東北アジアの平和 一在日コリアンの願い

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一連の論文は4年前のものです。あしからず・・・・
三つに分割して掲載しています。

〜第1回世界韓商大会に参加して思う〜
海外同胞政策においてすべてに優先すべき韓民族教育
 韓 基 徳


海外同胞は全体韓民族の未来を左右する主役

去る10月8日から10日、在外同胞財団主催で、第1回世界韓商大会が開催された。大会の狙いは、全世界で活躍する海外同胞企業人と国内企業人を結び、世界規模の韓民族経済ネットワークを構築しようということにあったが、世界韓人商工人総連合会や世界海外韓人貿易協会、各国各地域の韓人商工人団体などの協力を得て、世界26カ国から約800名の海外同胞企業家が参加したことで、ひとまずは成功したといわれている。
在外同胞財団理事長の権丙鉉理事長は、主催者挨拶の中で「国内外の商工、貿易、IT、科学技術などの各分野が網羅された経済ネットワークを形成し、相互連携をすることは無限の可能性を秘めている」「海外同胞が全体韓民族の未来を左右する主役であると信じて疑わない。」と、海外同胞の新たな可能性を高らかに謳いあげた。
また、基調演説に立った在米同胞のAmBex Ventureグループの李鍾文会長は、「中国の経済発展の原動力は華僑の本国に対する投資にある。そして、本国の経済発展が華僑5600万人の今日の繁栄に直結している。」とし、その“WIN WIN戦略”を世界の韓民族も見習うべきであることを強調した。さらに、経済の分野においても明確な変化を見せている朝鮮民主主義人民共和国に対する、海外同胞の投資のよい参考になるということも付け加えた。
海外同胞企業人が国内企業人と結合して活動を活発化させれば、輸出効果が輸入効果よりも大きいと考えられること、国内への投資誘致が期待できることなどから、本国が海外同胞を経済的に利用しようとする意図が見え見えだという批判的な声も聞こえるが、本国が海外同胞を対等なビジネスパートナーとして認識したことは、海外同胞の立場においても歓迎されることであるはずである。
日本からは在日韓国商工会議所から126名、世界海外韓人貿易協会日本支部からも十数名が参加した。
私は、愛知韓国商工会議所の事務局長という立場で参加させていただいたが、私自身、昂揚する気持ちを押さえられなかった。
中国や米国からの参加者との出会いは、祖国の人々との出会い以上にエキサイティングなものだったからである。海外同胞という共通点から来る共通の課題を発見すれば、見知らぬ国の見知らぬ世界を垣間見ることもあった。韓民族世界ビジネスネットワークという壮大な夢を描くことにも大きな魅力を感じるが、それだけに集約するには惜しい空間が演出されていたからである。
もっと期間が長ければ、多様なプログラムがあればと、欲深いことも考えたが、私の韓民族の血、海外同胞の民族魂が騒いだからであろう。


海外同胞共通の課題として浮上する言葉の問題

今回の大会では、基調演説やセッションの報告などについては、英語と日本語の同時通訳がなされたが、晩餐会その他の交流の場においては、通訳がつけられるはずもなく、公用語は当然ながら韓国語であった。
その結果、韓国語がある程度出来なければ、他の国からの参加者との交流は難しく、実質的な成果をあげるのは困難にならざるを得ないという問題が露呈した。
実際、日本からの参加者は日本からの参加者だけで固まり、他の国からの参加者と交流する姿はほとんど見られなかった。米国や中国からの参加者は、それぞれ同じ国からの参加者との会話は英語や中国語ですることがあっても、韓国語も出来ることから交流が比較的活発に行われていたのにである。
このような姿を見るのは、これまでに参加して来た国際会議でも経験済みではあったが、今回は特に言いようのない悔しさと寂しさを感じた。
それは、皮肉なことに、今回愛知韓商から参加した内の三人の会員が、大会期間中に他の国からきた同胞と縦横無尽の交流をし、実際に取引にいたっている姿を見たからである。彼らは朝鮮学校の卒業生であり、韓国語がある程度出来るということで、水を得た魚のように生き生きとしていたのである。
その彼らから聞こえてくるのは、「セレモニーはいいから、もっと実践的な交流が出来るような工夫が欲しい。」「具体的にどういう業種の方が参加していて、どういう取引を計画しているのか、そういう情報がまったくない中で、無駄な時間を多く過ごした。」というような、至極真っ当な批判であったのだ。
私は、民団社会における民族教育とりわけ韓国語教育の立ち遅れ、無関心、無策などに腹が立って仕方がないのだが、10日の午餐会の時には、本当に衝撃を受けた。
この午餐会は世界韓人商工人総連合会の主催で、まず中国韓人商工会の宋在国会長と在日韓国商工会議所の金建治会長のスピーチがあり、最後に美州韓人商工人団体総連合会のイム・チャンビン会長が壇上に立った。
「中国の宋会長と日本の金会長の立派なスピーチを聞きました。彼らは二世です。ですからあまり韓国語があまり上手ではありません。しかし私は、二人が昨晩寝る間を削って今日のスピーチの練習をしていたのを知っています。(場内大拍手)
私はアメリカに渡って45年になりますが、韓国で教育を受けたのですから韓国語が出来るのは当然です。しかし、二人の会長の姿は、20年後のアメリカの代表の姿なのです。」
つまり、韓国語習得の問題は在日同胞だけの問題ではなく、世界の同胞たちの共通した課題であるということに気付かされたのある。
世界韓商大会は、私の目にも大きな可能性、未来を予感させるものだったが、一方で、海外同胞に韓国語教育を中心とした民族教育が保証されなければ、こういう目論みも、所詮『絵に描いた餅』になる他ないということを、はっきり感じたのであった。

