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1981 (C)Magna Films MONICA VITTI
『オベルヴァルトの謎』(1980年・伊=西独)日本未公開 Il mistero di Oberwald ジャン・コクトーが彼の「愛人」だった
ジャン・マレーのために書いた舞台劇「双頭の鷲」を ミケランジェロ・アントニオーニ監督がビデオカメラで製作した。 主演はかってアントニオーニの恋人だったモニカ・ヴィッティ。 『赤い砂漠』(1964)から15年ぶりに自分の作品に起用した。 他にフランコ・ブランチャローリ、ルイジ・デヴェルッティなど もともとイタリアのテレビ用に製作された作品だが
ビデオからフィルムに変換されて1981年の9月にイタリアで劇場公開 その翌年の1982年の12月にRAI第二チャンネルにて放映された。 婚礼の日に夫のフリードリッヒ王が暗殺されたために
寡婦(後家)になってしまった王妃エリザベッタ(M・ヴィッティ)は 悲しみのあまり、ずっと城内に引きこもり、外部と接触を絶ってしまう。 王妃と接するのは読書係のベルク嬢(E・ポッツィ)だけだった。 一方詩人でアナーキニストのセバスティアン(F・ブランチャローリ)は 王妃暗殺を企てるが警察に追われ負傷しながらも城内に逃げ込む。 彼を見つけたエリザベッタはセバスティアンがあまりにもフリードリッヒ王に 容姿が似ているので彼の事を警察長官のフェーン伯爵(P・ボナッチェリ)に知らせず 城の中にに匿う。王妃とセバスティアンはお互いに心惹かれて行くが、 ついに王妃が国政を執るために都に戻る日に、セバスティアンは彼女の事を 思いそして庇うために自ら毒を飲む。それを発見した王妃は側近に セバスティアンを騙して毒を飲ませたと嘘をついて、瀕死のセバスティアン にナイフを握らせ彼の手で自ら刺し殺せたのだった。 毒死のセバスティアンと刺殺された王妃エリザベッタのふたつの死体が残った・・・・ 1981 (C)Magna Films
ミケランジェロ・アントニオーニはラ・レブリッカ紙のインタビューで フィルムとエレクトロニクス(ビデオ技術)について 聞き手のアンナ・マリア・モリ記者にこう語っている。 (モリ)よく知られていますが、フィルムは痛みます。
少し前からマーティン・スコセッシは他の人と一緒にシネマテークや 他の保存所に於いて映画が緩やかに死に向かいつつあるのを救うために、 SOSを発しています。 新しいテクノロジーで製作された映画はこうした病から免れ、 多少なりとも、長生きするでしょうか? (アントニオーニ) 残念ながらそうはならないでしょう。
磁気テープも、フィルムと同じように痛みます。 けれど将来、磁気テープを痛みから救う機器が出現することは 容易に想像できます。フィルムはそうではなく、絶対に消えゆく運命にあります。 緩やかで不可避的な進化によって、映画がエレクトロニクスのものとなるからです。
百パーセントそうなります。フィルムで作られた映画には、 もはや残された余地はないと考えます。 伊「ラ・レブリッカ」紙 (1983年11月15日)
「アントニオーニ 存在の証明」(フィルムアート社)から引用しています。
当時はまだビデオ機器自体の解像度がフィルムを凌いでいなかった
ために、劇場では35ミリフィルムに変換(キネコ)され上映された。 ミケランジェロ・アントニオーニが28年前に新聞に語った予測は 現在は現実のものとなっている。 映画製作はもっぱらハイビジョン・ビデオで撮影され 編集やダビングもフィルムは使用されなくなってきた。 最後の砦だった劇場も設備が整備され、DLP上映が一般的になり 35mmフィルムで配給される作品は減少している。 ちなみに7月11日の大阪TOHOシネマズなんば(12スクリーン) では22作品が上映されたが、フィルムで上映されたのは 3作品だけだ。あとは全部デジタル上映だった。これが現実。 ラジオ・テレビジョン・イタリアーナ(RAI)
ポリテル・インターナショナル 製作 監督:ミケランジェロ・アントニオーニ
脚本:トニーノ・グエラ ミケランジェロ・アントニオーニ 原作:ジャン・コクトー(双頭の鷲) 撮影:ルチアーノ・トヴォリ 音楽:グイド・トゥルキ 編集:フランチェスコ・グランドーニ モニカ・ヴィッティ
フランコ・ブランチャローリ ルイジ・ディベルッティ エリザベッタ・ポッツィ パオロ・ボナッチェリ アマド・サハ・アラン 129分
ビデオ撮影 イタリア語 1:1.37フォーマット |

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