東北アジアの平和 一在日コリアンの願い

隣同士仲良くしないとね。 引越しできないんだし。

延辺朝鮮族自治州

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 23日は三合を最終にして、延吉に帰った。帰る車中、少し時間があることに気がついた。それで、何がもう一つしておきたいことがないかなあと考えた時に、ふと、思い浮かんだのが、オモニの健康のことだった。
 オモニは一ヶ月ぐらい前から、ずっと胃の調子が悪くて、元気がなかった。どういう症状かというと、食べたものが胃から食堂に逆流してくるというものである。病院に通い、胃カメラ検査をしたときは、立ち会ってその状態を見せていただいたのであるが、食堂と胃の境にある幽門が伸びた状態で、逆流した胃酸のために食堂が荒れていた。それで、処方された薬を飲んでいるとはいえ、一向に改善されないのであった。正直に言って、いわゆる化学薬で治るとは思えなかった。

 それで、権君にいい漢方薬のお店はないかと尋ねたら、『中医』で有名な先生を知っているとのこと。それでそこに向かうこととした。
 その先生は、朝鮮族の方で権君の父親と友人で、子どもの頃からお世話になっているのだそうだ。
 その医院につくと、本当にやさしそうで名医の雰囲気がある。それでオモニの症状を詳しく話すと、メモ用紙を取り出して、いろいろ説明をしてくれた。陰陽の話である。その説明に納得がいったので、すぐに処方をお願いし、ついでに私自身の高血圧の相談もした。今の日本ではあまりやらなくなった触診をひとしきりした後、やはり処方していただいた。
 オモニの薬はいわゆる煎じ薬で私のは粉の飲み薬であった。
 カルテを作ってくれて、なくなる頃にまた電話してくれれば、日本に送ってくれるとのこと。実際、日本のお客さんも何人もいるとのことであった。
 それから、ひとしきり、雑談していたんだけど、この先生は安東柱さんといい、海外同胞の会議にもよく出席してて、海外同胞雑誌にも漢薬の論文が載ったりしたのを見せてもらった。しかも、かの韓昌佑さんもよく知っていて、海外同胞商工人連合会にも参加しているとのこと。いやあ、世間は狭いですね。それで名刺を頂いたら、延辺伝統医学研究所所長で、中国延辺国際公共医系協会の副会長でもあった。聞けば、テレビの健康相談にも出てるとのこと。
 で、私のウリマルをとてもほめてくださった。今までたくさんの在日同胞に会ったけど、君のように流暢に話す人は初めて会った。君のように話せる同胞はどれ位いるのかと。正直、とても嬉しかった。

 さて、日本に帰ってから、かれこれ一ヶ月近くになるが、オモニの症状は確実によくなっている。この薬のおかげなのかどうか、確実なことはいえないかもしれないが、オモニはこの薬が効いたのだと信じている。良い親孝行が出来て、私も嬉しい。

この日の夜は、冷麺と決めていた。延辺式冷麺は名古屋の朝鮮族の店でも食べていて、美味しかったからとても楽しみだったのだ。しかも、ホテルの近くで、その名も『三千里冷麺部』。

で、それは、正直、ちょっと期待はずれだった。今度来るときは、やっぱり一番美味しいと評判の店にしようと心に決めた。でも、一緒に頼んだ、酢豚は美味しかったかな。

食後に、権君に、お風呂に行こうと誘い、ホテルの裏手にあるお風呂に行った。三日間の疲れをじっくり癒せればと思ったのだが、このお風呂は、素晴らしかった。最近同胞があちこちで経営しているスーパー銭湯のように、お風呂があり、チムヂルバンがあり、あかすりがあり、マッサージがあり、休憩室があり、食堂もある。そして宿泊することも出来るのだ。実際、ホテルに泊らないで、こういうところに泊る人も多いのだという。

