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写真最初の4枚は21日の図們で、次の二枚は白頭山天池で、そしてその後の写真が三合周辺で取ったものである。
三合は、明東マウルから車で小一時間かかるところにあった。低い山を越えて豆満江の中流域に出るとまもなく朝鮮語の多いマウルに出たが、そこが三合であった。つまり、ここも朝鮮族が圧倒的に多い街なのだ。
ここの川幅は、川岸から川岸まででざっと100m、川幅自体は数10メートルに過ぎない。しかも見るからに浅い。国境をわたる橋はないが、川はほぼ凍結しているので、その気になればすぐに渡ることが出来る。
実際、冬でなければ、この川で洗濯をする風景が普通に見られるとのことだ。
私たちは、三合橋のたもとで堤防を降りて、川傍まで降りてみた。そこで、石投げをして遊んだんだが、それをとがめる人がいるわけでもない。川の向こうでは、いろんな人が歩いているのが見えるし、とトラックが走っていくのも見える。
そうしていると、ちょうど、汽笛を鳴らして汽車がやってくるではないか。私が三千里鐵道のものとわかっての、粋な取り計らいであろうか。
ちょうどその街に駅があるのだろう。しばらく停車した後、また動きだした。客車以外に貨物車も牽引しているように思われた。
この川沿いには中国側とおなじように朝鮮側にも道路が走っているようで、朝鮮側の川沿いに点々と集落があるのが見える。比較的大きな集落もあった。
そして中国側の道路には、一箇所、『国境法規を遵守するとありがたい』という小さな看板があった。そういう看板が申し訳程度に立っているところを見ると、きっといろんな人が、行ったり来たりしているんだろうなあと想像できる。
この橋の所には凍結した池があり、付近の住民が、氷を割って釣りをしていた。小さな子どもが覗き込んでいるバケツの中には、ちょうどワカサギのような小魚が数匹泳いでいた。のどかな時間が過ぎていく…
三千里鐵道の都相太理事長に聞いた言葉を思い出す。
「辺境というのはね、すごい田舎で、何もないところという意味だと思っている人が多いんだけど、本当はそういう意味じゃなくて、文字通り、境はこの辺り、という意味なんだよ。」
実感が湧く。ここはまさに辺境なのである。国が厳重な国境管理をするのならばともかく、朝中間に特別な緊張関係があるわけでもなければ、人々は、やすやすとこの川を越えていくに違いないのだ。
量は知れているかもしれないが、交易をしていたって不思議でもなんでもない。
しかも三合は朝鮮族の村である。
実際、この川岸をずっとドライブしたのだが、どちらの川岸にも鉄条網のようなものは一切なかったし、軍人の姿を見ることもなかった。それは、南北の軍事境界線とは正反対の姿である。
私はこの延辺の旅で、毎日、朝鮮との国境(辺境)に立った。
21日の図們では、図們大橋の中間にある『国境線』をまたいで、ほんの1mだが、わが祖国の北の地に足を踏み入れた。このままとぼとぼと歩いていったとして、中国側の兵士は、私を撃てるであろうか。そして朝鮮側が私を撃てるであろうか。
この大橋の所こそ、軍の管轄下にあったが、その周辺の川沿いには軍人の姿はなかったし、それは朝鮮側とて同じだった。ここでは、冬期でなければ、遊覧船が浮かび、北側の人々と間近に接し、話を交わすことさえあるという。
22日の白頭山では、凍結し雪の積もった天池の上を歩いて、目には見えない国境の『辺り』まで行った。ここにも、私たちの行く手を阻むものは何もない。私たちは、そのまま朝鮮側の登山路を降りていくことが出来るのだ。
そしてこの日の三合マウルである。
日本のテレビなどでは、『決死のの脱北』とか『命がけの脱北支援』などという台詞が飛び交うが、そんな雰囲気は微塵も感じられないのだ。それは悪意に満ちたプロパガンダ以外の何物でもないのだ。
人々は、それなりの知恵を使って、今日も、辺境を超えて、行ったり来たりしているに違いないのだ。
つづく
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ぼんです。 冬の白頭山、すごいですね! 私は昨年9月に登りました。そのときはまだ夏ですから、それでも、すこし寒かったのですが・・・。 天地淵を歩いたり、遊んだことは、想像しただけでも、すごいですね。 http://www.inbong.com/2006/enpen/
2007/1/26(金) 午前 7:34 [ bong ]
「日本のテレビなどでは、『決死のの脱北』とか 、、、それは悪意に満ちたプロパガンダ以外の何物でもないのだ。」 真実を知らされて驚きました。
2007/1/31(水) 午前 8:30 [ johnkim ]
「ほんの1mだが、わが祖国の北の地に足を踏み入れた」尊い経験されましたね。
2007/1/31(水) 午前 8:32 [ johnkim ]