東北アジアの平和 一在日コリアンの願い

隣同士仲良くしないとね。 引越しできないんだし。

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 今回の旅行で、私が是非訪ねたいと思っていた町のひとつが 図們であった。
 日本のマスコミの脱北者に関する報道はひどいバイアスがかかっているのだが、それでも、そのルートの一つとしてあげられている町である。この町を流れる図們江は、朝鮮との国境をなし、朝鮮側では豆満江と呼ばれる。韓国歌謡の代表曲であり、私も学生時代から熱唱してきた『雨にぬれた豆満江』の舞台である。この歌は、抗日独立闘争のために豆満江を渡った愛する人を想う歌である。
また、90年代、東北アジアの雪解けが予感された時に、中国、ロシア、朝鮮そして日本!で、豆満江開発共同計画が持ち上がった所でもある。

 12月21日午前9時40分に仁川国際空港を発ったアシアナ機は飛行時間、約2時間半で延辺延吉国際空港に到着した。現地時間は、北京と同じであるため、11時過ぎであった。
 地図を見ればわかるのだが、延吉はソウルから真北やや東よりにある。しかし、北側の地を通過できないために、中国大連や瀋陽付近の上空を通っていく。距離にすれば直線距離の2倍ぐらいになるであろう。
 白頭山の天地が見えるのではと 密かに期待したのだが、全くの見当違いであった。

 延吉空港では、中国語が全く出来ない不安はあったものの、いざとなれば朝鮮語を話せる朝鮮族がいるに違いないとたかをくくっていたのであるが、実際に話されるのはすべて中国語で、すこしとまどった。
しかし、無事に入管を通過し、すぐそこで荷物も受け取り、外に出ると、私の旅行の全期間において、案内役をしてくれた延辺大学大学院学生の権君がちゃんと待っていてくれた。この青年は、ソウルで開催された民和協の海外同胞招請行事でご一緒させていただいた北京在住の韓国人、柳氏の紹介であった。彼が延辺大学大学院に留学中に先生と慕っていた青年が権君であった。

 挨拶を交わした後、タクシーに乗り込み、延吉市内中心部にある成宝大厦(厦はビルという意味)というホテルに向かい、チェックインを済ませた。このホテルについては、OKTA名古屋支会の事務局を担当してくれている在日朝鮮族の太君に予約していただいた。有難いことに、通常ならば一泊380元のところ、260元とのこと。やはり、紹介が幅を利かすところ、アジア的である。
 部屋は、ダブルベッドが二つの広い部屋で、調度品も美しく、掃除もいきわたっており、電気の差込も日本のプラグでも直接使えるようにいくつか用意されていた。

 荷物を降ろして、すぐに換金のために銀行に向かった。日本円はどこでもというわけには行かず、中国銀行に行ったのだが、ちょうどお昼の時間ということで断られ(ここの所日本や韓国では考えられない)、権君がはたと気づき、親の友人の両替商と連絡を取り、昼食後あって両替していただくこととなった。
 昼食は韓国式のレストランで簡単に済ませ(トンテチゲ=凍らせた明太の辛いスープ…12元)、タクシーに乗り、両替商のおばさんに会いに行った。
 レートは、銀行よりも3%ぐらい高いとのことで、1000ウォンが8.2元ぐらいであった。ここで40万ウォンと1万円を元に変えた。しめて4000元弱。これで、カード決済する予定のホテル以外の滞在中のすべての経費をまかなう計算であった。

 両替後すぐに図們に向かうため図們駅近くのバスターミナルまでタクシーで行き、そこで出発まじかであったバスに乗り込んだ。権君はターミナルに切符を買いに行った。バスターミナルはちょうど韓国の田舎のバスターミナルと同じように、各地方都市に向かうバスでごった返していた。そこで新聞や雑誌、弁当や蒸したコーリャンを売る人々が、盛んに窓越しに声をかけてくるのだが、中国語であるために買う勇気が出なかった。まあ、最初はこんなもんだろうと自分を慰めた。

30人ほどで満員のマイクロバスで約一時間半、図們の駅前に到着した。さすがに大陸である。駅舎がでかい。その堂々たる駅舎に入り、帰りの汽車の時間を確認すると、午後4時半である。2時間弱しかないではないか。いそいで、タクシーに乗り込もうとしたのだが、目の前に三輪車のタクシーがあるではないか。目的地の図們江公園までは2キロほどしかないことはわかっていたので、迷わず乗り込んだ。
 冬ということで、ビニールでしっかりと風防が作ってあり、寒いということはなかった。が三輪車をこぐ運転手さんは、さぞかししばれることであろう。この時の気温はざっと零下10度はあった筈なのだから。
 図們の街は延吉に比べて静かで綺麗に感じた。延吉は、人口40万を超える都市で、ホテルも繁華街にあったことから、大きなビルに囲まれ人通りも車も多く、クラクションがひっきりなしに聞こえるといった按配で、しかも、その日は風がなかったために、町中がばい煙の中にあって息苦しかったのだから。この原因は、暖房のための石炭ボイラーとのこと。これは深刻であった。

 街を過ぎると軍の駐屯地があり、兵士が二人、直立不動で銃を縦に構えていた。その角から図們江の堤防が見えてきた。
 図們江公園は、豆満江沿いに整備された公園で、市民が散策したり運動したりしていた。その風景は普通の川沿いの公園と何ら変わることがないであろう。ただ一つ違うのは、川の向こう岸が朝鮮であり、川が国境をなしているということである。
 豆満江はほぼ全面凍結していた。そして、朝鮮の地を間近に望むことが出来た。冬季には脱北者が歩いて渡るというのが実感できた。