その2につづく

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その1から続く

全世界に撒き散らされた韓民族

旧韓末の時代に始まる韓民族の海外移民100年の歴史は、移民という単語から連想されるような自発的なものばかりではなかった。むしろ、その大多数は韓民族の苦難の歴史の中で流浪を強いられ、世界に撒き散らされたといえよう。
日本帝国主義による過酷な植民地支配は、まず五百万人にも昇る流浪の民を生んだ。日本人の“植民”はつまり、朝鮮人からの土地略奪を意味し、生活の糧を失った民は、山間部に追いやられ火田民となり、あるいは京城などの都市零細土幕民となる他なかった。
いつしか“タルトンネ(月あかりの街)”などと美しい名前がついた街では、その日暮しの人々の慟哭が絶えることがなかったことであろう。
脱亜入欧、殖産興業、富国強兵をスローガンに、アジアではいち早く産業を発達させ、工場や土木建設現場、炭鉱での労働力を必要とした日本。五族協和、八紘一宇という欺瞞に満ちた名目をつけて朝鮮、中国を初めとしたアジアを侵略していった日本。アジア太平洋に侵略戦争を拡大していく中で戦時労働力を必要とした日本。経済格差から朝鮮内よりも賃金が格段に高かった日本。
少しでもよい生活を望むことが罪となろうはずがない。生活の糧を奪われた朝鮮人は労務者募集に応じて仇国、日本へ渡り、土方となり、炭鉱夫となり、工場労働者となり働いたのだった。
仕事の内容や給金などの約束が違うなどというのは序の口で、そこは生きては帰れぬタコ部屋、そんなことはその時代ではありふれたことだった。
『大東亜戦争』が激しくなると、少なく見積もっても六十万人にも昇る同胞が強制連行の被害者となった。その多くは着の身着のままで“拉致”されて、異境の地で強制労働を強いられたのだった。【私の住む東海地方では、代表例として愛岐丘陵地区に密集する地下軍需工場建設(山中のトンネル掘削)が挙げられる。】
ある者は栄養失調で倒れ、ある者は発破で吹き飛ばされ、またある者は落盤事故で生き埋めになり、果てはダム建設現場で人柱にされ、どれほどの朝鮮人が犠牲になったのであろうか。
それでも生きていかなければと朝鮮人は生き抜いた。解放当時のその数なんと二百三十万人。そんな歴史を生き抜いてきたのが、私たちの一世の祖父母、父母だったのである。
植民地支配は、朝鮮人を中国東北部にも押し出していった。韓国併合前後からすでに流出し始めたが、日本帝国主義による偽“満州国”捏造(1932年)後は、積極的計画的な朝鮮人移住政策によって、“満州”移住を強要されていったのである。目的は食糧の増産と、対ソ戦争への備えだった。苦労して開墾した土地は、後からきた日本人に奪われ、それでも生きていくために、荒涼とした凍土に鍬を入れたのだった。解放当時のその数なんと二百十六万人。
さらに、ソ連の極東地域、朝鮮と国境をはさんで向かい合う沿海州にも、数十万人の朝鮮人が、植民地支配を逃れて流れ込んだのである。
日本が負け、韓民族は解放された。しかし、日本や中国やソ連にいた朝鮮人がこぞって祖国への帰還を果たすことは出来たわけではなかった。
解放されたとはいえ、祖国は彼らを受け入れることのできる状態ではなかった。解放直後の混乱期に、祖国に何ら生活基盤を持たない海外居住者数百万人が、一時に祖国に帰ることは不可能だったのである。
日本についていえば、約170万人の朝鮮人が祖国に帰っていったが、約60万人の朝鮮人は、祖国の状況が落ち着くまでの間、日本で待機することを選んだ。
解放の喜びもつかの間、祖国は分断され、数年後には史上最悪の同族相殺の戦場となり、南北ともに国土は廃塵と化し、民は生き別れ、心まで荒廃させた。
