Rick'sCafe:Vere ac libere loquer

人類は神に創られ、その意に従うべき神の僕servus Dominiであり、神の下女ancilla Dominiである。

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Ave Maria!

昨夜は所属教会のためのマリアさまの御ミサでした。
7時と10時にもあったようですが、こちらは一般向け。
19時は小教区向け。
主任司祭のアベイヤ司教さまと、あとお二人の神父さまの司式でした。

小教区向けと言っても司教ミサですから贅沢ですね。

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お歌はこちら↓

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閉祭のファイル曲は「あめのきさき」でした。
一番が日本語、二番が英語、三番がベトナム語でした。
Rickの趣味では「サルヴェ・レジナ」でラテン語にての一致ですが、まあこれもアリかな。
「多様性の中の一致」というものか。

アベイヤ司教さまのお説教はとてもスタンダードにマリアさまを語られました。
スタンダードというだけで嬉しいです。
アベイヤ司教さまの背中↓

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マリオ神父さまからひざまずいて御聖体を舌に受けました。

御ミサのあとはパーティーでした。
前田枢機卿さま、酒井司教さまも来られました。
いや、これも贅沢ですね。

実はRickは前田枢機卿さまが苦手でした。
色々あったし…
でもお話して誤解がとけて喜びに変わりました。
やはり対話は必要だな。

ある神父さまが「今日の各国語の聖歌もいいけど、一曲くらいラテン語を入れたら良かったのにね」と笑顔で言われました。

楽しいパーティーでした。

Kyrie eleison

左はRick、右は誰でしょうか?(笑)。

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8月15日に想う

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Ave Maria!

Teikoさんに「次の記事で書くよ」と言っておいて違う内容でごめんなさい。
一応8月15日から思った事を少しだけ。

まあ8月15日は「終戦記念日」だから戦争の事を普通は書くんだろうけど、Rick個人としたら「屈辱の日」なのでその感覚で。
Rickは大前提として後世の人がその時の規範や感覚とかで過去を裁く事は大嫌いです。
歴史は後世の人間が口出しできるものではないと思うから。

確かに日本は植民地政策をとったと思います。
悪い事もした。
だけど、それによる恩恵もあった。
だから一概に現代の感覚で図ってはいけないと思います。
いわゆる「従軍慰安婦」だって商売だよ。
日本では戦後だって昭和33年だったか売春防止法ができるまでは基本的に合法だな。
Rickは合法だから構わない!問題ないと言うほど鬼畜ではない。
親や業者に騙されて苦しい思いをした人はいると思うから。
それはアジアの女性だけではなく、日本の遊女さんだって同じだよね。
だけど現代だって大阪には「新地」があって自由恋愛という事で売春が公然と行われています。
では「新地」の女の子が全て苦しいのか?と言えばそうではない。
今は「手っ取り早く稼げる」という事で自分から就業を望んでいる若い女の娘が多いね。
たぶん殆どがそうなんだろうね。
ここでRickの経験を一つ。

実は大昔に大阪ミナミでパブの雇われ店長をしていた事があります。
キャバクラ全盛期を過ぎた頃ね。
Rickはキャバクラは好きではありません。
北新地のクラブ(高くて行けませんが)や芸妓さんと違って「アホ」な娘が多くて「なんで客が店の人間に気を使わなアカンねん」という印象。
でもどこの店でもナンバー1は聞き上手ではありました。
必ずしも美人とは限らない。
ナンバー2、ナンバー3は美人系だな。
でもそれだけで何も持っていなかったりします。
ただ、この辺りの女の子は稼いでいましたよ。
月収が凄かった。

ただバブルの崩壊が後追いで現実のものになりました。
キャバクラに客が来なくなったわけね。
閉店ラッシュが続きました。
開けてる店は閑古鳥が鳴きまくり。
たぶんキャバ嬢の収入は激減。
中にはシッカリと財布の紐を縛っていた人もいたのでしょうが、Rickが見る限りかなり派手な生活をしていました。