 しばらく歩くと、軍の管轄地となった。図們大橋である。一旦川沿いの公園からはずれ道に戻り歩いていくと、軍の管轄地の向こうに大きな門が見えた。図們大橋の中国側の門である。軍の管轄地を迂回してまた川沿いの公園に戻ると、そのもんの上に登れるという。料金を支払って、図們大橋の門の楼閣に登ると、豆満江をまっすぐに朝鮮に向かって横断する図們大橋全体が見渡せた。朝鮮側の町、南陽市が遠くに見えた。双眼鏡もあるので、覗いてみると、橋のたもとにたむろする軍人たちや、トラックに荷物を積みおろししている人の姿、建物などが一望できた。ちょうどトラックが行ったり来たりもした。また建物にかかる故金日成主席の大きな肖像画も。金正日国防委員長の写真は以前はあったらしいが、今では金正日国防委員長自身の指示で、すべて撤去されているとのことであった。

 ひとしきり望遠鏡で朝鮮の地を見た後、いよいよ橋を渡ることとなった。国境の監視をしている軍人さんは、その言葉遣いもきつかったが、しばらく待てとのこと。それは、橋を渡る時には軍人が共に行くことになっているためであった。別の軍人が一人到着してから、いよいよ橋を渡り始めた。100m位であったろうか。朝鮮との国境線が見えてきた。国境線で立ち止まり写真を撮った後、少し写真を撮りたいから国境を越えてもよいかと軍人さんに聞くと、返事もない。つまり、見逃すからお好きにどうぞということであろう。
 私は、ちょっと震えながら、国境を越えた。そして写真も撮った。4月にソウルからバスに乗って開城に行ったのに続き、これで、朝鮮の最南端と最北端から国境を越えたことになる。
 いつかは、いや、そんなに遠くない将来、もっと自由に行くことができるようになるであろう朝鮮の地に、一歩でも足を踏み入れるというのは、とても感慨深い。
 そして、しみじみ思うのは、ここには、軍事境界線も非武装地帯もないということである。この国境の町で、出入国管理をどのようにしているのかわからないが、私は韓国国籍を持っているが、朝鮮の法律上、朝鮮公民でもあるわけなのだから、このまま走っていけば入国できるのはないかと、そんなことも考えたりした。
 国境線を後にしたとき、『雨にぬれた豆満江』を口ずさみながら歩いた。間島で抗日独立闘争に参加するために多くの朝鮮人がこの川を渡ったことに思いをはせながら。
 その後、300メートルぐらい離れた鉄道の橋に向かった。ここにも、大きな門があり、線路の写真を撮ろうとしたのだが、軍人に制止された。しかたなく、線路脇から写真を撮った。このあたりで日はとっぷりと沈み、北国の早い日没を感じた。
 この線路を通じて、列車の往来があるのか、あるのならば一日どの程度なのか、うかつにも聞くのを失念した。これは、別に調べてみようと思う。
帰りは、駅まで歩くしかないかと思っていたのだが、ちょうど客待ちのタクシーがあり、乗り込んだ。

 図們駅は、数百人の旅客でごった返していた。ここを始発に瀋陽や長春に向けて約一日の旅程である。
切符を買い、バナナとひまわりの種を買い込み、列車の機関車を写真に納めたあと、指定された列車に乗り込んだ。でかい。威風堂々である。三人掛けと二人掛けの向かい合わせの座席は広く、その幅は、新幹線のそれを超える。向かい合わせに乗り合わせたおばちゃん二人連れは、私たちが不便な思いをするかと気遣ってか、違う席に移った。
私たちは、道中、ひまわりの種をかじりながら、次の日以降の旅程について打ち合わせをしたり、朝鮮族の現状や在日のことなどを話し合った。

 約一時間で延吉に到着し、夕食に向かった。翌日は長白山(朝鮮側では白頭山)に登る予定であることから、スタミナをつけようということで狛肉を食べることとした。ホテルから程近い所に狛肉飲食店街があったが、延辺ではもっともうまいと評判の『梅花』という店に行くこととした。タクシーで10分。
五階建てぐらいの建物だったが、静かな所が言いというと、4階の個室に案内された。
 まずは、基本となる、延辺式の補身湯が出てきた。白濁したスープにすでにゆがいてあるお肉と、数種類の野菜や豆腐、トックが運び込まれた。それをどっさりと入れて煮込み、名々皿に移してヤンニョムでお好きに味付けするというやり方である。実に旨い。というか、体がポカポカに温まる。補身湯とは本当によく言ったものである。寒い中を2時間あまり歩きとおして冷え切った体に精気がよみがえる感じである。
 しかし、本場に来たのだからと、それだけでは満足しないという私の顔を察してか、権君がもう一つ頼んでくれた。カルビである。
 ちょうど、豚肉のトンポーローのように味付けしたもので、アバラ骨から背の皮に至るまで、甘く煮込んである。これも実に旨かった。一つの塊りが100gほどはあろうかというものを私は4つ食べた。権君も2つほど食べたのだが、まだ残ったので、包んでもらって権君の持ち帰りとした。
 これに焼酎を一瓶頼んで、しめて145元。気が抜けるほどの安さであった。

つづく

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旅行記,お疲れ様でした。丸一日かかったのではないですか? 大変詳しくて興味深い内容でした。 図們の街は都会だったのですね。 またいろいろと写真を見せてもらいたいものです。 この続きが待ち遠しいなあ。あ,続きはゆっくりでいいですよ(笑)。

2006/12/31(日) 午前 1:52 [ yangil82 ]


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