 で、私は久しぶりにアカスリをお願いすることとした。ところが困ったことに、朝鮮語が通じない。みんな漢族なんだという。それで、言葉が通じないまま、でんと体を任せるということで、少々不安な気持ちであったが、始めてしまえば、気持ちがいいので、ウトウトとする。で、そのアジョシが、身振り手振りで指示するままに、うつ伏せになったり仰向けになったり、手を投げ出したりしていると、何かおっしゃる。どうも、オプションのお勧めのようである。で、何もわからないけど、この際だからと言うがままに頷いていたら、足の裏の角質取りをしてくれたり、爪切りをしてくれるのである。どんな風にしているのかなあと、盗み見してみると、なんと小刀のようなものでしているのである。真剣そのもの。
 これが素晴らしい。かかとなどの角質が綺麗にそぎ取られ、それはそれはスベスベ。足の爪なんぞ、いつも綺麗にするのが難しいんだけど、これも見事というほかない。
 で、最後は、塩とローションでマッサージまでしてくれた。

 その後チムジルバンでウトウトした後、仕上げに、足裏マッサージをしていただいた。これは女性によるものだが、なかなかに力が入っている。痛気持ちいいというのだろうか、思わず声を上げそうにもなったが、必死にこらえた。やはり漢族の方で、話が出来なかったのが残念だった。
 このお風呂には、あわせて3時間ぐらい居ただろう。

 そしてその日は、権君もホテルに一緒に泊ったのであった。もとよりダブルベッドが二つの広々としたツインルームだったから。この日は、本当にぐっすりと眠った。

つづく

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 写真最初の4枚は21日の図們で、次の二枚は白頭山天池で、そしてその後の写真が三合周辺で取ったものである。


三合は、明東マウルから車で小一時間かかるところにあった。低い山を越えて豆満江の中流域に出るとまもなく朝鮮語の多いマウルに出たが、そこが三合であった。つまり、ここも朝鮮族が圧倒的に多い街なのだ。
 ここの川幅は、川岸から川岸まででざっと100m、川幅自体は数10メートルに過ぎない。しかも見るからに浅い。国境をわたる橋はないが、川はほぼ凍結しているので、その気になればすぐに渡ることが出来る。
 実際、冬でなければ、この川で洗濯をする風景が普通に見られるとのことだ。

 私たちは、三合橋のたもとで堤防を降りて、川傍まで降りてみた。そこで、石投げをして遊んだんだが、それをとがめる人がいるわけでもない。川の向こうでは、いろんな人が歩いているのが見えるし、とトラックが走っていくのも見える。
 そうしていると、ちょうど、汽笛を鳴らして汽車がやってくるではないか。私が三千里鐵道のものとわかっての、粋な取り計らいであろうか。
 ちょうどその街に駅があるのだろう。しばらく停車した後、また動きだした。客車以外に貨物車も牽引しているように思われた。
 この川沿いには中国側とおなじように朝鮮側にも道路が走っているようで、朝鮮側の川沿いに点々と集落があるのが見える。比較的大きな集落もあった。
 そして中国側の道路には、一箇所、『国境法規を遵守するとありがたい』という小さな看板があった。そういう看板が申し訳程度に立っているところを見ると、きっといろんな人が、行ったり来たりしているんだろうなあと想像できる。
 この橋の所には凍結した池があり、付近の住民が、氷を割って釣りをしていた。小さな子どもが覗き込んでいるバケツの中には、ちょうどワカサギのような小魚が数匹泳いでいた。のどかな時間が過ぎていく…
 
 三千里鐵道の都相太理事長に聞いた言葉を思い出す。
 「辺境というのはね、すごい田舎で、何もないところという意味だと思っている人が多いんだけど、本当はそういう意味じゃなくて、文字通り、境はこの辺り、という意味なんだよ。」
 実感が湧く。ここはまさに辺境なのである。国が厳重な国境管理をするのならばともかく、朝中間に特別な緊張関係があるわけでもなければ、人々は、やすやすとこの川を越えていくに違いないのだ。
 量は知れているかもしれないが、交易をしていたって不思議でもなんでもない。
 しかも三合は朝鮮族の村である。
 実際、この川岸をずっとドライブしたのだが、どちらの川岸にも鉄条網のようなものは一切なかったし、軍人の姿を見ることもなかった。それは、南北の軍事境界線とは正反対の姿である。