大多数の在日同胞は南に故郷を置きながら、政治的には北に共感を示し、結果、祖国を選択できぬまま帰る機会を失った。当時はそれが今日にいたるなどとは思いもよらなかったであろう。
中国では、約半数が解放祖国に帰還したが、半数は中国内にとどまり、朝鮮族中国人として現在にいたっている。
ソ連沿海州に逃れた同胞は、更なる流浪を強いられた。1937年スターリンが、対日戦争を想定し、朝鮮人が日本側につくのを恐れて、中央アジアへの強制移住を決定したからである。シベリア鉄道を利用したそれは、18万人に昇る朝鮮人(高麗人・カレンスキー)を、現在のウズベキスタンやカザフスタンなどの中央アジアの荒地に放り出したという。人々は行き先も知らされないまま貨物列車や家畜運搬車に押し込まれ、劣悪な食事や衛生状態、寒さのため、多数の老人や子どもらが命を落とす残酷な旅だったという。
しかし、かの地での朝鮮人は、荒地の開墾から始め、放牧文化の中で農業というものを根付かせていったのだ。現在ではその子孫がロシアやウクライナなどの在住者も合わせて約50万人に昇るといわれている。
また、在日朝鮮人の一形態といえるサハリン(樺太)在住朝鮮人の存在も忘れてはならない。
現在では200万人に昇るといわれる在米同胞の場合はどうであろうか。公式的な最初の移民船が仁川港を出航したのは1902年12月22日、船は93年1月13日にハワイのホノルルに到着し、101人が第一歩をしるした。この移民も祖国が植民地化されていく過程で経済が破綻し、一方ハワイでは農場労働力が要求されていたからだった。しかし、3年後には、その過酷な労働実態が伝えられ、移民政策は取りやめとなった。この3年間では7226人がハワイに渡ったという。
米国本土への移民については、特に日露戦争でロシアが負けたことを契機に「黄禍論」が激化し、それほど増加することはなかったが、戦争終結時には、約一万人が居住していたといわれている。
戦後の米国移民で最初に挙げられるのは、朝鮮戦争勃発に起因する移民である。韓国に戦争しにきた米軍兵士と結婚して太平洋を渡った『戦争花嫁(War Bride)』は6423人、米国市民によって養子縁組された戦争孤児は5348人に昇った。そして、留学生がそれに続いた。
米国移民が本格化したのは、68年7月、米国で東洋人差別状態を改めた新移民法が発効した時からだった。アジア系移民が一挙に急増し始めたが、その中核をなすのが韓国人だった。その背景には、農村が荒廃することで生じた過剰な都市流入人口を経済が吸収できなかったこと、朴正煕軍事独裁政権のもとで社会的葛藤が高まっていたことが挙げられる。韓国人は自由を求めて、アメリカンドリームを夢見て、続々と海をわたり始めたのである。それは他の米州地域にも広がっていった。
ヨーロッパにおいて最も多く韓国人が居住しているのはドイツである。その理由は、63年に始まる炭鉱夫に始まる労働者輸出にある。当時のドイツは急速な経済発展にともなう労働力不足を補うために、外国人労働者を輸入し始め、失業率の高い韓国がそれに応じたというわけだ。66年からは、女性看護士が文字どおり“天使”としてドイツに渡った。その累計は、1万人を超えるという。
80年代に入ると、中近東地域への労働者輸出が始まった。今度は灼熱の石油採掘関連施設建設工事に駆り出されていったのである。
60年代から80年代においては、これらの移民奨励、労働力輸出は国策であった。失業率を減らすことが出来、かつ貴重な外貨を獲得出来るという、一挙両得の政策として、彼らは“英雄”としてもてはやされたのである。
今日の韓国の経済発展の裏にはこのような歴史があったことを決して忘れてはならないはずである。全体韓民族人口の8%にも昇る600万海外同胞は、韓民族の苦難の近現代ゆえに形成されたのであり、海外同胞の歴史は、必ず祖国の歴史の一部として認識されねばならないのである。

