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字幕映画のススメ

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    偉大なるケン・ラッセル監督に哀悼の意を表し、心からご冥福をお祈りいたします。
 
 
ケン・ラッセルはオリヴァー・リードとアラン・ベイツを全裸で、格闘させた。
そのケン・ラッセルはヴァネッサ・レッドグレーブを悪魔の尼僧に、リンゴ・スターにローマ教皇を演じさせた。
批評家および一般観客はしばしば彼の映画を嫌悪したが、俳優と彼のファンには愛されていた。
バチ当たりな聖像破壊の英国の監督はこの11月27日の日曜日についに84歳でその生涯を閉じた。
音楽、セックスおよび暴力をミックスした映画を作り、商業的にもある意味成功したケン・ラッセル。
その、最もよく知られている『恋する女たち』はD.H.ローレンスの原作だった。
また『TOMMY・トミー』は、エルトン・ジョン、エリック・クラプトンおよびティナ・ターナーたちが
出演したサイケデリックな狂想曲のロックオペラだった。
ケン・ラッセルは、変態的な描写または、恐怖的な嗜好(宗教の混乱またはその冒涜)
に魅了される作品を放った。
時に批評家たちは彼に攻撃的な寸評を投げつける・・・
ポーリン・ケイルは、ケン・ラッセルの映画が「触れるものすべての存在の価値感を下げる」と過去に書いた。
だが映画産業では、彼の映画はそれほど重要視されるものではなかったのだった。
トウィギー(ラッセルの1971年の映画『ボーイフレンド』に主演した)は、後年に
「スティーブン・スピルバーグとジョージ・ルーカスのような監督」と言っている。
グレンダ・ジャクソン(『恋する女たち』にてアカデミー主演女優賞を受賞)は、
ラッセルが「信じられないほどの視覚的な天性を持った人物」であると語る。
「英国の映画産業が彼を無視したのは非常にな残念な事です」と彼女は言った。
彼は、同性愛の人々のための障壁を取り除いた・・・その映画
『恋する女たち』は、1969年のケン・ラッセルを有名にした作品だ。
その当時の最もセンセーショナルな有名なシーン、アラン・ベイツとオリバー・リードの全裸のレスリング。
オリバー・リードは、監督が「正気でなくなり始めていた」とその時に思った。
「以前は、彼は健全で好感の持てるテレビ・ディレクターでした」とオリバー・リードは語る。
「だが、今は彼は狂気の好感の持てる映画監督です。」

『肉体の悪魔』(ヴァネッサ・レッドグレーブが主演する1971年の映画)は、
その米国公開のために極度にカットされたが、
来年の2012年に英国でDVDにて初めてディレクターズカットバージョンでリリースされる予定だ。(!)
ラッセルは、そのような検閲が「非常に退屈で極まりない」というコメントを1987年にAP通信社に伝えた。
さらに『肉体の悪魔』のアメリカの公開版を「単なる屠殺された無意味の作品」とケン・ラッセルは呼んでいた。
 
ケン・ラッセルの変態的なメンタル状態を表現した一編に、
幻覚剤で実験する科学者としてウィリアム・ハート主演の1980年の映画
『アルタード・ステーツ/未知への挑戦』(彼の類稀なハリウッドへの侵略映画)が浮上した。
だがこの映画はあまり話題にはならなかった。
後の映画は1989年に喜劇性の恐怖スリラー「白蛇伝説」。
それは領地の吸血鬼と戦う君主としてヒュー・グラントに変則的な役柄を与えた。
ラッセルはさらにオペラを監督し、エルトン・ジョンの「ニキータ」のためにビデオを製作した。
監督の息子(アレックス・バーニー=エリオット)は、ラッセルが発作を起こして、日曜日に病院で逝ったと語る。
「私の父親は静かに往生しました」とバーニー=エリオットが記者に伝えたそうだ。
「その顔は微笑で満ちた死顔だった」と・・・
未亡人は、死んだ時はラッセルが「おとぎの国のアリス」のミュージカル映画に取り組んでいたと言った。

AP通信のロバート・バーの記事を翻訳しました(一部割愛)
 
 
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                「恋する女たち」(1969年 日本公開1970年)
 
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               「肉体の悪魔」 (1971年 日本公開1971年)
 