 私はこの延辺の旅で、毎日、朝鮮との国境(辺境)に立った。
 21日の図們では、図們大橋の中間にある『国境線』をまたいで、ほんの1mだが、わが祖国の北の地に足を踏み入れた。このままとぼとぼと歩いていったとして、中国側の兵士は、私を撃てるであろうか。そして朝鮮側が私を撃てるであろうか。
 この大橋の所こそ、軍の管轄下にあったが、その周辺の川沿いには軍人の姿はなかったし、それは朝鮮側とて同じだった。ここでは、冬期でなければ、遊覧船が浮かび、北側の人々と間近に接し、話を交わすことさえあるという。
 22日の白頭山では、凍結し雪の積もった天池の上を歩いて、目には見えない国境の『辺り』まで行った。ここにも、私たちの行く手を阻むものは何もない。私たちは、そのまま朝鮮側の登山路を降りていくことが出来るのだ。
 そしてこの日の三合マウルである。

 日本のテレビなどでは、『決死のの脱北』とか『命がけの脱北支援』などという台詞が飛び交うが、そんな雰囲気は微塵も感じられないのだ。それは悪意に満ちたプロパガンダ以外の何物でもないのだ。
 
 人々は、それなりの知恵を使って、今日も、辺境を超えて、行ったり来たりしているに違いないのだ。

つづく

 

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23日は、いわば抗日独立運動の歴史をたどる日であった。
昨日と同じ白タクにお願いして、まず向かったのは、延辺大学であった。案内してくれた権君の通っている大学でもあるし、私の近所の青年や学生時代の友人も留学したその大学は、市内中心部から西へほんの数キロしか離れていない。入り口はノーチェックで、車のまま入ることが出来る。総学生数は約2万人の総合大学である。。その広大な敷地の中で、最初に行ったのは、旧満洲帝国時代の建物を利用した本館である。かつて国立博物館として利用されていた朝鮮総督府の建物ほどではないが、吹き抜けのロビーとアンティークなシャンデリヤにコロニアリズム趣味を感じた。そのあと体育館やグラウンドを横目に見ながら向かったのは、裏山である。ここには、独立英雄無名記念碑が整備されていた。そしてここは散策路となっていて、延辺大学の設立に尽力した方や著名な学者の碑がたっていた。

その次に向かったのが、歌曲『先駆者』で有名な『一松亭』である。これはいわゆる満洲荒野の中にぽつんと小高い小山であった。その小山の上に松の老木があったのだという。

先駆者     尹海栄/作詞 趙斗南/作曲

(日本語訳)
1.一松亭の青松は 年老いてゆけども、
一筋の海蘭江は 千歳にわたり流る。
過ぎし日川辺で 馬を馳せし先駆者、
今はいづこで 深き夢を見るか。

2.水くみの井戸辺に 夜鳥の声聞こゆる時、
由緒深き龍門橋に 月光は美しく射す。
異国の空を見上げ 弓を射し先駆者、
今はいづこで 深き夢を見るか。

3.龍珠寺の暮れの鐘 飛岩山に響く時、
男児の固き心に 深く刻み込みけり。
祖国を取り戻さんと 誓ひせし先駆者、
今はいづこで 深き夢を見るか。

作詞者にちょっと疑惑があるとのことだが、それはともかく私の愛唱歌のひとつで、まさに独立抗争を歌った歌である。
この一松亭については、独立運動の義士たちが立ち寄った『茶屋』があったとの説明を見ることがあるが、権君の説明では、ここは独立軍にとっていわば自然の要塞であり、ここに陣を取り、日本軍との抗戦の舞台であったのだという。確かに、一松亭にたつと、その説明に納得がいく。ここからは満洲の大平原が一望できるのであり、遊撃戦にはもってこいの場所に違いない。後にこの老木は日本軍によって切り倒され、今あるのは、後に植えられたものである。

また、この小山の山すそは、この地に入植して来た朝鮮人の墓地になっていて、権君の先祖の墓もあるとのことであった。一松亭からは海欄江が悠々と流れる風景が眺められるが、朝鮮人はこの川沿いに移住してきたのであり、最初に集落を作ったのもこの周辺だったからである。