海外同胞の人口状況(1992)
地  域 人  数
日本   712,519
中国 1,927,278
その他のアジア    73,727
米国 1,533,577
その他北米地域    70,181
中南米地域    92,864
CIS(旧ソ連邦)   458,923
欧州地域    60,207
中東地域    11,612
アフリカ地域     2,693
総数 4,943,581
(韓国外務部発表)

その3に続く

その2から続く


無関心、無策、甚だしくは『棄民』の海外同胞政策

韓民族の苦難の近現代史ゆえに形成された海外同胞に対して、大韓民国は一体どのような政策を取って来たのであろう。
在日同胞に限っていうならば、それは、『棄民』政策であった。
65年6月、韓日条約が締結された際、韓国籍の在日の法的処遇を規定する韓日法的地位協定が締結され、一定の要件を満たすものには協定永住権が『付与』された。しかしこの協定は、三世以降の法的処遇を決めず、協定発行後25年、つまり1991年1月までに韓国政府の要請があれば韓日間で協議を行うとだけしていた。いわゆる91年問題である。
これは日本政府が民族抑圧と同化政策の推進で在日の三世は存在しなくなると想定していたことによるが、同時に、「在日僑胞は将来同化する運命にある。」とした韓国政府の態度を忘れてはならない。
韓日条約締結後、在日の分断にも成功した日本政府は、満を持して在日同胞に対する同化政策を本格化させた。
翌66年、最初に手をつけたのが、民族教育を抹殺する政治的な狙いを持った『外国人学校法案』であった。その前年の65年12月には、「朝鮮人としての民族性または国民性を涵養することを目的とする朝鮮人学校」は『1条校』どころか各種学校としても認可すべきではないとの文部次官通達が各都道府県に出されていた。
このときの韓国政府の態度は、「数校しかない韓国系学校に比べて朝鮮学校は約130校もあるので廃止されると朝鮮総聯側に打撃が大きい」という「反共実利論」を持ち出してこれを容認し、民団をして法案に賛成するように仕向けたのである。
外国人学校法案が廃案に持ち込まれるや、69年、在日同胞の政治活動を規制し、強制退去による追放政策を強めようとした『出入国管理法案』が上程された。このときも韓国中央情報部は、「入管法に反対するのは朝総聯の指示でやっている」とし、日本政府の方針に迎合しながら、在日同胞の必死の運動に冷や水を浴びせたのである。
幸い両法案とも、広範な日本市民の共闘もあって廃案になったが、韓国政府の恥ずべき態度を決して忘れることはできない。
本誌昨年11月・12月合併号に『今新たに、ウリハッキョを創りたい 〜民族教育こそすべてに優先する―東亜国際学院という夢〜』という拙稿が掲載された。その中で私は、韓国政府及び民団が、朝鮮民主主義人民共和国及び総聯のそれに比べれば、民族教育を何もやってこなかったに等しいと書いた。
日本において韓国系といえる学校は数校に過ぎないし、当初は韓国政府の支援がない中で、同胞たちの熱意によって開設されたのである。
実は、韓国政府は、在日同胞のみならず他の海外同胞についても、民族教育に関心を払ってこなかった。
在日同胞社会では、一般に中国の朝鮮族は韓国語が出来ると信じられているし、在米同胞も、コリアタウンなどでは韓国語で事足りることから韓国語が出来ると思われている。しかし、それは近年急速にそうではなくなって来ている。
中国では、延辺や吉林などの朝鮮族自治区においては朝鮮語が公用語として認められ、学校でも朝鮮語教育が保証されているのであるが、自治州以外の地域へ出れば、何の保証もされない。
近年、一部地域の急速な産業化に伴い、若年層が北京や上海、青島などの産業都市に流出しており、その二世世代については放置されているのである。しかも、若い女性の流出がより深刻で、朝鮮族自治州の中では少子化が深刻となり、学校の維持が困難なところが続出しているとのことである。
北京や上海などの大都市では、朝鮮族の中から自発的に週末学校をつくり一定の成功を収めているとの報告があるが、今のところ、韓国政府が何らかのアクションを起こしている形跡はみられない。学校維持さえ困難になって来ているという自治州に対しても、韓国の市民団体が、実態調査や教師派遣に乗り出しているだけである。
米国について言えば、コリアタウンは祖国と直結したリトルコリアであり、マスコミに至るまで韓国語世界であるが、一歩外へ出れば、韓国語はまったく効力もなく失われていくという。二世以降世代の同化のスピードは、在日の比でないばかりか、たちの悪い事に、大多数の青年たちは、誤った米国至上意識に毒されていて、韓国語を学ぼうという意識さえまったく欠如しているというのである。
ここでも、キリスト教会やボランティア団体によって細々と民族教育の場が維持されているのみで、韓国政府のアクションは見られないという。
日帝時代、ソ連沿海州に逃れた朝鮮人は厳しい生活を送るなかでも、独立軍を支援し、朝鮮民族としての文化を継承するために380校もの朝鮮学校を設立していった。しかし、スターリンによる強制移住後学校は閉鎖され、民族教育は否定された。
現在ロシアやウズベキスタンやカザフスタンなど旧ソ連邦に居住する彼らに対しても、韓国政府は何のアクションも起こしていない。
在独同胞の場合は、看護士の女性と炭鉱労働者の男性の結婚が、ほぼ同時期であったこと、世代も境遇も共通していることから、同胞コミュニティが自然に形成され、民族教育も週末学校を軸にして熱心に取り組まれているという。
彼らの社会的地位が決して低くないこと、ドイツという文化的に成熟し、教育に熱心な国に住んでいることもよい作用をしたのであろう。


