にこちゃん教育日記

子どもや教育、そして学校や行政,について考え、動こまい!

高大接続改革に思う

長野の県教研で
長野高教組の参加依頼があった時はこの日に予定が入っていたのですが、それをあきらめざるを得ない状況になり、「それなら」ということで押しかけ参加してきました。
分科会を26も開催される底力には敬服せざるを得ませんでしたが、ともかく以下ボクの視点で報告します。
ボクらが名古屋でやっている議論は基本的にいつも顔を合わせているメンバーの中でのものであり、久しぶりに違った意見の人たちとの議論だったので面白かったです。

長野県教育研究集会 分科会18
「子ども・青年と進路〜学校・大学地域づくり」
【課題提起】
高校選抜制度の多様化を論じることを目的に始められた分科会だ。
高校入試、県教委発表の学検の結果から見ると、英語の分布がふたこぶになっているのはなぜか?→他教科は正規分布 検討課題だ
小学校の外国語(英語)教科化には賛否両論があるが、今後も注目される課題だろう。
この分科会の課題=中高接続の問題・高大接続の問題・高校の先、進路の問題・・・・バブル崩壊の頃から就職率が下がり、進学が上がってきたけど最近頭打ちになった。就職者は平成22年頃あたりから静かに上がってきている。確かに就職の状況が多少は良くなって来ているが、企業の厳選採用は進んでいる。
高校改革の問題もある。高等学校を四分化して再編統合を考えている。
その高校生だが、学力が身につかない。生活習慣も身についていない。工業高校は汚い。工業高校の生徒は掃除が嫌いだ。

【加藤報告】
1.大学入試検討委員会で議論してきたこと
 ・言語力の低下
 ・知の質的な低下
 ・学習に向かう姿勢の劣化:指示待ち・困難なことを敬遠
2.進路指導面から
 ・センター試験に振り回される出願 自分の希望と異なる進路へ
    →センター試験の結果をもとに志望大学の学科を変えさせる。
 ・興味関心より、いかに点数が取れるかを指導する傾向
    →文科省も、大学入試改革による初等中等教育へのウォッシュバック効果を
     言い出した。
記述式
幅広い学力を、どういった基準で採点、評価するのか?
キーワード方式で通信添削をやっているベネッセに採点が行きそうだが、キーワード方式で良いのか?
10月に富山で行われた新テストの研修会で「その場で(真新しい情報を読み取って)解答をつくるような問題」を考えていると文科省の役人が言っているが、ちゃんとできるのか?
「そんな問題、解答するのは無理だ」となって捨ててしまうということはないか?
そうなったら、意味がない?
英語の民間テスト TOEICやTOEFL と学習指導要領との整合性はどうなるか?
高3時の2回で評価する
英検2級が高2で受かって、高3で落ちたらどうなるか?
受験料が高いが・・・・ 公平性という意味で疑問が残る。
4技能の評価方法はどう考える?
スピーキングが客観的に測れる?
大学は論文を読める力を求めているだけではないか。
こういった試験対策は?
英語教師はどこを見たら良いのか?
調査書の記載が煩雑になってくるのではないか。
学力の三要素まで記載せよと言われてきたらどうする?
推薦では、必ず書けと言ってきている。
国公立の推薦書レベルの調査書をクラス全員分書かなければならないといった感じか?
そうなると、学習指導や進路相談と行った本来やるべき仕事ができない。調査書に記載する情報が評価されるとなると、国費が投入されて様々な経験を積むことが出来るSGHやSSHがどう考えても有利ではないか。

【國枝:補足】「高校生の学びの基礎診断」と指導要録について話させてもらった。
質問:大学入試センターに良質な問題の提供を求めているが、平等な採点こそ必要ではないか。
加藤:大学によっては、教科によって設問能力が無くなっている。だから、それを作って各大学に提供するという提案だ。

疑問1:(地歴公民科教員)センター試験は暗記重視になっていて悪いというが本当か?
良問が多いと思うのだが。個別試験の記述式の問題にはすでに良問が多い。だから記述式は各大学に任せてば良いのではないか。
國枝:我々はセンター試験の問題そのものの質を問題にしているわけではない。学ぶ内容を理解していなくても対策で一定の点数が取れる、そのことを問題にしているのだ。

疑問2.(別の地歴公民科教員)夏に、予備校に授業をうけに行っている。今高校でやっているような教え方ではセンター試験に対応できないと言われるが、確かに頷ける。
國枝:予備校の教師は、生徒が学んでいるという前提から思考能力を磨く授業をしているのではないか。
反論:そんなことはない、基礎からやっている。
國枝:医学部受験希望の生徒ということで、より高いレベル(完璧)を求めているからこそ、基礎から完璧段階まで教えることになっているんだと思うが、普段、センター試験を受ける生徒と言えば、6〜7割取れれば満足、だとすると今やられている「対策」で十分対応できるわけで、そこで止まってしまう。
→彼は予備校信奉者らしいが、いくら予備校で基礎をやっていても、それと学校の学習が並行して行われているということを忘れてならない・・・・とボクは思ってしまうんだけど。
予備校の教師に、「実際に高校で授業をやってもたったら」というボクの指摘で終わってしまった。