ひとしきり満洲ボルパンを眺め、独立抗争に思いを寄せた後、解放の日を目前にしながら福岡刑務所で獄死した詩人、尹東柱が通った大成中学校跡へと向かった。朝鮮族の比率が最も高い町、龍井にあり、ここには、かって、朝鮮総督府の間島省領事館が置かれた。その建物は今は、龍井人民政府庁舎として使われていたが、今は展示館となっている。この日は休館であった。
 大成中学校跡は、龍井中学校の敷地内に保存されており、尹東柱を記念する展示室もある。そしてあの有名な『序詩』の石碑があった。声を出して朗読すると、おもわず涙ぐんでしまった。

【日本語訳】

 序詩

死ぬ日まで 天を仰ぎ
一点の恥も ないことを、
葉あいに 立つ風にも
ぼくは つらくなった。
星を歌う 心で
すべての死んでいくものを 愛さなくては
そして ぼくに与えられた道を
歩いていかなくては ならない。

今夜も 星が風にまたたいている。


昼食をどうするかというので、迷わず『羊の串焼き』と言うと、権君が友人に電話して聞いた、龍井一美味しいと評判の店『羊茂串城』に行くことになった。この店は、延辺で10店舗ぐらい持っている店で、確かに、名古屋にある朝鮮族のお店とは比較にならないほど美味しかった。

昼食後は、龍井の名前の由来となった井戸(この井戸を中心に集落が形成された)を整備した公園に行き、先に書いた朝鮮総督府の間島省領事館に行った。その裏手に回ると、半地下になった獄舎があり、鉄格子の入った窓は当時のままに残されていた。そこで何があったのかは想像に余りある。思わず手を合わせた。

市内を後にして30分ほどドライブしたところにある明東マウルに向かった。この道中でも感じたのだが、この間島の地は確かに寒いのだけれど、肥沃な大地であることが容易に想像できた。途中広大なりんご畑を見ながら、この地に入植した朝鮮人たちの労苦を想像した。朝鮮族の歴史については、別に書きたいと思う。

明東は尹東柱の生まれた村である。その生家が場所を移して復元されていて、その復元事業は、韓国の海外韓民族研究所の支援もあってなされたという碑がたっていた。
今では、老人ばかりで、当時あった明東小学校も廃校になってしまったという。それでも夏休みになると、延辺大学や韓国の大学生がここに援農もかねた研修キャンプに来るのだそうだ。

よく知られているが、89年に民間人として初めて平壌を訪問した文益煥牧師はここで、尹東柱の同級生だったのである。延辺の本屋で買った『尹東柱代表詩 解説と感想』という本には、当時の写真が掲載されている。

この後、この日の最終目的地である、三合に向かった。豆満江の中流域にある村で、朝鮮との国境の町である。

つづく

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12月22日、冬至の日に白頭山(長白山)に登ることとした。
実際は、延辺に行くまで迷っていた。なにせ3000メートル近い山であるし、緯度は北緯42度、おおよそ函館ぐらい、どう考えても、零下25度ぐらいは覚悟しないといけないし、天候次第では零下30度は行くに違いないと予想できる。そもそも、冬のアクセスも心配。交通事故の危険性だって…

 私に権君を紹介してくれ北京在住の柳さんも、白頭山は夏に登ってこそだと力説していて、それよりも渤海や高句麗の遺跡に行ったほうがいいとアドバイスしてくれていた。
 ところが、権君はもうすっかりその気になっていて、当人も冬の白頭山は初めてだと言いながら、興奮しているものだから、もう迷うのはやめた。
 で、前の晩に、衣料品の百貨店に入って、厚手のシンサレートの手袋を買い、私のダウンジャケットでは心配だといい、権君が自分のスキージャケットを貸してくれることになった。

