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23日は、いわば抗日独立運動の歴史をたどる日であった。
昨日と同じ白タクにお願いして、まず向かったのは、延辺大学であった。案内してくれた権君の通っている大学でもあるし、私の近所の青年や学生時代の友人も留学したその大学は、市内中心部から西へほんの数キロしか離れていない。入り口はノーチェックで、車のまま入ることが出来る。総学生数は約2万人の総合大学である。。その広大な敷地の中で、最初に行ったのは、旧満洲帝国時代の建物を利用した本館である。かつて国立博物館として利用されていた朝鮮総督府の建物ほどではないが、吹き抜けのロビーとアンティークなシャンデリヤにコロニアリズム趣味を感じた。そのあと体育館やグラウンドを横目に見ながら向かったのは、裏山である。ここには、独立英雄無名記念碑が整備されていた。そしてここは散策路となっていて、延辺大学の設立に尽力した方や著名な学者の碑がたっていた。
その次に向かったのが、歌曲『先駆者』で有名な『一松亭』である。これはいわゆる満洲荒野の中にぽつんと小高い小山であった。その小山の上に松の老木があったのだという。
先駆者 尹海栄/作詞 趙斗南/作曲
(日本語訳)
1.一松亭の青松は 年老いてゆけども、
一筋の海蘭江は 千歳にわたり流る。
過ぎし日川辺で 馬を馳せし先駆者、
今はいづこで 深き夢を見るか。
2.水くみの井戸辺に 夜鳥の声聞こゆる時、
由緒深き龍門橋に 月光は美しく射す。
異国の空を見上げ 弓を射し先駆者、
今はいづこで 深き夢を見るか。
3.龍珠寺の暮れの鐘 飛岩山に響く時、
男児の固き心に 深く刻み込みけり。
祖国を取り戻さんと 誓ひせし先駆者、
今はいづこで 深き夢を見るか。
作詞者にちょっと疑惑があるとのことだが、それはともかく私の愛唱歌のひとつで、まさに独立抗争を歌った歌である。
この一松亭については、独立運動の義士たちが立ち寄った『茶屋』があったとの説明を見ることがあるが、権君の説明では、ここは独立軍にとっていわば自然の要塞であり、ここに陣を取り、日本軍との抗戦の舞台であったのだという。確かに、一松亭にたつと、その説明に納得がいく。ここからは満洲の大平原が一望できるのであり、遊撃戦にはもってこいの場所に違いない。後にこの老木は日本軍によって切り倒され、今あるのは、後に植えられたものである。
また、この小山の山すそは、この地に入植して来た朝鮮人の墓地になっていて、権君の先祖の墓もあるとのことであった。一松亭からは海欄江が悠々と流れる風景が眺められるが、朝鮮人はこの川沿いに移住してきたのであり、最初に集落を作ったのもこの周辺だったからである。
ひとしきり満洲ボルパンを眺め、独立抗争に思いを寄せた後、解放の日を目前にしながら福岡刑務所で獄死した詩人、尹東柱が通った大成中学校跡へと向かった。朝鮮族の比率が最も高い町、龍井にあり、ここには、かって、朝鮮総督府の間島省領事館が置かれた。その建物は今は、龍井人民政府庁舎として使われていたが、今は展示館となっている。この日は休館であった。
大成中学校跡は、龍井中学校の敷地内に保存されており、尹東柱を記念する展示室もある。そしてあの有名な『序詩』の石碑があった。声を出して朗読すると、おもわず涙ぐんでしまった。
【日本語訳】
序詩
死ぬ日まで 天を仰ぎ
一点の恥も ないことを、
葉あいに 立つ風にも
ぼくは つらくなった。
星を歌う 心で
すべての死んでいくものを 愛さなくては
そして ぼくに与えられた道を
歩いていかなくては ならない。
今夜も 星が風にまたたいている。
昼食をどうするかというので、迷わず『羊の串焼き』と言うと、権君が友人に電話して聞いた、龍井一美味しいと評判の店『羊茂串城』に行くことになった。この店は、延辺で10店舗ぐらい持っている店で、確かに、名古屋にある朝鮮族のお店とは比較にならないほど美味しかった。
昼食後は、龍井の名前の由来となった井戸(この井戸を中心に集落が形成された)を整備した公園に行き、先に書いた朝鮮総督府の間島省領事館に行った。その裏手に回ると、半地下になった獄舎があり、鉄格子の入った窓は当時のままに残されていた。そこで何があったのかは想像に余りある。思わず手を合わせた。
市内を後にして30分ほどドライブしたところにある明東マウルに向かった。この道中でも感じたのだが、この間島の地は確かに寒いのだけれど、肥沃な大地であることが容易に想像できた。途中広大なりんご畑を見ながら、この地に入植した朝鮮人たちの労苦を想像した。朝鮮族の歴史については、別に書きたいと思う。
明東は尹東柱の生まれた村である。その生家が場所を移して復元されていて、その復元事業は、韓国の海外韓民族研究所の支援もあってなされたという碑がたっていた。
今では、老人ばかりで、当時あった明東小学校も廃校になってしまったという。それでも夏休みになると、延辺大学や韓国の大学生がここに援農もかねた研修キャンプに来るのだそうだ。
よく知られているが、89年に民間人として初めて平壌を訪問した文益煥牧師はここで、尹東柱の同級生だったのである。延辺の本屋で買った『尹東柱代表詩 解説と感想』という本には、当時の写真が掲載されている。
この後、この日の最終目的地である、三合に向かった。豆満江の中流域にある村で、朝鮮との国境の町である。
つづく
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