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写真は朝中国境の町、図們において。豆満江にかかる図們大橋と鉄道の橋梁の中国側
延辺は随分前から気になっていた。一度訪れてみたいと思ってからすでに10年以上になる。
最初に強く意識したのは、私の家の隣の青年が、朝鮮大学を卒業した後に留学したからである。しかも、帰省で帰ってきた彼の話で、私の旧友も延辺にいるというではないか。92年に8月に韓国と中国が国交を樹立した直後のころではないかと思う。
もとより、延辺には関心があった。
その第一は、やはり、形成の原因が、在日と同じく、日本の朝鮮侵略にあるからである。植民地支配の歴史の中で流浪した民… 朝鮮南部の民は主に日本に流れ、北部の民は主に中国間島に流れた…。
第二に、朝鮮族には延辺朝鮮族自治州が設定され、民族教育が保障されているということであった。しかも、共産主義国家建設の一翼を担った。
そして、なにより、抗日独立闘争の舞台となったところであった。
つまり、延辺の朝鮮族たちは、在日とはいわば好対照な歴史を歩んできたのである。
そのような延辺朝鮮族が、実際にどのような生活をし、どのように民族を学び、どのようなアイデンティティを持っているのか、実際に訪れて肌で感じ、朝鮮族の青年たちと議論したかったからである。
しかし、延辺は決して近くはないところだった。時間的余裕も金銭的余裕もないまま、10数年が過ぎた。その間に、朝鮮族に関する情報は随分入ってきたし、関心を持ってみてきた。とりわけ、朝鮮族ネットというWEBサイト
http://www.searchnavi.com/~hp/chosenzoku/
は、意識的に訪問してきた。
そうした中でわかってきたことは、中国の市場経済導入と経済発展の中で、朝鮮族の域外流出(中国内、海外)が急速に進み、いまや自治州内における人口は急激に減りつづけ、替わりに漢族が流入しているということ、朝鮮族の民族学校が生徒数の激減という事態にさらされ、閉校に追い込まれているということであった。
それに加えて、韓国から中国に進出するものが急増し、延辺にも相当数進出しているというものであった。しかも、その進出の実態は、決して褒められたものではなく、『先進国』から来た者の傲慢不遜振りが伝えられているのである。資本主義社会のけっして健全とは言い難い『文化』を移入しているというものである。勿論、その一方で韓国の宗教団体や市民団体が、支援に乗り出しているというニュースも耳にしていた。
私は先に書いたように、朝鮮族が在日同胞とは好対照の歴史を歩んできたことに関心があるというのに、その延辺の姿が消え去るのではないかという危機が迫っているのである。
ちょうど、時間的には随分余裕がある(失業中…)、OKTA(世界海外韓人貿易協会)名古屋支会に参加しながら、在日朝鮮族の青年や企業家と出会いながら、より一層、早く行かなければならないという気持ちが高まっていたのである。
12月に入って、三千里鐵道の活動でかねてから親交のあった、韓国の民和協(民族和解協力汎国民協議会)の友人から、18日からソウルで、海外同胞招請行事を行うから必ず参加してほしいという要請があり、ならばそのついでにと決意したのである。ソウル⇔延吉の直行便が出来たことは前から知っていたし、経費も安く済むのではという理由である。
寒い所だから、むしろ寒い時に行くのが、もっともその地域を知るのにもよいという計算もあった。
そして、ついに訪れることが出来たのである。
旅行期間は12月21日から24日までの3泊4日。
ここで経験したこと、感じたこと、学んだことなどを、順々に書いていこうと思う。
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アンニョンハセヨ。コメントは初書き込みかな。 今回の旅行記は,とても興味があります。 中国間島という街が,尹東柱が生まれただけでなく, 歴史上重要な街である気がします。 在日の私にとっても,朝鮮族や延辺,延吉は関心があります。 朝鮮語はもちろんのこと,中国語も勉強して行ってみたい 地ですね。 続編,楽しみにしていますね。
2006/12/29(金) 午後 11:37 [ yan**l82 ]
ありがとうございます。 何とか年内にと思っていたのですが、今日からになってしまいました。 頑張ってみますので、よろしくお願いします。
2006/12/29(金) 午後 11:57 [ gid*o*35*9 ]
こんにちわ!
このブログを参考にさせていただいて、今回集安に行って来た者です
季節の関係上長白山に行けなかったのが残念です、来年長白山、延吉に中国朋友と一緒に行きます!
2009/12/5(土) 午前 11:22 [ kin*i*ori ]