 さて、当日の朝、私は、ちょうど5時に目覚ましで起きた。短かったけど熟睡したから心地よい。
外を見ると、真っ暗闇で、青白い街灯がいかにも凍える寒さを感じさせる中、登山用の下着を一枚余分に着込み、スキー用のタートルネックとフリース、ズボンは、以前ユニクロで買ったキルティングのもの。靴は、日本から持って行ったハイカットのトレッキングシューズ。
 準備万端で、昨日買ったバナナを二つ頬張り、部屋を出て下に下り、外に出てみるが、それらしき車はまだない。権君の話では、『現代車』とのこと。それを強調していたのは、最近の中国における現代車の地位がとても高くなったということだろう。
 約束の5時半になったが、権君がまだ現れない。ちょっとやきもきしたが、20分遅れで到着。さっそく、スキージャケットを試着してぴったりなのを確認して、ホテルを出発することとした。
 ホテル前には、黒のセダンが待っていてくれた。
 運転手さんは、観光バス運転歴10年以上という漢族の方で、あとからわかったのだが、車は、新車のエラントラであった。
 6時少し前に出発した。まだ真っ暗である。延吉は盆地なので、少し走ると、郊外はすべて山越えの道である。行き買う車は少ないが、いたるところで凍結していたし、とにかくスピードを出すので、正直恐かった。
 さて、エラントラは快調に飛ばして長白山に向かう。朝日も昇り、天気がよいことを予感させてもくれた。10時頃に、長白山の手前の最後の街、二道白河に到着して朝食をとることにした。
 ドライバーさんも一緒に入った食堂で、とにかく暖まるものをと、饅頭やテンジャンチゲを頂いた。
 そして、しっかり休憩を取り、ストレッチもして、いよいよと覚悟を決めて車に乗り込んだ。
 その街からは30分ぐらいだったろうか、ついに長白山山門に到着である。ここには大きな駐車場があり、自家用車やバスはここに止めて、山門から先は、専用のマイクロバスに乗り換えることになっている。そのバスで約20分走ると、いよいよ登山口である。冬でなければランドクルーザーにのって山の頂上近くまで行くことも出来るそうだが、この日は運行しておらず、天池まで歩いて登るコースを選んだ。夏ならば1時間程度とのことであったが、ざっと1時間半の道中と覚悟した。
 この登山道は、長白瀑布の高さまでは、延々と続く階段である。さらにその階段は途中から、コンクリートのトンネルの中を歩くことになっている。しめて、約1000段登るのである。正直きつかった。
 そして、この階段を登りきった時、そこには別天地が開けるのであった。
 この天地には、温泉も湧いていて、それで、登りきった所には豊かな水量の川が流れているし、滝も凍結しないで堂々と落ちているのである。しばらく行くとその流れも完全に雪の下に隠れるのだが。
 3枚目から5枚目までの写真は凍結して雪が積もる天池の中ほどまで歩いていった時に撮った。白頭山の朝鮮側である。天池の中央を国境線が走っているんだけど、勿論見えるはずもなく、私たちは、ずんずんと真ん中近くまで歩いていった。
 この日は、雲ひとつない晴天に恵まれ、太陽がまばゆくずっと近くに感じられた。
『ハナニーーーム ナン ヨギッカジ ワツソヨ !!』
『タングンハラボジーーー ネガ ポインニカーーーー』なんて歓声を上げました。 天池全体に、こだまが響き渡りました。天池を二人で独占したんですもん。
それはそれは感動的で、寒いのも何のその、二人で駆けずり回って遊びました。
 で、やっぱり、このまんまん、この天池を歩いていったら、朝鮮に行けるんだよなあと話したり。
国境なんて、こんなんなんだと納得したり。

 で、しばらく遊んで、中国側の天池のほとりにある小さな小屋で、コーヒーとカップめんを頂きました。
そしたら、まだ中学生ぐらいとおぼしき朝鮮族の少年が入ってきました。延吉から韓国人の女性3人のグループを案内してきたというのです。ほほっ逞しいなあと感心していたら、なんと、その三人のうちの一人は在日コリアンだというではありませんか。びっくりしましたね。信じられない出会い。
 この女性、名前も歳も聞かなかったけど、またどこかで会えるかしらん。

 帰りの道中では、安図県万宝鎮にある朝鮮族の村の食堂に入った。正真正銘のオンドルの食堂で、トドッの焼いたものとか豆腐料理、チョングッチャンチゲなどを美味しく頂いた。ここのアジュンマには、必ずまた来ると約束した。

