東北アジアの平和 一在日コリアンの願い

隣同士仲良くしないとね。 引越しできないんだし。

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私は、これはまさしく金大中氏以来の太陽政策が正しかったということをわれわれに示しているのだと思います。
 こういう中で、それでは六者協議というものが前に進むとしたらどういう形で進むか。
あるいは日朝関係はどうなるのか。さらに、われわれ在日同胞はどうなるのかということを最後にお話しして、私の話にかえたいと思います。
 まず在日同胞。
 残念ながら、南北の和解の動きというものは今一時的に頓挫している。残念ながら、民団の中に混乱があり、そして依然として在日同胞は過去の冷戦時代の修羅場、そのときの因果というものを私は克服しているとは言いがたいと思う。しかし、歴史の流れは確実に南北融和、統一へと向かうということは避けられないと思うし、過去の恩讐を越えて、われわれはその恩讐を抱きしめて、統一に向かって進むということが、在日同胞にとっての大きな流れであることを、やはり民団にいる人、総連にいる人、共にしっかりと認識し、そしてこの在日同胞が、より在日同胞として統一に積極的に参加できる、民族和合の道をやはり私は指し示さなければいけないと思います。
 第二番目、日朝交渉のことです。いま私がこの間本を書いています。この四年間、大学にもいろいろと嫌がらせの電話はありましたし、手紙もたくさんもらいました。口では言えないようないろいろなこともありました。しかし、私が思うに、今の日本の世論の状況は、残念ながら70年代初頭、まさしく維新体制の対共和国に対する感情とほぼ似通ったものと、私はときどき感じるんであります。
 韓国は、戦後民主主義が理念として描いた、かくあるべしという理想に一歩一歩近づこうとしている。そして現在の日本は、私から見ると、少なくとも対共和国との関係のなかでは、70年代の韓国に限りなく近づこうとしている。この目も眩むようなベクトルの違いというもの、それが在日の中に重くのしかかっているのではないか。
 拉致問題というものがなぜ起きたのか。
これが国家犯罪というものであるにせよ、なぜ起きたのか。
 これは言うまでもなく、日本という国が、この冷戦時代から完全に隔絶され、冷戦の中のサンクチュアリとして55年体制以降未曾有の経済成長を遂げたときに、アジアはどういう状態になったのか。
 70年代の初めのわれわれ在日はどういう状況だったんでしょうか。60年代の終わり、われわれは潜在的な犯罪者でした。北であれ南であれ、われわれは犯罪者として、この日本の社会に生きておりました。そして、籠の鳥のように、この日本の社会の中で差別があり、南北の分断に辛吟しておりました。70年代、日本は65年以降のイザナギ景気を経て世界の経済大国になりました。もう68年には、旧西ドイツを抜いて世界第2位の、アメリカに次ぐ経済大国になっていました。
われわれは、貧しさと、いさかいと、対立の中で、二重三重の軋轢の中で生きておりました。
 もし日本の中にアジアというものがあるとするなら、まさしく我々のことだったのです。日本でアジアを知る最大の生きた証人は我々でした。
 日本以外の国で、75年にベトナム戦争が終わりましたが、70年代の半ばまで、アジアの中で平和をむさぼっていた国がどこにあったでしょうか。ソビエト然り、中国然り、ベトナム然り、フィリピン然り、インドネシア然り、台湾然り、韓国然りでした。75年、日本は、ディスカール・デスタンによるあのサミットG7の一員になりました。私はそのとき、日本が眩しいと思いました。なんでこんな大国になれるんだ。なぜこんな豊かなんだ。それに比べてわれわれとわが国。いつもそう思いました。
 しかし、この国は、一度も、戦後、冷戦というものがどれほど民族を引き裂き、どれほど歴史の歪みというものをもたらすかということを、想像したり検証したりしたことはなかった。
 たとえ部分的に基地を抱えた沖縄があり、いくつかの基地がそのような問題を抱え込んでいたにしても、日本は冷戦のサンクチュアリでした。
 そして89年に昭和天皇が亡くなったとき、私は初めて、自分の知らない日本を知りました。
新宿で光がボーっと消えていく中で、「これが日本か」と思いました。自分の知らなかった日本。これが限りなく戦前に近いものだったんだと思いました。一世から、「姜君、これがわれわれの知っている日本だ」と言われたときに、私は日本に生まれて、日本のことを知っているようでまったく知らないということに気づきました。
 そして、あの巨大な自粛があったときに、われわれはいったいどこにいたらよかったでしょうか。在日というものはいてほしくない。おまえたちがいる限りにおいて、この日本の昭和の終わりの野辺送りはできないというふうに、無言の圧力というものを私たちは至る所で感じていました。皆さんはどうだったでしょうか。
 これが日本なんです。昭和は暗い時代になったけども明るい時代になった。廃墟の中からわれわれが頑張って経済大国になり、よかった、日本人に生まれてよかった、ハピージャパンで終わりました。われわれはいったいどこに行けばよかったたんでしょうか。