海外同胞を一つにする韓民族教育を

これまで長々と海外同胞の形成史と現在の状況について書いてきたが、ここで明らかにしたかったのは、韓国政府は、韓民族の苦難の近現代史ゆえに形成された存在であるにもかかわらず、海外同胞に対して、何ら関心を払ってこなかったし、無策であったということである。
韓国の国定教科書においても、海外同胞についての記述は皆無である。日帝時代については、相当な分量で、植民地支配の非道さ、たゆまない独立運動のことを詳述しながら、日本や中国への同胞の流浪の歴史には何ら触れていないのである。
最近になって海外同胞に対する新しい動きが出てきた。
1999年、『在外同胞の出入国及び法的地位に関する法律』が制定された。この法律の目的は、海外同胞を韓国国内において積極的に活用することであった。が、それは、韓国の国益を考えたに過ぎず、中国の朝鮮族やロシアや中央アジアの同胞など『貧しい国』の同胞を『在外同胞』の定義からはずしていることからも、それは明白である。
つい先日の新聞には、国内では労働力が不足するいわゆる3K労働に、朝鮮族などの海外同胞を活用しようという動きがあることが伝えられているが、これも、現状を追認しながら、韓国の国益だけを考えているというようにしか聞こえてこない。
世界韓商大会で、『海外同胞は全体韓民族の宝』と持ち上げられ、21世紀のグローバルコリアンネットワークの壮大な夢が語られ、興奮を隠せない私が、日が経つにつれて熱気が冷め、一方で疑問が膨らんでくるのは、このような韓国政府の姿勢を否が応でも垣間見てしまうからである。
私は、この拙稿を締めくくるにあたり、是非、韓国政府に伝えたいと思うことがある。
それは、今後のグローバルコリアンネットワークを展望するにあたり、今からでも遅くはないから、まずは海外同胞のための政策を立案し実行せねばならないということである。
そして、その政策の中核にすべきものが民族教育であることは、言を待たない。海外同胞である当事者が、韓民族の一員としてのプライドを持たなければ何も始まらないからである。
世界韓商大会では、何よりも華僑ネットワークのことが強く意識されていた。
華僑社会が強力なネットワークを維持しているのは、自らの文化に対する強いプライドと、それを育てる教育であることは広く知られている。
海外同胞=世界に撒き散らされた韓民族がネットワークを形成しようという時に、このことを無視することなど出来るはずがない。
海外同胞政策において、何よりも優先されるべきは、韓民族教育なのである。


(了)

イメージ 1

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『アプロ21』2002年11月号に掲載された論文です。お読みいただければ幸いです。

※その3まであります。


今新たに、ウリハッキョを創りたい
〜民族教育こそすべてに優先する―東亜国際学院という夢〜


 本誌三月号及び四月号において、国籍取得緩和法案が国会に提出可決されるのではないかという危機感の中で、『重複的アイデンティティを持つ存在として』『海外同胞というアイデンティティを持つ存在として』という二つの文章を寄せた。そしてその最後の締めくくりに、新しい学校設立の可能性を感じているということを書いた。
 あれから半年が過ぎたが、その意はますます強くなるばかりであり、ここに真剣に同胞社会に訴えたいと思う。


2001オリニソウルジャンボリーに参加して

 8月23日から27日の4泊5日、私は小学校6年生の一人息子と一緒に2001オリニソウルジャンボリーに参加した。その模様は8月29日付の民団新聞に詳しいが、ここで保護者として参加した私の感想などをまず書いてみたい。
 一言で言ってそれは、感動と感謝であった。ある保護者が隣で統一日報の取材に答えていたのをそのまま借りるならば、「実は日ごろから民団といえば批判したいことばっかりだったけど、今回は違う。本当に感動しているし、感謝している。これからは民団批判を少し控えようかしら。」というものである。その保護者の3年生の娘は、日本に帰ったあと、ウリマルを習いたいと言い出し、実際に9月から習っているとのことである。
 ある先輩は、「この行事で2千万円以上の赤字だと聞いたが、そんなもの来年は俺が集めてやる。こんないいこと民団史上初めてじゃないか。来年は千人だ。」とまくしたてていた。
 一月後の9月23日に名古屋韓国学校で開催した『その後の集い』には、22名の参加オリニの内19名までが顔をそろえ、保護者も8名参加し、写真を購入したり、学校訪問でできたチングに手紙を書いたり、ユンノリで一緒に遊んだ。その時に保護者の懇談会も持ったのだが、口々にいう言葉は皆やはり感動と感謝であった。
 「うちの子がチャンゴ習いたいと言っているのだけれどどこにあるかしら」「今まで親にべったりだったのにガラッと変わってビックリした」「名古屋空港に帰ってきた時とっても生き生きしていて、元気よくウリノレを歌っているのを見て涙が出てきた」「行く前は不安がっていたのに帰ってきたら、また行きたい、行って良かったと連発して、あんなに喜ぶ姿初めて見た」そして異口同音に、来年も是非参加させたいと言うのであった。
 さて、なぜこのように一様に感謝されているのであろうか。
 それは一言で言って民族教育に対する保護者達の渇望があるからである。
 民団は、民族教育について総聯のそれと比べればいかにも無策であった。それこそ天と地の開きがあった。俗に言う“民団系”の同胞オリニは本名を隠して日本学校に通い、自らの言葉も歴史を学ぶ機会も与えられず、自らの民族的アイデンティティを培っていく機会を奪われた。言うならば、日本という国家が植民地時代から引き続き総括することもなく維持している同化思想と、対象が日本人であることを前提とする教育の場に無責任にも投げ出されたのである。
結果、自らの出自に対して劣等感を持ち、『朝鮮』『韓国』という言葉に過敏な反応を示し、民族に背を向け、日本人を演じることでかろうじて精神の均衡を保っている、というようなことを多くの同胞オリニが経験してきたのであった。そういう中でも少なからぬ同胞が、人生を変えるような先生や先輩との出会い、あるいは独力で“民族”と格闘しながら、民族的アイデンティティ即ち自尊心を獲得していった。
 私は、目の前の自分の子ども達が祖国の地で、本当に生き生きと肯定的に民族に接している姿を見、私たちの世代が経験した壮絶な葛藤の日々のことを振り返りながら感動していたのであった。