延辺旅行記 3.ホテル

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 権君と狛肉料理を堪能した後、ホテルに戻り、翌日は白頭山登山に行くこと、午前5時半にホテル前を出発することを確認して分かれた。幸い、KBSの天気予報では、白頭山のところに高気圧があって、翌日は天気がよいらしいことも予想できた。
 この季節、旅行社のバスツアーがないということで、タクシーをお願いしようとしたのだが、タクシーは勤務時間のことや、長距離でしかも他県に行くということで問題があるとのこと。それで、そういう旅行をしてくれる人、要するに白タクということなんだけど、あらかじめお願いしていただいていた。
 それで、早く寝ようと、9時前にはベッドに入ったというのに、9時に電話がなる。
 「あんま必要ないですか?」アガシの声である。必要ないと断ったのだが、すかさず男に代わり、「アガシいますよ。マッサージ…」
 私、切れましたね。「私は明日早く起きて山に行く。すぐ寝るから、必要ない。だいたい、頼んでもないのに何で電話するんだ」と抗議。
 それで寝ようとしたのだが、とにかく、暑い。部屋のエアコンは切ってあるのだが、なにせ床がポカポカを通り過ぎている。それで、ばい煙で汚れた空気でもと窓を開け、それでも足らず、ドアを10cmほど開け、空気が通るようにしたのだが、それでもダメ。ああ、早く寝ないと… とあせるんだけど、とにかく暑い。ああ、どうしたものだ。だいたい、こんなに空気が悪いのになんという馬鹿げた暖房なのだと、延吉市民全部が恨めしい気持ちにさえなる。
 で、もんもんとしていたら、また電話が鳴る。時計を見たら、深夜0時きっかり。
 「もしもし、あんまは…」またアガシの声である。そして間髪いれず男に代わり、「マッサージ…」
 本当に切れましたね。「あんな、誰がたのんだんねん。頼みもせんのにこんな夜中に電話する馬鹿おるか」と。そしたら「さっきはあとでするといったでしょう」だって。さらに切れましたね。「二度と電話するな。」
 もう、腹立たしくなって、その勢いで、フロントに電話して、「部屋が暑すぎる、寝れない、何とかしてくれ」と抗議したら、「エアコンをお切りください」だって。「エアコンはつけてない。とにかく暑くて眠れん。なんならすぐに部屋に来て見てくれ。」
 しばらくすると、おばさんがやってきて、「仕方がありません。建物全部の暖房ですから。」
「で、このまま寝ろと? あなたじゃ話にならんから、ボイラーマンでも支配人でもいいから連絡してくれ!!」「ボイラーマンには『提議』しました。私ではどうにもなりません。」とにかく、二言目には『提議』したというのである。
 私は本当に切れてしまって、「ならば、どこでもいいからもっと涼しい部屋はないのか。こんな部屋では寝れない。提議したというけど、解決する気があるのか?解決しないで提議がなんだというのだ!!」「・・・・」
 なるほどなあ… こういうところに、共産主義の社会の抱える問題があるんだなあと実感した次第。もとより共産主義そのものに問題があるわけではないのだが、言うならば日本の役人根性みたいなものが全体化してしまったというのかなあ。
 で、私の抗議が只者じゃないと悟ったのか、フロントから電話があって、他の涼しい部屋に交換するとの事。私は、まずその部屋を確認したいといい、もう一度来た先ほどのおばさんと一緒に、交換するという他のフロアーの部屋に行くと、確かにそこは涼しい。多分、このフロアーには宿泊客がいなくて、床暖房が入っていないのであろう。すぐに了解して、荷物を全部持って引越しした。
 そしてベッドに入ったら、あっという間に寝入ったようで、午前5時の目覚ましまで熟睡。そらあ、疲れてましたもん。ソウルでは連日2時ごろまでお酒飲んで議論してましたし、前日も6時半に起きて空港に向かったし、寒い中を歩き回ったし…

