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			<title>戦国の魂～～本格的な戦国歴史研究室</title>
			<description>中世史を極めていきたいと思います。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/ghostezweb</link>
			<language>ja</language>
			<copyright>Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.</copyright>
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			<title>戦国の魂～～本格的な戦国歴史研究室</title>
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			<description>中世史を極めていきたいと思います。</description>
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			<title>暫くの休み</title>
			<description>現在就活と言う肝心な時なので、暫く休まさせていただきます。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/ghostezweb/49955043.html</link>
			<pubDate>Fri, 13 Feb 2009 03:23:03 +0900</pubDate>
			<category>歴史</category>
		</item>
		<item>
			<title>北陸一向一揆について</title>
			<description>　一向一揆とは戦国時代に浄土真宗（一向宗）本願寺派の信徒たちがおこした一揆の総称。&lt;br /&gt;
　浄土真宗は、８代目の蓮如から他の真宗は衰退化になったため、一向宗と呼び始めた。&lt;br /&gt;
　１４６５年連如は加賀へ行き、１４６６年、近江・金森合戦で史上初の一向一揆がはじめた。 &lt;br /&gt;
　１４７３年には富樫政親の要請を受けて、守護家の内紛に介入した。弟の富樫幸千代を倒した後、一向一揆の恐ろしさを感じ、１４７５年門徒の弾圧を開始、蓮如は吉崎御坊を退去し、加賀の門徒は政親に追われて越中国に逃れた。越中砺波郡の石黒光義が政親と結んで門徒弾圧に出たところ、１４８１年に越中で一揆が発生し、光義が討ち取られる。この勢いに乗じて一方、政親は加賀の一国支配の認知を目指して足利義尚による六角氏遠征（鈎の陣）に従軍したが、それに伴う戦費の拡大により、国人層が反発して越中から帰還した門徒とともに決起する。１４８８年には、代わりに富樫泰高を守護を擁立して、政親を高尾城に自害した（長享の一揆）。そして加賀国は百年近く仏法領国として独立する事となった。その後一向一揆は能登国・越中国と拡大していく。加賀は百姓の持ちたる国と呼ばれる状況となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　一向一揆の実態は全て一向宗の者ばかりではなく、ほとんど農民を中心とする国人だった。信長が平定するまで約１００年間続いていた。&lt;br /&gt;
　１５６０年一向一揆は越前に侵入。有名な九頭竜川の戦いで朝倉氏は見事に一向一揆を食い止めた。&lt;br /&gt;
　一向一揆の兵力は３０万、朝倉氏の総大将は朝倉 宗滴（朝倉 教景）だった。宗滴は孝景の子が、３代目貞景の重鎮、一代名将と呼ばれる者だった。&lt;br /&gt;
　宗滴は一向一揆を撃退した後、一向宗の土地を没収することになった。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/ghostezweb/47154223.html</link>
			<pubDate>Sat, 29 Nov 2008 17:37:15 +0900</pubDate>
			<category>歴史</category>
		</item>
		<item>
			<title>最近の研究テーマについて</title>
			<description>最近一揆について少し興味を持ち始めました。なぜなら、戦国各諸侯、地方豪族まで大名化原因となるわけです。ですから、多くの実際の例（一揆）を研究し、きっと戦国の仕組みを明快するに違いないとおもいます。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/ghostezweb/47113412.html</link>
			<pubDate>Fri, 28 Nov 2008 14:05:57 +0900</pubDate>
			<category>歴史</category>
		</item>
		<item>
			<title>土一揆から国一揆へ</title>
			<description>　正長元年（１４２８）、また応仁・文明の乱期間に土一揆が全国で広が始めた。１５世紀半ばはすでにピークになった。寛正の飢饉以降、文明初年から十年間で５回が行った。&lt;br /&gt;
　応仁・文明の乱後、土一揆の代わりに国一揆が始まった。有名なのは山城の国一揆だった。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　山城の国一揆というのは、文明１７年（１４８５）秋から冬にかけて、南山城で畠山政長対畠山義成の戦争のきっかけだった。両軍のせいで地元の国人らは散々だった。つい１２月、国人らは集会という形で集まり、両畠山軍に対して撤退の要求を出した。「実隆公記」でこの集会を国一揆と記していた。&lt;br /&gt;
　山城の国一揆の行動は三つがあった。&lt;br /&gt;
　１．両畠山軍の撤退&lt;br /&gt;
　２．本所回復（戦争の片付け）&lt;br /&gt;
　３．新関停止&lt;br /&gt;
　地元の勢力が強過ぎなので、大名から抑えることができなくなってしまった。翌年、宇治平等院に会合して、「国中掟法」を拡充させ、「惣国」という正式の名前をつけ、山城支配が始まった。&lt;br /&gt;
「惣国」はつぎの行動をした。&lt;br /&gt;
　１．半済令（年貢の半分を徴収、両畠山軍撤退用礼銭）&lt;br /&gt;
　２．「月行事」（重要事項を決定）&lt;br /&gt;
この形の維持は８年間だった。その後、「明応政変」（１４９３）で、伊勢氏は山城の支配を強化した。結局、伊勢氏は大和領主古市氏と結び、南山城に入部することになった。これで山城の国一揆は崩壊した。&lt;br /&gt;
「明応政変」はまた次で紹介する。そして、一揆と大名化について・・・</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/ghostezweb/47113108.html</link>
			<pubDate>Fri, 28 Nov 2008 13:55:33 +0900</pubDate>
			<category>歴史</category>
		</item>