疑問3.地理や世界史は良い問題が出ているので改革は要らないのではないか。
國枝:そもそも広く学力を見るという本旨から、受験生の得点が正規分布するように作られている。それでは科目に対する本来の興味・関心を測るものにはできない。おまけに目の前に正解があるという選択式では、答えを選ぶことで終わってしまう。
また、地理に関しては科学的に考えれば答えが出せてしまうということで、理系では地理の点数が取りやすいということになってしまう。
批判:国語だって科学的、この指摘はおかしいのではないか。
國枝:科学的というより、地理そのものに「自然科学的側面」と「人文科学的側面」があって、理科科目の学習を重ねることで答えやすいという特色がある・・・・としてください。

(ボクは、「学習指導要領」で、公民地歴科の必修科目を世界史としておきながら、世界史・日本史・地理から選択科目を選ばせるというシステムが以前の未履修問題を引き起こしたということは否定でいないと思っている)

センター試験を評価する声が強かった。
「問題を否定しているわけではない」と、國枝
実際、センターに振り回されている「今」がいちばん問題なんだろうけど、そこを改めていくのは事実上不可能だと思う。そうなると、振り回しているセンターにも問題があって、それを改めていくことが今の高大接続の課題を解決していく唯一の方策ではないか?
振り回す根本に、四者択一&対策を立てやすいという問題がある。
あと、問題があるから変えるという点では反対が少なく、改革がすすめられているわけで、
センター試験に問題が無いと言うのは理解を得られない・・・・というボクの指摘には反論がなかったが、あまり納得してもらえていない様子だった。

→結局は対策を立て易い=生徒が食い付いてくる=教える方もやりがいがある(と思い込んでしまう・・・・というよりも、そのレベルでのやりがいって低いレベルだと思うんだけど・・・・という感じなのか?
共通一次、センター世代の教員の泣き所なのかも?
あと一つ、あの場で言いそびれてしまったことだけど、なぜ、そんなに力を入れて生徒(受験生)を1つの基準で並べる必要がある?とセンター賛成派の2人に聞いてみると良かったのかなぁ・・・・

【分科会発表】
小海高校:進路多様高 コース制
法政大学 川上村指定推薦というのがある。小布施もある・・・・卒業して地元に帰るのが条件。
長野県内の大学:2017年度から長野大学が公立大学化、2018年度からは諏訪東京理科大理科大が公立化する。そうなると指定校推薦がどうなっていくか。それが関心事になっている。
高校に関して:学校規模が小さくなって、部活が成り立たなくなると、推薦が来なくなる。
生徒のセールスポイントが、部活が成り立たなくなることによって減っていく、これは問題だ。
屋代高校と諏訪清陵高校という、附属中学を併設する学校の話:
屋代:中高一貫生 80人 上位層も増えたが下位層も増えた
    →成績優秀者が中学校段階で入ってきたわけではない。
     中学校で白紙で入り、6年一貫・・・・辛い子に関しては辛い。
     推薦を狙わせているか?→むしろ薦めている。でも、乗ってこない。
難関大学を何人受けて何人合格・・・・などという話が出てくると、何だか淋しかったなぁ・・・・
6年間鍛え上げて受験に向かわせる?
こんな話もあった とある小学校:前の学年の6年生=個性的な子が、元気に行っている。心配していたがほっとしている。
などなど・・・・

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この金曜日(11月17日)「平成29年度西濃地区社会教育振興会議」というあつまりがありました。揖斐川町青少年育成推進員の会議で参加要請があり、あまり気乗りしなかったのですが、平日午後ということで仕事を持っているメンバーには辛いだろうと、参加を引き受けました。
出がけに急用が出来、少し遅れて会場に着きました。
ちょうど基調講演がはじまるところで、ひねくれ者のボクは、行政が用意された講師の講演というだけで期待値を半減させてしまう傾向があるのですが、今回の講演はなかなか面白かったです。
演題 「なぜ今、地域と学校の協働なのか?」
講師 愛知県津島市学校支援地域本部 トータルコーディネーター 椙村 明人 氏
中学校の校長退職者で、現職ということだったので、学校の多忙化に拍車をかけるような活動やらお考えかと思ったのですが、中学校まで地域で生きてきた子どもたちが、高校になると離れていってしまう、それをつなぎ止めなければ・・・・という発言があって、「おおっ!」という感じでした。
津島の地域的事情から考えると、おそらくは中学校でリーダーだったような子は名古屋市内の高校へ進学し、そこから大学へ進学、県内に残っても津島から通学1時間、学校に大学にと忙しく生活し、津島をふりかえることがない・・・・という実情があるのでしょう。
そこでどうするか・・・・子どもたちを取り囲む環境を考えに入れて、地域から高校生・大学生に参加を呼び掛けているというです。
津島の取り組みが素晴らしいというのは話が進むにつれわかってきたのですが、それでも公立中学校の校長という立場だったからこそできたのではないかという冷めた目で聞いていました。学校の負担が重くなるのはではないかいう思いがあり、さらに、恐らくは(少しは)忙しくなっていると想像したのですが、スライドの最後のほうに「学校(先生)の多忙化に拍車をかけないように!」という書き込みがあり、一息つかせていただきました。
津島はそれでも「まち」です。消滅可能自治体揖斐川町とは違います。
津島では大学生に中学生の学習支援とか頼んでいるようですが、揖斐川町では、中学生の学習指導をできるような大学生は、自宅から通学していなかったり、通学時間が長くてそれどころではないと思います。
しかし、中学生のうちから声をかけ、高校生が面白いと思ってくれるような企画を投げかけ、ともに動いていく・・・・これなら可能です。
というわけで、元気をもらった講演でした。
分科会は、「中学生ボランティアを活かした青少年育成部会の取り組み」というテーマで大野町の発表を聞きました。中学生にボランティアを呼び掛け、公民館で子ども向け行事に取り組んでいるという内容の発表で、多くの中学生が自然に集まって来て、活発に活動している様子がよくわかりました。課題はそれが中学校段階で終わってしまうということ。後で発表者から高校生への呼び掛けについてコメントをもらえたのですが、相当の努力をされているようです。中学校3年生への呼びかけばかりでなく、個人的なルートを通して、そして高校を通しても働きかけられているようです。その努力の成果として20数名の高校生が活動しているようですが、中学生と同じ事を求めても、果たして高校生が満足してくれるのか・・・・
このあたりが大きなポイントになるようです。
というわけで良い勉強になったのですが、これを揖斐川町、そして谷汲公民館の活動にどう活かしていくか・・・・
面白くなりそうですが、いろいろやりたいことだらけで、パンクしそうです。
 