人間って一度贅沢を覚えるとなかなか生活を変えられないんですよ。
ある頃に「あの娘、未収を残して飛んだらしいで」と近隣の店で噂が広がり始めました。
それも一人や二人ではありません。
実際にRickの店の常連のキャパ嬢数人もそうでした。
で、ある日従業員の男の子が「○○ちゃんって飛田新地で座ってるらしいよ」と言いました。
○○ちゃんは有名キャバクラのナンバー2でRickの店に10万円ほどの未収を残して飛んでいました。
ウチはまだましでした。
とりあえず回収しなければなりません。
従業員と一緒に飛田新地に行くと座っていました。
一発15000円くらいだけど一日何人を相手にしているのだろうか。
だいたい風俗の収入の相場は値段の三分の二くらいだからね。
たぶん頑張ってもキャバクラよりは低い。
だけど普通の仕事よりは多いかもね。
まあRickは「この状況ではいくらなんでもキリトリはでけへんな」と従業員に言って帰りました。
借金があるなら(返す気があるなら)仕方がないけど、たぶん生活を変えれないんだと思いました。
500メートルでもタクシーに乗るとかね。
まあこの頃は特殊だったのかも知れませんが旧知の闇金さん(ミナミの帝王みたいな人)から「最近はホストにはまって借金がかさみ自分から風俗に行く娘がほとんど」と聞きました。
それもループして永遠に繰り返すそうです。
そんな経験や話を聞いているから「従軍慰安婦」も全てが苦しかったとは思われないな。
ましてや「性奴隷」とか。
韓国も日本に対して難癖つけるなら自分達がベトナム戦争時にやった事を思い出して欲しいな。
オーパルパルだっけ?あの扱いはどう考えているのかな。
とりあえずRickはそんな感じです。

さて次に…
知り合いのおじいさんから8月15日の思い出を聞いた事があります。
玉音放送を聴いた上官が15日の夕刻に自決した。
人生の中でとても印象に残っている出来事らしい。
おじいさんは毎年上官のお墓参りに行っているそうです。
とても尊敬しているらしい。

さて「現代人」や「進歩主義者」にとってはこの上官は「戦争の犠牲者」「国家の犠牲者」「愚かな人」とかになるんだろうね。

だけどRickはその「潔さ」には感服します。
日本人は「あっさり」「潔く」の文化なんだよ。
「花は桜木、人は武士」だな。
散りゆく桜は美しい。
なんだろう…この感覚は。
理由は分からないけどRickの心を揺さぶるのは事実なんだよな。
やはり日本人なのかな。

カトリック的なのかは分からないけど…
Rickなら捕虜になっても自決せず(まあ、そもそも自殺はしない)に収容所からの脱走や後方撹乱を企てたり、負けても生き残って国家の再建に尽力したいんだけど。
まあ、それはそれこれはこれです。

Rickは軍事オタクの傾向もあります。
こんな事を書いたらすぐに「右翼」とか言う人もいるけどそうではありません。
基本的にはカトリック伝統の正戦論に基づいた防衛戦以外は戦争は避けるべきだと思っているから。
Rickがオタクなのは…
保有戦力から作戦を立て最大限の効果を狙う。
そこには兵器の性能や数、扱う人のレベルもあります。
そして実際に戦闘が行われて予期せぬ事も起きます。
それらがとても興味深いです。
実際に戦闘がなくても「キスカ島撤収作戦」は素敵?だと思う。
よくやったよな♪

あ、なんか話が逸れてしまった(汗)。

なんで「従軍慰安婦」や「自決」の話を書いたのかというと、やはり後世の感覚や一面だけで物事を測ってはいけない!と思うわけです。

そして、どちらも良い方向に向かわせるのは今後のカトリック化しかないように思ったりします。
そうすれば全てが解決さ。
過去は過去だよ。
問題はこれからどうするか?だよ。

日本人は「頑張った」と、それで良いと思う。

さて、もう一つの8月15日なんだけどマリアさまの「被昇天」の日だよね。
マリアニストではないRickは詳しくないから「無原罪」と「汚れなき」の聖母を同じに思ってたりします。
何かに詳しくあるのかな?
まあ、そんな感じなので連想したのが聖コルベ神父さま。
「聖母の騎士会」の人ってフリーメイソンとか秘密結社を警戒しているんだよね。
知っている会の人々は大抵そんな感じ。
規約にもあるらしいですね。
そもそも聖コルベ神父さまは、そのために会を作ったんじゃなかったっけ。
まあこの辺は詳しくないRickです。
だから今日は「秘密結社の回心のため」にお祈りしたいと思っています。
そして社会における「悪魔の実存」に対して闘いの再確認をイエズスさまとすることでしょう。
Rickにとって8月15日はそんな日です。
「不戦の誓い」とかではなく「闘いの思い」を強める日ですね。