		<item>
			<title>本能寺の変ーー織田軍団の動き検索</title>
			<description>主力の秀吉は備中の征伐中&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
丹羽長秀は四国を征伐するため、大阪で軍を集め、待機中（悪天気のため、進軍できず）。結局光秀の婿津田信澄しか攻撃できなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
柴田勝家は前田利家と佐々成政を率いて越後の上杉景勝と対戦中、報せを受け、本拠へ戻ったが、背後の敵のためにすぐ上洛できなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
滝川一益は新たな領地を保持するために手一杯だった。（主君の命より、領地は大事ですね）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一番怪しい者は徳川家康、堺の見物中だったが、すぐ三河に帰った。本能寺の変と関わり人物なのか。資料で身の危険を感じて、退路を用意したと言っているが。（しかし、よくもその占いができているですね。）「伊賀越え」という、世で知られている。これについて、また資料を集めて改めて検証します。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/ghostezweb/47000948.html</link>
			<pubDate>Tue, 25 Nov 2008 13:29:12 +0900</pubDate>
			<category>歴史</category>
		</item>
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			<title>戦国の食事</title>
			<description>　戦国の人はいったい何を食べていたのか？簡単に言えば白米のご飯と味噌汁です。しかし、戦場では中々作る時間がありません。つまり自分で兵糧を持参することです。炒米は玄米を鍋で炒ったもので、これはそのまま食べる。味噌は戦場の重宝といわれています。それについては陣立味噌・いもがら縄が有名で、前者は煮豆をすりつぶして袋に入れ、それに麹を入れて丸く形を整え、腰に下げて出陣します。足軽がかぶっている円錐形の笠、陣笠と呼ばれるものですが、あれを逆さまにして鍋の代用としました。先を地面に埋めたり、木に吊るしたりして、下から火を起こし湯を沸かしたといわれています。それを使って味噌汁を作ります。&lt;br /&gt;
　また戦場で女の戦士の姿も偶々あらわれます。理由１はもちろん人は多ければ多いほど戦力を作りますが。理由２は女人の方はおいしい食事を作れるし、次の戦争のため、スタミナが必要ですね。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/ghostezweb/46918828.html</link>
			<pubDate>Sun, 23 Nov 2008 10:39:30 +0900</pubDate>
			<category>歴史</category>
		</item>
		<item>
			<title>陣形八陣</title>
			<description>陣形名&lt;br /&gt;
 形状&lt;br /&gt;
 　&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
鶴翼&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
■              　　■&lt;br /&gt;
　■              ■&lt;br /&gt;
  　■          ■&lt;br /&gt;
    　■      ■&lt;br /&gt;
      　■  ■&lt;br /&gt;
        　■&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 兵力が敵より多い場合に使われた陣形。&lt;br /&gt;
鶴が翼を広げたような形をしており、&lt;br /&gt;
その部分で敵を囲みながら攻撃していく。&lt;br /&gt;
強力な陣形のように思われるが、&lt;br /&gt;
側面から攻撃されると弱いという短所がある。&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
魚鱗&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
　　　　■&lt;br /&gt;
　　　■　■&lt;br /&gt;
　　■　■　■&lt;br /&gt;
　■　■　■　■&lt;br /&gt;
■　■　■　■　■&lt;br /&gt;
　　　　■&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 少ない兵力で、多くの敵を破るときの陣形。&lt;br /&gt;
魚の鱗のように兵を配した形から、この名がついた。&lt;br /&gt;
全体で三角形を作るので、&lt;br /&gt;
頂点の位置は最も敵に接近する。&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
雁行&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
　　　　　■&lt;br /&gt;
　　　　■&lt;br /&gt;
　　　■&lt;br /&gt;
　　■&lt;br /&gt;
　■&lt;br /&gt;
■&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 敵の動きに応じて、そのつど魚鱗・鶴翼など、&lt;br /&gt;
他の陣形に速やかに変えられることが特徴。&lt;br /&gt;
形が雁が群れをつくって&lt;br /&gt;
空を飛んでいる様子に&lt;br /&gt;
似ていることから、こう呼ばれる。&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
偃月&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
　　　■■&lt;br /&gt;
　　■■&lt;br /&gt;
　■■ &lt;br /&gt;
■■&lt;br /&gt;
　■■&lt;br /&gt;
　　■■&lt;br /&gt;
　　　■■&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 三日月状の陣形で、「背水の陣」とも呼ばれていた。&lt;br /&gt;
現在よく使われている&lt;br /&gt;
「背水の陣を敷く」という言葉はここから来ている。&lt;br /&gt;
その名の通り、後には引けないところで戦うときの陣形。&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
衡軛&lt;br /&gt;
