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那古野城(なごやじょう)は、戦国時代に尾張国愛知郡那古野(現愛知県名古屋市中区)にあった城。今川氏親(今川義元の父)築城。織田信長生誕の城として有名である。
16世紀前半に30年ほど存続した後に廃城となるが、旧城地は廃城から半世紀ほど後に再び城に取り立てられ、名古屋城になった。
那古野は、元々駿河の今川氏が一時尾張守護を兼ねていた時期に庶流の那古野氏が領有し、斯波氏が尾張を領有した後もこの地に留まっていた。大永年間(1521年 - 1528年)に今川氏親が尾張進出の拠点として、現在の名古屋市中心部が広がる熱田台地(名古屋台地)の西北端に築城した「柳の丸」を起源とする。今川氏の時代、この城の城主は氏親の一族で一説には那古野氏の家督を継いだともいわれている今川氏豊という人物であったと伝えられている。
1532年、勝幡城(稲沢市)の織田信秀は今川氏豊を滅ぼしてこの城を奪い、拠点を置いた。那古野城という城名はこのとき付けられたとも言われる。
1534年生まれの信秀の嫡男、織田信長は、那古野城で生まれた可能性が高いとされている。信秀は那古野城を幼い信長に譲り、自身は同じ台地の東南方を固めるために現在の東本願寺名古屋別院(名古屋市中区)の地に古渡城を築いてそこに移った。
1555年、信秀の後を継いでいた織田信長は、一族の織田信友を滅ぼして清須城(清須市)に移った。信長が離れた後の那古野城は信長の重臣林秀貞らが一時入ったが、やがて廃城となった。
50年後の1609年、徳川家康がこの城の故地に目をつけ、名古屋城の築城に着手する直前には、鷹狩に使われるような荒れ野になっていたと伝えられている。
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