今夜は所属教会で小教区のためのマリアさまの御ミサがあります。
その後はパーティーだったりする(笑)。

実は今月の勤務表を作るときに悩みました。
12日の「主日」か15日のマリアさまのどちらを取るか。
お休みにする日ね。
やはりアホ信徒なので「マリアさま」を取ってしまいました。

まあRickはそんなもんです。

なんかまたsabukitiさんから長い!って書かれそうだな(笑)。

Kyrie eleison

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少しタブーなもの

Ave Maria!

今回は少しタブーなもの。
と言ってもいつもの戯れ言。
いやちょっと思った事を書きます。

Rickは教皇フランシスコに対して彼の言動にたいして「Rickはアホだから理解できないだけ」と思っています。

また教皇フランシスコは第2バチカン公会議の「変えるべきもの」、ベネディクト16世名誉教皇聖下は「残すべきもの」を表していると好意的に思っています。
以前にリキオさんとコメント欄で「アホだから理解できないよね」とお互いに話していました。
ワケわからなくても「でも教皇さまが仰る事だから…」と受け入れる努力もしてきました。

実は「イエズス会出身」と「フランシスコ」という名前で警戒心が芽生えていた事を告白します。
Rickは「聖イグナチオ・デ・ロヨラ」「聖フランシスコ」の霊性は素晴らしいと思っています。
だけど、それはカトリック教会のバリエーションとしてであって「カトリック=」になっては絶対にいけないと常々思っていました。
その二つの因子を持った教皇さまですから初めは斜に構えていました。
まあ、その「斜」は今はないですが。

まず洗足式に女性を混ぜた事は衝撃的だった。
でも「教会は野戦病院」というのは理解できた。
「同性愛者」への「差別」は良くないとは思うので、これも理解できた。
またロシア正教の総主教との共同宣言があったから安堵しました。

色々あったけど「イエズスの愛」を言い方が悪いですが「そこを強調する方だな」といった印象があった。

Rickは「離婚者」である。
だから必死になって「告解」をした。
カトリさんと△△さんの助けもあってね。
生まれて初めてくらいの痛悔をして。
そしてイエズスさまから赦されました。
そんなRickだから言えるのかも知れませんが「民法上の再婚」は恒常的な「姦淫状態」であります。
だからそれは強烈な「罪」の状態です。
カトリック信徒なら当然の感覚のはず。
「罪」の状態で御聖体を欲しがるなんて言語道断です。
なのに「司教さまの判断で御聖体を拝領できる?」なんて絶対にアカン!
一部の聖職者が立ち上がったのは嬉しかった。

酒井司教さまは「教皇さまがなさる事はなんでもアリ」みたいな事を動画で言っていました。
それは分かっているので「理解できない」場合は、まずRickは「アホ」で受け止めてきました。


8月2日に正式にカトリック教会として「死刑制度反対」を打ち出しました。
カテキズムを書き換えたとの事。

「死刑」についてヨハネ・パウロ2世さまの見解は理解できる範疇でしたが今回は少し違います。

【改定前の2267】

教会の伝統的な教えによれば、違反者の身元や責任が完全に確認された場合、それが不当な侵犯者から効果的に人命を守ることが可能な唯一の道であるならば、死刑を科すことも排除されていません。
攻撃する者に対して血を流さずにすむ手段で人命を十分に守ることができ、また公共の秩序と人々の安全を守ることができるのであれば、公権の発動はそのような手段に制限されるべきです。そのような手段は、公共善の具体的な状況にいっそうよく合致するからであり、人間の尊厳にいっそうかなうからです。
実際、今日では、国家が犯罪を効果的に防ぎ、償いの機会を罪びとから決定的に取り上げることなしに罪びとにそれ以上罪を犯させないようにすることが可能になってきたので、死刑執行が絶対に必要とされる事例は、「皆無ではないにしても、非常にまれなことになりました」。