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高大接続改革に思う

今、11月上旬に予定している「大学入試検討委員会」に向けて準備中です(こういったことが堂々とできて、こうやって発信できる今の立場に関しては気に入ってます)。
今進められている「高大接続改革」について高校の現場からの声がない!・・・・という教育のつどい共同研究者からの指摘を受け、ぼくら中部東海ブロック大学入試検討委員会で討議資料(ブックレット?)を作ることにしました。そこで、集まって議論をして、それを活字にしようともくろんでいるのです。
長いこと大学の先生達との交流を重ねてきて、大学側が高校に望んでいることと高校が受け止めていることにズレがあると感じます。
(根本からの)高大接続改革の必要性を早くから主張されてきた国立大学協会で中心的な役割を担われてきた北海道の佐々木先生のお話からは納得出来ることが多々ありました。
...
高校というのが、初等中等教育という縛りの中で、義務教育という縛りのない、中心から離れた存在であること、これに対して大学は高等教育という縛りで、この間に大きな溝があるにもかかわらず、現実的には高大連携というのが欠かせない時代になっている、こういったことも、うすうすは感じながら、佐々木先生のお話の中からより具体的に理解することができたと思っています。
高大接続改革が進められてくなかで、この溝が少しでも浅くなる感触をもったボクは無理に改革の成果に期待しようとしていました。
けれども、結果は惨憺たるモノ!
「高大接続」のための基礎テストだったものが、しかも進学希望者中心に受けてもらうためのテストが、診断と名を変え、文科省が率先して多様化させていった高校教育の共通学力を診断する道具にされ、
大学入試センターはそのまま生き残り、進学希望者にはより複雑化した「大学入学共通テスト」の受験が求められる。
「診断」で学力の底上げを図り、センター試験の、基礎学力をみるという役割を「診断」に丸投げしてより強化された財界にとって都合の良い「上澄み」をすくい上げるための試験を発足させる・・・・
この国の未来は明るくない?

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  1. 入試問題を分析してもらえる人が見つからない!
    この時期、本当につらい・・・・
    この時期、20年以上こんな思いをしとるんだけど、これってやめられないんだよね。
    大学がずいぶんと入りやすくなっている今、「入試に振り回されなさんなよ」と言いたいのだけれど、それがしっかりと通じるほど世の中甘くない!
    ...
    だからこそ、まずはボクらから見て良いと思われる入試をやってもらうために、最大限の努力をするべきではないかと思う。
    ボクらが交流している国公立大学の場合、高校でしっかりと勉強してきて、それがちゃんと活かされた入試をクリアして大学で有意義な勉強をして欲しいと、間違いなく思ってくれている。
    共通一次試験が出来て以来、30年以上にわたって続けられてきたこの活動があるからこそ、10を越える大学から、幹部クラスのスタッフの参加を得てお互いの思いを確かめ合う場を持たせてもらえているわけだ。
    高大接続が注目され、昨日の文科省の発表がニュースで大々的に取り上げらられるような時代になった今、これをやめるにはもったいなさ過ぎる。
    入試問題の分析に関しては、「そんなこと、ボクにはできない」と言って断られることがよくあるけど、高校生を教えている側からの思いを素直にあらわせば良いだけのこと。「忙しくてそれどころではない」ともよく言われるけど、大学に入れていただくために、大学に振り回され、で、本当に力のある生徒を大学へ送り出せているんだろうか?
    などとあれこれほざいてみても、話は進まない!
    昨日発表された高大接続改革、報道はほとんど大学入試センター試験にかわる試験のことだったけど、よく見ると上から要求ばかり押しつけられ、それを押しつけられる現場への人的配慮があるとは思えない。
    それで良いのかなぁ・・・・
    優先順位をやりくりして、「こんな事態はおかしい!生徒にちゃんと勉強してもらうことが出来ない!!」と訴えてこういった活動に取り組むって無理なんだろうか?
    ただ、最後の14年間=学校完全5日制になって以来進学校と名の付くところに勤めさせてもらっていないボクは、進学校の異常な忙しさが理解できていないらしいんだけどね。