民族教育を渇望する同胞たち

 ソウルジャンボリーに子ども達を参加させた保護者は、子ども達に祖国や民族を体験させたいと強く願いそうしたであろうし、また自らも参加した保護者はそういう場に関心が高かったからに他ならない。全体参加者が全国で320人、親が50人ぐらいであったことを考えると、その数は全体同胞数から見ればいかにも少ない。“民団系”同胞のうち、対象年齢人口(小学校五年生と六年生、後に小学校三年生から中学校一年生まで拡大)が約1万人であるとするならば、3%にすぎないからである。(在日外国人の人口動態 民団21世紀委員会「くらしづくり部会」発行 参考)
 しかし、実際に参加した保護者と話した中で、民団から積極的なアプローチがあったという人は皆無であった。案内のチラシさえ見たことがなく、友人からの知らせで知ったという人がいたぐらいである。東京からの参加者が一桁であったということを考えても、今回の事業に対して、全国的に支部レベルにおいて積極的に動いていたようにはあまり考えられない。
 とすれば、初めての開催であったこと、まだ幼いオリニを対象にしており一般的には不安の声が高かったことなども勘案すれば、3%という数字は実はずいぶん高い割合だといえるようにも思う。
参加した保護者達は、父親であれ母親であれ、旧知の友人のように、同窓生であるかのようにすぐに親しくなった。その場に共通の関心事があったからである。オリニ達が本当に元気に思いっきりはじけている姿を見ながら、自分達の子ども時代と重ね合わせ、自分の子どもには、こんなことは味合わせたくない、こんな風に育って欲しいと、連日オリニ達の教育問題について熱心に語り合った。ウリマルを習わせたい、チャンゴを習わせたいというような話があちこちから聞こえてきた。それは、本当に素朴に民族教育を求める声であると、私は理解している。
 私は今民団愛知県本部の建物の中にある愛知韓国商工会議所で勤務しているのだが、そこで出会う人々とも、民族教育、民族学校設立について話す機会が多い。
京都韓国学校の厳しい現状があり、学校設立運営の財政的な困難さから不可能であるという結論を導きやすいのは事実であるが、それでも是が非でも実現しなければならないという意見を持った人が何人もいるのも事実である。
 それは一人一人の子ども達にとって必要であることはいうまでもなく、民団ひいては同胞社会を考えた時に、民族学校の存在抜きには明るい未来像を描けないという現状認識があるからに他ならない。
前稿でも書いたように、在日社会の中で朝鮮学校同窓生という精神的絆は、最も強固なもののように感じられる。総聯系の行事には全世代にわたっての参加が見られるが、それは、いわば『朝鮮学校同窓生社会』なるものを形成してきたからであり、現在の総聯の組織やその方針に呼応したものではない。
片や民団は、領事事務を代行してきたことにより、同胞社会の中でもっとも多くの同胞世帯を把握しているにもかかわらず、その絆は希薄であり、組織力がその団員数に見合っていないのは周知の事実である。民団系の行事では最近富に高齢化が目立つが、その原因が教育機関を持たなかったことにあるのは疑いもないであろう。
 端的に言えば、民団系の同胞社会には『再生産構造』が欠落していたのであり、このまま推移すれば、民団系同胞社会は数年の内に瓦解の危機に陥るのではないかという強い危機感をもつのは果たして私だけであろうか。