これはRickは理解できました。
しかし…

【改定後の2267】

合法的な行政機関が、公正な裁判に従い死刑を用いることは長年、特定の重大犯罪に対する適切な対応であり、たとえ極端ではあっても、共通善を守るための手段として受け入れられると考えられてきました。
しかしながら、今日、たとえ非常に重大な罪を犯したあとであっても人間の尊厳は失われないという意識がますます高まっています。加えて、国家が科す刑罰の意義に関して、新たな理解が現れてきています。最後に、より効果的な拘留システムが発展してきており、それによって市民の安全を適正に確保することができますが、同時に、犯罪者から罪を償う可能性を決定的に奪うことはありません。
これらの結果として教会は、福音の光に照らして次のように教えます。「死刑は認められません。それは人間の不可侵性と尊厳への攻撃だからです」【1】。さらに教会は全世界での死刑廃止のために決意をもって働きます。

これは中央協議会の算定訳です。

中央協議会を全く信用していないRickですので「リード文」である可能性を探ってはみますが、今回は概ね大差はないかもね。
以前だったらRickは原文から考察するんだけど、そこまでの気力がないです。
気力のある人は考察結果を教えて下さい♪

さて中央協議会の暫定版からですが、「
今日、たとえ非常に重大な罪を犯したあとであっても人間の尊厳は失われないという意識がますます高まっています。加えて、国家が科す刑罰の意義に関して、新たな理解が現れてきています。」がまず気に入らない。
この文の前はこれまでのカトリック教会の考え方で、この文は改訂の「理由」ですね。
でも「今日」「新たな理解」がRickは特に気に入らない。
それはフリーメイソンの影響が多大である現代社会を「正しい」とする事が前提ではないのか?とか考えてしまいます。

「効果的な拘留システムが発展してきており」って何の事だか全く分かりません。
具体的になんの事なんだろう?

まあ唯一「犯罪者から罪を償う可能性を決定的に奪うことはありません」については部分的には分からないでもない。

Rickは教皇空位論者ではない。
いわゆる保守派は教皇さまを批判しません。
Rickも決まった事ならばカトリック信徒として従い「死刑廃止論者」になりましょう。

実は「死刑」に関しては元々「消極的推進論者」だったので切り替えられない事はありません。
「憲法九条」だって個人的には、変えても変えなくても良かったりします。
単に「九条教」が嫌いなだけ。

ただどちらも「理由」に納得できたら良いという事。

そういう意味では今回の「死刑」については「理由」に納得はしていません。

先日の所属教会の信徒さんが言ってた「今の教皇さまはフリーメイソンという噂がある」というのを思い出してしまいました。
やはり「今日」「新たな理解」ていうのが大変引っ掛かるRickです。

この理由はカトリック教会が「現代社会」に負けた気がします。
迎合したようで悲しくなりました。
ヨハネ23世さまの言った教会の「現代化」とはフリーメイソン化だったのか?

やはりRickはアホだから分からないなぁ。
いや本当に。

今日は日本語で…

主よ、憐れみたまえ。

今夜の晩ご飯はこちらで↓
金曜日だから野菜ばかり食べました。

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カトリック信徒です

Ave Maria!

Rickの夜は週二のカトリック居酒屋、週一の高齢の板さんの季節料理屋さんというパターン。
最近はそのあとに隣の区と言っても自転車で三分くらいの「ハンジャン」というBarが加わっています。
「ハンジャン」とはハングルで「一杯」という意味らしい。
安くて客同士がよく話すパブみたいな感じが好きです。

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やはりRickは「人」が好きかもね。
通勤経路の関係でエキュメニカルな英国風パブには行けてないな。
他の日は家で過ごしています。

今回はちょっとしたお話。

以前にある「社会派」の神父さまがローマンカラーをしないので何故か?を聞きました。
面白い事を言われました。
「普通の服装で色んな善いと思われる事をやってみて何かの時にバレて『えーカトリックの神父さんやったんや』と言われたらカッコええやろ?」と言われました。
カトリックの神父としたらRickは賛同しないけど、おじいちゃんだけど可愛い人だな♪とか思いました。
Rickよりも天の邪鬼だね(笑)。
ある意味「敵」なんだろうけど、この神父さまは人間としては好きですね。