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超ご無沙汰!
ブログの投稿方法まで忘れてました。

ただいま「大学入試問題の分析と批判」作成の時期に入っています。(ほかの組織には4月早々から取り掛かっているところもあるようですが、実質個人営業の岐阜の場合、年度初めのバタバタがひと段落した連休明けにとりかかるようなことになってしまっています)。
で、この活動をやっていて気が重いのが、問題の分析を引き受けていただくまでの交渉です。もう20年来やっているのですが、こちらもうまく説明できていないので、お願いした方の多くが、どうしても「解く」ことに気持ちがいってしまわれるようなのです。...
そして、活字になる以上責任を持たなくてはならないという思いからか、なかなか気軽には引き受けてもらえません。
もちろん「忙しすぎる」という根源的な問題もあるでしょう。
しかし、僕らがいちばんこだわりたいのは「大事な教え子を大学へ送り出すにあたって、少しでも良い問題、良い制度で大学へ進み、そこで思い切り勉強してもらいたい」という一念であって、目に見える形である大学入試問題が僕らの思いにかなっているかどうかという視点で、大学入試について大学との交流会を持ち、大学入試問題の分析と批判に取り組んでいるのです。
この活動をやってきて、強く印象に残っていることが2つあります。(何回かお話したことがあるのですが、ともかく読んでください)
一つはとある飲み会で、岐阜大学で元入試担当の副学長をやっておられた方から「みなさんにこっぴどくたたかれましてねぇ」と言われたことです。
ちなみに、岐阜大学は、岐阜大学を受ける高校生にとってどんな形の入試問題が良いのか、かなり前から積極的な研究を重ねておられると、ボクは受け止めています。
分析をお願いした原稿を読んでいても、受験生にとって酷だという批判はほとんど見られなくなりました。
ただ、地域科学部の小論文は別ですが、これはこれで学部の学際的性格をどう高校生にアピールしていくか検討を重ねられてきた結果打ち出された方針だとボクは受け止めていますし、地域科学部の先生方の勉強会に呼んでいただいた時もそんな空気を感じました。
ちなみに、その場で、今度の入試改革で今のような小論文入試をはたして続けられるのかどうか、非常に気にかけての発言がありました。
もうひとつは、岐阜薬科の数学の入試問題で、「受験生にとって難しすぎる」とのコメントを入れさせてもらったところ、数学の出題責任者と思しき先生から「もう少し具体的に説明してもらわないと、問題を作った先生の次回の雇用契約に関わってくるからよろしく」と言われ、急ぎ別の数学の先生にコメントをもらい持参させていただいたことです。
文章は匿名で発表しています。
ただし、冊子の表紙に参加高教組の名前はしっかり入れていますので、現場で高校生に接している者の素直な思いが原稿化され、何かあったときの対処は当委員会及び組合で責任を持つという意識でいます。
以上のことを考えに入れ、ご自分でなくとも、こういったことに関心のある知り合いとかお見えでしたら紹介していただけると幸いです。
また、今回はどこかの教科で、問題を見てもらって、意見を聞かせてもらい、ボクが原稿化して、チェックしてもらって発表するといったことも考えています。
具体的には看護学部を考えているのですが、岐阜大学、県立看護大の入試に向けるポリシーが微妙に違っていて面白いことから、じゃあ高校側としてはどうしてもらいたい・・・・的な文章はできないかと、漠然とですが、考えています。
また、三重県の高教組が今過渡期で、なかなかつきあってもらえず、そんなことならと、三重の問題も手に入れました。
あれこれ長々と書き連ねましたが、少しでも意識していただけたら幸いです。

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部活動について思う

今、NET上で部活動について話題になっています。
 
 
 
ボクは部活動は地域のクラブに任せるべきだと思っています。
20年くらい前にこの件に関して議論した頃は、クラブの指導者に問題があり「任せられない」という結論になってしまったのですが、最近では(岐阜の場合)いろいろなスポーツでクラブが成立、指導も20年前よりは教育的(合理的)な指導ができているようです。

そして、特定スポーツの指導をしたい教員は、勤務時間を厳守して、勤務時間外でクラブスポーツを指導すれば良いわけです。

そうすれば、エリートクラブを指導したい人はエリートクラブへ、そうでない人はそれなりのクラブで指導することが可能で、指導者がいないクラブや、指導者とメンバーのミスマッチなどということは避けられるのではないでしょうか。

大阪の悲劇にしても、そうなっていたら避けられたのではないでしょうか。実績を残した指導者でも、学校は転勤してもクラブはずっとおなじところで指導することが可能になります。

実は、ボクの場合まったく素人だったバスケットボール部の顧問になって、通算20年になるのですが、この間過重な負担を感じたことはありません。高校の場合、基本的には2人顧問なので、どちらかは休める体制でやってきました。
進学校にいた時は、岐阜県の場合模擬試験の監督なんかも回ってくるのですが、そちらは拒否し続けました。(おかげで評判が悪かったという話もありますが・・・・)
土日休みになってからは、日曜日は基本的にはやっていません。
朝練は絶対にやりません。
部員が休むことに関しては、基本的には本人の意志に任せています。