 　　　　  &lt;br /&gt;
　　　■■&lt;br /&gt;
　　　■■&lt;br /&gt;
　　　■■ &lt;br /&gt;
　　　■■&lt;br /&gt;
　　　■■&lt;br /&gt;
　　　■■&lt;br /&gt;
　　　■■&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 馬車や牛車などの軸に一端がつき、&lt;br /&gt;
前方に長く差し出た二本の棒を「轅」という。&lt;br /&gt;
衡軛とは、この轅の先端の牛や馬の首にかける横木のこと。&lt;br /&gt;
この陣形は、その形からきたといわれる。&lt;br /&gt;
 　　 &lt;br /&gt;
長蛇&lt;br /&gt;
 　　　　  &lt;br /&gt;
　　　■&lt;br /&gt;
　　　■&lt;br /&gt;
　　　■ &lt;br /&gt;
　　　■&lt;br /&gt;
　　　■&lt;br /&gt;
　　　■&lt;br /&gt;
　　　■&lt;br /&gt;
　　　■&lt;br /&gt;
　　　■&lt;br /&gt;
　　　■&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 長い蛇のように、一列に伸びた陣形を言う。&lt;br /&gt;
その動き方も、どことなく蛇を思わせる。&lt;br /&gt;
たとえば、中央の部分に攻撃を受けたら頭と尾でやり返し、&lt;br /&gt;
頭が攻撃されたら尾で救援するという、&lt;br /&gt;
柔軟な動きが取れる。&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
鋒矢&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
　　　　■&lt;br /&gt;
　　　■■■&lt;br /&gt;
　　■　■　■&lt;br /&gt;
　■　　■　　■&lt;br /&gt;
■　　　■　　　■&lt;br /&gt;
　　　　■&lt;br /&gt;
　　　　■&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 矢印の形をした陣形。&lt;br /&gt;
少ない兵力で敵陣を勢いよく突破するときに、&lt;br /&gt;
とくに効果的という&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
方円&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
　　　　■&lt;br /&gt;
　　　■　■&lt;br /&gt;
　　■　　　■&lt;br /&gt;
　■　　　　　■&lt;br /&gt;
　　■　　　■　&lt;br /&gt;
　　　■　■&lt;br /&gt;
　　　　■&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 丸い陣形。&lt;br /&gt;
敵が八方から攻めてくる場合に、&lt;br /&gt;
この陣形をつくって迎え撃つ。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/ghostezweb/46914019.html</link>
			<pubDate>Sun, 23 Nov 2008 06:47:49 +0900</pubDate>
			<category>歴史</category>
		</item>
		<item>
			<title>しばらくの復帰です</title>
			<description>しばらく休んだが、これから、どんどん書き込みます。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/ghostezweb/46769414.html</link>
			<pubDate>Wed, 19 Nov 2008 14:27:45 +0900</pubDate>
			<category>歴史</category>
		</item>
		<item>
			<title>一揆について</title>
			<description>一揆（いっき）とは、日本において何らかの理由により心を共にした共同体が心と行動を一つにして目的を達成しようとすること、またはそのために盟約、契約を結んで、政治的共同体を結成した集団及び、これを基盤とした既成の支配体制に対する武力行使を含む抵抗運動。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
形態：土一揆＝＞室町時代中期から後期にかけて発生した民衆の政治的要求活動をいう。&lt;br /&gt;
　　　　徳政一揆＝＞ 徳政令の要求目的。原因として、凶作、伝染病、過疎、将軍の不信任など様々。　　　　　　　　　　　また一揆に参加する。人は馬借や問屋や問丸など。&lt;br /&gt;
　　　　馬借一揆＝＞ 中世における運送業者馬借たちが、関所の撤廃や運賃の値上げなどを要求する。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　　　国一揆＝＞南北朝時代、室町時代の領主層による領主権の確保を目的とした連合形態。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　荘家一揆＝＞荘園領主。 &lt;br /&gt;
　　　&lt;br /&gt;
　　　一向一揆＝＞戦国時代に浄土真宗（一向宗）本願寺派の信徒たちがおこした一揆の総称。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　百姓一揆＝＞中世において、農民に限らず、商工業者、芸能民など。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　世直し一揆＝＞江戸時代後半から明治時代初期にかけて多発した一揆。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/ghostezweb/46769163.html</link>
			<pubDate>Wed, 19 Nov 2008 14:19:59 +0900</pubDate>
			<category>歴史</category>
		</item>
		<item>
			<title>以前内容の修正</title>
			<description>中国大返しの進軍図を入れました。やはり文字だけにするとわかり難いと思いますので、これで素人でも大丈夫でしょう。（地方篇）</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/ghostezweb/42226321.html</link>
			<pubDate>Tue, 29 Jul 2008 17:04:41 +0900</pubDate>
			<category>歴史</category>
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