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NPO法人三千里鐵道 6.15共同宣言6周年記念集会 2006年6月11日
『東北アジアの平和実現への道筋』
東京大学教授 (政治学) 姜尚中氏
高いところから申しわけございません。
いま、都相太理事長のほうから話があり、それから開城でのいろんなやりとりも、皆さん、ある程度おわかりになったと思いますし、それから、いろんな意味で、あまり日本のメディアの知らないことが、もうすでにいろんな形で起きているということがおわかりになったと思います。
私は、この六周年ということで、どういう話をしていいのかいろいろ迷ってたんですが、今日は、50年ぶりに熊本の、私が住んでいた朝鮮人の集落で一緒だったアジュンマとも会いまして(笑い)、それからまた私が大学時代、ぼくの後輩だったんですが、いろんな意味でお叱りを受けたり、指導を受けた金徳俊氏などの顔を見たとたんに、非常にある意味でリラックスしまして(笑い)。そういう理由で、ここでこういうお話ができるのも感無量です。
まず非常に私的なことなんですが、二つほど話をしたいんであります。
その一つは、いま私が二つほど本を書いています。なかなかそれは、でき上がるかどうかわからないんですが、一つは、私のアボジとオモニを入れて。
アボジは1914年に生まれましたから第二次世界大戦の勃発のときですね。それで、早いうちに、というか、いまから十数年前に亡くなりまして。昨年は、オモニも四月に亡くなって。ある意味でわれわれ二世というのは、だんだん人の死んでいくのを見送る側に回っているのではないかと。そういうこともあって、在日の 百年を、私の家族の歴史で少し書いてみようと思いまして。
タイトルは「越境」というんですが。「越境」って、まさしく境界を越えて入ったり出たりする。それを三世代にかけ合わせて書いてみようというものなんです。
それを一つ、いま自分で書いておりますけども。
もう一つは、これは、もうすでに広告が出てるかもしれませんが、講談社というところから「世界帝国の興亡」という。その中で私は、歴史家ではないのに、大日本帝国及び満州帝国について書けという(会場 笑い)たいへんな宿題をいただきまして。
書かざるを得ないというので、ここには二人の人物を登場させようと思いました。
このテーマは、先ほど磯貝先生から、日本の状況を考えると言葉がないということだったんですが、その二人の人物というのは、言うまでもなく高木正男という人物と、岸信介という人物です。
高木正男というのは、言うまでもなく満州軍官学校で見た朴正煕。後に、韓国大統領になった人物。その高木正男という人物と岸信介という人物は、満州国では一度も出会うことはありませんでした。
戦後、この二人の人物は、言うまでもなく解放後のウリナラ、とくに韓国にとっては決定的な人物でありますし、そして岸信介という人物も、じつは日本にとって決定的な人物であります。
言うまでもなく、この二人が満州で同じ時代を過ごした。一人は、満州国の最大の指導者として、満州国における動員体制を敷いたこの岸信介という人物、これは後に、55年体制の最大の産みの親でありましたし、60年安保の最大の立役者でもありました。
そして、言うまでもなく、その孫にあたる人、おそらく日本で、たぶん日本の最高権力者になると思うんです。そして、まかり間違えば、この高木正男こと朴正煕の娘さんが、韓国の大統領になる可能性も、ないとは言えません。
私は、これは歴史の因果だと。満州というものから戦後日本をもう一回見直してみようと。そして、満州というところから、韓国という国というのはどういう生い立ちから生まれたのか、つまり満州の防衛、満州の、言ってみれば残影というものが結局今の日本に残って、戦後日本の私たちが信じている戦後民主主義というのは立ち腐れかかろうとしているんじゃないかと。
韓国もどうなるのか。いま、非常に流動的な情勢だと思うんです。
こういう中で私は、もう一回、満州とはどういう存在なのか、あの当時の植民地の朝鮮半島そして満州帝国ではどういう関係だったのか、これを二人の人物でやってみようというふうに思うようになったわけです。
なぜこういうことをやろうと考えたかというと、私、六十歳には、ちょうどいまから四年後、2010年に還暦を迎えます。自分が還暦を迎える歳になるとは夢にも思いませんでした(笑い)。
そして、2010年は、言うまでもなく皆さん、併合から 百年です。朝鮮戦争、6.25動乱から六十年です。あまりにも深い。
そして四年後は、6.15 から十年。たいへんな年になるなあと。あと四年後です。だったら、いまのうちに書いておこうというものです。
そのつもりで、最後は、できれば2010年に、併合について、この 百年はどういう時代だったのか、われわれ朝鮮半島にとって、在日にとって、どういう時代だったのかを、自分で書きたいと。
我々の周りでは、一世、二世がだんだん櫛の歯が抜けるように亡くなっていくし、学生時代の同僚の中にも、この西暦2000年6月15日を、これを見ることなく、亡くなってしまった者がいます。