今年、復帰したのですが、土曜日の練習は、朝8時半からはじめて必ず午前で終わるようにしています。

そんな部活ですから決して強くありませんが、それ以上のことを望まれても受け入れる気はありません。
部活で評価されるようなことがあったらお断りです。

お金も極力かけません。
何万円もする資料や道具は絶対に買いません。

・・・・長々とここまで書いてきたのですが、この方針で30歳から今まで、途中10年近くのブランクはあったのですが続けてこられました。

で、何が言いたいのかというと、今の教員の多くが実に「いいひと」で、言われたことを素直に受け入れすぎではないかと言いたいのです。

教師だって労働者、法で保護されている範囲は絶えず意識し、プラスアルファはボランティア、無理なことは無理と断る。この意識を持ち続けることが大切だと思うのです。

おそらくは「そんなことできない!」と言われる方が少なくないと思います。けれども、無理をして自分の身体を壊すことと比べれば、決意を固めて断る方がましなはずです。
 
と、FBの知人の投稿へ書き込んでみたのですが、中学校と高校ではわけが違うようです。
で、そうなると、学校では部活の面倒は見られない。=部活は地域のクラブで面倒を見る。
そして、その指導の一翼を担うためにも学校の多忙化を解消し、教師が地域へ出よう!
 
というわけです。
 
そして、そのためにも、教職員の労働条件を改善していくべきだし、それをすすめていく教職員側の団体である教職員組合は欠かせません。

そんな思いで教組の役員も続けてきたので、管理職へのお誘いは皆無でした。けれども、部活で関わった教え子たちと卒業後楽しい時間を持つことが出来ているのでボクの方針は悪くはなかったと思うのですが・・・・

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昨日はちょっとしたパーティーがあり、アルコールありということで、タルテツで出かけた。
岐阜の会議後いったん帰宅し、タルテツ16時50分谷汲口発飲み会直行便に乗った。
 
パーティは楽しく、さらに平均年齢オーバー50歳というメンツでカラオケに行った。ただ、ボクは田舎暮らしの悲しさで、最終に乗るべくものの30分程度で席を立つしかなかった。
 
60歳に手が届くところまで来たボクは、最近おとなしく帰ることも増え、この日もタルテツ21時21分発帰宅最終便に乗った。そこにはいつもの光景があったんだけど、今年も繰り返されるいつもの光景に、なんだか悲しくなってしまった。
 
谷汲口で降りるとき、塾帰りの受験生が車内で勉強しているのを見た。土曜日まで半日か1日か、塾へ行ってきた帰りなんだろうけど、ボクとしては「土日までごくろうさん!」ととても言えない。
学校での課題を家でじっくりと学び直すということをなぜやらないのか?塾の学習スペースで一人黙々と学習に取り組むのが流行っているということもわかっている。しかし、くつろげる場所で、リラックスして勉強に集中することから生まれてくる力というのが何物にも代えがたいものだと思うが、その点はどうなのか?さらに、塾が流行り、そんなところでしか勉強できないと高校生の多くが思い込んでしまうと、親の資金力で学習環境が変わってくると言うことでも問題だと思う。また、こういった学習は、悪く言えば人の視線を意識しながらやる学習であり、やらされ、追い込まれてやる勉強ということで、本当に本人の力になっているのか、ボクは怪しいものだと思っている。おまけにその内容の中心が暗記や問題演習ということになるといかがなものか。
 
こうでもやって、センター試験で点を取らないと良い大学に受からないからというプレッシャーがそうさせていると言うこともあると思うが、良い大学に入学したところで、その後が保証されるわけでもない。むしろ、頭が柔らかい青年期のうちに、もっともっと知的好奇心を磨く方が将来にとって有効だと思うのだが、どうだろうか?
 
実は、帰りのタルテツでもう一人、好対照の女子高校生を見たことでさらに気持ちが暗くなった。
 
その高校生らしき女の子は行きも同じタルテツに乗っていた。とっても短いスカートで、つけまつげを付け、どこかへお出かけといったところだった。ワンマンレールバスの最前部、料金箱に一番近いシートに座ってでスマホをいじくっていたので、目に付く格好が視野に入ってきて、印象に残っていた。それが、帰りも同じタルテツだった。谷汲口で降りた。
農業用軽トラで家の人が迎えに来ていて、自転車を荷台にのせて帰って行った。
 
別にそれ自体悪いことでも何でもないし、これをうちのクラスで「何だか気になったんだよね」と言っても笑い飛ばされるのがオチだけど、ボクにとっては不自然に受験勉強に埋没する高校生と、不自然に行動パターンだけ大人じみて、中身はどうだかわからない高校生と・・・・
 
そこで、学校ってどういった存在なんだろうと・・・・いつも考え込んでしまう。
 
現代の高校が、高校生の意識がとうの昔に学校の外に行ってしまい、それを規則やら単位で一生懸命学校につなぎ止めようとしているようでたまらない。親だって、昔のようには学校を信じてなくて、極端な話高卒の資格さえもらえれば御の字だと思っている親も少なくないのではないか?
 