主な監督作品
 
10億ドルの頭脳 Billion Dollar Brain (1967)
恋する女たち Women in Love (1969)
ボーイフレンド The Boy Friend (1971)
肉体の悪魔 The Devils (1971)
マーラー Mahler (1974)
トミー Tommy (1975)
リストマニア Lisztomania (1975)
バレンチノ Valentino (1977) (DVD題は『ヴァレンティノ』)
アルタード・ステーツ/未知への挑戦 Altered States (1979)
クライム・オブ・パッション Crimes of Passion (1984)
ゴシック Gothic (1986)
サロメ Salome's Last Dance (1987)
アリア Aria (1987)
白蛇伝説 The Lair of the white worm (1988)
レインボウ The Rainbow (1989)
ボンデージ Whore (1991)
逆転無罪 Prisoners of Honour (1991)
チャタレイ夫人の恋人 Lady Chatterley (1993 TVミニシリーズ版/1995 映画編集版)

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1974 (C) Universal studio
 
 ドン・シーゲル監督作品第6弾イメージ 6
 
ドラブル』(1974・ユニヴァーサル)
THE BLACK WINDMILL
 
ドン・シーゲルがリチャード・D・ザナックと組んで
イギリスで撮影したスパイ映画。
主演はマイケル・ケインドナルド・プレザンスも共演する。
シーゲル組からはジョン・ヴァーノンが参加。
音楽はロイ・バッドがスコアを書いている。

エスピオナージものだが、時は1974年、もうスパイ映画ブームは
とっくに去ってしまい、元祖ジェームズ・ボンドもロジャー・ムーア
がユーモア溢れるボンドを演じていた時代に作られた毛色の変わった作品。
この年は、ジョン・ウェインまでイギリスへ渡ってドン・シーゲル監督の『マンハッタン無宿』の
イギリス版のような『ブラニガン』(1975)を製作していた。

マイケル・ケインでスパイと聞くと、すぐにハリー・パーマーを
想像するが、この作品も実はそういうポイントを突いており、
イギリスのスパイ映画を少々パロディ化している場面が見受けられる。
(とか書いても、この映画はサスペンス映画であってコメディではないのだ)
MI6のメンバーの報告会でドナルド・プレザンスの局長が
「KGBのショーン・コネリーが・・・・」
「何だって!?」
「失礼、ショーン・ケリーでした」
「彼が裏切ったと思ったよ」(笑)
 
 
MI6のエージェント、タラント(M・ケイン)は大量武器密輸事件を
追っていたが、その組織のボスのマッキー(J・ヴァーノン)にも会えず
空振りに終わってしまう。上司のハーバー(D・プレザンス)に報告をしよう
とした矢先にタラントに別れた妻から電話がある。
それは息子のデヴィッドが誘拐され「ドラブル」と名乗る謎の男から
タラントを通じてハーバーに話があると言う事だった。
ドラブルの狙いは政府が密輸組織におとりにつかう50万ポンドの
ダイヤだったが、ハーパーは局員の誘拐事件に政府の財産は使えないと
冷たくあしらう。さらにマッキーがタラントを陥れる罠を仕掛ける。
MI6の協力も得られないタラントは単身、この陰謀に立ち向かうが、
マッキーの黒幕は意外な人物だった。
(1975年4月12日(土)公開 ユニヴァーサル映画=CIC配給)
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1974 (C) Universal studio
 

原題は「黒い風車
ドラブル(Drabble)はアメリカでのウォーキング・タイトルで
正式タイトルではなかったが、日本ではこの題名で公開された。
トラブル(Trouble)なら日本人でも馴染み深い言葉だが、Drabble(泥だらけになる)
という言葉は使わないでしょう。
だから映画は日本人にはタイトルの意味が分からずコケてしまった。
それなら何か陰謀を思い起こす「黒い風車」の方がずっと良かったに違いない。
 
 

イメージ 5ユニヴァーサル・スタジオ作品
 
監督: ドン・シーゲル 
製作: ドン・シーゲル 
 リチャード・D・ザナック 
原作: クライヴ・イーグルトン 
脚本: リー・ヴァンス 
撮影: オウサマ・ラーウィ 
音楽: ロイ・バッド
 
 マイケル・ケイン 
 ジョセフ・オコナー 
 ジョン・ヴァーノン 
 デルフィーヌ・セイリグ 
 ドナルド・プレザンス 
 ハーマイアニ・バドリー 
 カトリーヌ・シェル 
 ジャネット・サズマン 
 ジョス・アックランド 
 エドワード・ハードウィック
 
テクニカラー(ロンドン)
パナビジョン(1:2.35)
英語
モノラル
106分
 
 
 
DVDはキングレコードより発売 (レンタルはおまへん・・・)

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