そういう点では、われわれは非常に歴史的な地点に今立っている。
そういうことをつらつら思い出しながら、ちょうど70年代初め、私がなんにも民族のことをわからずに71年にソウルに行きまして、現在のあの清渓川からずうっと東に行って、皆さんも知ってるとおりに、平和市場があります。あそこで全泰一という人が自殺を遂げました。あれはちょうど70年代の初めだったんじゃないでしょうか。そして、私もいま思い出すと、ちょうど三島由紀夫の割腹自殺のときに、梁政明という青年が、ちょうど早稲田大学の穴八幡宮神社のところで焼身自殺をしました。そして韓国では、いま申し述べましたように、全泰一氏の自殺がありました。
じつは、その清渓川の近くに私の叔父が、弁護士としてましたが、家がありました。
あの時代、私も初めてソウルに行って、本当にびっくりしました。ソウルは、私の言葉で言うと巨大な在日の集落みたいなものです。スラムの巨大な集落に見えました。あの時代から35年たちました。こんなに変わるとは。私は、本当に生きててよかったと思いました。もし、梁政明氏が生きてれば、おそらく60歳くらいになってると思います。彼はどういう思いでいまのわが国を見たのか。感無量だと思います。
あの清渓川は、皆さんも知ってのとおり、暗渠でした。朴正煕の時に、高速道路が建設されました。その下を、本当に貧しい、スェット・ショップという、本当に血と汗のしみ込んだ零細企業がたくさんありました。今は皆さんも知ってのとおりに、本当に小さなセーヌ川になってるんです。そこに恋人が恋を語らい、そして親子連れが散歩しております。信じられませんでした。われわれのあの時代を考えると本当に信じられない。それほど変わったということです。
昨年、6.15の記念で私も呼ばれて、金大中氏がドイツからプライズをいただくということで、大きな新聞にものりました。そのときに、先ほど名前が出てた、丁世鉉氏に会いました。
前の統一部長官でもあった彼にお会いすることもできましたし、その当時の統一部長官、鄭東泳氏も、これからピョンヤンに行くということで、いろいろな話をしていただきました。
ちょうどその時に、私がいちばん心酔するアメリカの有名な、朝鮮半島、東アジアの専門家でブルース・カミングスという人と一緒に話ができて、本当に私にとってはいいシンポジウムでした。
そのブルース・カミングスの非常に大きな厚い本ですが、近代朝鮮についての歴史書が最近、明石書店から訳されています。原題は「太陽系の中のコリア」。
その中で私非常に印象に残ることがこう書いてあります。「朝鮮半島は、百年かかって多くのものを失った。しかし多くのものを獲得した」。
本当によかったなと思いました。
この時代のことが、本当によく書かれています。
われわれは 100年間、かかってここまで・・・ 本当に私にとっては・・・・・
本当にそうだとおもいます。
本当にそう・・・・・
この 百年間、われわれの本当に動いた人間、あるいはその関係者が、どれほどこの時代の荒海の中でいろんなものを失ったでしょうか。本当に私はそう思いました。
思わず自分が、涙が出ているという。
こういう学者がいる。あのアメリカ合衆国にこういう学者がいる。本当に私はそこで感激しました。生きててよかったと、生きててよかったと思いました。
韓国が、まさかこんなに変わるとは、われわれは夢にも思いませんでした。しかし、このカミングスが言うとおり、われわれは、まだ、全体としてのコリアはまだ回復されていない。本当にこれは名言じゃないでしょうか。多くのものを失い、しかし多くのものを獲得し、しかし依然として全体としてのコリアはまだ回復されておりません。
われわれは、開城、ここの工業団地に示されているこの三千里の運動は、全体としてのコリアを回復する。
これは皆さん、単なる民族主義でしょうか。いや、そうではない。
分断と冷戦と、そして熱戦と植民地支配と、この 100年にわたるこれだけの激動の時代を生きてきたというのは、世界広しとしてもないと思いました。
私は、1979年、旧西ドイツにいました。そのときドイツ人が私に言ったことは、「ドイツは 百年、千年、統一されない」。それから十年後、ベルリンの壁は崩壊しました。
そして、東西両ドイツは統一され、皆さんも知っておられるとおり、全ドイツでワールドカップをしました。
統一したい、全体としてのコリアを回復したいというわれわれが、依然として統一されずにいる。
しかし確実に、今日も開城の大地にもあるとおり、統一に向かおうとしています。
しかし、先ほど都相太理事長がお話しになったとおり、本当にジグザグ。さまざまな巻き返しや、さまざまなリアクションがあります。
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22日は大阪です。
2006/12/16(土) 午後 0:57
かなしいですね
2009/7/26(日) 午後 2:38 [ - ]