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鹿児島県民の皆様、投票はお済ですか?
俺は期日前投票を済ませましたよ。 さすがに今回は参加しないといけない気がしてね 早く原発を動かさないと 今夏だけじゃなく、今冬も計画停電なんてことになっちゃいますよ。 代替エネルギーなんてソーラーパネル計画がようやく動き出した段階ですから 冬には到底間に合わないだろうし 危険だから動かさないかもしれなけど 原発は動いてなくても危険は同じですから それに危ないから止めるって言うのは幼稚な考えですよ。 人をはねるかもしれないから車を運転しない 火事になるかもしれないから火を使わない そんなこと、あり得ないですよね。 原発だって規模が違うだけで 同じことだと思いますよ、俺は。 俺の一票なんて何百万分の一でしかないだろうけど きちんと納税してるんだから 権利は行使しないとね。 |
考えさせられる
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昨日、北朝鮮が韓国に向けて砲撃をしました。
そのことを受けて、平和についてと題して
600字にまとめました。
この小論文とはちょっと離れるんですけどね
こういう事件を報道するときに
「多数の民間人に死傷者が・・・・・」
って表現が使われると思うんです。
でも、それっておかしいと思いませんか?
民間人じゃなく、軍人ならいいのか!?
ってことですよ。
軍人だって一人の人間なんですよ。国民の一人なんです。
だからこそ、国のエライさん方には
「自国の国民が命を奪われるような、愚かな行為はやめる」
そういう態度を示すべきですよ。
それなのに、どこかの官房長官は暴力装置だなんて
もはや人間じゃなく道具ですか、軍人は?
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先日、耳かき店員殺害事件で、死刑が求刑され裁判員は難しい判断を迫られ、結果は無期懲役になった。
また、現在、鹿児島地裁にて審理中の強盗殺人事件でも死刑が求刑される可能性があるなど、一般市民である裁判員が死刑か否かの重い判断に苦しめられる事象が相次ぐ。 鹿児島の例では、40日間という長期日程であることや、被告が取り調べ段階から一貫して無実を訴えるなど、裁判員への負担が懸念される。 その前には、千葉前法務大臣が辞職直前のタイミングで死刑を執行し、その現場に立ち会ったり、刑場を公開するなどして、死刑や裁判員について考えさせられる。 耳かき店員の裁判で裁判員を務めた人たちは、死刑の判断がとても難しく、苦しいものであったと語った。 その一方で遺族は「自分なりに反省すれば人を殺しても許されるのか?何人殺せば死刑になるのか?」と述べている。 俺は死刑というものについて慎重な考え方を持っている。 俺が慎重と言うのは、反対ではないが、大いに賛成ということでもないからだ。 法律で定められている以上仕方のないことではあるが、できれば回避すべき。 これが俺の言う「慎重」だ。 なぜなら、たとえ犯人を死刑にしても事件に巻き込まれて死んでいった人たちが帰ってこないからだ。 生きて罪と向き合い、罪を背負い、罪の意識を抱きながら生活するのも、償い方、罰し方の一つだと思う。 さらに、事件の当事者として今後同じような事件が起きないように活動していけばなお良いと思う。 被告が人を殺しました。死刑になり、執行されました。はいおしまい。 これで被害者の無念が本当に晴れるだろうか? 逆に、浮かばれないのではないかと思う。 死人に口なしではないが、そもそも被害者が死亡している場合に、被害者の心情や無念をどうやって立証するのだろうか? 死刑が確定すればメディアもほとんど取り上げなくなり、事件は風化してしまう。 適切な表現ではないかもしれないが、被害者にしろ、死刑囚にしろ犬死だ。 そしてもう一つ。 遺族、被告人それぞれが逆の立場になった時、果たして同じことが言えるだろうか。 耳かき店員の事件の遺族の方は、もし自分の子どもが人を殺めてしまった時に、自分の子どもに対して「命を持って償いなさい」と言えるのだろうか? 被告人は自分が遺族になった時に「生きて償ってほしい」と言えるだろうか? 立場が変わった時に、同じ考えでいられるだろうか? 考えが変わるのではないだろうか? 俺の周りにいる人間の多くは、このようなニュースを見るとすぐに「死刑だ」と言うが 実際、裁判員になっても同じことが言えるだろうか。 遺族が「犯人も死刑になって苦しみを味わってほしい」という気持ちになるのは仕方がないことかもしれない。 だが、日本の憲法や法律に縛られるものは、全て平等でなければいけない。 遺族だから、被告だから、検察の不祥事が相次いでいるから、自分は死刑制度に反対だから・・・・ これらのものに縛られる、影響されるようでは法の下の平等とは言えない。 被害者の心情や被告の反省の度合いが、反映される判決ではいけない。 判決は法律によってのみ縛られるべき。 特に、刑事裁判においてはしかり。 俺がもし裁判員に選ばれることがあったら 「法の下の平等」を強く意識して判断したいと思う。 |
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最近何かと検察が世間を、というかマスコミを騒がせている。
マスコミが騒げば、それに煽られて世間も騒ぐのだろうが、最近出てくるニュースはあまりにもひどい。 これはもはや、司法テロと言うにふさわしい状況になってしまった。 大阪地検特捜部による証拠改ざん疑惑、小沢氏が強制起訴されたこと、さらには横峯氏の店の共同経営者の事件でも、検察審査会が起訴相当の議決を出している。 これらはまだ裁判で罪が確定しているわけではないので、今の段階では”疑惑”であり、あたかも有罪のように扱うマスコミの報道の仕方もいかがなものかと思うが、何よりも今後の展開次第では、日本の司法の在り方が問われるとともに、三権分立の一角でもある司法が崩れてしまう。 ここからは仮定の話になるが、最高検が逮捕した前田氏や大坪氏などがもしも無罪だったり、小沢氏が有罪だったりしたらどうなるのか。検察とは一体なんなのだろうか?ということになってしまう。 総理大臣がコロコロ変わることも含めて、やはり今の日本の社会システムが限界に来ているのではないだろうか。俺は今までも、三権分立という観点から、国会議員が国務大臣を務めるのはいかがなものかと思っていた。 しかし、司法が崩壊の危機にひんしている今、本当に三権分立がいいのか?という疑問さえある。 裁判員裁判が導入され、検察審査会の制度が変わり、一般市民と司法の距離が近くなった。 さらには政権交代がなされ、古い体制から新たな体制に変わる今こそ 日本の社会システムを根本から見直すべきだ。 |
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俺は戦争を体験した世代でもなく |




