸振協から融資された作品とその融資額(単位:千円)
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  • 顔アイコン

    「シン・ゴジラ」の興収目標は当初40億円だったようですから、大幅に増えそうです。口コミと見た人の再見もあるようですね。

    特撮映画が増えた背景には、国の融資もありましたか。

    fpd

    2016/8/16(火) 午後 6:22

  • 顔アイコン

    > fpdさん
    会社を存続させるために怪獣映画を作り
    融資された金で借金の利子を払ってたというのが
    今回の話のキモでっせ。

    GH字幕

    2016/8/16(火) 午後 7:13

  • 顔アイコン

    こんばんは。
    外貨獲得のための特撮映画への融資の事は、最近読んだ中島賢 「スタアのいた季節 わが青春の大映回顧録」にも少しだけ触れられていて知りました。
    「怪獣ゴルゴ」見て、ガッパに似てると思いましたが、元ネタって書かれてました…。

    [ - ]

    2016/8/16(火) 午後 9:37

  • 顔アイコン

    単にブームだと思っていたら、そういう裏があったんですね。
    1960年代末、たとえ特撮映画であっても、各社の職人がアイデアを駆使した作品に私なんかはいちいち熱狂していました。
    昆虫大戦争はトラウマですね。

    [ ゾンビマン ]

    2016/8/17(水) 午前 0:37

  • 顔アイコン

    > bigflyさん
    日本映画輸出振興協会の立ち上げの
    旗振りは永田雅一だったのですね。
    で裏の黒幕はどうも田中角栄らしいのですが。

    GH字幕

    2016/8/17(水) 午前 0:48

  • 顔アイコン

    > ゾンビマンさん
    確か封切で「ゴケミドロ」は「黒蜥蜴」
    「昆虫大戦争」は「吸血髑髏船」だったかな
    タナベキネマか阪南松竹という映画館で観たかな。
    昆虫大戦争」は今観ても不気味な映画です。
    当時外タレの売れっ子キャッシー・ホーランは
    北浜晴子が吹替えをしていました。

    GH字幕

    2016/8/17(水) 午前 0:54

  • 顔アイコン

    外人さんがどの作品にも出てはるのは、そういうことだったんですね。単純に質が上がるからと思ってましたが。
    それにしても特撮映画が結果的に国策だったとは。

    [ tomosy ]

    2016/8/17(水) 午後 11:30

  • 内緒😷です。
    映画会社だけでは製作が不可能で、国の融資を受け存続の為に、特撮映画を作っていたとは‥字幕さんのブログは、本当に勉強になります。今、その特撮映画が皮肉にも高収益を得るとは‥ゴジラはいつの世代で製作しても、稼げる特撮映画(CG)なんでしょうか?

    [ pfm*ce*l ]

    2016/8/18(木) 午前 0:17

  • 表舞台の裏側にはそれぞれの思惑がうごめいていたんですね!

    MARUMA

    2016/8/18(木) 午後 7:08

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