 そしてその後、皆さんも知ってのとおり冷戦が崩壊し、歴史の中からさまざまな証人がこうべを出し、冷戦の中で凍結された問題が一挙に噴き出しました。そして日本はその以後、「失われた10年」というより「失われた20年」がありました。そして、拉致問題というものが世間に知られるようになりました。
 私は、この拉致問題は、被害者にとって痛切な痛みであることは間違いない。しかし、同時に、その痛みを、この在日の人や南北の両朝鮮に生きている人々は、何十年にもわたって経験したということも事実です。
まさしくこの拉致問題はこの東北アジアを彩る、冷戦という中でも、本当に断腸の思いの出来事だったと思います。しかしこれがすべての歴史を 180度転換させるような、そのような担保となりました。日本にとって。
 私は、なるほどその問題は日本の国民にとって痛切な問題かもしれない。しかし、南北離散家族が一千万といわれている韓国が、北に融和的な政策を取ることに対して、日本が「なぜ日本の痛みをわからないか」というときに、満腔の怒りを感じました。
日本人が背負った痛みというものと、南北に生きてきた者たちの分断の痛み、それを天秤にかける、それは到底、私は許されないと。そのような性質の問題では断じてないと思っています。もしそうならば、私は、歴史というものに対する最大の侮辱だと思うんです。問題はそういう性質のものではない。
 もし拉致問題を解決するならば、六者協議を積極的に進めなければならない。そして日本こそが米朝の間に立ち、そして韓国とともに米朝二国間協議を進めていく重要な役割を担うべきである。
 そして、米朝がはっきりと休戦協定を平和協定に変えるかもしれない。その場合の環境づくりを日本が積極的にやる、そのことこそが日本が韓国の歴史に対する、そして現在背負わなければならない大きな役割だと思うんです。
 皆さん、朝日、日朝宣言を書いたのをアレンジした田中さんという方がいます。いま、私が勤めている東京大学の客員教授です。客員です。なぜ専任になれないかと。 
某有名私立大学でも、二つのところで事実上専任が決まりながら、それをぜんぶ反古にされました。それほどまでに彼を非国民扱いにする。
 われわれから見ても、彼のやったことは当然のことです。われわれからすれば、朝日ピョンヤン宣言の中に、韓日条約と同じような理屈をあそこに盛り込むこと自体が、われわれにとっても不十分であるにせよ、しかし、朝日が、日朝が窓を開くということにおいて私はそれに賛成しました。
しかし、その立役者のような人々も、今でも石もてうたれ、非国民扱いされている。これが今の日本の現実です。われわれにとっては非常に強い、いわば逆風が吹いているということは間違いありません。
 しかし皆さん、この拉致問題というものを進めていく、これがなぜレジウムチェンジや体制の転換という方向に向かおうとする人々にとって大きな政治的な担保になっているか。われわれはよくよくそれを考えていかなければならない。
 私たちは、共和国とアメリカとが同じテーブルに座り、六者協議のテーブルの中で、中国、韓国を入れて休戦協定を平和協定に変える、そしてプルトニウムについて一切の査察に応じる、しかしそのかわりに共和国に対して軽水炉を供給する。その間、暫定的に原油を50万トン供給する。そして、あるかないかわからないけれどもあると言われているウラニウムについては、六者協議において最後の段階でそれにけじめをつける。私は、四段階を通じて六者協議は最後の出口にしっかりと出ることができると思うんです。
ここで六者協議が成功すれば、六者の中で軍備管理、軍縮管理が進んでいくと思うんです。そして、開城での製品はすべてメイド・イン・コリアとしてアメリカや世界市場に自由に、いろんな形で乗っていくはずです。
 共和国をこれほど追い詰めたとして、彼らにいったい何があるのでしょうか。
私は、休戦協定の中、世界銀行やIMF、APEC、すべてから放逐されてきたあの共和国には十分圧力が加わってきたと思います。日本の政治家が、いまになって対話と圧力という分かりきったことを言っております。
 宗主国の中で、旧植民地国と50年以上、旧植民地国が解放されて国交正常化してない国は、世界中どこにあるでしょうか。僕が知ってる限りありません。ヨーロッパのどの国を見ても、旧宗主国と植民地国の間で、解放されて50年以上にわたって正式の国交のない国はどこ1つとしてありません。
これがいかに異常なことであり、いかに苛酷なことであるかということを日本国民は理解してない。
十分共和国が圧力を受けてきたという、そのような過去の歴史というものを振り返る余裕すらない日本、国民というものに対して、私はときどき失望すると同時に、絶望的な気持ちになるときもあります。
 しかし、そうでない人々は必ずいる。先ほどの磯貝先生もそうでしょうけれども、日本の中に、過去の問題についてしっかりと踏まえたうえで、この日朝交渉をどう進めるべきか、南北の融和をどう進めるべきなのかということを理解している人々のいることも同じ。

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