 この日、白頭山登山から帰ってきて、インターネットが出来ないか尋ねたら、部屋で出来るという。でもパソコンを持ってきていないのでそれもかなわない。結局あきらめて、じゃあと思って国際電話をかけようとしたら、外線ができない。どういうことかフロントに聞いたら、電話をするためには、保証金を500元預けなければダメだという。
 実は、ホテルにチェックインする時も、保証金を1000元預けるように言われ、『はて、宿泊費が3泊で780元にしかならないのに…』といぶかしく思いながらも預けた後だったし、白タク代金が翌日もかかることから、「宿泊代の保証金を預けてあるのに、さらに、しかも500元もか?」と聞いたら、「規則でそうなっています。ほかのホテルもみんな一緒です。」だと。
 その答え方が、やっぱりいかにも役人的で、融通性も皆無といった按配。「あのね、ここは国際ホテルだよね。国際電話するのにそんなに不便だったらお話にならないじゃないの。」「規則です。」
もう、あきらめましたね。
 ああ、こういうの、だんだんと是正されていくんだろうけど、正直、気分悪いなあ…とため息。

 で、やっぱり疲れているから、早く寝ようと思ってシャワーを浴びようと思ったら、電話がなる。午後9時きっかり。昨日と同じ時間。
 白頭山に向かう途中、権君と昨夜の一件を話した時に、『マッサージにも売春のやつが多くなっているし、それだと思う。』ということは聞いていた。私も、多分そうなんだろうと察しはついていた。
 「お客さん、マッサージどうですか。」やはりアガシの声である。私が無言でいると、今度は男の声で「女の子いますよ。」だって。私が、昨日同様、頼んでもいないのに…と言いかけると、「オーケー、オーケー、部屋のほうに…」これには本気でぶち切れましたね。
「なにがオーケーなん? 昨日も言ったはず、頼みもしないのに電話するんじゃない。二度と電話よこすな!!」と怒鳴って電話を切った。
 で、ホテルの案内書や広告のたてを見ると、内線番号で二種類のあんま屋さんが載っていた。一つは足部按摩を中心としたやつで本物みたい。でもうひとつが、女性の水着姿の写真があって、いかにも売春っぽい。多分、これなんだろうなと合点。
 で、彼らは宿泊客の情報は多分全部つかんでいて、私みたいに、韓国人で一人で宿泊しているのだから、当然女性が必要、なんていう判断をされていたんだろうね。

 思い出すのは、91年4月のこと。在日韓国青年同盟の活動家だった私は、長い間、旅券の発給をあきらめていたのだが、87年6月の民主化宣言、大統領直接選挙、88オリンピックなどを経て、韓国の民主化も相当進んだという判断から旅券発給を申請し、6ヶ月待たされた挙句にやっと発給していただき、13年ぶりに韓国を訪問した時のこと。この時は、チョンノのホテルに宿泊したのだが、私がチェックインした時に、「アガシが必要ですか」と聞かれたし、夜、やはり電話があった。それは、ストレートに売春そのものであった。
 いずれにせよ、そういうニーズがあってこそ成り立つ商売。そういう商売は、韓国からの移入なんだろうということも容易に推測できる。
 92年8月の韓中国交樹立以来、たくさんの韓国人が中国に来て、いまやその数は60万人に上るという。主には北京、上海、天津、青島、大連などの大都市に来ているのだが、朝鮮族自治州である延辺にもその数が多い。それに併せて、カラオケやクラブなどの遊興店も進出してきたという話は聞いていたが、マッサージと称する売春もそうなんだろう。いやはや、情けない話だ。
 日本人が韓国をはじめアジア各地で売春ツアーをしてきて、韓国でも女性団体や宗教団体が問題視して抗議していたのに、いまや、韓国人も同じ。アジアはいうに及ばず、オーストラリアやカナダ、アメリカのような移民の国にまで。しかも、売春業を現地で始めてしまうなんていうのは、国の恥としか言いようがない。

 で、中国では売春が合法であるはずもなく、翌日権君に聞いたら、買ったほうも売ったほうも両方罰せられるとのこと。そして、新しく来た韓国人が、中国で問題のある行動を取るために、朝鮮族にはすごい迷惑だということも話してくれた。
 この、新しく中国に住み着いている韓国人のことについては、別に書きたいと思う。 

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