どうしたら良いのか、こんな時こそ生徒一人一人を縛るのではなく、大切にする教育、そして保護者も含めて、生徒と保護者をしっかりと見届ける姿勢が必要だと思うのだが、この忙しい学校社会で取り組むには膨大な時間がかかり、かけた時間に対する成果という点では非効率で説得力に欠ける。いろいろあって11年間担任を持つことがなく、こういった思いで取り組むHRでの実践の積み重ねは実質ゼロ。でも、あと実質50日程度しかない3年の担任クラスでこの点にこだわり続けて、現代の高校教育に求められるものについて考えていきたい。
 

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 今年度転勤して、3年の「世界史B」を1クラス持てることになった。
 前任校で「地理A」と「現代社会」を中心に担当、時たま「世界史A」というパターンに飽き飽きして身にとって、2年生で2単位履修した後の継続履修3単位というのは実に楽しみだった。おまけに、8月にリリースされたサザンオールスターズの「ピースとハイライト」で批判された現代史学習のことや、その後来日したオリバー・ストーン監督の日本のあり方に関する指摘が、ボクのやる気をたきつけてくれた。
 おまけに、3年生に「世界史」を履修せずに、「世界史」の履修が終わっている本校に転校してきた生徒がいて、目標50時間で「世界史A」のマンツーマン指導をすることになり、ここで感触をためして、授業で実践するというパターンを取ることができた。そこで、この2パターンの世界史の授業を使って、効率的にボクが日頃考えていた近現代史教育を実践することができた。
 
1.50時間の「世界史A」
 放課後や夏休みに取り組んだ「世界史A」はとても良い実践研究の場になった。条件は50時間を目指すということのみ。評定を出さなければならないということもなかったが、生徒もマンツーマンという状況ではやるしかなく、結局はまじめに付き合ってくれ、評定もしっかり出させてもらった。本来あまりまじめに授業に参加するというタイプの生徒ではなかったが、後半はそれなりにおもしろかったようだ。50時間のうち半分は20世紀の歴史を扱った。
                                         
    1   導入:世界史Aの授業をすすめるにあたって
 2・3  明代までの中国史
    4   清帝国と東アジア
    5   ルネサンス・宗教改革・大航海時代
    6   オランダの独立・イギリス革命・アメリカ独立革命
    7   ここまでの学習のまとめ
 8〜10  フランス革命と産業革命(3時間目に「ベルサイユのばら」アニメ視聴)
 11・12  1830年頃のフランス(マンガ「レ・ミゼラブル」を読む)
 13・14   1848年前後の英仏
15〜17 南北戦争とその時代のアメリカ情勢(映画「風とともに去りぬ」部分視聴)
 18・19  清帝国とその周辺地域の19世紀の歴史
 20・21 深まる国家と民族の対立(19世紀末〜20世紀初頭の帝国主義の歴史)
 22・23  17〜19世紀ヨーロッパ史復習とまとめ(プリント使用)
 24・25  第一次大戦前の世界
 26・27  第二次産業革命と大衆社会の出現(映画「MODERN TIMES」視聴)
  28   第一次世界大戦とロシア革命
 29・30  第一次世界大戦の歴史的意味を考える (映画「西部戦線異状なし」部分視聴)
  31  第一次世界大戦後のアジア(五・四運動と三・一運動)
  32  大戦間のヨーロッパ                                                   
   33   ファシズム
    34  第二次世界大戦
    35   第二次世界大戦(続)
    36   ユダヤ人虐殺を学ぶ(NHKスペシャル「映像の世紀」より)
 37・38 日系アメリカ人にとっての第二次大戦(ドキュメンタリー「誰も知らない日系アメリカ人の歴史」視聴)
  39   アジアの戦後
  40・41 国際連合と冷戦
  42   第二次世界大戦後のアジア(まとめ)
43〜45 映画「プラトーン」観賞
 46・47  ベトナム戦争とそれ以降のアジア情勢
 48〜50  (75分×2)冷戦の終結と社会主義諸国の変容 /3・11とその後の世界
           
2.3年1組と「世界史B」
 「世界史B」を受け持った3年1組というのは、本校でも学習に対する動機付けが最も弱いクラスといえる。かといって、クラスの32人全員の学習意欲が全くないなどということは考えられないわけで、要求を最低レベルに落とすことはない。ここまで、学ぶことのおもしろさや意義を見つけられずにここまでやってきているという見方もある。
 また、こちらの要求を下げすぎると学ぼうとしない生徒が出てくることも大いに考えられるので、ボクは覚えてもらうことと考えてもらう(感じてもらう)という2つの視点から授業を組み立てるようにしている。
 
 ただ、「覚えてもらう」と言ってもきりがない。覚えてもらう量が増えれば増えるほど、「歴史は暗記科目」だと言ってそこから逃げ出す生徒を作ってしまう。それをつなぎ止めるのが受験なのだろうが、あいにく本校に入試で次の学校にチャレンジする生徒はほとんどいない。したがって、覚えてもらうことは極力減らす。漠然と時間が流れているというイメージがつかめれば良いとさえ考えている。
 しかし、譲れないのが今の社会がどういったかたちで出来てきたかと言うこと。
 「資本主義」というのがどんなところから出来てきたのか。労働者がどうしても搾取される対象であるということ。戦争という行為がどうしてこんなに大規模なものになってしまったのか。そして、しつこく続くのかを考えること。
 19世紀までの歴史に関しては、本校のような学校で考えてもらうためのネタ(教材)に限りがあるが、20世紀以降の歴史に関してはさまざまなネタがある。これまで使ってきた「西部戦線異状なし」「モダンタイムス」「プラトーン」というネタに加え、2単位の世界史Aでは使いこなせなかった「NHKスペシャル・映像の世紀」を使うことで生徒に迫ってみた。

3.PLATOON
 前任校は工業高校で男子生徒が90%以上ということから、「世界史A」を受け持ったときは、映画「プラトーン」を2時間見てもらって授業を終えることにしていた。 しかし、今年度は十分に時間があるということで、最初からこの映画を全編見せることを授業の最後の部分の柱に考えていた。全編で120分のこの映画は、3時間かけてじっくり見てもらうにはちょうど良い。(かなり刺激の強い=リアルな描写のある映画なので、「世界史A」で女子に見てもらい、「世界史B」での対策も考えた)
 
【以下、生徒の視聴ノートから】
前線で活動する小隊にはどんな人が多かった?
・薬を使って頭がおかしくなっている人や新兵が多かった。
   →そうなんだろうか?前線が過酷な状況だったので、薬物で紛らわすしかなかったんじゃないかなぁ?