朝鮮学校を取り巻く変化

 オリニジャンボリーに参加した息子が小学校に入る時、私自身どうするか本当に迷った。朝鮮学校にいれるか、地域の日本学校にいれるか、である。結局は、日本学校に本名で通わせることになったのだが、その理由を書いてみたい。
 端的にいえばそれは、二枚の肖像画掲示に象徴されている思想を忌避したことにある。
 朝鮮学校を運営しているのは総聯である。総聯は、54年の共和国南日外相声明を受け、在日朝鮮人(韓国人)はすべて共和国の公民であるということをもって成立した組織である。そして朝鮮学校は共和国公民たる朝鮮人を育成することを第一の目的としている。
 私は前稿でも述べたように、日本で生育する者に、日本という国家・社会に対する帰属意識を否定して、実感の伴わない南北に分断された祖国の、しかも片方への帰属を強いるのは、いまや不自然であり、アイデンティティ形成上の混乱を招くばかりだと考えているし、在日社会の今後を展望する時に、在日たる根拠を国籍から民族に転換しながら重層的アイデンティティを定立すべきではないかと考える人間である。旧来の国民国家論に基づく教育とは相容れないのである。さらに、その国家の象徴としての二人の肖像画に対しては、いかなる弁明を聞こうとも、個人崇拝の強要に他ならないし、民主主義とは到底相容れないものであると結論付けている。大日本帝国における『御真影』の悪夢をどうしても連想せざるを得ないのである。
 しからば何故日本学校であるのか。私は、日本学校をすすんで選択したわけではない。朝鮮学校を忌避する気持ちが日本学校を忌避する気持ちを上回ったに過ぎないからであり、例え日本学校へ行こうとも、本名で通わせることと日常の中でさまざまな民族教育の場を提供する環境を準備できるというある程度の自信があったからである。しかしその自信は、私がいわば特殊な人間関係、社会関係の中にいるからもてるに過ぎないのであり、同胞社会全体に準備されているものとは到底いえないものである。
その朝鮮学校に今大きな変化が訪れている。ある地方の朝鮮学校では肖像画がすでに撤去されているというし、この地方でもそういう要求をごく普通に聞くようになった。教育内容についても共和国偏重の現状を改めるべきだという声が強く、最近では教科書も自主製作しているし、その内容も隔世の感があるという。
 さらに、一部の科目では日本の検定教科書をそのまま借用しているとのことである。
 この間金剛山歌劇団の公演を見に行ったが、その内容も、やはり隔世の感があった。端的にいえば、共和国讃揚が全く姿を消したのである。
 また、韓国籍ではあるが民族教育への強い期待から朝鮮学校を選び取る同胞も少なくないし、最近ではニューカマーの同胞オリニ達も多く通うようになった。この背景には分断祖国の厳しい対立状況が緩和されてきているという事実、籍というものがいわば便宜的なもので、そんなものにとらわれることはないと考える同胞の増加、そしてそれらの存在が朝鮮学校に否応なしに変化を要求しているのだろう。
 さらに、熱誠的に組織を支えてきた第一世代同胞の高齢化及び減少と、保護者世代のサラリーマン化、いつ終わるとも知れない不況の中で思うように寄付が集まらず、財政的に逼迫していること、また何より生徒数が長期低落傾向にあることから、民団系同胞に門戸を開く明確なメッセージが必要であるとか、ついには一条校化についても議論され始めている。