Rickは職場では「カトリック信徒」とは言ってはいません。
マリアさまのおばあさんくらいです。

でも「いきつけの店」では早いうちにカミングアウトしています。
いや何か繋がりそうな話題があればその時にね。
何というか一般論とは違うけど「事故防衛」かな。
「カトリック信徒です」と言うことで色々と「保たれる」ものがある気がしてね。
善い事をしても、悪い事をしてもカトリックという看板で見られるわけで…
その状況を敢えて作っているような。
だから悪い発言や行為は出来なくなります。
中学や高校で制服を着ていたらタバコを大っぴらに吸いにくいのと同じかな。
だからRickは制服のない学校って良くないと思うわけ。
Rickはダメダメだからね。

ローマンカラーをしない、スータンを着ない神父さまには、そのようなアホさはないから大丈夫なんだろうね。
服装とかに頼らなくても良いんだな。
そんな低レベルな信仰ではないのでしょう。

でもRickは「私はカトリック信徒です」と宣言しなければやっていけないダメダメです。

今回は短いでしょう?sabukitiさん(笑)。

Kyrie eleison

昨日はホームのお年寄りの希望で海に行きました。
「早く行かないと夏が終わっちゃう!」とティーンエイジャーみたいな事を言われたから(笑)。
さすがに泳がなかったけどね(笑)。
ここは武庫川の河口かな?↓

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Ave Maria!

今日は仕事の関係で所属教会の朝ミサ。
詳しい事は聞いてはいないけど9月くらいまでアベイヤ司教さまが主任司祭だから、少なくともこの間はずっと司教ミサなんだな。
なんというお恵みなのでしょう。
今日のお歌です↓ ファイル37は「主は水辺に立った」だよ。ミサ曲は207が一番好きかも。

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今日の福音
〈第1〉出エジプト16・2-4、12-15
〈第2〉エフェソ4・17、20-24
〈聖福音〉ヨハネ6・24-35

アベイヤ司教さまはお説教で「私も含めてパン(御聖体)を生きる糧として本当に心から必要だと思っているのか」と話されていました。
確かにそうだよね。
この部分に関してはオプス・デイに通ってある程度の理解ができたとは思うけど、以前の所属教会だけではまあ無理だわ。
アベイヤ司教さまはこの辺は厳しいな。

さて昨日だったかコメント欄でsabukitiさんに昔に喧嘩をして南署に連行された話を書きました。

それで思ったのが「平和のための喧嘩は罪なのか?」
「誰かを守るための喧嘩も罪なのか?」
です。

これは正戦論にも繋がるかも知れない。
ある意味、日本人の八月に似合う話かもね。

これについては酒井司教さまに一度聞いてみたかった事の一つ。
聞けずに今日まで来ています。
あ、正戦論に基づいた意見をサラっと勉強会で言いかけた事はありましたねー。
「あー正戦論ね」と一言ありましたが流れ的に「ごめん、今は言わないで」って感じだったから話を続けなかった記憶があります。

Rickはここ25年くらいは暴力的な喧嘩はしていません。
今でも口は出るけど手は出ない。

元々喧嘩をしたい訳でもありません。
Rickを知る人からは「温厚な人」だとよく言われます。
「温厚」かどうかは分からないけど自分の事で何かされて怒る事は少ないな。
たぶんRickの思考回路では自分以外の人が何かをされた時に怒るみたい。
あとは権力をかさにきて変な事をしている人達に対してかな。

イエズスさまは柔和でいなさいと言われた。
たぶん普段は努力しなくても柔和なんだな、これが。
実はトゲトゲしていません。

だけど何かがあれば言葉のレベルであっても剣を抜いてしまいます。
これはイエズスさまから注意されそう。

イエズスさまは柔和を言われたがエルサレム入城後に神殿の境内で暴れている。
これは何を意味するのだろう。
あの時のイエズスさまは天主さまに向かう「垂直思考」からだけど、「愛の掟」から考えると隣人に対する「平行思考」から怒ることがあってもおかしくないはず。
いやいや日本におけるカトリックは共産主義や何かカトリック以外のものに侵食されているとはいえ、動機はこの部分だな。
だからRickは昔から変な思想に基づかなかったら教会の社会活動自体には肯定的ですよね。
「カトリック正義と平和協議会(正平協)」やシナピスだって変な思想や理屈さえ用いなければ良いだけで必要であるとは思います。
教会がアクションを起こすのはアリだと思っています。
聖ピオ十世会だってマーチフォーライフに力を入れていますよね。
だから「喧嘩」というより「行動」は必要なんだよな。
ただ、それだけになってはいけない。
なんでも「善意」として悪魔の手先になってもいけない。