その小隊の隊長バーンズ(トム・ベレンジャー)は冷酷非情、顔の深い傷痕が証明するように過去何度も死線をくぐりぬけてきた強者だ。班長のエリアス(ウィレム・デフォー)は戦場にありながらも無益な殺人を犯してはならないという信念の持ち主。その他、様々な個性を持つ兵士たち13人の小隊は、人間の最大の罪悪といえる戦争の真っ只中に放り込まれる。ある日、ベトコンの基地と思われる小さな村を発見した。
 
バーンズはどんな人物?
・生き残るため、村で虐殺をする。しかし、現実を見ている。
  任務をこなすために人を殺した。人間らしくない。
・すごい力のある人。でも、きらわれている。
 
エリアスはどんな人物?
・情け深く、人間らしい。かわいい。命大切にする熱い人。心の優しい人。

バーンズは真実を吐かない村民を銃殺した。バーンズの非情さに怒りを爆発させたエリアスは殴りかかった。「軍法会議にかけてやる」と叫ぶエリアスと、彼の平和主義的言動に心良く思っていなかったバーンズの対立は決定的となった。そして――大規模なベトコンの大部隊との戦闘が間近かに迫ったある日。エリアスが単身、斥候に出た時、後を追ったバーンズが卑劣にも射殺してしまう。やがて、ベトコンの大部隊と凄まじい接近戦が始まった。圧倒的な人海戦術の前に次々と倒れていく戦友たち。悪夢のような一夜が明けた。傷つきボロボロになったクリスの前に、バーンズが息も絶え絶えに倒れていた。エリアス射殺のことを気づいていたテイラーは、バーンズに向けて怒りの引金を引いた。.
..
戦争ってどういうもの?
・戦争とは、多くの犠牲を伴うもの。他の国同士の戦い。戦争は決してしてはいけな いものだと思いました。できるだけ外交上の話し合いで決めるべきだと思います。 戦争で人は大きく変わってしまうもの。
 
・戦争は、人々の考え方や心の持ち方が変わってしまうようなできごとで、人々が簡 単に殺されてしまうような世界であるので、人々は命を大切にして、戦争はしない ことがやっぱり平和につながると思った。
 
・この映画では、ベトナムの真実を描いている。米兵による民間人のぎゃくさつから りゃくだつなどまで、さまざまなことを描いて、戦争とはなにかを表している。し かし、戦争をひはんするだけじゃなくて、戦争はどういうものか学ぶ必要がある。
 
・戦争はひどいと思う。国民の1人1人の意見がとおっていないにもかかわらず、上 の人だけの意見で決めてしまう。上の人は安全で、普通の人や兵隊は被害にあい続 ける。ひどいことだと思う。戦争をしても、お互いに傷つき合うだけで、何人もの 命を失うだけで、話し合いで解決した方が絶対に良いと思う。最近、無人機という ざんこくな物まで出てきているので、なんとかしないとと思います。
 
 生徒の書いたことを見てもらえれば、真剣に映画を見て、考え、感想を書いてくれたことがわかると思う。さらに、考えたことの定着をはかるため、定期考査でも以下のようなかたちで取り上げた。
 
13年度3年「世界史B」学年末考査  より
Ⅳ.ヴェトナム戦争と東南アジアの歴史に関して、以下の文章(省略)をもとに問に答えなさい。

問1.ヴェトナム戦争は、どことどこが戦った何戦争を受けてはじまったものですか。
 
問2.ヴェトナム戦争は、南ヴェトナムで、政府の独裁に対して民衆が立ち上がったことがきっかけで始まった戦争ですが、ここで抵抗した組織を何と言いますか。 その略称を答えなさい。
 
問3.ヴェトナム戦争を契機に東南アジアに共産主義の勢力が広がるのを防ぐために、東南アジア5カ国が結成した組織とは何ですか、その名称を答えなさい。(正式名称でも略称でも可)

問4.映画「プラトーン」から何を学びましたか?どんなことでも良いのでまとめな  さい。・・・・感想の内容と長さで評価します。
 【解答例】
・戦争をしているのは、上官にあやつられている人形じゃなくて人間なんだと、怒り を覚えました。兵士一人一人にそれぞれの考えがあって、家族があって、理想があるということに気づきました。国の利害のために戦争をすることほどおろかなこと はないと思いました。(男子)
 
・日本の戦争の映画では日本軍が英雄のようにかかれているが、プラトーンではそう ではなく、自分の軍で行われていること、薬や小さな争い、そして無抵抗の人を殺すということまでかかれていて、あらためて戦争の汚さやおろかさを学ぶことがで きた。(男子・・・・この生徒は「永遠のゼロ」を見ています。

