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奥羽の戦国模様を眺めると、群雄割拠今を盛りの観を呈していた。
まず、米沢の北方には羽州探題の最上氏が山形城に拠り、現宮城県の北部には鎌倉時代以来の名門葛西氏と奥州探題の大崎氏が、東西に分かれてひかえていた。最上氏は正宗の母義姫の生家で、当主の義光は正宗の伯父に当たる。本来ならば縁戚親しい間柄のはずであるが、両家の境界線は絶えず緊張感をはらみ、うわべだけの静謐を保っているに過ぎなかった。
一方、南方に目を転ずると、現福島県の浜通りには小高に相馬氏、平に岩城氏、会津には芦名氏が居を構えていた。いずれも鎌倉時代からの歴史を有する大名である。
特に芦名氏は十六世紀盛氏の時、近隣に領土を拡大し、南は越後・家柄ともに奥羽の覇権を賭けて争うことになる。
これら浜通りと会津に挟まれた細長い仙道地方(中通り)には」、田村・畠山・石川・二階堂・白川といった中小の諸氏が肩を寄せ合うように割拠していた。
彼らは周りを囲む有力大名の力関係を巧みに窺いながら、生存の方策を探っていた。そして、これら南方の諸大名の背後に、反伊達軍の総帥の如く、常陸の佐竹氏がひかえていたのである。
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