さてRickの喧嘩は汚いです。
そう思われるようなやり方かもね。
基本的には喧嘩は勝たなければいけない。
それは日本の敗戦から学んだ事。
Rickは日本が全て正しかったとは思わない。
反省点はありますよ。
だけど正しかった事もあります。
でも、その正しかった事も戦勝国の理論や戦後の変な価値観的物差しで計られる。
それを見てきたので、「勝つ」以前に負けてはいけないと感じています。

Rickの汚い喧嘩とは…打算ではなく計算した喧嘩。
乃木さんみたいなのは昔から好まず、大村さんの戦い方を好みます。
話し合いで済むところは話し合い、戦う時には勝つ方法論を考えます。
引き分けでもいい。
戦略に基づいてガチンコの正面攻撃、ゲリラ線、情報線など有効な戦術を選びます。
気持ちは別として必ずしも正面攻撃だけが美しく正しいとは思わないからね。

以前に老人保健施設の面接のために母体の病院へ行った時に受付でチンピラが暴れていてみんなが困っていました。
Rickは敢えて挑発しました。
戦術として「一発どつかせたら病院も大義名分ができ警察を呼べる」という計算。
チンピラだから話は通用しません。
だから相手に合わせた対応にはなります。

長ドスを持った相手が隣人を攻撃した場合に「柔和」「寛容」といった態度で良いのでしょうか。
目の前で娘がレイプされても抵抗しないで良いのでしょうか。
「憲法9条」が守ってくれるのでしょうか。
「平和」は作る努力が必要です。
戦術としては対話が基本ですが喧嘩は相手があるものです。
でも全ての人間が隣人なのでしょうか。
共産主義やフリーメイソンも隣人なのでしょうか。
そりゃ、その関係者に対してお祈りする事も大切です。
しかし「平和」のために、悪魔の手先から隣人を守るために、銃を持たざるを得ないという状況はあるのではないかと思います。
無関心や傍観はアカンでしょう。

でも、そのような事をイエズスさまは赦して下さるのだろうか。

カトリック教会の中には「正戦論」を捨てるように言う人々があります。
本当にそれで良いのだろうか。

絶対的平和主義は平和から遠い考えだと思います。

今日の第2朗読では、「古い人を脱ぎ捨て」とあります。
聖アウグスティヌスや聖トマス・アクィナスは「古い人」なのでしょうか。
「正戦論」を認めるRickも「古い人」なのでしょうか。

少なくともRickは見て見ぬふりは、罪だと感じています。

また場合によっては「負けると分かっていても、やらなきゃならない時」もあります。
Rickはそれをやってしまうんだよな。
「真っ赤な太陽、燃えている〜♪」とか歌いながらね(笑)。

一般的にこの時期は「戦争を二度と繰り返してはいけません」とか書くんだろうけど、天の邪鬼なRickはこんな話を書いてしまいます(笑)。

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新しい大阪カトリック時報を読むと相変わらすビスカルド篤子の記事がある。
今回はとりとめのない記事なんだけど、名前を見るだけでイライラします。
彼女の何がRickを逆撫でするんだろう。
司教区の中心にいて誤謬を織り混ぜた記事を書くからかな。
話したことはないけど、教区ミサとかでの態度は腹が立つよ。
いつかは決着をつけなければならないのかな。
あいつを野放しにしてはいけない!とか思ってしまいます。
まあ、名前を見ただけでイライラするのは改めなければならないRickです。
しかし松浦一族は問題だな。
ゴロー司教さんは優しくて「いい人」ではある。
ビスカルド篤子も話せば「いい人」なのかな。
部分的にはかなり共感できるとは感じてはいるんだけどね。
外国人問題について行政に対する引っ掛かる点は同じだったりするけど、理論展開が全く違うンだよ。
「いい人」でも悪魔の手先もいるし、「変人」でもイエズスの兵士もいますよね。
なかなか難しい問題。
まあ、それが「人間」なんだろうな。

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Kyrie eleison

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