・映画の中の話はとてもひどいと思いました。どの人を見てもまだ若いし、戦争に行きたくてきている人はほとんどいませんでした。最初は、まだ部隊としては保てていたが、途中からは自分の命を守るために仲間をうらぎったり、仲間どうしでもめて殺したりしていました。戦争の相手は人間です。同じ人間どうし、自分が死にたくないなら相手も死にたくない人たちです。なので、戦争は絶対にだめだと思いま した。(男子)
 
・戦いは、何も解決せず、かんけいない人までまきこむということ。そして、何もかも殺せばいいという考えと、命を大切にするという考えだけがちがうだけで、一緒に戦っている仲間を殺してしまう。日本の戦争でも、沖縄の人達を守るために来た はずなのに、殺したり、ガマから追いだしたりして、自分のことしか考えてないから、むごいことだし、わすれないためにも、もっといろんな映画(戦争の)を見るべきだと思った。そして、次の世代にも教えるべき。(女子)
 
・私は、戦争ものの映画は得意じゃなくてあまり深入りしては見れなかったけど、あらためて戦争・命・武器にいろいろと考えさせられた。自分の生きるため、自分の国を守るためなら手段を選ばない戦争は、今でも嫌いです。いつ戦争が始まるのか分からなくてびくびく生きていた人の気持ちを考えると、複雑な気持ちになりました。
今を大切に、堂々と生きたいです。(女子)
(この映画には残忍なシーンも含まれているため、前もってそういうものが苦手な生徒は目を伏せるなり、どんな姿勢でいても良いと言っておいた)
 
問5.ヴェトナム戦争はアメリカにどんな変化をもたらしたか、2つ答えなさい。

 時あたかも映画「永遠のゼロ」が話題になっており、対極に位置するとも考えられる「プラトーン」の訴えかけるテーマは重い。ボクの気持ちとしてはより多くの生徒に「永遠のゼロ」を見てもらい、その上で「プラトーン」を見てもらいたかったが、その魂胆(下心?)は叶えられなかった。それでも、見てきた生徒の感想(2人目)は的を射ているのではないか。
 「考える力」「感じる力」というのは誰にでもある。ということで、授業の中で生徒の心を動かすような問いかけをすることは大切だと思う。先に、このクラスの生徒達の学習意欲に関して、決して高くないと書いたが、筋道をたてて授業を進め、内容のしっかりとしたネタを投げかければ反応してくれる。ボクの経験でも、「西部戦線異状なし」を、事前の授業が不十分なまま見せて失敗した経験がある。しかし、ここまでしっかりと授業を積み上げることができた今回は、3時間かけて見てもらった映画を、ほとんどの生徒がしっかりと見てくれていたは言うまでもない。
 
4.生徒に何を求めるか
 学年末考査の最後に以下のような問題を出してみた。ただ、これに関しては欲を出し過ぎたようだ。
 
Ⅴ.冷戦後の世界について、以下の問に答えなさい。
問1.冷戦終結が宣言されて以来中東では大きな戦争が3度起きていますが、2003年3月、ヨーロッパのいくつかの国が慎重論を唱えるなか、アメリカが侵攻した国とはどこですか、答えなさい。
問2.冷戦後、米ソ両大国の押さえがきかなくなった世界は、紛争を繰り返し、事態はますます深刻になっている印象さえ受けますが、これに対して世界はどう対処すべきか、自分の思うところを簡潔にまとめなさい。
【解答例】
・戦争を無くすために、話し合わなければならないと思いました。(男子)
 
・世界ではまだいろいろな問題をかかえており、また戦争がおきては悪化するから、 どちらかが一歩退き、協力していく必要があると思う。(男子)
 
・どちらかが助けを求めてきても、耳をかしたりしてはいけない。力をかすともっと 多くの犠牲が増えると思うから。(女子)
 
5.ボクの歴史教育観
 今の政権が河野談話を見直すことを考えているようだ。しかし、その不自然さを暴いたところで、問題の本質が変わるとは思えない。むしろ日本の指導者たちの中に見られる女性蔑視の考え方があぶり出されるだけだろう。(13.02.21.朝日新聞インタビュー 冷泉 彰彦 http://www.asahi.com/articles/DA3S10990455.html
 さらに悪いことには、こういった指導者達の歴史観を教育現場に押しつける動きが進んでいる。
 
 世界的に見れば、史学の役割は人間誰もを尊重する今の世界の考え方を、時間の流れの中で裏付けることではないだろうか。天皇中心の、2650年以上にわたる(これもあやしいものだが)由緒ある国の歴史を顕彰するためのものではないはずだ。
 一方で「国際化」を強調しても、独りよがりの勝手な歴史観を持った国が相手にされるとは思えない。
 「敗北を抱きしめて」培ってきた当たらず障らずの歴史教育がここへ来て曲がり角に来ていることは確かだと思う。けれども、そこで独りよがりの歴史観に陥るのではなく、地域(東アジア)で協力して進んでいくためにはどうしたら良いかを考えるための歴史教育であるべきだと考える。
 日本は日本なりに、そして韓国は韓国なりに、中国は中国なりに抱えている歴史上の問題点というのがあることはまちがいない。せっかくそれを共同して研究し、正していこうという動きがあったものを今の3国の政権がそれぞれにぶちこわそうとしているのが現状ではないか。そこで、それぞれに冷静になって歴史を考えるべきではないか。ボクとしてはそのための歴史教育をすすめていくべきだと思う。

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