つづく

その1からつづく


どんな教育が求められているのか

 59年暮れから始まった共和国帰国運動は、当時の多くの在日にとって希望への脱出であった。日本各地で帰国に備えた民族教育熱が燃え上がり、全国に朝鮮学校が設立されていった。朝鮮学校では小学一年生の子どもまでが共和国への帰国を熱望した。
 実は、私が今も住む堀江部落の中にも朝鮮学校が設立された。私の父も当然寄付に応じ、私のすぐ上3歳違いの兄は、その学校の設立と同時にその一年生となった。一番上の姉と長兄は日本学校に通わせ、二番目の兄は朝鮮学校に送り、そして、末っ子の私は日本学校にと、逆戻りしたのである。何故であろうか。
 私が入学したのは64年4月のことである。その頃にはすでに、共和国での生活ぶりが知られ始め、落胆と共に帰国熱はしぼんでいきつつあり、逆にあまりにも大きな問題をはらんでいたにせよ、韓日条約の締結がいよいよ大詰めを迎えており、韓国への帰国もしくは故郷訪問といったことも同胞の中では話題になりつつあった。何しろ在日同胞のほとんどは南に故郷をもつのであるから当然である。
しかしそういう事情だけではなかった。朝鮮学校での教育内容が共和国そのものであり政治的であったことに対する反発があったからである。
 朝鮮学校は本当に親しみと希望をもって『ウリハッキョ』とよく呼ばれていたが、しかし祖国分断と厳しい対立の状況から自由ではありえず、おのずと南か、さもなくば北かという二分法の、厳しい選択にさらされた。そしていつしか『ウリハッキョ』という言葉は民団系同胞社会からは消えていったのである。
 『ウリハッキョ』と『朝鮮学校』。その表現には明確な差異がある。現在までの朝鮮学校は、いくら韓国籍同胞に門戸を開いているからといって、ウリハッキョとは言えないからである。『ウリ』は、近い将来きっと一つになるであろう分断祖国両方を祖国と認め、分断祖国両方を相対化し、自立的主体的立場をとるものでなければならないからである。そうでなければ『ウリ』は引き裂かれてしまうではないか。
 今同胞たちが求めているのは明確に『ウリハッキョ』である。民団の綱領は第一に『われわれは大韓民国の国是を遵守する』とあり、総聯は共和国公民であるということを前提とする。しかし、このような分断思想は、教育現場にあっては特に、決してあってはならないのである。
 「自分の国籍を『韓国』だとか『朝鮮』だとかいう。じゃあ、あなたはその片割れだけを意味する国籍を誇らしいものというのか、と私は言いたい。」これは最近、金石範氏が名古屋での講演の中で述べた言葉であるが、私も本当にそう思う。
 前稿でも何度も書いているように、同胞たちは、民団だの総聯だのという分裂と対立の歴史に、早く終止符を打ちたいという気持ちで一杯である。既成の両組織が勇気をもって応えねばならないはずである。民族金融機関問題でも然り、一つになれば、どれほどの希望が生まれるであろうか。特に民族教育にこそその期待は大きいのではないだろうか。
 では教育内容についてはどうであろうか。同胞たちは、すでに日本永住を選び取っている。現在のニューカマーも、いずれ定住化し永住化することになるに違いない。それはオールドカマーが経験済みであるし、他の在日外国人もしかりである。
今同胞たちが求めている民族教育は、帰国の準備ということでは決してない。
第一に、日本に住みながらも韓(朝鮮)民族の血を引くものとして自尊心を持つことができるようにする教育である。
 これまでの多くの同胞オリニ達がそうであったように、自らの出自を恥じ、隠そうとしたり、韓国(朝鮮)的なるものに拒否反応を示したりすることなく、仮に民族差別に出会おうとも堂々と立ち向かえる自尊心を持った韓国(朝鮮)人を育てる教育である。
そのためには、ウリ歴史及びウリ同胞歴史、ウリマル、ウリ文化などが、当然必要となってくる。私は10年前、33歳の時から約二年間韓国生活をしながらウリマルを学んだが、ウリマルができるようになった自分がとても誇らしく、韓国(朝鮮)人としてのアイデンティティが揺るぎない確かなものになったことを実際に経験している。
 第二に、韓国(朝鮮)と日本の“架け橋”になるような人間を育てる教育である。私もその一人であったが、本当に多くの同胞青年がそのような希望をもっている。また、韓国(朝鮮)との関わりをもった日本人にもそのような希望を持つものは少なくない。
 私が学生時代、札幌に『日韓連帯札幌市民の会』というのがあったが、その機関誌の名前は『海をわたる風』であった。私が勤める愛知韓国商工会議所の全国組織である在日韓国商工会議所の機関誌はそのままずばり『架け橋』であるし、名古屋にある『在日朝鮮人作家を読む会』の同人誌は『架橋』である。きっと全国にはもっとたくさんの『架け橋』に類する機関誌なりがあるのだろうと思う。
なぜであろうか。それは、まさに、韓国(朝鮮)と日本のはざ間で翻弄されてきた在日同胞の歴史があるからに他ならない。『近くて遠い国』という言葉をそれこそ肌で実感し、いわば三つの『祖国』(韓国、共和国、日本)を持つ在日同胞は、他のいかなる存在よりも、分断祖国が統一すること、韓国(朝鮮)と日本が本当に『近くて近い国』になることを願ってきた。そして、それが現在の青年たちにも通じることであることを、最近何度も教えられた。
 しかし、実情はどうであろうか。昨今の韓国ブームは、在日同胞を飛び越えて進んでいる。在日同胞は、いまだ自らが果たしうる役割を担うこともできず、谷底から眺めているに過ぎないかのようである。 その原因は、在日同胞がいまだ、『パンチョッパリ』にとどまっているからである。韓国(朝鮮)語もできず、韓国(朝鮮)的なるものを獲得していないからである。これは本当に残念なことである。
第三に、在日に生まれたことが、マイナスではなくむしろアドバンテージを持つことが確認できるような教育である。平たく言えば、韓国(朝鮮)人に生まれてよかったと思えるような教育である。
 21世紀の世界では、情報技術の飛躍的発展、教育の国際化、経済のグローバリズム(深刻化する南北問題など克服すべき問題が多いことを前提にしつつ)が、ますます多民族社会・多国籍国家を招来するであろうと私は確信している。南北祖国も日本とて勿論例外ではない。そういう社会・国家において、価値観はますます多様化しクロスオーバーすることになる。その時、生まれながらにしてそのような存在である在日は実に大きな可能性を秘めているのではないだろうか。
 その可能性は、在日が韓国(朝鮮)と日本の双方についてよく理解している存在になることで道が開けるといえる。日本に住んでいるのだから、おのずと日本のことは理解できるわけで、民族教育をしっかり受けながら、韓国(朝鮮)のことをどれだけ豊富化できるかが重要になってくるであろう。  しかし、教育なくしてはそのような可能性は摘み取られる他ない。
 そして、分断祖国が必ずや統一され、豊かな祖国になることを固く信じることのできる海外同胞としてのアイデンティティを持つことができる教育でなければならない。

その3につづく

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