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彼らにとって、こういった技術に対して「NO」を言うのは、それまでも、現在も相当な苦しみの中にあると思う。
それなのに、世間の反応といったら「そこまでして望まれたんだから幸せ。感謝しろ」というものが多いようだった。苦しい胸のうちを公にすることすら許されない。愚痴すら許されないのだろう。
理不尽な目にあったら「どこにでもあるよ!」で済まされてしまうものも、
こと「子供がほしい」は許される。
社会がまだ「子供のいる家庭」=「普通」とさせてしまいがちな風潮があるのも否定はしないが。
両親に黙ったままでいられようが、
告知を受けようが、
生まれた側はどうしようもない不安感に駆られて、少なからず人生に影を落としてしまうものだと思う。
ときどきこういった生殖補助医療で生を受けた人のドキュメンタリーがあってみるが、それははっきりしている。
日本でのAIDは、完全匿名だから、見ぬ遺伝上の父を、自分のルーツを辿ることができないし、
それが許されない。そして、こうして声をあげて反対声明を出そうものなら、叩かれる。
少なくとも子供への権利を保障する必要があるが、もともとが秘密裏に行いたがる国民性であれば、
それが実るまでにまだまだ時間がかかってしまいそう。
これから、不定期に会合が開かれるようだし、
日本学術会議でも再び、専門家による議論が開かれるそうなので、
傍聴が可能なもので、それに都合がつけられるなら、足を運んで、
彼らの思いがかき消されないよう、かげながら、応援していきたいと思っている。
技術の運用の是非は、本来は議論するまでもないことで、
子供がほしくて・・・という気持ちをどれだけ汲んだとしても、NOしかない。
決してそれは、それにより生を受けた側、親側の子供がほしい気持ちを、
真っ向から切り捨てるものではないのに。
どうして親目線でしかものを語れないのか。
どうして、子供がほしい、が駄々をこねれば許されると思うのだろう。
人生、ほしいものが手にできず、こぼれ落ちていくもののほうがむしろ多いくらいなのに。
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代理出産をテーマにした本を読んだことがありますが・・・そこでは「日本では、こういった方法で生まれた我が子に対してその事実を伏せようと考える夫婦がとても多い」と書かれていました。
そもそも、そのように事実を隠そうと考えてしまうのならば、最初からこんな選択はしない方がそのご夫婦にとってもいいと思うのですが。
どうしても子供が欲しい、だからAID(もしくは代理出産)という手段を取る・・・ならば、その事実を覆い隠さずに生まれてきた子供と正面きって向き合う覚悟をしなければいけないですよね。
私は、子供がいないし、子供が欲しい気持ちをいまだに持ってはいますが・・・AID出生児らの悩める心境を考えると、自分ではこういう選択肢を選ぶことはできないですね・・・。
2010/3/22(月) 午後 1:09